親戚ではないけれど

みなさん、おはようございます。
海の向こうから「佐々木朗希投手はあなたの甥っ子ですか」というメールが来たのでお答えします笑。質問はジョークだと思いますが、完全試合を成し遂げたニュースは海外にも伝わっているようです。残念ながら親戚ではありませんね。でも、同じ岩手出身であり、11年前の震災の時にお父さんと祖父母を津波で亡くすという辛い経験をした小学生が野球に打ち込み、支えてくれた人たちへの感謝を抱きながらプレーしている姿は、親戚のような誇らしい気持ちになります。
あのような「偉業」は誰にでも出来るわけでありません。でも、感謝して一生懸命取り組むことは誰にでも出来ることです。それらの感謝や一生懸命さには、そこに至るまでの、それぞれの人生の物語があるはずで、そこに私は心を打たれ、誇らしさや感謝の思いがわき上がるのです。

“私は夜昼、祈りの中であなたのことを絶えず思い起こし、先祖がしてきたように、私もきよい良心をもって仕えている神に感謝しています。” 2テモテ 1:3

今日は全キ災の全国会合がオンラインで開催されます。司会をしますので、しっかり務めを果たせるようお祈りください。

佐々木真輝

イベントより大事なこと

みなさん、イースターおめでとうございます。
先日、知り合いの牧師がSNSにイースターに関する牧師たちへの励ましの言葉を紹介していました。「牧師の皆さん、今週はイースターサンデーを華やかで劇的にしなければならないといういつも以上のプレッシャーを感じておられるのではないでしょうか。」と始まり、ホームランは狙わなくていいから、みことばに忠実なメッセージを語れば良いとのことでした。今はコロナで大きなイベントは出来ないと半分諦めているのであまりプレッシャーはないのですが、でもその感覚は分かります。実際、何人もの友人たちがそれぞれの教会で行う楽しそうなイベントのことを写真つきで紹介してくれます。
もちろん楽しいのは悪いことではありません。ですから今年もイースタークッキーを用意したり、ちょっとした飾り付けをしたりしています。けれども楽しさより大事なことは、主イエス様の復活に思いを巡らし、主をよみがえらせた神の力が私たちにも働いていることとその意味を深く味わうことです。

“また、神の大能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを、知ることができますように。この大能の力を神はキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ…” エペソ1:19-20

佐々木真輝

2022-04-17 三度の問いかけ

2022年 4月 17日 イースター礼拝 聖書:ヨハネ21:15-19

 今日はイースターです。主イエス様の復活を祝い、喜び、記念する日です。毎年、日付が変わるのは、月の動きによってカレンダーがつくられていた時代の名残で、春分の日以後の満月から最初に訪れる日曜日となっています。とはいえ、正教会では少し数え方が違っていたり、そもそも4世紀くらいまでは統一されていませんでしたので、これはあくまで伝統的なものという程度のものです。

大事なことは日付ではなく、何を祝うかということです。

今日はご一緒にイエス・キリストによって与えられる復活のいのちによって生きるとはどういうことか、ペテロの再起の場面を通して思い巡らしていきたいと思います。続きを読む →

いろんな色のランドセル

みなさん、おはようございます。
登下校中の子どもたちのランドセルをながめていて、ふと「ほんとにカラフルになったなあ」と思わされました。自分が子供の頃はもちろんですが、ずいぶん長い間、男の子は黒、女の子は赤と決まっていました。娘が小学校に入ることには少しずつ色が増えていったと思いますが、それでも「変わった」色を選ぶの少数派だったと思います。いつ頃からか、そして正確な割合はわかりませんが、ずいぶん多様になったのは確かです。
現代は多様性の時代と言われています。分野にもよりますが、多様性についてはいろいろな意見があります。自分と考え方や感覚が違うと、ついつい否定的になったり、違和感を感じるものです。それが正しいかどうかはまた別問題で、じっくり聞き、聖書を土台に学び考える必要があります。結論が出るまで寛容さと忍耐を失わないようにしたいと思います。そしてどんな結論が出たとしても愛は失ってはいけないはずです。ランドセルの話しからはだいぶ離れてしまいましたが…。

“食べる人は食べない人を見下してはいけないし、食べない人も食べる人をさばいてはいけません。神がその人を受け入れてくださったのです。” ローマ 14:3

佐々木真輝

恵みのしるし

みなさん、おはようございます。
昨日、墓園に行った帰りに和賀川沿いの桜並木の様子を見がてら車を走らせました。だいぶ蕾がふくらんでいて、ちょっとだけ花が開いている木もありました。どうやら、昨日は北上市では桜の開花宣言が出されたようですね。春を告げる花は他にもあるし、桜より先に咲くものもあるのに、なぜだかは分かりませんが特別な感じがしますね。でも明日はまた急激に気温が下がるようですので、どうぞ体調管理にお気を付けください。
春のしるしが桜だけでなくいろいろあるように、神様の祝福と恵みのしるしも、自分が思い描くものだけにこだわっていると結構見落としてしまうものがあります。「特別感」は悪くありませんが、ごく普通のことの中にも豊かな恵みのしるしがあることに気づけたら、生活はもっと豊かになりますね。

“神はあなたがたに、あらゆる恵みをあふれるばかりに与えることがおできになります。あなたがたが、いつもすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれるようになるためです。” 2コリント 9:8

今日は****くんの誕生日です。祝福をお祈りします。
今日は朝9時から地元のコミュニティFM(88.8MHz)で以前収録したラジオ番組が放送されます。よかったら聞いてください。電波が届く範囲は北上市内ですが、スマートフォンの「FMぷらぷら」というアプリならエリア外でも聞くことができます。金曜日の夜9時から再放送もあるそうです。

居場所

みなさん、おはようございます。
昨日はポーランドでウクライナ避難民の支援活動をして来られたハンガーゼロのスタッフの方の報告をお聞きしました。一時的な避難であって欲しいけれど、子どもの教育や将来を考えると帰るよりは行った先で暮らしを築いたほうが良いかもしれないと葛藤する若いお母さんのお話が印象的でした。震災・原発事故で避難した方々の葛藤や歩みと重なります。いのちさえあればとも言いますが、安心して暮らせる場を突然奪われることは本当に大きなことです。他人が軽くどうこう言える話しではありません。ウクライナ避難民のための国際的な動きは速かったですが、同じように生きる場を奪われた民族は他にもあり、十分な援助があるとは言えていないのには心が痛みます。
聖書は異邦人に厳しいというイメージを持つ人もいるかもしれませんが、普段の暮らしの中では様々な事情で寄留している外国人に対して同胞と同じように親切にし、愛するようにと命じています。誰でも安心できる自分の居場所を必要としており、私たちは恵みによって神の民としての居場所が与えられているのですから。

“あなたがたとともにいる寄留者は、あなたがたにとって、自分たちの国で生まれた一人のようにしなければならない。あなたはその人を自分自身のように愛さなければならない。あなたがたも、かつてエジプトの地では寄留の民だったからである。わたしはあなたがたの神、主である。” レビ記 19:34

今日は朝、全キ災の世話人会があり、午後は*さんの納骨式です。お祈りください。

佐々木真輝

2022-04-10 三度の否定

2022年 4月 10日 礼拝 聖書:ルカ22:54-62

 今関わっている人たちには知られたくない過去の失敗、やらかし経験を「黒歴史」と言うことがあります。歴史的な忌まわしい記憶だけでなく、個人の人生にも、忘れたいこと、人に知られたくないこと、なかったことにしたい経験というものはあります。必ずしも自分の引き起こしたことだけでなく、酷い目にあわされたこともあるでしょう。

今日開いている箇所には使徒ペテロにとっての黒歴史とも言える有名な出来事が描かれます。印象的な出来事で、人によってはペテロと聞けばこの箇所を思い出す人がいるかもしれません。続きを読む →

孤立させることより

みなさん、おはようございます。
戦争はもちろんのこと、いじめや暴力は良くありません(というか悪いです)。その行いは非難されるべきですが、皆で責め立てて孤立させることは、ほとんど全ての場合、良い結果を招きません。私たちの中には神様が与えてくださった正義の感覚があり、それには罰を与えたいという懲罰感情も伴います。しかし罪ある私たちには厳しく責め立てることで自分が正義の側にいる気持ちになれるという誘惑や、ある種の満足感もあるので要注意です。
「さばいてはいけません」と戒められているのは意味のあることです。残念なことは、時として私たちは現状を変えるために、「悪いやつ」を孤立させ、とっちめること以外に何も思いつけない場合があるということです。特に当事者(被害者や被害者に近い立場)の場合はそうです。難しく感じますが、怒りや正義感にまかせて相手を責め立て、罰し、孤立させる前に、もう少しだけ冷静さと知恵が与えられるよう祈りたいと思います。

“怒る者は争いを引き起こす。
憤る者には多くの背きがある。” 箴言 29:22

佐々木真輝

冷たい雨は降っても

みなさん、おはようございます。
昨日の夜、教会からの帰り道は雨でした。春だというのにちょっと冷たい雨でした。とはいえ今週末からは展勝地の「さくらまつり」も始まるそうです。実際の開花はさらに一週間後の予測ですが、なんだか今年はいつにも増して桜の開花がすごく待ち遠しく感じている自分に少し驚いています。
春なのに冷たい雨が降るように、神の国は到来したというのに心痛むこと、残念なことは起こります。治ったはずの怪我や病気の跡が痛んだり、解決したはずの問題を思い出しては感情が高ぶったり、御国の喜びと平和が完全なかたちで到来するのは少し先のことです。そして冷たい雨が降っても春の温かさが増し加わるように、何があったとしても御国の完全な到来は確かに近づいているのです。

“イエスは目を上げて弟子たちを見つめながら、話し始められた。「貧しい人たちは幸いです。神の国はあなたがたのものだからです。” ルカ 6:20

今日は*****さんの誕生日です。祝福をお祈りします。

佐々木真輝

季節のリズム

みなさん、おはようございます。
昨日、墓園の様子を見に行って来ました。一番心配だったのは除雪車によって外構が破損していないかでしたが、見落としがなければ、大丈夫そうでした。雪囲いをした植栽もほとんど大丈夫でした。いちじくの樹皮が盛大にはがれていたのが気になりましたが、原因は分かりません。納骨堂の中も点検して異常がないことを確認し、帰ろうとしたところ、クロッカスが数株花を咲かせているのを見つけました。教会のフクジュソウも咲いていますが、早春の花を見ると、ほんとに春が来たんだなと実感します。
教会のカレンダーには入れていませんでしたが、今度の日曜日、礼拝後に行ける方々で雪囲いをはずす作業をしたいとおもいます。冬には冬の備えがあり、春には春の仕事があります。毎年同じことを繰り返していますが、季節のリズムと考えればそれも楽しいものです。何か、神様の息遣いを感じながら歩ませてもらっているような気さえしてきます。

“地には花が咲き乱れ、刈り入れの季節がやって来て、山鳩の声が、私たちの国中に聞こえる。” 雅歌 2:12

佐々木真輝