失ったものが大きくとも

みなさん、おはようございます。
昨日は世の中では残念な話が多かったのですが、一つ嬉しいニュースがありました。大きな怪我で2年近く戦列から離れていたサッカー選手が、ようやく実戦に復帰したということです。
選手としては一番いい時期を棒に振ってしまい、本人は「サッカー選手としては」失ったものの方が大きいと感じているようです(日本代表でも彼の活躍が見られず残念でなりませんでした)。たぶん、正直な気持ちでしょうね。でも一人の人の人生としては、怪我を克服し、チームにも支えられ、待ってもらえた経験が無駄なわけはありません。
私たちの経験する失敗や、ある面から見たなら無駄に思える経験も、何一つ無駄なことはありません。私も当時は無意味に思えた苦しみや失敗が、後になって知恵や力に変えられていることに気づかされたことが何度かあります。何しろ神様は私たちを祝福したいと願ってくださっているのですし、全てを益とすることのできる方ですから。

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」ローマ8:28

佐々木真輝

レガシー

みなさん、おはようございます。
地元新聞に載っていた記事です。このあいだの岩手国体のときに、解体された旧国立競技場から譲り受けた座席のうち、予備に保管されていたものの一部を、ワールドカップのために釜石に整備されるラグビー競技場に譲渡することになったのだそうです。こういう意味のあるレガシーの活用っていい話だなあと思って読んでいました。
座席はレガシー(遺産)といっても、経年劣化でいずれは使えなくなるわけですが、私たちが先輩たちから受け継いだ信仰の遺産は、そうやすやすとは消えて無くなりません。時代の変化や文化の違いによって変わる部分はあっても、中心にあるものは、時代を超えて生きて働く神様のことばです。これが私たちの光となり、ともしびとなり、また避けどころとなるのです。

「草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。」イザヤ40:8

佐々木真輝

よみがえる感動

みなさん、おはようございます。
朝から雪景色ですが、県内各スキー場のトップを切って夏油高原スキー場が今日からオープンだそうです。スキーをしなくなってもうだいぶ経つので、物置のずっと奥の方に仕舞ったまま、スキーは、きっとエッヂがさび、革製のスキーブーツも手入れしていないので防水性や柔らかさも失われたことでしょう。スキーウェアに至っては、大雪の日の除雪作業用になっています。それ以上に自分のスキー技術がすっかりさび付いているはずです。それなのに、オープン前のテスト滑降のビデオを観ると何かワクワク感がよみがえってきます。道具は古びて、体力や技術はたぶん衰えても、白銀の世界を滑り降りる楽しさや、美しい光景、肌を刺す風の感覚などは不思議と覚えていて、さっとよみがえってくるものです。
感情を伴う記憶は長く覚えていられるものだそうです。聖書のことばも、正確に暗記できていなくても、心に響いた箇所や感動したこと、厳しく問いかけられたことは良く覚えているものです。そうした感動は無理矢理作るものではなく、神様の語りかけが心に響いた、すばらしい経験です。私のスキー道具のように思い出として仕舞い込むのではなく、日々の生活に生かすのがベストです。

「私はあなたの戒めを決して忘れません。それによって、あなたは私を生かしてくださったからです。」詩篇119:93

今日は婦人会と祈祷会があります。

佐々木真輝