2023-11-19 すべてが新しく

2023年 11月 19日 礼拝 聖書:黙示録21:1-8

 物語には終わりがあります。感動的な終わり方をする物語もあれば、もやもやした感じが残る物語もあります。

ゲームやスポーツにも始まりがあれば試合終了やゲームクリアがあります。アンコールが繰り返されるくらい盛り上がったコンサートやライブだっていつかは終わりが来ます。

そして何かを計画したら、その計画が完了する時に何を得たいか、というゴールが必ずあります。ゴールがなければそれは計画ではありません。

有名なエレミヤ29:11には「わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている──主のことば──。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」とあり、神様が明確なご計画を持っておられることを明らかにしています。続きを読む →

231112_Rev.7.9-17_いかに生きるべきか

2023年11 月 12日 礼拝 聖書:黙示録7:9-17

 8月に中断したままになっていた黙示録を再開したいと思います。今日と次週とで黙示録を終え、11月最後の週は全体を振り返りたいと思います。

さて、8月に黙示録をはじめた時は、ウクライナでの戦争のまっただ中で(それは今も変わらないのですが)、世界全体が恐れに包まれていたように思います。しかし、今私たちが毎日目にし、耳にするのはパレスチナのガザ地区での戦争です。その地域は聖書の舞台となった地域であり、イスラエルを取り囲む国々がイスラエルに敵対し怒りを向ける有様は聖書の告げる未来の出来事と重なるようにも思え、この事態をどう理解したら良いのか戸惑うことがあると思います。これは世界の終わりに向かう予兆なのか、歴史上繰り返されて来た戦争がまた起こっただけなのか、それとも別な意味があるのか。そうした理解の違いは黙示録をどう理解するかと関係がありますし、受け止め方の違いは生き方の違いに結びつきます。続きを読む →

2023-11-5 あなたとともにいるから

2023年 11月 5日 礼拝 聖書:イザヤ41:8-13

 誰かが傍らにいてくれることは、私たちにとって愛を感じ、信頼や希望が持てるということでもあります。

今日は入院中に気付かされたことをみことばとともに思い巡らす、いちおう最後の回にしたいと思いますが、ちょうと今年度の主題聖句にも通じる内容になるのではないかと思います。続きを読む →

2023-10-24 世代を超えて

2023年 10月 24日 礼拝 聖書:創世記50:15-21

 入院中に気付かされ、考えさせられたことをみことばとともに思い巡らすシリーズも今日と再来週で終わりにしたいと思います。他にも様々な気づきがあったのですが、また何かの折りに触れるくらいにしたいと思います。

今日は世代を超えた課題に取り組むことについてお話しします。続きを読む →

2023-10-15 生きた交わりとしての礼拝

2023年 10月 15日 礼拝 聖書:コロサイ3:12-16

 先週お話したように、入院中に気付かされたこと、考えさせられたことについて今日もみことばとともに思い巡らしたいと思います。今日のテーマは教会の交わりとしての礼拝についてです。

「交わりとしての礼拝」と言われてもピンとこないかも知れません。私たちは「礼拝」は特定のプログラムに沿って行われる礼拝式、交わりはクリスチャンの交流やつながり、あるいは何らかの交わりのためのプログラムというように区別しがちです。続きを読む →

2023-10-08 教会への恵みのしるし

2023年 10月 8日 礼拝 聖書:使徒の働き12:4-17

 今日、こうして再び講壇に立つことができることをとても嬉しく思います。ここに至るまで、多くの祈りが捧げられたことや教会同士の交わりの中で教会が支えられたことに感謝で一杯です。

多くの方々が、この回復を奇跡だと言ってくださいました。主の真実さや主のみわざを見ることができたと喜んでくださいました。おそらく、8月15日の朝、倒れて1週間意識がなかった私より、皆さんのほうがずっとそのように実感しておられるのだと思います。私は、そうした声や言葉を聞きながら、「そうなんだなあ」と後追いするように確認するのが精一杯でした。続きを読む →

War is over?

みなさん、おはようございます。
今日はは「日本にとっての」終戦の日です。日本がアジア諸国に手を伸ばし、さらにはハワイの真珠湾に奇襲攻撃をしかけて始まった太平洋戦争に敗れて「終わった」日ですが、アメリカにとっての戦勝記念日は9月2日ですし、ロシア(当時はソ連)にとっては9月3日です。8月15日は玉音放送が流れた日ですが、9月2日は戦艦ミズーリの艦上で降伏文書に調印した日です。その調印式が行われている日に後出しジャンケンのように北方領土に進出したソ連はつじつまを合わせるように9月3日を戦勝記念日にしてしまいました。
戦争がいつ終わったかなんて、政治的な理由で結構都合良く書き換えられるものです。むしろ戦争で父親や夫が帰ってこなかった人にとっては何十年経っても「戦争は終わっていない」という感じがするのかもしれません。銃を置くとき、組織的な戦闘は終わりますが、平和になったとは言えるか微妙です。むしろ別な戦いが始まるのが世の常です。それでも失望せずに平和の君である主が真に平和をもたらしてくださるのを待ち望みましょう。

“主は国々の間をさばき、
多くの民族に判決を下す。
彼らはその剣を鋤に、
その槍を鎌に打ち直す。
国は国に向かって剣を上げず、
もう戦うことを学ばない。” イザヤ 2:4

昨日は岩橋洋子さんの誕生日でした。遅ればせながら祝福を祈ります。

佐々木真輝

2023-08-13 苦難の中にある教会へ

2023年 8月 13日 礼拝 聖書:黙示録1:1-11

 今日から3回に分けて黙示録を取り上げます。およそ2年半前にはじめた、創世記から順番に一書ずつ概観するシリーズの最後は、当然黙示録ということになります。

しかし、黙示録ほど解釈が分かれ、時には興味本位で好き勝手にいじられてきた書巻はないかもしれません。一般的に、この世の終わりについて、しかも破滅的な世界の終末が書かれていると理解されている黙示録は、誤解もされやすく、また難解で、読んで恵まれるという感じを受けにくい書物です。続きを読む →

見たこと

みなさん、おはようございます。
最近、何かに見とれたことはありますか。昨日、お休みをいただいてワンコの内視鏡検査のために盛岡に行って来たのですが、検査が終わるまでの数時間をつぶすためにあちこち寄ったところの一つにちょっと古風な喫茶店があります。有名なお店なのですが、店内は撮影禁止ということで、重厚なレンガとレトロな調度品に囲まれた狭い店内をじっくり眺めました。コーヒーを飲んでいるとき、差し込む西日に照らされて湯気がきらきらと虹色に揺らめいているのを発見し、ついつい見とれて、コーヒーを口にする合間に何度もカップを光にかざしては眺めていました。
写真に撮ってしまえばそれで満足してしまいがちなのですが、目で観るしかないとなるとちょっと違ったものの見方をするようです。私たちが経験する神様のみわざを、何となく見て忘れてしまうのではなく、しっかりと見て、忘れず、大切にし、語りついでいきたいと思います。

“ただ、あなたはよく気をつけ、十分に用心し、あなたが自分の目で見たことを忘れず、一生の間それらがあなたの心から離れることのないようにしなさい。そしてそれらを、あなたの子どもや孫たちに知らせなさい。” 申命記 4:9

佐々木真輝

主の忍耐

みなさん、おはようございます。
先日の日曜日は広島に原爆が投下された日、そして昨日は長崎の日でした。ウクライナでの戦争のために第二次世界大戦以降では最も核兵器使用の危険性が増しているように思われます。そんなばかなことをするはずがないと思いたいですが、何が起こるかは分かりません。どんなことでも起こり得るのが戦争の狂気です。何を正義とし、何を愚かと考えるかは立場によってずいぶん異なりますし、人間はばかなことをするからこそ戦争をしてしまいます。
このような世界を、そして人々を神様はどうご覧になっているでしょうか。嘆いているか、怒っているか、憐れんでいるか。どれも当たっていると思いますが、間違いなく忍耐しておられますし、このような世界で忍耐し、希望をもって生きるクリスチャンを力づけ、主の道を歩み続けるよう励ましておられます。

“主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。” 2ペテロ 3:9

今日は木曜日ですが婦人会と祈祷会はお休みです。

佐々木真輝