2024-02-25 仰ぎ見れば生きる

2024年 2月 25日 礼拝 聖書:民数記21:4-9

 今日の聖書箇所を特別なものにしているのは、1200年後のイエス様が、人が永遠のいのちを得るために必要なのは信仰だということを説明するために、この出来事を引用していることです。

そのことについては最後に取り上げますが、それにしてもなぜ「青銅の蛇」なのでしょうか。続きを読む →

2024-02-18 踏み出す前に

2024年 2月 18日 礼拝 聖書:マタイ 4:1-11

 伝統的な教会のカレンダーによれば、今週から受難節に入ります。レントという呼び方もされますが、イースター前の一ヶ月ちょっとの期間、イエス様が苦難を受けたことを思い起こして礼拝する期間というふうになっています。

そんなわけで今日選ばれた聖書箇所は「荒野の誘惑」と呼ばれる、イエス様が40日の断食と悪魔の誘惑を受けた箇所です。

私たちは日頃の生活で様々な誘惑に会います。最近の私の誘惑はふらっとラーメン屋さんに飛び込みたくなるというものです。続きを読む →

2024-02-04 福音の生命力

2024年 2月 4日 礼拝 聖書:マルコ4:26-29

 世の中には「話し上手」と呼ばれる人たちがいます。私はこうやって人前で説教したり、講演とかで呼ばれればお話しますが、決して話し上手というわけではありません。

車に誰かをお乗せしても、黙っているほうが楽だし、たくさんの人が集まる会合でも、自分から積極的に話しかけるのは結構勇気がいるほうですし、知らない人と知り合いになろうとするのもかなりハードルが高く感じます。牧師という肩書きにずいぶん助けられています。話し下手というより、コミュニケーション能力があまり高くないということかもしれません。それでよく牧師なんかやってるなと言われれば「ごもっとも」で、それもまた私の「土の器」であるところです。続きを読む →

2024-01-28 いつも心に光を宿して

2024年 1月 28日 礼拝 聖書:コリント第二 4:6-10

 時々、私は自分がこうして皆さんの前で聖書を解き明かし、メッセージを語ることについて「自分には資格があるだろうか」と考えます。テーマによっては話しずらいと感じることもあります。

昨年入院中にせん妄状態の中で見た最初のころの幻覚の一つは、いろいろな方々から「お前は資格がない」と非難される内容のものでした。目の前の仕切りのカーテンや食事のためのテーブルの表面に薄い鉛筆文字でびっしりと書き込まれている幻覚を見ましたが、その内容は生活の仕方や動機、人格への非難でした。思い返してもなかなかの悪夢です。やがてその悪夢は解消し、非難していた人たち和解し、友情を取り戻し、励まされる内容に変わって行くのですが、それがどういうプロセスで変わって行ったかは、また後でお話します。続きを読む →

2024-01-21 安心して行きなさい

2024年 1月 21日 礼拝 聖書:列王記第二 5:1-19

 日本という国、文化の中でクリスチャンとして生きていくことには特有の悩みが付きまといます。周りを見渡せば仏教や神道などの宗教的な伝統、習慣、価値観にあふれています。特定の宗教団体に属さず、日常的に宗教的な習慣をもたない人は多いですが、信仰心がないわけではありません。お盆になれば先祖が帰ってくると普通に言いますし、誰かが亡くなれば成仏してもらおうといろいろやります。祭となれば信仰心と地域の結びつきと経済効果が一体となったような盛り上がりを見せ、ドーンとあがってパッと散る花火に人のいのちや亡くなった誰かとの関わりを思い起こします。

そういう中でクリスチャンとしてどこまで関われるのか、具体的には葬式の時に線香を上げていいのか、どういう振る舞い方をしたら良いのか悩み、お祭りに誘われた時にどこまで許されるのか悩みます。続きを読む →

2024-01-14 この道を行けば

2024年 1月 14日 礼拝 聖書:ヘブル12:12-24

 一週間のうち、何度か車を使わずに教会までを徒歩で往復しています。退院後、最初は家の周りを500m、800m、1kmと少しずつ歩く距離を伸ばし、やがて教会まで歩けるようになりました。片道30分くらいですが、往復すると1万歩前後と、まあまあの運動になります。今年は雪がほとんどないので、この時期でもまだ歩けるのがとてもありがたいです。

教会と家を往復するときはいくつかルートがあるのですが、大体同じ道を通ります。風が強すぎるとか途中で寄りたいところがあるといった場合はよさそうな道を選びます。もちろん、どの道を行っても、道の先に何があるか分かりますので、夜あかりが少なくて道が見えにくくても、ほとんど困ることはありません。

しかし人生の道のりはというと、いつも道の先がよく見えているわけではありません。見えているつもりだったのに分からなくなったり、出だしから不安のまま歩き始めることがあります。しかし何かの芝居の台詞のように「一寸先は真っ暗闇」なんでしょうか。続きを読む →

2024-01-07 持たざることの幸い

2024年 1月 7日 礼拝 聖書:コリント第一 1:26-31

 新年が始まり、すでに七日。お休みできた方も、変わらず仕事があったという方も、故郷に帰っていたという人、子どもや孫を迎える側だった人、とくにすることなくのんびりしていたという人、様々なお正月を過ごされたことでしょう。

そして、新しい年を迎えたということで、何かに取り組み始めたという人がいるかも知れません。

私は普段、あまり新年の抱負というようなことを考えたり、言ったりしないのですが、今年はあります。「元気でいること」と「働き方改革」です。元気でいることを抱負に掲げると一気に歳を感じてしまうのですが、去年のこともありますし、まだ治療のプロセスの中にありますから大切だと自覚しています。そして「働き方改革」は健康や体力が元に戻っても、同じ働き方をしたらまた心臓に負担がかかることは目に見えています。それで、夜まで仕事を引きずらない、家に持ち帰らないということを去年から意識しています。どうしても避けられない事はあるかも知れませんが、減らしていきたいと考えています。

そして毎週の説教についても新しい試みを始めます。続きを読む →

2023-12-31 すべて

2023年 12月 31日 礼拝 聖書:詩篇103:1-22

 長いようで短かったような2023年が今日で終わります。

年末になると、一年を振り返る機会やきっかけがいろいろあります。私が好きなのは、今年一年ヒットした音楽を振り返るような音楽番組で、毎年新しい音楽に触れ、お気に入りのアーティストや曲を見つけるのが楽しみです。もちろん、日本や世界に起こった大きな出来事から目をそらすことは出来ないのですが、心を重くするようなものが多いので、申し訳ないけれど今日は聞きたくない、ということがあるのです。もちろん、夏に倒れて死にかけたことはとても大きなことで、人生何度目かの「まさか」で最大のものでした。続きを読む →

2023-12-24 平和があるように

2023年 12月 24日 クリスマス礼拝 聖書:ルカ2:1-20

今日はさまざまなクリスマスにちなんだ讃美歌を歌ったり聴いてきましたが、世の中のクリスチャン以外の人たちも様々なクリスマスにちなんだ歌を作って歌っています。多くは家族や愛にまつわるものかもしれませんが、平和について歌ったものが少なくありません。いつの時代も愛と平和は誰もが求め、得たかと思えば手からこぼれ落ちてしまいやすいものです。続きを読む →

2023-12-17 待ち望んでいた光

2023年 12月 17日 礼拝 聖書:ルカ2:21-38

 子どもの頃に読んだり聞いたお話の中で、深い森や夜の山で道に迷った旅人は、決まって遠くに見える灯りに引き寄せられ、一夜を明かすために怪しげな家に入り酷い目に会います。今の私たちの暮らしではまず起こりそうもない話ですが、灯りの少なかった時代、旅のために歩いて移動しなければならない時代には、そうした状況があり得たのでしょう。

光はそれほど実際的に助けになり、希望になるものですが、今日登場する人たちも、比喩的な意味で希望の光を待ち望んでいました。幸い、彼らが見出した光は偽物の希望や惑わすものではなく、彼らが待ち望んでいた希望の光そのものでした。続きを読む →