朽ちない冠を得るために

みなさん、おはようございます。
今日は夏の甲子園決勝。青森の球児たちが全国制覇に挑みます。同じ東北人としてはぜひとも勝利をつかみ取って欲しいと思います。
彼らはなんとなく野球をやっていて、運良く決勝を戦えるようになったわけではありません。間違いなく優勝を目指して練習を重ねて来たはずです。その決意と努力なしに一人一人が、またチームとして成長することはできなかったはずです。そして、それは私が学生時代には求めないでしまった悔やまれる所でもあります。
信仰の歩みにも似たところがあります。なんとなく「これくらいでいいや」と思ってしまえば、どこまでも自分に甘くなります。信仰を働かせて戦うよりは、自分や状況にずるずる流されて、そういう自分を納得させる他の理由を捜し始めてしまいますが、そこには喜びはありません。やっぱり目指すべきものを目指して歩んでいる時こそ喜びがあります。

「また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。」コリント第一9:25

今日は英語教室があります。クラスを再編成したため溶け込めずにいる生徒もいます。お祈りください。

佐々木真輝