はじめまして

みなさん、おはようございます。
この前の日曜日、いつものように月一度の大船渡教会での礼拝に向かうと、初めてお会いする方がおられました。お友だちに誘われて来たという方でした。たった一人いつもより増えただけですが、何か教会の交わりの雰囲気が変わったのか、最近礼拝が終わると割とすぐに帰っていた方もしばらく残って行き、何やらお話をしていたようです。私も初めてお会いしたその方とお話ができてとても嬉しかったです。続けて来られるといいなと心から願っています。
元来、人見知りでそれほど社交的でもない私ですが、さすがに鍛えられて、いくらかましになりましたので、初めてお会いする方がいると若干緊張しつつも嬉しさが勝ります。「はじめまして」の挨拶が「またお会いできて嬉しいです」に変わり、「おはようございます(こんにちは)」がいつもの挨拶にまでなったら本当に嬉しいです。

“すると見よ、イエスが「おはよう」と言って彼女たちの前に現れた。” マタイ 28:9

今日は****さんのお誕生日です。祝福を祈ります。
婦人会と祈祷会もあります。

佐々木真輝

新しい「普通」

みなさん、おはようございます。
カナダの*****先生夫妻(以前、香港のチームと一緒に来てくださった元宣教師)から夏の挨拶が届きました。カナダではようやく教会で普通にいろいろな集会を開くことができるようになったそうですが、その「普通」に慣れるのにまた時間がかかりそうだとのことでした。確かに、こんな状態が2年近く続くと、これがもう普通になってしまいますからね。元に戻すのが良いことか迷う部分もあったりします。とはいえ、お店やイベント関係は本当に元に戻ってくれるのを切実に待っていることでしょう。
私たちがクリスチャンになって、聖書に示される新しい生き方を身につけていこうとします。以前「普通」だったことから新しい「普通」を身につけていく途中では違和感や慣れない感じがつきものです。でも、コロナ対策がそうだったように、これが良い道なのだと信じて身につけ、新しい普通にしていく必要があります。マスクと違って慣れれば快適でもあります。

“また、あなたがたが霊と心において新しくされ続け、” エペソ 4:23

今日は****さんの誕生日です。祝福を祈ります。

佐々木真輝

仲良くなれない

みなさん、おはようございます。
うちの二人のワンコたちは時々激しくやり合います。遊んでる感じで始まったのが途中から喧嘩になったり、大騒ぎになることがあります。オリンピックに出場するアスリートなみの闘志や瞬発力でやり合うので、途中で止めないといけないことがあるほどです。どうしたものかと「仲良くしてよ」と語りかけるのですが、どちらも「ボクのほうが正しいでしょ(又は「かわいそうでしょ」)」という目で見つめ返してくるだけです。どんなに感情移入をして可愛がっていても、そこは犬の限界です笑
私たち人間には、神のかたちがあるのですから、もう少し賢く振る舞える可能性があります。仲良くなれない人がいるのは仕方がないですが、気持ちのまま振る舞って、ひどい言葉や意地悪な態度を取ることまで「しかたがない」と言うことは出来ません。カインの足跡をたどるのではなく、イエス様の足跡をたどるようにしましょう。

“もしあなたが良いことをしているのなら、受け入れられる。しかし、もし良いことをしていないのであれば、戸口で罪が待ち伏せている。罪はあなたを恋い慕うが、あなたはそれを治めなければならない。」” 創世記 4:7

佐々木真輝

何でも使う

みなさん、おはようございます。
今日はオンラインでの「岩手教会連合デイ」です。オンライン開催ならではの、エルサレムとつないでの集会です。たぶん、技術的には何年も前から可能だったのだと思いますが、昨年からのコロナ禍のおかげで、こうしたネットを介した会合や交わりがずいぶん身近なものになりました(好き嫌いや善し悪しはありますが)。時差だけは何ともしがたく、こちらで開催する午後2時は向こうでは朝8時です。
考えてみれば、聖書の時代も当時の最先端の通信手段である手紙が最大限に用いられましたし、歴史的にも新しい技術が出てくればそれらをどんどん用いて福音を伝えたり、教育や交わりに用いて来たわけです。使えるものは何でも使うのです。

こちらは今日の連合デイのZoomのリンクです。教会で集まって参加しますが、個人で参加することも出来ますので、その際はお用いください。
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“私たちは、真理に逆らっては何もすることができませんが、真理のためならできます。” 2コリント 13:8

今日の婦人会と祈祷会はお休みです。連合デイは2時からになります。

佐々木真輝

信じて歩み出す人に

みなさん、おはようございます。
東京でパティシエをしていた***さんが、引き抜かれて、宮古のヤギのミルクを使ったケーキを出すお店で働くようになって、すでに岩手に来ています(なかなか教会に顔を見せにまで戻って来ることが出来ずにいますが)。先日、深夜に放送されている県内各地の飲食店を紹介する番組でそのお店が紹介されていました。収録された時にはまだ戻って来る前だったようで、彼の姿は見られませんでしたが、なかなかオシャレで意欲的なお店のようでした。きっとこんな展開になるとは本人も予想していなかったことでしょうが、元気で頑張っていただき、いつかそのケーキを味わいに出かけて行きたいと思います。
私たちの人生の転機がどこに転がっているか、誰にも、本人にも予想できません。もう新しいことなんて起こらないだろうと思っている年齢でも、何があるか分かりません。アブラハムも結構な年齢でした。新しい決断に対しては応援してくれる人もいれば、反対したり、心配してくれる人もいるでしょう。それでも神様の導きを信じて歩み出す人を祝福したいと思います。

“主に信頼する者に祝福があるように。
その人は主を頼みとする。” エレミヤ17:7

佐々木真輝

2021-07-18 みことばの贈り物

2021年 7月 18日 礼拝 聖書:詩篇119:1-8

 「戒め」という言葉には厳しい響きがあります。「○○を食べちゃいけない・しちゃいけない」という戒律。戒めを破ったときの罰則としての「戒規」。「懲戒処分」なんて言葉もあります。

不思議なことに、この戒めが詩篇の世界では「喜ばしいもの」「ハチミツのように甘い」ものとして描かれることがよくあります。そしてこの戒めに従うことがどれほど幸せなことかと何度も歌われるのです。クリスチャンはそういうことばを聞いて「アーメン、その通り!」と言うかもしれませんが、そう言う割には大好きな珈琲は毎日飲めても、なかなか聖書通読も続かないし聖書の学びに時間を取ることは結構決意と努力をしなければなりません。続きを読む →

腰の帯を締め

みなさん、おはようございます。
昨日、お昼頃にふと気づいたら、ベルトをしていませんでした。悲しいかな、ベルトをしないでもズボンがずり落ちないお腹周り。ではありましたが、さすがにちょっと緩くて、しまりがありません(その微妙な感じがとっても「いずい」)。
ファッションでそうやっている人もいますが、まあ好みは人それぞれです。腰周りがしっかりしていないと力が出なかったり、職種によっては危険だったりします。「腹をくくる」という言い方もありますが、その覚悟が自分自身の決意や熱心さだけでなく、ちゃんとみことばが指し示す真理によって強められたものなら、力も出るというものです。今日はちゃんとベルトをして出かけます。

“そして、堅く立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、” エペソ 6:14

今日は*****さんの誕生日です。祝福をお祈りします。

佐々木真輝

効果が出るまで

みなさん、おはようございます。
最近、16時間断食というのをやりはじめました。飽きやすいのでいつまで続くかわかりませんが、とりあえず三日坊主ではないようです(体調が良くなったという知人が何人かいて、影響されただけです)。日曜日も礼拝中にお腹すくんじゃないかなとちょっと心配しましたが、ほとんど気にならず、遅めの昼ご飯になっても大丈夫でした。何もたべない時間をとることで内臓の休息時間ができ、血管の状態が良くなるので体調が良くなったり、体脂肪減少の効果があるのだそうです。医学的なことはよくわかりませんが、カロリーさえ取らなければ水やコーヒーは大丈夫だそうですから、安心してやりはじめました。
ある人からは一ヶ月くらいで体調が良くなったということも聞きました。痛み止めや熱冷ましなんかの対症療法はすぐ効いて欲しいですが、体質改善みたいなことは時間がかかります。霊的な体質改善もちょっとやったくらいで効果がないからとすぐやめたりしないで、ぜひ続けましょう。プチ断食もがんばってみます。

“私は、今していることを今後も続けるつもりです。” コリント第二11:22

今日は婦人会と祈祷会があります。

佐々木真輝

怖さも人それぞれ

みなさん、おはようございます。
少し前のことですが、朝、髭を剃っているときに眉毛の中に白い毛が混じっているのを見つけました。白髪頭なのに何をそんなにと思うかも知れませんが、それはそれ、これはこれ。結構驚きました。そんなことがあったせいか、その日の夜、ちょっと変わった夢を見ました。朝目覚めると、一晩で頭の髪の毛が絶妙な中途半端さで抜けてしまっているのを発見するという夢です。さして驚きもせず「ああ、そうなんだ」と受けとめているのでした。まあ、夢だからかもしれませんが、白い一本の眉毛のほうに驚くというのは何でしょうね。
私たちは、それぞれに恐れるものや心配することが違います。ある人にとってはささいなことが、別の人にとっては大問題だったり、多くの人が大騒ぎしていることに全く動じない人もいます。自分にとってどうでも良いことだからといって、ほかの人をばかにしたり、その人の恐れを否定してはいけないですね。かえって思いやり愛するなら、そうした恐れを退けることができるでしょう。

“愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。恐れには罰が伴い、恐れる者は、愛において全きものとなっていないのです。” ヨハネ第一4:18

佐々木真輝