2026年 1月 1日 元旦礼拝 聖書:詩篇26:1-12
新年おめでとうございます。
皆さんはどのような心持ちで新しい年を迎えたでしょうか。
2日前に、今年一年を振り返る時間を持ちました。一年を振り返って、2026年の歩みについて考えるためです。
昨年は個人的な目標として「一日一捨」を実践しようと考え、実際取り組みました。毎日何かを捨て、捨てたものを記録するというのを8月くらいまでは何とかやっていました。だんだん毎日というわけにはいかなくなり、8月あたりから記録も途絶えました。結構いろんなものをメルカリに出したり、ゴミとして処分しましたが、新しい趣味も追加になったので、増えたものもあります。そんなことも踏まえて、今年一年の歩みについていくつか取り組んでみようと考えていることがあります。皆さんはいかがでしょうか。
あまり大きな目標を立てる必要はないかもしれませんが、せっかく新しい一年をいただいたのですから、今朝は今年一年の歩みのために詩篇26篇からヒントを得たいと思います。
1.霊的な戦いの中で
詩篇26篇には「ダビデによる」という表題がついています。そして「主よ 私を弁護してください」という書き出しで始まっています。このことと、詩の内容から、ダビデがかつて自分のいのちをつけねらって悪い計画を立てる人たちによる苦境に陥っていたときの経験に根ざした祈りとして書かれた歌であることが分かります。
ダビデが苦境に陥っていたときにリアルタイムで書いたというより、同じような困難の中にいる人たちを励まし、主に信頼するよう語りかける目的で書かれたものと考えたらよいと思います。
古代イスラエルの王となったダビデは歴代の王たちの中でも最も尊敬される王であり、後の救い主はこのダビデの子孫として生まれると言われるほどに、歴史的にも最重要な人物でした。しかし個人としてのダビデの人生は苦労の連続でした。イスラエルの初代王サウルが王としては相応しくないことが明らかになり、神様は預言者サムエルを通してダビデを次の王に選びましたが、事はすんなり行きませんでした。サウルが精神的に不安定になり、疑心暗鬼になってダビデを恐れいのちを狙うまでになりました。ダビデは逃亡生活を強いられます。サウルが戦死した後も、ダビデを王と認める人たちと、あくまでサウルの息子が王位を継ぐべきだと考える人たちに分裂し、争いが続きました。イスラエル全土を掌握するまで7年かかりましたが、その後も周辺の国々からの攻撃があり、絶えず戦いがありました。ダビデが神様のために神殿を建設しようと志しますが、あなたの手は血まみれだから、その務めは息子に任せなさいと言われます。
その後継問題でも争いがあり、ソロモンに王位を継ぐことを面白く思わなかった長男にもいのちを狙われるという辛い経験をします。
26篇は、具体的な誰かを想定しているというより、人生の中でたびたび経験する、悪い者たちの企みとその時の霊的な戦いを描いているのだと思います。
一年の初めには誰もが「良い一年であること」を願い、健康で、家族も仲良く、仕事や生活が順調であることを祈ります。しかしダビデもそうだったように、私たちの人生には絶えず霊的な戦いがあります。
ダビデのいのちを狙う者や悪を企む者がいたとき、彼らとの対決が彼の戦いだったのではなく、彼らと同じような基準で生きるか、それとも信じている神に信頼し、神が教える生き方の基準で生きるかの戦いでした。
私たちの人生も様々なことが降りかかってくるでしょうが、そこでどう生きるかが問われるのが霊的戦いというものです。
2.誠実に歩む決意
そうした中でダビデは詩を通して「誠実に歩み、よろめくことなく 主に信頼」することを勧め励まします。
その揺らぐことのない信頼と誠実さを、主に対して「心の中まで調べてみてください」とさえ語ります。
3節から8節にかけて、具体的に自分はこのようにしますとリストアップしていますが、これらは守るべき律法のリストというより、主への信頼と誠実さは、具体的な生活や生き方に表れるべきものだというふうに理解したほうが良いと思います。
私たちの周りには簡単に嘘をつき、偽善的に振る舞う人がいるかも知れません。しかし、私たちはそのような生き方はしません。悪巧みをする人たちがいるかもしれませんが、わざわざその仲間には加わりません。
むしろ、主を恐れ、主への感謝と賛美、主とともにあることを喜びとして歩みます。そんな生き方をしていくという決意です。
主は新しい一年のために素晴らしいこと、喜ばしいことを備えてくださっていると思いますが、残念ながらそれだけではないでしょう。国際的な政治、経済の状況はますます混乱し、予測もつかないような出来事があるかも知れません。そうした時代の中、人々の考え方はますます自分のこと、目先のことに向きがちになるでしょう。道徳的、倫理的な理想より、利益や効果が優先されることが多くなるでしょう。
そういう風潮の中で、私たちの身近なところでも自分勝手な人が目に付いたり、不公平で不平等なことがまかり通ったり、力ある者が無理筋を平気で押し通すようなことを目の当たりにするかも知れません。
私たちの霊的な戦いは、そうした人たちと争ったり、打ち負かしたりするより、誠実に歩み、主に信頼して歩むかどうかです。もちろん、権利のために戦ったり、誰かを守ったりサポートするために社会の仕組みや権力と戦うことが否定されるわけではありません。けれどもその前に、私たち自身の誠実さと主への信頼が確かなものにならなければ、霊的な戦いにおいてはすでに敗北しており、たとえ世の中での戦いに勝っても、神様に対する感謝の声を響き渡らせたり、主の栄光を称えることは出来ないのです。「この勝利は神のみわざだ」と言うことは出来るかも知れませんが、神様とは何も関係がありません。
だから優先しなければならないことは、不誠実なこの世界にあって、誠実であろうとすること、神を認めないこの世界にあって、神にゆるがず信頼することです。
3.主の恵みへの応答
神を認めず、不誠実がまかり通る世界で私たちは生きなければならず、そこに霊的な戦いがありますが、それでも、私たちが誠実に歩むことは、主の恵みに対する応答なのだという点を見逃してはなりません。
もう一度3節に目を向けましょう。
「あなたの恵みは 私の目の前にあり
あなたの真理のうちを 私は歩み続けました。」
ダビデは苦難の中、いのちをつけねらう者に追われている状況だとしても、主の恵みが自分の目の前にあるから、主の真理のうちを歩み続けたと告白しています。誠実に歩むこと、揺るがされることなく主に信頼するのは、私たちの意志の力、信仰の力によるのではなく、恵みへの応答だからできることなのです。
信仰者が苦難に会うというパターンは、旧約聖書から新約聖書に至るまで一貫して語られています。特に、イエス様と使徒たちは、苦難に会うことがこの世にあってまだ神を知らない人たちに対する証において決定的に重要であることを告げています。
この世の考え方では、「信じていても苦難に会うなら、信仰を持つ意味なんてない」ということになるかも知れません。しかし、聖書が語るのは、信じた者には永遠のいのちと復活が約束されており、特別な恵みが与えられている。だから苦難の中で恵みに応答して誠実に生きるなら、自分だけでなく他の人々に神の救いと恵みを証し、分かち合う機会となるのだ、ということです。
苦難のときに、神の救いを受け取った人たちが、それでも神の恵みのゆえに喜びを失わず、誠実に歩み、兄弟姉妹と隣人に愛を表すことで、福音が真実であることが最も力強く証されるのです。
適用:平安と証
詩篇26篇の最後のまとまりは9~12節です。私のいのちを救ってくださいという願いで終わっているようですが、再び11節で主の助け、あわれみを期待しつつも「私は、誠実に歩みます」と宣言します。
そして最後は、「私の足は平らな所に立っています」と、比喩を用いて平安を確信し、「数々の集いで 私は主をほめたたえます」と主の素晴らしさを称え、証しすると約束して終わります。
恵み深い主に信頼を寄せ、助けを求める者に対して、主は助け、救いをもたらしてくださいます。しかし、ここで忘れないようにしたいのは、私たちに与えられた救いは、私が苦境から救い出されたり、平安を得るためだけではないということです。「数々の集いで 私は主をほめたたえます」と言っているように、私たちは主の恵みのゆえに他の人たちに主を証しする者となるよう召されているのです。
誠実に歩むということは、ただ真面目な生活態度をするということではありません。主からいただいたキリストにある救いの恵み、そして苦難のただ中でも日々与えられている恵みに応える生き方です。そして、誠実に歩むことには、この恵みが私のためだけでなく、他の人たちのため、さらには私を困らせるあの人や敵対するあの人にさえ、神が真実で恵み深い方であることを証する力があります。
新しく始まる一年をどのように歩んだら良いでしょうか。私たち一人一人に主の恵みは十分に与えられます。その恵みにどのように応えたら良いでしょうか。決まりを守る真面目な生き方というより、受けた恵みに応答する生き方を通して、この一年間、よろめくことなく誠実に歩んでいきましょう。
祈り
「天の父なる神様。
新しい年の始まりにこうして愛する教会家族の皆さんとともに礼拝を捧げ、みことばに聞くことができました。ありがとうございます。
あなたは昔も今も変わることなく、恵み深く、主に信頼する者を豊かに憐れんでくださる方です。今年一年がどのような一年になろうとも、あなたの恵みが変わりなく注がれますから、私たちはその恵みに応答し、ゆるぎなく信頼し、誠実に歩むことができますように。私たちが助けを得、平安であるためだけでなく、私たちを通して主の恵みが確かに証されますように。
今年一年があなたの御手の中にあることをいつも覚え、互いに励まし合いながら、歩んでいけますように。
主イエス様のお名前によって祈ります。」