私たちの贈り物

みなさん、おはようございます。
先日、家内が食器棚の中を整理していましたが、そのためいくつかの使っていない食器類が行き場を失いました。一つは使えそうもなく捨てることになり、もう一つは登山用に使えそうなので保管場所を変えました。もう一つはしばらく使っていないカップです。高価ではありません。その証拠に、ガラス製のカップの持ち手のところにある「つなぎ目」がうまく成形されていなくて、持ち上げる度にちょっと痛いのです。でも、それを捨てられずに、牧師室に持って来ました。それは娘がまだ子どもの頃にプレゼントしてくれたものだからです。
子どもに買えるようなものですから決して高価ではありませんが、親としては値段以上の価値と思い出があります。私たちが神様にささげるものは、全知全能の神様からしたら、あってもなくても大きな影響はなさそうです。でも、愛する者からの贈り物であるなら、とても価値があるものに違いありません。今日は、その神様に心からの礼拝を捧げる日です。献げる賛美も祈りも献金も貧しいものかも知れませんが、きっと喜んでくださいます。

“ハレルヤ。
まことに われらの神にほめ歌を歌うのは良い。
まことに楽しく 賛美は麗しい。” 詩篇147:1

今日は午後から大船渡に向かいます。

佐々木真輝