歯止め

みなさん、おはようございます。
我が家のカーテンの一部には、紐を引っ張って上げ下げするタイプのカーテンがあります。紐を二つの歯車の噛み合わせで緩めたり締めたりすることで好きな高さでカーテンを開けたり閉めたり、途中で止めたりできるのです。ですが、肝心の歯車の噛み合わせがうまく働かず、文字通り歯止めがかからない状態になってしまい、カーテンを開けようと上まであげてもそこで止まらず、下がって来てしまいます。そこで部品を取り寄せ、夕べ修理し、ようやくカーテンは前のように上げ下げできるようになりました。
カーテン自体はまったく問題ないのですが、歯止めがかからないことで困ったことになってしまいながら、「自制」という歯止めは、自分の力というより、聖書が教えるように神様からの恵みの贈り物、賜物なのだなあと思わされました。外から来る誘惑、自分の中にある欲、感情の乱高下など、私たちの魂を引き下げようとする力は常に働きます。神様から頂いた自制がまるで自分自身の一部であるかのようにうまく働く時、私たちは人生を楽しみつつもコントロールできるようになるのです。

“しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものに反対する律法はありません。” ガラテヤ 5:22-23

佐々木真輝

8年経って

みなさん、おはようございます。
休暇を終えて、今日から通常モードです。
お休みを利用して、二度家内の実家に行き、一緒に礼拝を守り、税金の手続きを手伝ってきました。そして、もうひとつ、前々から気になっていた「修理」をひとつ。8年前の震災時に、家のあちこちに痛みが生じたのですが、屋根以外は本格的な修理をせず、間に合わせの処置をしただけにしてありました。今は亡き義父がやろうとしていたこともあったので、気になりながらも手も口も出さずにいました。でも今回は外からも目立つ玄関外壁を直してあげることにしました。地震の揺れで地盤が少し下がっているため、完全には直せないのですが、外れたタイルをつけ直し、割れや欠け、目地を直して、8年越しのテープの跡が残っていたりはしますが、ずっと良くなったと自画自賛です。
時間が経ったからこそ取りかかれる事柄や取り戻せること、修復・回復に向かえることというのがあるように思います。応急処置だけして焦らず直せばいいことと、できるだけ早い回復を目指した方が良いことを見分けて、無理に正そうとしないことも大事な知恵です。

“裂くのに時があり、縫うのに時がある。
黙っているのに時があり、話すのに時がある。” 伝道者の書3:8

佐々木真輝

不安のもとが一つ解消

みなさん、おはようございます。
今日はようやく暖房機設置の工事が入ります。ちょうど昨年のクリスマスの頃から、点火するかどうか分からない不安を抱えながら毎週過ごしていましたが、これで一安心です。
何かの不安を抱えたまま過ごすというのは実にしんどいことで、気持ちが重かったり、つらかったりするだけでなく、その不安を解消するための様々な事をしてしまうことになります(しかも、ただの気休めの場合も多い)。それは日々の生活に結構な負担となってきます。
神様は、そうした心配や思い煩いがあるときに「祈れ」と言ってくださっています。魔法のように一発で不安が消える・悩みの種が無くなるということではありませんが、私たちのことを気に掛けてくださる神様がおられることを思い出し、しかもそれが気持ちだけでなく、良きものを具体的に備えてくださる恵み深い方であることを思い出すことは、大きな慰め、励ましです。

“あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。” ペテロ第一 5:7

昨日のトーンチャイムの施設訪問は成功裡に終わったそうです。皆さん笑顔で帰って来ました。今日は婦人会と祈祷会があります。日中は工事と重なりますが、よろしくお願いいたします。
なお、明日から休暇のためしばらく朝メールをお休みします。

佐々木真輝