主は与え、主は取られる

みなさん、おはようございます。
おとといは、**さんの息子さんがADSLのために亡くなられてちょうど一年でした。その日、**さんの二人目のお孫さんが誕生したという知らせが届きました(生まれたのは前日でしたが)。すぐさまヨブ記の「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」というみことばを思い起こしました。二つの別々の家庭で、一年を隔てて起こった出来事ではありますが、私自身の心の中では、無関係には思えませんでした。
生まれることにも、死ぬことにも、与えらえることにも取り上げられることにも、すべてが神様の御手の中にある、というのが私たちの信仰です。ですが、それゆえに「なぜ神様はこうなさるのか、これを許されるのか」という思いが起こるものです。そこには私たちには知り得ない神様の思いやご計画があることを認め、受け止めようという意志が「主の御名はほむべきかな」という言葉になるのだと思います。私たちが今日捧げる賛美には、いろんな気持ちが込められていて良いのだと思います。

“…主は与え、主は取られる。
主の御名はほむべきかな。” ヨブ 1:21

今日は第二日曜なので、愛さん礼拝(夕拝)があります。

佐々木真輝