イチジクの思い出

みなさん、おはようございます。
昨日、家内がイチジクをもらってきて、久しぶりに生のままかぶりつきました。イチジクを見ると、神学生時代にお世話になったJ宣教師を思い出します。神学校の庭にイチジクが植えられていて、実がなるとJ先生が甘露煮にしてくださり、テーブルに並ぶのでした。J先生が引退なさって帰国したあとは女子寮の舎監をしていたA先生が跡を継いでくださいました。
当時も今も、甘露煮より生食が好きですが、時々、甘く煮詰めたあの味が懐かしくなります。たぶん味が懐かしいんじゃなくて、厳しくも愛情あふれる先生たちのことが懐かしいんでしょうね。学校の寮からバイクで出かけようとするときに、「もう自分だけの体ではなく、大切なご用のために召されたのだから気をつけなさい」と心配そうな顔で声をかけてくださった場面をなぜか良く覚えています。ついぞ先生が要求するノートの取り方はマスターできませんでしたが、若い時代に親身になって教えてくださった方々の存在は宝です。

「私は昔の日々を思い出し、あなたのなさったすべてのことに思いを巡らし、あなたの御手のわざを静かに考えています。」詩篇143:5

今日から会議で出張です。朝メールはお休みします。明日は*****さんの誕生日です。祝福を祈ります。

佐々木真輝

心を燃やして

みなさん、おはようございます。
昨日のバーベキューは楽しかったですね。準備にあたってくださったり、火起こしや焼き方に汗を流してくださったみなさん、ありがとうございました。
炭に火をまわすのはなかなか大変で、パッと火が着いたと思っても、しっかりした火力が出るほどにはなっていなかったりします。最近は点火剤のような便利なものもありますが、ともかく持続的に熱を発するように上手に火をまわさないと、美味しいバーベキューは食べられません。
私たちも、何かをしようと心で決める時、あるいは今している仕事だったり取り組んでいる事柄でも、この心の火が持続的に燃え続けないと、途中で簡単に諦めたり、熱が冷めて尻すぼみになったりします。うちわで扇いで風を送るように、みことばによって強められ、聖霊によって励まされ、仲間のサポートに支えられて、私たちの心の火は燃え続けます。派手に炎を撒き散らすのではなく、熱を発し続ける炭火のように。

「勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。」ローマ12:11

佐々木真輝

器をきよめる

みなさん、おはようございます。
一昨日の晩、いただきものの二子いもで家内が「芋煮」を作ってくれたのですが、その時に盛り付けに使ったが漆の器。以前、土産物屋で買ったもので、匂いが残っていたので、いろいろ試して匂いを取る工夫をしたのでした。ところが、どうもまだ残っているようで、せっかくの芋煮なのに、気になりました。
それで昨日、また酢をつかって洗い、匂い取りをしてみました。いくらか良くなったような気がします(笑)。何度か繰り返せば、そのうち取れてくるのではないかと期待しています。
キリストの器である私たちは、いろいろと古いもの、汚れたものがこびりついているかも知れません(いえ、きっと何かしらくっついてます)。それらを清め落としていただいて、神様のご用に十分に間に合う者にさせていただきたいものです。

「ですから、だれでも自分自身をきよめて、これらのことを離れるなら、その人は尊いことに使われる器となります。すなわち、聖められたもの、主人にとって有益なもの、あらゆる良いわざに間に合うものとなるのです。」第二テモテ 2:21

今日は礼拝後、教会カフェ(BBQ)です。地域のイベントがいろいろ重なっていますが、おいでくださる方々を心から歓迎しましょう。

佐々木真輝