2021-06-13 主の教えが私を生かす

2021年 6月 13日 礼拝 聖書:詩篇19:1-14

 私たちにとって聖書とはどのような書物なのでしょうか。

毎日、少しずつ聖書を読んでいる方もおられるでしょうし、こうして毎週の礼拝で割と長い時間、聖書からの話しを聞き続けるわけですが、それによって皆さんの心に何がもたらされているでしょうか。その質問の答えは、説教者としては聞くのが怖い面もありますが、大事なポイントです。

みことばは、果たして私たちを生かし、自由にするものなのか、それとも自分らしさを殺し、縛るものなのでしょうか。続きを読む →

期待通りでなくても

みなさん、おはようございます。
毎年今の時期は庭に生えているワイルドベリーが実を付けます。ジャムを作ったり、たまにパイにするのが楽しみです。今年は家内が綺麗に雑草を片付けてくれたので収穫しやすそうだなたと楽しみにしていましたが、どうも収穫量が例年の半分くらいな感じです(正確には分かりませんが、感覚的にはだいぶ少ないなという感じです)。でも、2ビンくらいのジャムは作れそうなので十分ですから感謝していただきます。
神様からの祝福が、期待した通りでないことってあります。願って祈った祈りが期待通りにはかなえられないこともあります。それでも、もらえて当然のものではないのですし、私には十分な恵みであると受け止め、感謝したいと思います。

“しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。” コリント第二 12:9

佐々木真輝

寄り添うための信仰

みなさん、おはようございます。
最近宣教師として日本からヨーロッパに渡ったご夫妻がおられますが、奥様の方が体の変化を感じて検査をした結果、大きな病の可能性があり、詳細な検査をしなければならないので祈って欲しいとの知らせが届きました。本格的な働きはこれからという矢先の事ですし、ご夫妻ともども大きな衝撃を受けています。よく知っている方ですので心を痛めながら祈っています。
神様のなさることには分からないこともありますが、神様がお許しになることについてはもっと分からない時があります。どこへ導かれるのか半ば恐るおそるではありますが、なんとかやり過ごしたり、立ち向かいます。そういうときに「それでも神様は信じるで、良い方だ」という信仰を押しつけられるのはなかなかしんどいけれど、そのような確信に立って寄り添い、そっと祈りつづけてくれる人がいることは大きな励まし、力になることは経験しています。

“友はどんなときにも愛するもの。
兄弟は苦難を分け合うために生まれる。” 箴言 17:17

今日は婦人会と祈祷会があります。

佐々木真輝

がんばりが報われるように

みなさん、おはようございます。
日曜日の午後、娘のアパートに向かいました。もろもろの事情で冬タイヤのままだった車のタイヤ交換をしてあげるという口実?で様子を見に行って来たところです。こんな暑い日にタイヤ交換なんてしたことないぞと思う日でしたが、作業の後でダラダラと過ごしていましたら、陸上短距離の選手が100メートルの日本新記録を出したというニュースに家族で興奮していました。その後、体操のベテラン選手がオリンピック出場権を獲得したということで、こちらもかなりのハンデがあったはずなのに凄いなあと感心しました。ああいう姿を見ると、やっぱり舞台に立たせてあげたい気持ちいなるねという話題になりました(基本的にはやっぱり開催には賛成できないんですが)。
簡単には正解を決められない中で、いろんな人が、いろんな立場で、いろんな思いを抱えて、「今日できること」をやっています(頑張り具合は人それぞれですけど)。意見や立場の違いはあれ、そのことは認め、尊重しなければならないなと思います。そして誰かが「無念」な思いをすることになるのだろうけれど、その忍耐と努力が良い形で報われることを願いますし、誰もが相応しく報われるような世の中であって欲しいとほんとに思いました。

“ですから、私の愛する兄弟たち。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは、自分たちの労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから。” コリント第一15:58

昨日は****さんの誕生日でした。遅ればせながら、祝福を祈ります。

佐々木真輝

2021-06-06 喜ばれている人

2021年 6月 6日 礼拝 聖書:ヘブル11:5-6

 自分の存在が誰かに受け入れられ、愛され、喜ばれているというのは、私たちにとってとても大切な感覚です。正面切って、言葉として、あなたを受け入れていますとか、愛してます、あなたの存在を喜んでますと言われるとちょっと気恥ずかしい感じもありますが、言葉でなくても、相手の態度や表情、仕草の中に、その想いが表れていると安心します。

月一度の信仰によって生きた人々から学ぶシリーズですが、今日はエノクを取り上げます。エノクが信仰の人の例としてヘブル書で取り上げられているのは、彼がその信仰のゆえに死を見ることがなかったという点にあります。それ自体がなかなか想像のつかないことなのですが、それとともに、理由として「彼が神に喜ばれていたこと」が挙げられている点に興味が惹かれます。死を見ることなく神のもとに移されるほどの信仰とか、神に喜ばれるっていったい何だろうか。それはあまりにも特殊すぎて自分にどう関係するか、よく分からないと感じるかも知れません。続きを読む →

幼虫が成長すると

みなさん、おはようございます。
先日、奥さんが抜いて集めて置いた雑草を処分するためにゴミ袋に入れていたら、いろんな虫が出て来ました。日陰のジメジメしたところによくいるダンゴムシはもちろんのこと、ゴミ虫や子ども指ほどの太さはあろうかという立派なミミズ。そんな中に「カブトムシの幼虫か?」と見間違うような幼虫がいました。ふつうこういうところにところにカブトムシの幼虫はいないので違うだろうとは思いましたが、夜になってネットで調べてみると、同じような経験している人はいるんですね。カブトムシになると思って育てたら、違う成虫になったというのです。その正体はコガネムシでした、
コガネムシは花壇や畑にとっては害虫ですが、あの綺麗に輝く羽は、子供時代の心をときめかせました。チョウの幼虫もそうですが、あんな不格好な幼虫が成長すると美しい生き物になるのはほんとに不思議です。私たちもいろいろ不格好で足りない所ばかりですが、成長すれば神様の子どもとしてイエス様に似た者に変わることができます。

“愛する者たち、私たちは今すでに神の子どもです。やがてどのようになるのか、まだ明らかにされていません。しかし、私たちは、キリストが現れたときに、キリストに似た者になることは知っています。キリストをありのままに見るからです。” ヨハネ第一 3:2

今日は*****さんの誕生日です。祝福を祈ります。そして第一日曜日ですので、主の晩餐と礼拝後のコイノニアもあります。

佐々木真輝

嵐の中から

みなさん、おはようございます。
昨日はだいぶ雨風が強い一日でした。もちろん教会の窓は締め切っているのですが、最近の建物のように気密性を重視した時代に建てられたものではないので、窓を閉めているのに、あちらこちらの窓のカーテンが一日中揺れていました(換気は十分?)。
私たちの心に働きかける神様の恵みや語りかける言葉は時折、強い風のようです。私たちが心を閉ざして見ないようにし、聞かないようにしても、カーテンが揺れるように、私たちの心の中に吹き込むようです。その力強さに、一度心に迎え入れたらかき乱されるように思え少し恐れをなしてしまい、ますます扉を固く閉ざしたくなるかもしれません。雨風なら窓をあけたら大変なことになりますが、実のところ神様のそうした働きかけは私たちを混乱させるためではありません。私たちの心の中には恵みの雨と聖霊の風が、しかも結構強めのが、必要なのです。

“主は嵐の中からヨブに答えられた。” ヨブ 38:1

佐々木真輝

円熟

みなさん、おはようございます。
久しぶりの朝メールです。何となく動画サイトを見ていたら、マルタ・アルゲリッチというピアニストのコンサートの動画が出て来ました。でも私の知っている顔じゃない!それもそのはず、私の持っているCDに印刷された顔は20代のころのもの。彼女は今週の誕生日で80歳になるんだそうです(そりゃ変わりますね)。演奏されていた曲はオーケストラとの共演で、自分の子どもや孫のような年代の演奏家たちと美しく、楽しく演奏しているのに驚かされました(決して簡単な曲ではないです)。
だれもがその年齢になっても若い頃に身につけた技に磨きを掛け円熟した仕事をできるわけではありません。むしろ多くの人は、肉体の衰えゆえに難しくなりってしまうものです。自分はまだそこまでの年齢ではないですが、疲れ方や回復の遅さは身に染みるようになっているので、思いがけず励まされました。自分もそこまで元気でいられる保証はどこにもないですが、彼女もきっと日々のトレーニングや健康維持、人間としての深みを得る経験を重ねて来たから今があるのでしょうから、今を大事にしなきゃなと思った次第です。

佐々木真輝

そしゃく

みなさん、おはようございます。
昨日はオンラインでの学びの時間を与えられました。コロナ禍になって起こった良い変化の一つは、地方にいてなかなか参加できなかった学びの機会が軒並みオンライン化されることで、かなり参加しやすくなったことです。コロナが終わってもこういうことは続いて欲しいものです。かなり本格的で中身の濃い学びの時間でしたが、一つ一つ実際の働きや直面している課題にビンビン響いて来るので最後まで集中力が切れることはありませんでした。
とはいっても、そうやって取り込んだ知識や視点を本当に活かして行くためには、自分自身の中でゆっくり咀嚼(そしゃく)する必要もあります。若い時は新しいアイディアとか聞くと直ぐに飛びついて、いろいろと失敗もしましたので、ちょっとは慎重にもなったのだと思います(成長したのなら良いのですが)。それはともかく、学んで感動して終わりじゃなく、よく考えて活かして行きたいと思います。

“私が言っていることをよく考えなさい。主はすべてのことについて、理解する力をあなたに与えてくださいます。” テモテ第二 2:7

佐々木真輝

安息が与えられますように

みなさん、おはようございます。
何日かぶりの朝メールになってしまいました。ここのところちょっと体調の悪い日があったり、いろいろ重なって夜になると電池切れという状態でした。今後もしばらくはこんなペースが続く見通しなので、ちょっと心配ではあります。前にも書きましたが、安息日の戒めにあるように神様にお任せして仕事を手放す時間をちゃんと確保するのは大事ですね。
今日は5月最後の日曜日。皆さんにとって「安息」がもたらされる日でありますように(といいつつ、午後は墓園の草刈があるのですけれど)。教会で、あるいはリモートやそれぞれの祈りのうちに、心を合わせて礼拝を捧げましょう。

“心せよ。主があなたがたに安息を与えたのだ。そのため、六日目には二日分のパンをあなたがたに与えている。七日目には、それぞれ自分のところにとどまれ。” 出エジプト 16:29

佐々木真輝