戻って来た葉書

みなさん、おはようございます。
先日、海外に送った葉書が戻って来てしまいました。「住所違い」でもなく、「宛名違い」でもなく、ただ戻って来たのです。どうやら郵便局のほうで宛先と差出人を取り違えたようです(窓口で指摘されて、ちゃんと宛先がどちらか分かるように書いたんですけど、英文表記だからこんなこともあるのでしょう)。そういえば違う住所の方への郵便物が誤配されたのもつい先日のことでした。別に責める気はないですが、残念ではありました。
手紙ではないですが、イエス様の御名によって祈る祈りは、神様にちゃんと届いています。無情に差し戻されることも、どこか別のところに間違って届くこともありません。そして神様からの返事は、さまざまな形で届くので、よく目を凝らし、心を研ぎ澄ませておく必要があります。意外なときに、意外な仕方で届いていることが多いのです。

“あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました。それは、あなたがたが行って実を結び、その実が残るようになるため、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものをすべて、父が与えてくださるようになるためです。” ヨハネ福 15:16

佐々木真輝

2023-01-22 ますます豊かに

2023年 1月 22日 礼拝 聖書:ピリピ1:1-11

 私は経験ありませんが、親しい人が無実の罪で牢に入れられたらどういう気持ちになるでしょうか。何を心配するでしょうか。

時々、知り合いの牧師たちが海外から仕事に来た方たちがビザの問題や困った事情で牢屋ではないけれど、入国管理局に閉じ込められてしまい、そうした人たちを支援しているという話しを聞きます。そこには日本の社会にある矛盾や制度上の不備、人権についての考え方の問題があるので、苦しんでいる人たちへの思いやりとともに正義感も働いているのかなと思います。

何かの容疑で囚われの身となったら、完全に無実を信じることができるか分かりませんが、少なくとも健康状態や精神状態は心配するでしょうし、十分な助けがあるか、何か助けになることはあるかと考えるのではないかと思います。

ユダヤ人の陰謀のため、ローマ帝国の獄中にあったパウロに対するピリピ教会の心配がこの手紙の背景になっています。続きを読む →

古いセーター

みなさん、おはようございます。
最近、冬物の簞笥から引っ張り出したセーターは30年以上前、結婚する前に今の奥さんからプレゼントしてもらったものです。質が良く、デザインもオーソドックスなものなので、袖口にほつれがあったりはしますが、まだまだ十分に着られます。まあ「古い衣」を捨てられずに着ているわけですが、新しい良いものだったので、今でも着られるのです。
クリスチャンとして古い人を脱ぎ捨て(生き方とか習慣のことですね)、新しい人を着ることも、どんどん進化していくというより、新しい良い生き方を身につけたらそれを育て、手入れをしながら長く着続けるようなものですね。

“また、あなたがたが霊と心において新しくされ続け、真理に基づく義と聖をもって、神にかたどり造られた新しい人を着ることでした。” エペソ 4:23-24

今日は*****さん、****さんの誕生日です。祝福を祈ります。

佐々木真輝

両面テープ

みなさん、おはようございます。
教会の玄関に敷いてある滑り止めのマットが痛んで来たので交換しました。固定にはカーペットや人工芝に用いる、屋外用の両面テープを使います。本来はもっと気温の高い時期に使うものなのですが、少し斜面になっているほうはズレると危ないのでこちらだけでも固定しなければなりません。おそらく接着力は少し落ちるのですが、そのうちしっかり固定されると思います。
両面テープや接着剤は、素材や状況にあったものを使わないといけません(そんなわけで接着剤や両面テープが増えてしまいます笑)。個性豊かで多様な人間が教会という神の家族の中で結びつける接着剤は愛です。

“キリストによって、からだ全体は、あらゆる節々を支えとして組み合わされ、つなぎ合わされ、それぞれの部分がその分に応じて働くことにより成長して、愛のうちに建てられることになります。” エペソ 4:16

今日は*****さんの誕生日です。祝福を祈ります。

佐々木真輝

真実を知ること

みなさん、おはようございます。
昨日、朝メールで書いたとおり****さんの息子さんの入院先に面会に行って来ました。コロナ対策のために画面越しではありましたが、ようやくお会い出来ました。病院のスタッフがあらかじめ「お母さんのことで伝えなければならないことがある」と言ってくださっていたのですが、自分が入院中に亡くなってしまったことまでは予想していなかったそうで、だいぶショックを受けていました(それはそうです)。いろいろとお気持ちを聞かせていただき、外出許可が出るか退院した際にはちゃんと納骨式をしましょうと約束もしてきました。
こういう形で訃報を伝えるというのは初めてのことでしたが、表情に表れる様々な感情を受け止めながら、それでもやっぱりちゃんとお伝えできて良かったなと思いました。真実を知ることは時として辛いものですが、それなしには本当の解放も癒やしもないですから。

“あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」” ヨハネ福 8:32

今日は佐々木結さんの誕生日です。祝福を祈ります。
また、今日は婦人会と祈祷会があります。

佐々木真輝

悪い知らせ

みなさん、おはようございます。
今日は先月亡くなられた****姉のご長男が入院されている病院を訪ね、面会して来ます。諸事情でお母さんが亡くなられたこともすでに葬儀が終わったことも知らずにいるはずですので、辛い面会になるのではないかと心配しています。ご本人は病室で聖書を読み、退院したら教会に行きたいという願いを持っているそうです。ただ、彼にとっては悪い知らせだと思いますし、新型コロナの対応のため直接はお会いできず、画面越しでの面会になるそうなので、どんなふうになるかも心配です。どうぞこれからの導きのためにお祈りください。
私たちは時々、思いもしなかった「悪い知らせ」を聞くことがあります。動揺はします。しかし主に信頼して揺るがされないようになれたらと思います。

“その人は悪い知らせを恐れず
主に信頼して 心は揺るがない。” 詩篇 112:7

佐々木真輝

楽しかったですが…

みなさん、おはようございます。
昨日は、県内の牧師会がありました。新年会ということで、ほぼ一年ぶりに顔を合わせての集まりでした。残念ながら用心のためにお休みされた先生ご夫妻、また家族でコロナに感染してしまった先生ご家族があり、人数は予定の半分でした。それでもやはり顔と顔を合わせての交わりは楽しく、時間の質が違うなあと実感します。ただ私もまだコロナ感染症の影響が残っているのか、長時間の会合は疲れが出てしまいました。楽しいことではあっても、注意力が散漫になったり、話しを聞き損ねたり、体がだるくなったり。
誰も肉体(また精神)の限界を超えて働くことも楽しむこともできません。それは被造物である私たちを守るために神様が与えた制約です。疲れ、痛み、眠気、注意力の散漫などなど、様々なサインがあります。もちろん疲れを押してがんばるべき時もあるのですが、繰り返したり長く続けるものではありません。喜びのある生活、よい働きをするために、それらのサインを見逃さず、適当なところで手足と心を休める必要がありますね。

“ユテコという名の一人の青年が、窓のところに腰掛けていたが、パウロの話が長く続くので、ひどく眠気がさし、とうとう眠り込んで三階から下に落ちてしまった。.…”
使徒 20:9

佐々木真輝

忍耐

みなさん、おはようございます。
先日、髪を切りに行きました。安いから、という理由で行き出したのですが、この一年で二回ほど値上がりもあり、あまりお得感はなくなってしまいました。それはともかく、先日行った時はすでに数名のお客さんが順番待ちをしておりました。もしかしたらスタッフのお昼休みと重なって人手が足りなかったのかもしれませんが、結構長く待つことになりそうでした。そのうち、一人のお客さんが「もう待ってられねえや」と乱暴な態度でお店を出て行ってしまいました。まあ、気持ちは分かりますけど。ほどなくして列が動き出し、散髪用の椅子に腰かけてからいくらか待つことにはなりましたが、ちゃんと切ってもらうことができました。
今欲しい助けや答えが与えられなかったからといって忍耐を切らし、求めることや祈る事、待つことを止めてしまうことがあるのが私たちです。結果として求めていたものも得られず失望感だけが残ってしまったりしますね。神様は理髪店のスタッフのように人手不足で忙しすぎるわけではなく、私たちにとって最善の時と最善の答えを用意してくださっているのですから、信頼し、忍耐して求め続けたいものです。

“求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。” マタイ 7:7

佐々木真輝

2023-01-15 家族の家族、教会

2023年 31月 15日 礼拝 聖書:エペソ3:14-21

 近年の調査では、キリスト教国といわれる国々で、自分はクリスチャンであると思う人の割合が減っているそうですが、それ以上に減っているのが、実際に教会に定期的に集まっているという人の数だそうです。特に若い人たちの間で、クリスチャンではあっても教会に行かないという人が増えているのだそうです。

理由は様々考えられます。日本なら信仰心はあっても団体の属することを嫌がる傾向があります。ネット社会で知りたいと思ったことはすぐ調べられるし、有名な説教者のメッセージは教会に行かなくても聴けます。教会での奉仕や献金から解放され、好きな時に自分に必要なものだけを得られれば効率的だと考えるのはいかにも現代的です。しかし、そこには教会についての神様のご計画をまったく理解していない、教えられていない、という問題があります。続きを読む →

再び動き出す

みなさん、おはようございます。
先日、シオン錦秋湖に用事があって出かけてきました。土砂崩れのためにしばらく通行止めになっていた国道に仮設の橋が設置されて通行が再開しただけでなく、休業していた「道の駅」も営業再開したということで、橋を渡ることはもちろん、再開した「道の駅」で「ダムカレー」を食べるのが楽しみでした(もちろん美味しくいただきました)。
滞っていたものが再び流れ出すとか、閉ざされていた道が開かれる、止まっていたものが動き出す、というのは活力を感じますし、なんか嬉しいですね。教会の歩みや私たちの信仰も時々停滞しているように感じることがありますが、神様が再び語りかけたり、働きかけて物事が動き出します。喜んでその流れに乗りたいですね。

“再びヨナに次のような主のことばがあった。” ヨナ 3:1

今日は婦人会と祈祷会があります。

佐々木真輝