2026-02-01 天の御国はその人たちのもの

2026年 02月 01日 礼拝 聖書:マタイ5:1-10

 休暇中に教会のメンバーではありませんが、ある方から、義理のお父さんが心臓の問題で倒れ処置を受けているから祈って欲しいと連絡がありました。残念ながら翌日の朝、「亡くなりました」との連絡がありましたが、未信者のご家族のために支えになろうと一生懸命の様子でした。

そこで思い出されたのが、今、祈祷会で学んでいる「天国」の希望についてです。天国について聖書が何を教えているかを少しずつ学び始めていますが、思いの他、複雑なテーマなので一緒に学んでいる皆さんも少し苦労しているかもしれません。

天国とはいったい何なのか、それはどういうもので、いつ私たちはそこに入ることができるのか。

どの国の人でも、そうしたことについて聖書が教えていること以外に、その文化、日本人なら「極楽」や「あの世」といった世界観から影響を受けていて、混乱しています。今日は、天の御国についてイエス様が教えたことに耳を傾けてみましょう。続きを読む →

2026-01-18 私たちの友

2026年 1月 18日 礼拝 聖書:ルカ5:17-32

 今日開いている箇所の後半には取税人レビがイエス様の弟子となる出来事が書かれています。そして前回のツァラアトの人のきよめと、今日の中風の人の癒やしは、レビが弟子とされることと、そのまえにシモン・ペテロがイエス様の弟子とされた出来事との間に挟まれています。

ペテロは舟の上でイエス様の権威を目の当たりにして、「主よ、私から離れてください。私は罪深い人間ですから」と叫び、ひれ伏しました。

ここに私たち人間のかかえるジレンマがあります。イエス様は私たちの救いのために来られた神の御子ですが、この方を知れば知るほど、その権威や聖さというものに圧倒され、とてもじゃないが、このような方の前に出ることは無理と感じます。イエス様ご自身だけでなく、クリスチャンや教会に近づくことにちょっと恐れを感じることもあります。そうしたジレンマに対するイエス様の方からの答えが、この二つの奇蹟とレビの召命には表されています。続きを読む →

2026-01-11 わたしの心だ

2026年 1月 11日 礼拝 聖書:ルカ5:12-16

 今日は少し重いテーマになります。

世の中では法律的にも倫理的にも差別は良くないというふうになっていますが、これがいっこうに無くなりません。いつの時代も、どの文明でも、自分たちの共同体に変わり者が入り込むことを警戒し、少数派を排除することで全体を守るということをしてしまいがちです。たとえ、それが悪いと分かっていても、法律で禁じられているとしてもそうしてしまいます。それは、人間の罪の性質の中にある恐れが引き起こすもので、容易には取り除けません。

しかし、このことについてキリスト教が何かを言うためには、聖書の中にある差別ともとれる一つの問題についてしっかりと理解しておく必要があります。それはツァラアトの問題です。かつて、この言葉は「らい病」と訳されていました。今日、ハンセン病として知られる病気ですが、聖書にこの病気の人たちを汚れていると書いてあると誤解し続けてきたことで、迫害したり、患者の救済活動に積極的に関わりながら、差別を招いて来たという面もあります。続きを読む →

2026-01-04 深みに漕ぎ出して

2026年 1月 4日 礼拝 聖書:ルカ5:1-11

 新年も4日目となり、明日から仕事始めという方も多いかと思います。年末年始はゆっくりできたでしょうか。

元旦礼拝の時に、「バンジージャンプかスカイダイビングをやりたい」ということでいろいろ検索している人がいましたが、スゴイ経験をするためには思い切って飛び出す必要があります。全く同じではありませんが、何か新しいことを始める時は、やはり思い切って踏み出す必要があります。ぬるっと始めたのに長続きしたり、何となく上手くいったということもたまにはありますが、大抵のことは決断と行動が必要です。

今日の箇所は、使徒ペテロたちがイエス様の弟子となっていく場面です。後にイエス様の働きを教会時代に引き継いでリードする器となった人たちがどのように導かれたのか見ながら、イエス様が私たちを新しい生き方や新しい道へと招くとき、どのように取り扱い、導いてくださるのか、ご一緒に学んでいきましょう。続きを読む →

2026-01-01 よろめくことなく誠実に

2026年 1月 1日 元旦礼拝 聖書:詩篇26:1-12

 新年おめでとうございます。

皆さんはどのような心持ちで新しい年を迎えたでしょうか。

2日前に、今年一年を振り返る時間を持ちました。一年を振り返って、2026年の歩みについて考えるためです。

昨年は個人的な目標として「一日一捨」を実践しようと考え、実際取り組みました。毎日何かを捨て、捨てたものを記録するというのを8月くらいまでは何とかやっていました。だんだん毎日というわけにはいかなくなり、8月あたりから記録も途絶えました。結構いろんなものをメルカリに出したり、ゴミとして処分しましたが、新しい趣味も追加になったので、増えたものもあります。そんなことも踏まえて、今年一年の歩みについていくつか取り組んでみようと考えていることがあります。皆さんはいかがでしょうか。

あまり大きな目標を立てる必要はないかもしれませんが、せっかく新しい一年をいただいたのですから、今朝は今年一年の歩みのために詩篇26篇からヒントを得たいと思います。続きを読む →

205-12-28 神の国の福音とは

2025年 12月 28日 礼拝 聖書:ルカ4:31-44

 年が明けてから、祈祷会では「天国」についての学びをしていこうと計画しています。これは、4月から神学校のクラスとして担当する予定の講座の準備のためなのですが、聖書が教える天国って何なのか、私たちはどういう希望を持てるのか、私たちの人生にどういう意味があるのかを学んでいきたいと考えています。

実は、今私たちが使っている聖書には「天国」という言葉は出て来なくて、今は「天の御国」というふうに訳されます。そして「天の御国」という言葉自体はマタイの福音書には出てこなくて、他の福音書ではもっぱら「神の国」という言い方になっています。つまり、天の御国と神の国は同じ意味なのです。

今日の箇所には「神の国の福音」という言葉がはじめて出てきます。私たちが聴き、信じた福音は「神の国の福音」だということなのですが、「天国の福音」だと何となくイメージできても「神の国の福音」はピンと来ない人が多いのではないかと思います。イエス様が伝えようとした神の国とはどんなものでしょうか。続きを読む →

2025-12-21 恵みとまこと

2025年 12月 21日 礼拝 聖書:ヨハネ1:14

 今日はクリスマスということで、こうして皆さんとともに御祝いできることを本当に嬉しく思います。

クリスマスはイエス・キリストがお生まれになったことを御祝いする時ですので、イエス様に注目したいと思います。私たちの家族や友だちの誕生会なら、注目すべき主人公は目の前にいますが、いまイエス様をこの目で見ることはできません。しかし、イエス様は私たちと共にいてくださるので、想像の翼を広げつつ、聖書の言葉に耳を傾けることを通して、イエス様に注目したいと思います。続きを読む →

2025-12-14 約束の成就と人々の憤り

2025年 12月 14日 礼拝 聖書:ルカ4:16-30

 アドベントに入ってクリスマスに向けての準備もいよいよ本格的に進み始めています。リリーベルの皆さんの練習曲もクリスマスに因んだ曲が多くて、かすかに聞こえてくる演奏にクリスマス気分をずっと味わっています。

さて、そのクリスマスに人の子としてお生まれになったイエス様は、およそ30歳になったときに、ガリラヤ地方でメシヤ、すなわちキリストとしての働きを始め、あたり一帯で評判になっていました。これまでのところ、ルカの福音書を見てきて分かることは、イエス様がイスラエルの民に約束されてきたメシアとしてお生まれになったということです。それはアブラハムと神様との間に結ばれた契約に基づいており、ユダヤの民は数百年におよぶ外国勢力の支配の中でずっとその実現を待ち望んで来ました。しかし、外国人である日本人にとって疑問なのは、アブラハムの子孫に約束された救い主が、なぜ、外国人である私たちにとっても救い主なのか、自分の国の神々ではだめなのか、ということかも知れません。続きを読む →

2025-12-7 試練と称賛

2025年 12月 7日 礼拝 聖書:ルカ4:1–15

 会社勤めや家業の手伝いなどで最初に任された仕事はどのようなものだったか覚えているでしょうか。もしかしたら掃除だったかもしれないし、簡単なコピーとかだったかもしれません。

イエス様も父ヨセフの仕事である大工の技術を身につけるために、最初にやったのは材料運びや道具の手入れ、掃除とかだったかもしれません。それは技術がない者に任せる雑用ということではなく、仕事全体の土台となることです。

イエス様の生涯における最も重要な務めは神が約束された救いの実現でした。そのスタートは前回見たように、ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けることで、神ではなく人として、罪ある者、汚れた者の側に立ち、徹底してへりくだり仕える者としてのあり方を示すことでした。

そして今日の箇所は、働きを始めた時のいわば最初の仕事です。この経験にはどのような意味があったのでしょうか。続きを読む →

2025-11-30 恵みの良い管理者

2025年 11月 30日 礼拝 聖書:第一ペテロ4:7-10

 今日は、私たちは神様から与えられた様々な恵みの良い管理者であることについてみことばから聞いていきます。

ところで10節に「賜物」という言葉が出てきますが、「あなたの賜物は何ですか」と質問すると、ごく稀に「私の賜物は○○です」と自信を持って応える人がいる以外は、多くの人が「分かりません」とか「私には賜物なんてありません」「賜物って何ですか」と応えるような印象を持っています。

賜物をある種の才能というふうに理解してしまうと、自分にはそういうものはないと言いたくなるでしょう。また賜物は「御霊の賜物」だから、クリスチャンになる前に持っていた才能や技術とは無関係な、何かミステリアスで、霊的な何かだというふうに捕らえる人もいますが、それは狭すぎる考え方です。

「恵みの良い管理者」という言葉があるように、神様は私たちに様々な恵みを与えておられますが、特に、教会の交わりや働きに用いるようにと備えてくださっているものを賜物と理解しましょう。続きを読む →