愛すること

みなさん、おはようございます。
昨日、オンラインでの牧師会にゲストが参加しました。来月、アメリカのサンディエゴの日本人教会に派遣される宣教師です。その話の中で、異なる文化の視点から日本の教会を見たときに、個人に対する関心が少ないかもしれない、という話題になりました。久しぶりに教会に来た方をみんなで囲んで話しをしている様子やいろいろと助け合っている様子を思い出して「そうかなあ」と思いましたが、よく考えてみると確かに、深く関わったり、気にかけ続けたりするのは遠慮がちになったり、内輪には親切でもよく知らない人にはそうでもない、なんてこともあるかもしれないなあなどと考えさせられました。
互いに愛するとか、隣人を愛するという言葉は美しいですが、具体的に相手に届くことが大事です。愛は感情的な高まりではなく、人に感心を持ち、関わり、一緒に喜んだり、悲しんだり、助けたり、赦したりすることですからね。

“私の兄弟たち。だれかが自分には信仰があると言っても、その人に行いがないなら、何の役に立つでしょうか。そのような信仰がその人を救うことができるでしょうか。” ヤコブ 2:14

佐々木真輝

感謝と痛み

みなさん、おはようございます。
ロシアによるウクライナの子どもたちの「保護」という名の拉致のニュースを聞いて心が痛むと共に、北朝鮮によって子どもたちを拉致され、未だに帰国、再会が果たされていない人たちのことを覚えました。拉致問題の象徴的な存在である横田めぐみさんのご両親はこの事件との戦いを通してクリスチャンになりました。それは素晴らしい恵みではあったのですが、拉致自体は何ら正当化されないし、神様の恵みと人の邪悪さがかえって際立ちいたたまれない気持ちになります。
これまで何度も苦難の時に「すべてのことは益とされる」という御言葉を指し示され、あるいは誰かに聞かされて「こっちの気も知らずに!」と慰められるより憤ることが多かったようにも思います。この地上にある限り、感謝と痛みは隣り合わせのことが多いのかも知れません。しかも信仰によらなければ素直に感謝することもできなかったりします。

“神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。” ローマ 8:28

一昨日は坂井聡子さんの誕生日でした。すっかり遅れてしまいましたが、祝福を祈ります。
今日は岩手同労者会です。

佐々木真輝

2023-02-26 偽りなき信仰と愛

2023年 2月 26日 礼拝 聖書:テモテ第一 1:1-17

 私たちの信じていることが私たちの生き方を決める、ということはこれまで何度もお伝えして来ました。健全な信仰は健全な生き方を目指します。逆に、その人の振るまい、生き方を見ればその人が何を信じているかは明らかです。

まったく逆のこともあり得ます。言っていることは信仰深そうで、聖書の教えを自在に用いているし、人々から尊敬を集めているように見えるけれど、全体としてはちぐはぐで、深く関わった人を傷つける人がいます。また、とても謙遜そうで自分の弱さを正直に語り、自分は足りないと言いますが、どうもそういう状態に留まり続けることで注目を集め、同情を買い、世話を焼いてもらうことで自分が愛されていることを確認しようとする人もいます。

テモテへの手紙第一と第二、そしてテトスへの手紙を合わせて「牧会書簡」と呼びます。いずれもパウロの晩年近く、ローマの獄中で記されました。教会指導者のために書かれた手紙ですが、これを広く誰もが読むべきものとして新約聖書に含まれています。続きを読む →

平和を願って

みなさん、おはようございます。
ロシアが突然ウクライナに侵攻を始めたのがちょうど一年前です。国境紛争とか、国内での紛争はたびたび起こりますが、あのようにあからさまな侵略を狙った戦争を起こしてしまうものなのかと、驚きとともに悲しみを覚えました。ただ、戦争の背景には二つの国の間の問題だけでなく、とりまく世界の強欲さや無責任さがあるように思います。たとえ本当の平和でなくとも、これ以上の苦しみが続かないよう、まずは一日も早く戦いが止むことを祈るばかりです。
聖書は、主の日が訪れるまでこのような愚かで恐ろしい暴力が繰り返されると告げています。それがこんなにひどいことになり、非難を呼ぶものなのにどうしても止められないのですよね。世界規模の悪だけでなく、ごくごく私的な世界でも悲しみや怒りを生むと分かっていてもやってしまうのが人の罪深さです。やがて主が平和をもたらす日まで、私たちは光の子、平和の子として生きる努力を続け、希望を指し示していきましょう。

“どうか、希望の神が、信仰によるすべての喜びと平安であなたがたを満たし、聖霊の力によって希望にあふれさせてくださいますように。” ローマ 15:13

佐々木真輝

印鑑違い

みなさん、おはようございます。
先日、お金を下ろしに銀行に行ったら「印鑑が違うみたいです。もっと少し大きめのものみたいです」と言われ、すごすごと帰って来ました。次の日、別なのを持って行って無事に下ろせたのですが、最近はめったに印鑑なんて使わないのですっかり忘れていました。
間違った印鑑に頼ると引き出せるものも引き出せません。私たちの救いの証印は聖霊です。聖霊によらずに救いの恵みと祝福を得ようとすると「印鑑が違います」となりますね。自分の感覚や自信に頼っていると、神様の豊かな恵みをほんとうに味わうことはできません。約束された御国の祝福を余すことなく受け取りたいものです。

“このキリストにあって、あなたがたもまた、真理のことば、あなたがたの救いの福音を聞いてそれを信じたことにより、約束の聖霊によって証印を押されました。聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。このことは、私たちが贖われて神のものとされ、神の栄光がほめたたえられるためです。” エペソ 1:13-14

佐々木真輝

2023-02-19 希望によって今を生きる

2023年 2月 19日 礼拝 聖書:テサロニケ第二 1:10-12

 諦めずに何度も関わり続ける人がいてくれるというのはとてもありがたい事です。若い時は、あるいは歳を取ってからかもしれませんが、そういうのをうざいと感じたり、放っといて欲しいと思ったりするのですが、忍耐強く関わり続けてくれる人がいるのは大きな恵みだと考えるべきです。

私たちの歩みを振り返ると、何度同じ事を経験してもそこからなかなか学ばない、ということがあります。聖書を学んだからといってすぐレベルアップするというわけではなく、学んだことが身につかないなんてことも良くあります。

それは現代のクリスチャンや教会だけのことではなく、パウロの時代、聖書の時代の教会にも同じことが言えます。続きを読む →

知らない言葉

みなさん、おはようございます。
新聞記事で「北上市が不交付団体になった」というのを目にしました。「不交付団体?」初めて聞く言葉に、何かやらかして、何かが交付されない、残念なニュースかと思いました。よく読んでみると、税収が支出を上回るので国からの援助なしでやっていけるし、余った分は市独自の判断で使えるという、どちらかという良いニュースだったのです。
それにしても知らない言葉に出会うと、それだけで心配になったり、不安になったり、誤解したりと、いろいろな感情が起こったり混乱したりするものです。多くの人たちにとって聖書の言葉、教会で使われている言葉が耳慣れない言い方だったり、独特の表現だったりします。それが誤解や混乱、不安を与える場合もあるということは、少し意識していたほうが良いと思います。

“たとえ私が預言の賜物を持ち、あらゆる奥義とあらゆる知識に通じていても、たとえ山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、私は無に等¡しいのです。” 1コリント 13:2

佐々木真輝

そこに生きる人たち

みなさん、おはようございます。
先日、近所の唐揚げ屋さんが店じまいしたことを知り、数回しか利用していませんでしたが、ちょっと寂しい思いをしていました。その後、ニュースで全国的に材料や燃料費の高騰で閉店に追い込まれる唐揚げ屋さんが増えているということを知りました。お店がなくなることで気がかりなのは利便性以上に、そのオーナーや従業員はどうなってしまうんだろうということです。何か力になれることがあるわけではないですけど、唐揚げが買えなくなることより、やはり気になります。
「世の中」とか「社会」というのは、常に単にシステムではなく、そこに生きる人々のことです。そして神様が「世を愛された」というとき、それは社会システムではなく人々のこと、そこに生きる私たち一人一人なのです。

“神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。” ヨハネ福 3:16

今日は婦人会と祈祷会があります。

佐々木真輝

2023-02-12 希望から生まれる愛と聖さ

2023年 2月 12日 礼拝 聖書:テサロニケ第一5:23-28

 クリスチャンであるということで、クリスチャン以外の人たちと様々な違いを感じる場面があります。それは日曜日には教会に行くという外から見て分かる行動や生活習慣の場合もありますし、収入の中から献金するという経済的な感覚の違いである場合もあります。また道徳的な感覚の違い、価値観の違いとして現れる場合もあります。

同調圧力の高めな日本では、他人と違う生き方をするのはなかなかハードなことです。そのことで家族や友だちから馬鹿にされたり、嫌みを言われたり、難癖をつけられたりしたことがあるかも知れません。

しかし、クリスチャンが他の人と違うというのは、生活習慣や価値観といった外側に現れる違いを生み出す信仰と希望から来るものです。信じていることが違えば、自ずと考え方、価値観、振る舞いに違いが現れるものです。続きを読む →

募金箱

みなさん、おはようございます。
報道でご存じの通り、トルコとシリア国境付近を震源とする大きな地震があり、かなりの被害が出ています。大勢の方々が亡くなったり、怪我をし、今なお倒壊したガレキの中で救助を待つ方々がいらっしゃいます。テレビのニュースでは報道されませんが、トルコの教会関係でも被害が出ており、犠牲となった牧師や信者の方々が複数おられるとのことです。ちなみにS先生たちがおられる地域は1000km以上離れているため、揺れも感じなかったということでご無事です。
教会でも保守バプテスト同盟を通して募金を送りたいと思いますので、明日から募金箱を置かせてもらいます。他にも様々な働きのために(もちろん私たち自身の教会のためにも)多くの必要がありますが、皆さんの心に、遠く離れた地におられるお会いしたこともない、けれども苦難の中にある方々への思いがいくらかでもありましたら、ぜひこの被災者の皆さんのためにお捧げください。

“ですから、あなたがたは神に選ばれた者、聖なる者、愛されている者として、深い慈愛の心、親切、謙遜、柔和、寛容を着なさい。” コロサイ 3:12

佐々木真輝