秋の花

みなさんおはようございます。
しばらく前から我が家では秋明菊の花や紫式部の鮮やかな実が目立っています。台所の窓からは柿の実が少しずつ色づいています(去年かなりばっさり短くしたのですが)。毎年撮っている写真も今年は全然撮っていないのですが、そんなことは全然気にすることもなく、いつも通りに素晴らしい装いを見せてくれています。写真を撮らなくてもカーテンを開けたときや、そばを通る時に視界の片隅に入ってくれるだけでフッと気持ちが和みます。
春の花だけでなく、秋の花を見ても、神様の備えや慈しみに感じ入ります。きっと神様は私たちのために、もっと良くしてくださるに違いありません。

“野の花がどうして育つのか、よく考えなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも装っていませんでした。今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。信仰の薄い人たちよ。” マタイ 6:28-30

佐々木真輝

そんなの無理!

みなさん、おはようございます。
実は、半年前から我が家ではワンコが一匹増えています。そのワンコの血液検査で良くない数値が出ました。先天性の病気の可能性もあるとのことで軽いショックを覚えました。その話しをしているときに、購入したときの保証で、1年以内に先天性の病気で死んでしまった場合には代替のワンコが提供されるというものがあったのが思い出されたのです。その時、私は早とちりをして、病気が見つかった時点で交換すると言うことかと思い、一瞬動揺してしまったのです。「絶対、そんなことは無理!」「たとえ病気になっても離れることなんて無理!」と胸がキュンとなり、自分でもびっくりするくらい涙があふれて来たのです。
いたずらはするし、トイレはなかなか上手に出来ないし、甘えっ子で手はかかりますが、家族の一員ですから、「代わり」とか「交換」なんてあり得ないです。愛とはそういうもので、代わりがきかないのです。神様が「あなたを愛している」というとき、それは「その他大勢の一人として」ではなく、代わりのきかない、ただ一人の大切な存在として愛しているのです。そんなことを思い出させる出来事でした。

“わたしの目には、あなたは高価で尊い。
わたしはあなたを愛している。” イザヤ 43:4

今日は婦人会と祈祷会はお休みです。

佐々木真輝

ラジオと会話

みなさん、おはようございます。
教会では、毎朝早くに放送されているラジオ放送「世の光」の”スポンサー”になっていています。が、実際に制作に関わることはありません。それでもラジオ好き(とはいえ車で運転中に聞くのがほとんどですが)としては、こうした番組に関われていることはとても嬉しいことです。ところが、最近、がん患者支援のチャリティ活動の一環で、北上市内限定ですが、地元のFMラジオで毎週月曜日に番組を提供するようになりました。私自身はできあがった番組を放送後に動画サイトに載せる役目だけなのですが、これがちょっとした楽しみになっています。
番組を作るためには、内容はもちろんのこと、細かいところまで気を配り、工夫して制作するものなのです。ところが、人との会話では、その時の気分次第でかなりぞんざいになったり、しゃべり過ぎたり、逆に言葉が出にくかったりします。ラジオと違って事前の準備もなければ、相手の反応もすぐ返って来て、それに自分自身も反応したりします。そこが会話の楽しさでもあり、難しさでもあります。そういう難しさはありますが、良いものを与えることばを語れる者でありたいです。

“悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。むしろ、必要なときに、人の成長に役立つことばを語り、聞く人に恵みを与えなさい。” エペソ4:29

今日は全国の災害支援ネットワークの会合がオンラインで行われます。