恵みの出どころ

みなさん、おはようございます。(スミマセン、深夜にご送信してしまいました)
先日、ご近所の方から採れたての「三陸わかめ」をお裾分けしていただきました。しゃぶしゃぶにしたりして、肉厚でとても良い食感とワカメの風味を楽しませていただきました。そして、昨日、その方が働いているラーメン屋さんに行った所、「この間のワカメはこちらからだよ」と、出どころが店主であることを教えてくれました。帰り際にお礼を言うことができて嬉しかったです。
私たちが日々の暮らしの中や人生の折々に受け取るほとんどの恵み、良きものは、誰かを通して、何かを通して与えられるものですが、その出所をたどれば、神様に行き着きます。そうした良きものをもたらしてくれた誰かにお礼を言うことはもちろんですが、恵みの出所である神様を想い起こし、感謝を捧げることは私たちにとってまことに相応しいことです。

“主に感謝せよ。その恵みのゆえに。
人の子らへの奇しいみわざのゆえに。
まことに主は 渇いたたましいを満ち足らせ
飢えたたましいを良いもので満たされた。” 詩篇 197:8-9

今日は婦人会と祈祷会があります。

佐々木真輝

尊敬すべき人たち

みなさん、おはようございます。
昨日は大船渡でネットワークの先生方に集まっていただき、互いの様子や課題を分かち合い、これからのネットワークのあり方についてご意見を伺う時を持ちました。昨日は6つの国から集まりましたが、自己紹介の時に、一人一人がどのようにして岩手に来るようになったかを聞きながら、ほんとうに不思議な導きでここに集められたのだなあと感心し、感謝しました。私は来たというより、生まれたわけですが。
また、一人一人がそれぞれの現場で味わっている労苦(働きそのものの大変さだけでなく、家族の課題や健康上の課題などもあります)を知れば知るほど、それでも笑顔でお仕えしている姿に尊敬の念がこみ上げて来ました。

“ですから大きな喜びをもって、主にあって彼を迎えてください。また、彼のような人たちを尊敬しなさい。” ピリピ 2;29

佐々木真輝

心に光

みなさん、おはようございます。
今日の午後の聖書学校のために(そして神学校でのクラスのために)準備をし、あちらこちらの聖書箇所を調べ、思い巡らし、考えをまとめようとしていいました。そのような時に、はじめはぼんやりとしたアイディアだったものが、だんだんとはっきりした姿を表すように感じられることがあります。それは知的な好奇心を満たすものではなく、心の目に光を宿らせ、生きていくための手がかりを与え、心に喜びを与えてくれます。
聖書のことばは、「良い話し」や「ためになる話し」なんてものではなく、私たちにとってもっと切実に必要なもの、初めて行く土地の地図や、夜道を歩くための明かりのようです。

“あなたのみことばは 私の足のともしび
私の道の光です。” 詩篇 119:105

佐々木真輝