取り違え

みなさん、おはようございます。
昨日は、礼拝のネット中継もまあまあうまくいったようでホッとしました。終わったあとで、画面の向こうのお顔を見られたり、お声を聞く事ができたのも嬉しかったです。ところで、午後の役員会を終えてからのことですが、ふと自分の姿を見て、スーツの上下が不揃いであることに気付いてしまいました。昨日は司会もしながらだったので、ずっと講壇の後ろにいましたから気付いた人はほとんどいなかったんじゃないかと思いますが、ちょっと恥ずかしかったです。
今週は受難週ですが、ロバの子の背中にのってエルサレムに入場したイエス様は、郊外で一晩過ごした後、月曜日に改めてエルサレムに入り、「ここは祈りの家ではないのか」とすごい形相で商業主義にそまっていた神殿から人々を追い出しました(商人だけでなく買い物をしていた人たちも追い出したのですから徹底してます)。スーツの取り違えはちょっと恥ずかしいだけで済みますが、決して取り違えてはいけない事があるのです。

“そして彼らに言われた。「『わたしの家は祈りの家と呼ばれる』と書いてある。それなのに、おまえたちはそれを『強盗の巣』にしている。」” マタイ21:13

十字架を覚えて

みなさん、おはようございます。
事態の進展はさらに加速しています。岩手ではまだ感染者が見つかっていないのですが、どうも、何ともしようのない検査態勢の弱さがあって思うように検査できない事情もあるようです。なので「岩手はまだゼロだ」というところに安心しようとしているのは大きな落とし穴かもしれません。
そんなわけで、対応としては少し前倒しして、今日予定していた「主の晩餐」(聖餐式)を取りやめにすることにしました。聖餐式は、それ自体に力があるわけではなく、イエス様が愛のゆえに私たちのために何をしてくださったかを思い起こすためのものです。今日から受難週が始まるのでとても残念なのですが、また再開できる時を待ち望みながら、主イエス様が私たちのために十字架で苦しみ命を献げることで、私たちに赦しと命を与えてくださったことを味わいましょう。

“キリストは弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力によって生きておられます。私たちもキリストにあって弱い者ですが、あなたがたに対しては、神の力によってキリストとともに生きるのです。” コリント第二 13:4

今日も礼拝のネット中継があります(というか、今日は失敗しなように)。ご自宅で礼拝を守られる方は、ネット中継を視聴できるかどうかにかかわらず、どうぞお知らせください。(朝メールへの返信でかまいません)

佐々木真輝

テレワーク?

みなさん、おはようございます。
世の中「テレワーク」というような言葉が飛び交っていますが、皆さんはどうでしょうか。私たちの教会の方々の働き方を想像すると、実際のところテレワークが可能な人はほとんどいないのではないかと思います。ネットさえあればどこででも仕事が出来るなんて、最先端の仕事のようなイメージがありますが、他の仕事より価値があるかどうかとなると、それはまた別問題です。
私には、福祉、病院、教育、製造、食品、建設、農業、家庭を守ることといった、モノやヒトと直接向き合う仕事、しっかりした手の感触のある仕事は本当に人間らしいんじゃないかと思ってしまいます。もちろん、テレワーク可能な仕事だって立派な仕事だし、リタイヤした方々の存在も、社会にはなくてはならないと思うのですが。とにかく、どんな仕事でも、神様から与えられたものとして受け止め、この社会に貢献しているという誇りをもつことが大事だと思います。

“私は見た。人が自分のわざを楽しむことにまさる幸いはないことを。それが人の受ける分であるからだ。…” 伝道者 3:22

佐々木真輝