みんなで、が結構むずかしい

みなさん、おはようございます。
みんなで何かをする、というのは時々難しいものです。
今日は婦人会の時間に墓園の草取りをするのですが、体力的に難しいとか、いくつかの理由で参加できないと連絡を頂いています。もっともです。「草取り」なんて誰でも出来そうですし、実際私にはこの日のこの時間しかなかったとは言え、考えが足りなかったかなあと反省してます(前の納骨堂の時も年に2回くらいやってたので簡単に考えてました)。「いつもの」集まりを期待していた方々には申し訳ないことをしてしまいました。
草取りに限らず、教会で何かをしようとするとき、「誰でもできそうなこと」であるのに、やはりある人は学びが苦手だったり、ある人は細かい作業が難しかったり、他の人は外での作業ができなかったり、また別の人は会議が苦手だったりします。
すべての人が満足のいくやり方をいつでも見つけられる訳ではありませんし、特に私は自分が「こうしたらいい」と思うことがベストの道と思い込みやすいので気をつけなければなりません。少なくとも、いつも同じような人が不利益を被るようなことなら、どこか基本的なところで考え違いをしているかも知れないと疑ってかかってみるべきかもしれませんね。

「…神は、劣ったところをことさらに尊んで、からだをこのように調和させてくださったのです。」コリント第一12:24

家内に外泊許可が出たので、今日の夕方戻って日曜日まで一時帰宅します。このため祈祷会は高***兄にお願いしています。どうぞ覚えてください。抗がん剤治療は火曜日からになります。

3件のコメント

  1. みんなで、が結構むずかしい。ほんとにそうだと思います。私はみんなで、が苦手でさっさとフリーランスの仕事を選びましたが、その反面みんなとやる事に憧れもあって。そして「みんなと」をやると必ず行き詰まります。わがままなのだと思います。

  2. 本当にそうですね。私も「一緒にできない」ことが多いので、考えさせられます。いつも優しい気付きを分かち合っていただき、ありがとうございます。一時帰宅の時間が祝されますように、お祈りしています。ヒロミさんによろしくお伝えください(*^-^)b

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