誰かが何かをやめたなら

みなさん、おはようございます。
全国展開している二つの某外食チェーン店が全国でかなりの数のお店をたたむというニュースを聞いて、この辺りではどうだろうと思って調べました。市内のお店はどちらも大丈夫のようですが、南の方の別の街のお店がどちらも整理の対象になっているようでした。どちらのお店もあまり行くことはないのですが、閉じることになったら、いくら採算が取れなくなっているとはいえ、困る人もそれなりにいるだろうなあと思いました。
特に身近なところで何かをやめる、という話が進んでいるわけではないのですが、今まで自分がしてきたそのような決断の時のことを思い返しました。何かを閉じる、やめる、しかも「きれいに」やめるのは結構むずかしいものです。いろいろな人の思いを断ってしまうことになるので、誰かが傷つかずにはいられません。それまで対して関わっていない人が急に文句を言い出すかもしれません。それでもそう決断しなければならない事情があるわけです。ですから、そういう時は責めたり問い詰めたりするより、再起を願い、影響を受けた人たちのこれからの歩みが幸いであることを祈るほうがずっと大事で、兄弟姉妹としてしなければならないことだと思います。

“あらゆる祈りと願いによって、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのために、目を覚ましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くして祈りなさい。” テサロニケ第二 2:17

佐々木真輝