願いと練習

みなさん、おはようございます。
高校野球の全国大会もいよいよベストフォーが出そろいました。準決勝でははじめて東北勢同士の戦いになるということで、明日の試合が楽しみな反面、別々に勝ち上がって決勝でぶつかって欲しかったとも思います。まあ、それは欲張りすぎな展開かも知れません。「白河の関」を越えるのはいつか、ということはずうっと前から言われていました。少なくとも私が高校生の頃と比べると確実に現実味を帯びて来ています。なにしろ40年前は「一回戦突破」が目標だったりしましたからね。それが今ではプロ野球選手はもちろんのこと、二人もメジャーリーガーを輩出する「注目県」になっています。勝負優先の部活動のあり方には賛否両論がありますが、少なくとも勝ちたい、成長したいという願いと練習なしには何の結果も生まれませんね。
信仰の歩みも(誤解を恐れずに言えば)成長が全てではありません。立ち止まることや、休息すべき時もあるからです。それでも、全体としての歩みはキリストに似た者とされたい、神様のご愛に応えたい、隣人を愛せるようになりたいという願いや訓練がなければ、ずるずると後退していくことになるかもしれませんね。

“イエスは彼が横になっているのを見て、すでに長い間そうしていることを知ると、彼に言われた。「良くなりたいか。」” ヨハネ5:6

佐々木真輝

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