洗濯の日々から学ぶこと

みなさん、おはようございます。
朝からなんですが、老犬ハリーの世話のために毎日洗濯の日々です。
今朝は床ずれ対策に使っているマットの汚れをどうやって落とそうかと悩んでいます。
そんなことをしながらふと思い出したのは、旧約聖書に出て来る「洗いの儀式」の数々。さまざまなケガレに関する規定があり、それらに触れるたびに水で洗ったり、手や体全体を洗い清めなければならないとされていました。実際の生活を考えたら洗濯の毎日どころじゃありません。
それを思うと、イエス様が私たちの罪もケガレもすべて洗い清めてくださったという恵みの大きさが、妙に実感できるのでした。

「そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。」ヘブル10:22

先日、小****姉が病院内で倒れ、一時意識を失っていたそうです。来週念のためにMRI検査を受けることになっています。一人暮らしの心配もあります。どうぞお祈り下さい。

佐々木真輝

3件のコメント

  1. 大介は弟子なんだ・・・笑。日常的な行動、動作を通して聖書を読み直すって、とっても大切なことだと思ってます。

  2. この前八木山方面に家族で出かける前、ほのかに虫除けジェルをぬったあと、サンダルででかける大介の足にも塗ってあげたときに、イエス様が弟子の足を洗ったみたいだね、と冗談で言ったのですが、足を洗うという行動が謙虚さを一番あらわせる行動に思いました。ちょっと、余談ですが、思い出して・・・。

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