2025-11-02 荒野で叫ぶ声

2025年 11月 2日 礼拝 聖書:ルカ3:1-20

 「荒野で叫ぶ声」で思い出すのは、昔観た西部劇の「シェーン」の最後のシーンです。荒くれ者に困っていたある家族のもとに、ふらっと立ち寄ったシェーンという流れ者が、家族の世話になりながら、その家の男の子と交流を深め、荒くれ者たちから守って旅立っていくとき、馬に乗って荒野を遠ざかって行く姿を目で追いながら「シェーン、カンバーック」と呼ぶシーンが印象的でした。その後、「シェーン、髪バーック」という、育毛剤のCMに使われたりもしましたね。古い話ですみません。

荒野に声が響き渡る情景はとても印象深いものがあります。見渡す限りの荒野なのに、声があちらこちらに跳ね返りこだまします。ある種の寂しさやすさんだ心の情景を重ねて感じ取ってしまうのかもしれません。

今日は月初めの主日ですので、主の恵みの器として用いられた人を取り上げる日ですが、ちょうどルカの福音書でバプテスマのヨハネの箇所に来ましたので、バプテスマのヨハネにスポットを当てたいと思います。

荒野で声を上げたヨハネはいったい何のために荒野で語り始めたのでしょうか。今日は彼に倣うというより、彼が何を語ったのかに耳を傾けたいと思います。続きを読む →

2025-10-19 神であり人である方

2025年 10月 19日 礼拝 聖書:ルカ2:39-52

 私たちが信じているイエス様はどのような方でしょうか。少し前に、教科書から「聖徳太子」の名前が消えたということで「え?なんで」と昭和世代の私なんかは驚いたのですが、正式な名前が実は違ったということで一度消えたものの、その後通称として復活したらしいということで変な安心感を得たのですが、実の所、聖徳太子がどんな人物であったのか、伝説と実像に違いはあるだろうと思いながらも、あまりそのことで悩んだりしません。しかし私たちは2千年も前の人物を歴史上の人物として単に記憶しているだけではなく、神であり、救い主であると信じ、私たちの心、生活、人生をあずけています。この方がどういう方であるかを適当に済ませるわけにはいきません。

ルカの福音書が書かれた時代、当時流行の考え方を取り入れて妙な解釈をぶち上げる人たちもいました。それを意識して書いたかは断定できませんが、今日の箇所でルカは、イエス様がどういう方であったかを示すために子ども時代のエピソードを取り上げます。

1.家族の中で

まず、子ども時代のエピソードが取り上げられることで、イエス様は普通の人として、家族の中で成長したことがわかります。

39節で、ベツレヘムで生まれたイエス様が、ちゃんと両親の家があるガリラヤのナザレという、かなりの田舎町に戻ったことが記されていますが、さりげなく語られていることは、イエス様が律法の儀式を守る普通のユダヤ人家庭の中で成長したことです。

もちろん細かいことは分かりません。イエス様の幼少期について奇想天外な奇跡をおこなったことが記されている「トマス福音書」という聖書とは認められていない古代文書があります。その中には子ども時代のイエス様が行った奇跡がいろいろ記されているのですが、それはまるで超能力に目覚めた子どもが力のコントロールができずに感情の趣くままに力を使い、周りに大迷惑をかけたり驚かせたという話しになっています。そこには何の教えも、象徴的な意味もありません。

ルカは、むしろイエス様が普通の子どもとして成長したことを強調します。幼少期から12歳まで特別なことは何も書かれていませんが、大抵の人も、その時期のことを思い返してみて、何か世間に発表すべきような特別なことがありましたかと聞いたら、特筆すべき事はない、という人のほうが多いのではないでしょうか。近所の友だちと遊んだことや家族の思い出はあるかも知れませんが、特別ということでもないでしょう。私も子ども時代に、近所の友だちの家で当時流行った野球盤ゲームをやったとか、家の中で妹とかくれんぼをしたとか、仕事終わりの父親と家の前でバドミントンをしたとか、近所のおじさんが手伝ってでっかいカマクラを作ったとか、そういう思い出はありますが、特殊なことではありません。

そういう意味ではイエス様もユダヤの習慣で大人の仲間入りをする13歳の直前まで、特筆すべきことなく、普通の私たちと同じように、近所の子どもたちと遊んだり、家の手伝いをしながらすくすく成長したのです。

その替わり、イエス様の家族には一つの習慣がありました。41節にあるように、毎年過越の祭のときには、家族そろってエルサレムに旅をしたということです。そうした旅は普通一家族が単独で行くということはなく、同じ村の人たちがグループを作って旅をします。先頭に子どものグループがまとまって歩き、その後ろの大人の女性グループ、最後の大人の男性グループと続き、地域の人たちが一緒に旅するもので、とても楽しい旅路だったに違いありません。

イエス様が後に十字架につけられるために過越の祭のためにエルサレムに向かう旅が福音書に描かれますが、それは子ども時代の楽しい思い出の詰まった道のりだったのです。

12歳というのは、ユダヤ人の子どもたち、その家族にとってはとても大事な時でした。13歳になると、「バルミツバー」といって、律法に対する責任と社会的責任が求められる、いわば成人を迎えるのですが、その前にはエルサレムの神殿で礼拝を捧げることが推奨されていました。いよいよ来年は大人の仲間入りだねという期待と共に、13歳には律法の一部を暗唱したり朗読するような儀式もあるので、その前に十分準備することになっていました。ですから、12歳の過越は一家にとって楽しさだけでなく、とても重要な旅であったわけです。

2.自己理解

12歳の過越の祭が終わり、ナザレへの帰り道で事件が起こりました。そして、この場面で、これから大人になろうというイエス様が自分自身についてどのように理解していたかが描かれています。

さっきも言ったように、エルサレムへの巡礼の旅では子どものグループと大人のグループに別れて移動します。現代では考えられませんが、当時のユダヤ社会では地域の共同体はまさに家族のようにお互いのことを知っていますから、こうした旅が成り立ったわけです。しかし、今回はそれが災いして、子どものグループの中にイエス様がいないことに気付きませんでした。マリアとヨセフがそれに気付いたのは一日の道のりを歩き終え、その日の宿営地についてからでした。簡単なテントを張るか野宿するかだと思いますが、さすがに寝る時は家族一緒ですので、家族そろって休むために息子を探したマリアとヨセフがどこにもイエス様がいないことにやっと気付きました。見つからないので、捜しながら来た道を引き返しました。恐らく真夜中は灯りもなく、危険もありますので、簡単には移動できなかったでしょうから、結局ユダヤ人の数え方で三日後、私たちの感覚だと一日挟んで二日後にようやくエルサレムの神殿で律法の教師たちに囲まれているイエス様を見つけます。

まだ成人に達していない少年が、大人顔負けの律法の知識と知恵深さをもって対話することに皆が驚き、人だかりが出来ていたので、神殿まで行ったところですぐ見つけたことでしょう。

48節のマリアの言葉は、迷子になった子どもを心配する母親の言葉そのものです。私も娘が迷子になったときのことを思い出します。だいたい同じようなことを言いました。

しかしイエス様は迷子になっていたわけではありません。49節はイエス様の返事が書いてあります。これを読むと、なんだかずいぶん生意気な言い方だなと思うのは私だけではないと思います。

生意気と感じるのは日本語の訳の問題もあると思いますので脇に置いておきますが、ここでは2つの大事なポイントが書かれています。

まずイエス様が神様を「自分の父」と呼んでいることです。これは神と人間に過ぎない自分を同列に置くことなので、自分を神と言っているようなものとされ、ユダヤ人は神を冒涜する言葉と受け取られるものでした。しかし、この時点でイエス様はご自分が父なる神と並ぶ者であると理解していたのです。

二つ目は父の家にいるのは当然であると理解していました。神殿という場所にいるというより、神に仕えることが自分のなすべきことだという意味と思われます。

学者たちは、人間の赤ん坊として産まれたイエス様が、人間と同じように成長のプロセスを辿ったのなら、いつ自分が人であるとともに神であり、メシアであると自覚したかと、答えの出ない問いに格闘しています。ルカの福音書を見る限り、ユダヤの成人を迎える時には、自分が何者かをすでに分かっていたということです。

しかしマリアとヨセフにはイエス様の言っていることが理解できませんでした。それでも、何事もなかったかのように、いつも通りの様子で両親の仕事を手伝い、家族とともに過ごしている様子を見守りながら、我が子がメシアであることの意味をマリアたちも学ばなければならなかったのです。

3.神と人とに愛され

最後の52節はイエス様の成長に関するとてもシンプルなまとめの言葉です。

「イエスは神と人とにいつくしまれ、知恵が増し加わり、背丈も伸びていった。」

3つの面からイエス様が健全に成長していったことが記されています。まず「神と人とにいつくしまれ」ということで、神様の愛と家族やユダヤ教会堂を中心とする地域の共同体の中で育まれて行ったのです。メシヤとして生まれたからといって、王宮に生まれた王子たちのように特殊な環境で特別な育てられた方をしたわけではなく、普通の子どもとして幼少期から成人するまで成長していきました。

もう一つは「知恵が増し加わり」ということで、知識が増えたというよりも、知識を生活に活かす知恵をしっかり身につけて行ったということです。マタイやマルコは、イエス様がメシアとしての働きを始めたたとき、故郷の人たちがイエス様を見て「この人は大工ではないのか」と言って、イエス様の権威を認めようとしなかったことを記録しています。つまり、大工であった父ヨセフの職人としての技術や知恵も学び取って一人前の職人としても働けていたということです。ヨセフが早く亡くなったとも言い伝えられていて、若いうちから母マリアや弟たち妹たちの生活を支えるために一生懸命働いていた時期もあったのでしょうし、父のいない家庭で兄弟たちの世話もして来たことでしょう。「知恵が増し加わり」と簡潔に書いていますが、イエス様もイエス様なりの苦労を重ねながら成長し知恵を身につけていったことが伺えます。

三つ目に「背丈も伸びていった」ということで身体的にも健やかに成長していきました。イエス様が公に働きを始めるのは30歳頃のことですが、それは旅をし、町々を巡り歩き、ひっきりなしに人々の相手をしながらという働きですので、健康で頑強な体でなければなりませんでしたから、こうした身体的な成長は大事なことでした。

イエス様は、ある意味で理想的で健全な成長を遂げていったということができます。現代の多くの人が機能不全に陥った家庭環境の中で苦しみや悩みを抱え、歪みを抱えたまま大人になりますが、健全な成長を遂げた人が何の苦労も悩みもなかったかというと、そんなことはありません。

イエス様に現代人にありがちな家庭問題がなかったからといって私たちの気持ちや悩みが分からないということはありません。メジャーリーグで大活躍している大谷選手がどれほど頑張っているか、人の知らないところで苦労したことやものすごいプレッシャーなど、私たちの知らない苦労も不調も必ずあります。イエス様が理想的に、健全に成長したと書かれていても、記されていない苦労は必ずあったと考えるべきです。ヘブル4:15には「私たちの大祭司は(イエス様は)、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯しませんでしたが、すべての点において、私たちと同じように試みにあわれたのです。」とあります。同じ経験ではなくとも、私たちが人生の中で味わうあらゆる試練、弱さをイエス様はちゃんと分かってくださいます。そうした経験を経ながら、私たちを助けられる者として、神様は成長させてくださったのです。

適用:神であり人である方

今日までのところは、ルカが福音書で描いているイエス様の教えと働きの導入部分になります。イエス様がどのような経緯でお生まれになったのか、どんな人たちのためにお生まれになったのかが描かれてきました。そして、約束されたメシアとして生まれたお方は神でありながら、完全に人間として生まれ、私たちと同じ過程を経て成長された方なのだということを見て来ました。ひと言で言うなら、よく言われるように、イエス様は神であり人である方ということです。

もちろんイエス様には特別な面がありました。12歳にはすでにご自分が何者であるかを理解し、そのために備え始めていたことは、何歳になっても「これが本当に自分のすべきことか分からない」と言う人が多い現代人からすれば、早熟すぎるのではないかとも思えます。13歳で成人するのが当然のユダヤ人の間であっても、イエス様の聖書の理解と知恵とは大人が驚くほどでした。神様を父と呼ぶのは私たちクリスチャンが父なる神様と呼ぶのとは全く意味が異なり、自分を神であると主張するようなものです。それをさらりと言ってしまうことに両親も驚きました。

しかし、それ以外は至って普通の、ユダヤの社会ではよくある、貧しい職人に生まれ、少なくとも4人の弟と2人以上の妹たちがいる兄弟の長男として、勤勉に働いて大工としての腕を磨きながら家を支えながら成長しました。

ではルカがこうしたことを意識してわざわざ福音書に記した意図はなんでしょうか。ルカを導いた神様はテオフィロや私たちクリスチャンにどういうことを考えて欲しかったのでしょうか。

イエス様がどういうお方なのかという捉え方の違いは、私たちの信仰のあり方に大きく影響します。

現代の人気のある捉え方は、イエスは1人の人間だったということです。自分が何者であるか最後まで迷いながら、人々の期待や妬みに翻弄され、死んだ後で神に祭り上げられたみたいなストーリーが好まれます。でもそれではイエス様を信じる意味がありません。生き方から学ぶことはできても私たちを救い新しく生きる力を与えることなんてできはしません。

聖書が書かれた時代に出て来た捉え方は、救い主である方がただの人間なわけはないというもので、中には、実は肉体すら持っておらず、そう見えるように振る舞っていただけだという今考えればとんでもない説が唱えられたりもしました。それならイエス様が十字架で苦しまれた姿は茶番であり、イエス様が私たちの苦しみや痛みを理解してくださるというのは単なる願望でしかないことになります。

マリアとヨセフがそうであったように、救い主であるイエス様が完全に神であると同時に、完全に人間であるということを私たちが頭で理解することはできませんが、聖書が指し示していることをそのまま受け入れ信じる時、はじめて私たちはイエス様のうちに慰めと力を見出すことができます。

妻ががんだということが分かって医大病院で手術と治療を受けるために転院したとき、主治医の先生もがん経験者だと分かったとき、とても安心したのを思い出します。イエス様は私たちの弱さも痛みも分かってくださるだけでなく、その力によって私たちを救い、慰め、助け、造りかえる方です。感謝しつつ、信頼して歩みましょう。

祈り

「天の父なる神様。

今日はイエス様の子ども時代のエピソードを通して、私たちのためにお生まれになったイエス様が、神であり、また人でもあられたことを改めて見て、その意味あいについて深く考えさせられました。

神であり、また完全な意味で人でいてくださったので、イエス様は私たちの苦しみや悲しみ、悩みを分かってくださり、完全に神であられるので私たちを救い、また慰め、また新しく生きる力を与えることができます。

イエス様をそのようなお方として受け入れ、信頼して歩むことができますように。

イエス様のお名前によって祈ります。」

2025-10-12 私たちが立ちあがるため

2025年 10月 12日 礼拝 聖書:ルカ2:21-38

 先週、神戸・大阪に出張に行って来ました。思いがけない方と会うことができたり、久しぶりにお会いする方々との交わりはとても楽しかったですし、会議と研修自体は深く考えさせられる時となりました。大阪から帰る時、空港でお土産を物色していたら「佐々木先生」と後ろから声を掛けられ、振り向くと、夏の子どもキャンプの時にご一緒に奉仕したある教会の方でした。会社の出張帰りということでしたが、こんな所でばったり会うとは驚きでした。それにしてもよく見つけてくれたなあとも思いましたし、声を掛けていただけて嬉しかったです。

さて、今日の箇所では、マリアとヨセフが思いがけない人物、ただし彼らの場合は見ず知らずの老人たちから声をかけられています。一人はシメオン、もう一人はアンナという女預言者です。マリアとヨセフは二人の様子、語る言葉に驚きながらも、その意味合いを深く思い巡らすことになります。いったい彼らを通して神様は何を示そうとしておられるのでしょうか。

1.貧しい献げ物

まず、最初の場面はマリアとヨセフがエルサレムの神殿に献げ物をしにいくところからはじまります。ここで注目すべきは彼らが最低限の献げ物しかできない貧しさの中にあったことです。

21節から24節のは、律法で定められた三つつの儀式が描かれています。

一つ目は21節で、これは出産から一週間後のことです。男の子にはアブラハムの契約を受け継ぐ者であることを証する割礼を施す儀式が行われ、名前がつけられます。マリアとヨセフは御使いが告げた通り、男の子にイエスと名づけました。

二つ目の儀式は男子の初子に関する儀式で、これについては23節で触れています。最初に生まれる男の子は神のものとして献げる献児式を行いました。実際には赤ちゃんを献げることはありませんが、神のものであることを表すために、5シェケルの銀を献げることが求められていました。1シェケルは二日分の労賃に相当すると言われていますので、十日分の労賃に当たる銀貨を献げる必要がありました。ざっくり、月給の三分の一と考えてみてください。

それから三つ目の儀式ですが、これは出産後の女性は儀式的に汚れた者とみなされ、7日間は隔離され、それからさらに男子の出産の場合は33日間、女子の場合はその倍の期間、聖なるものから遠ざけなければならないとされていました。22節にある「きよめの期間」というのがこの規定にあたります。現代的な感覚では「汚れている」なんて女性に対する侮辱のように受け取られますが、このきよめの期間の律法は結果的に産後のお母さんを守ることにもなったと思います。それはともかく、無事にきよめの期間を終えたらば規定の献げ物をすることになっていたのです。それが24節に書かれていることです。

このきよめのささげ物は経済力に応じた動物が指定されていて、余裕のある人は牛やひつじを献げましたが、経済的にゆとりのない人は24節に書かれている山鳩一つ外か家鳩の雛2羽でも良いとされていました。山に行って捕獲したものでもいいということです。

マリアとヨセフの行動は、ユダヤ人として当たり前のことではあったし、一つ一つのイベントは通過儀礼として楽しみな面はあったと思います。それでも、貧しさの中にあった人たちにとっては結構な負担であったことも事実です。男子の初子に課せられた5シェケルは金持ちにとっては大した額ではないかもしれませんが、貧しい労働者にとっては十日分の労賃はかなりの痛い出費です。きよめの期間を終えた後のささげ物も最低限のものしかできません。

そして、直接は描かれていませんが、彼らが出かけた宮、つまりエルサレム神殿には、神殿を管理し、礼拝を司る大祭司を筆頭とする祭司の組織があり、商売で儲けた人を除けば、金持ちの代表といえるのがこうした祭司職だったのです。

日本も格差社会になっていて、昔ほど頑張れば出世できるとか、成功者になれると簡単には言えませんが、それでも可能性はあります。しかし階級社会のユダヤでは貧しさから抜け出すことはほとんど不可能なことでした。描かれてはいない絶望がユダヤの社会を覆っていたのです。そして救い主はまさにそうした、この世にあっては望みのないような人たちのためにおいでになった方であることを表しているのです。

2.待ち望んだ人々

次に、救い主の到来を待ち望んでいた人たちが描かれます。

一番大きく扱われているのはシメオンという老人で25~35節に登場します。次に36~38節に登場するアンナという年老いた女預言者。そして最後に38節で触れられている「待ち望んでいたすべての人」です。

ルカは彼らを描くことで、人々がどういう思いで何を待ち望んでいたか、それに対して神様がキリストによってどんな救いをもたらそうとしているかを示します。

エルサレムに住んでいたシメオンは「正しい人、敬虔な人」でした。表面的に神の命令を守るような人たちとは違って、心から神を畏れ敬い、それゆえに神の教えに従っていたのです。そして彼は「イスラエルが慰められるのを」待ち望んでいました。

84歳という高齢の女預言者アンナは、シメオンとマリアたちのやりとりを見て近づき、神に感謝を捧げてから、「エルサレムの贖いを待ち望んでいたすべての人」に、約束の男の子が誕生したことを告げ知らせています。

この「イスラエルの慰め」「エルサレムの贖い」という言葉が、当時のユダヤ人の待ち望んでいた神の救いをよく表しています。

イスラエルの王国が滅び、バビロンに捕囚となったのは紀元前586年のことです。これをバビロン捕囚と言います。その時代、主は預言者たちを通してやがて神の民を連れ戻し、国を再建すると約束されました。実際、紀元549年にバビロンから支配権を奪ったペルシャの王クロスが勅令によってイスラエルの民をエルサレムに帰還させ、神殿の再建や城壁の再建を進めさせます。

一見バビロン捕囚が終わったように見えたのですが、ユダヤ人の感覚では、捕囚の時代は全然終わっていなかったのです。

ペルシャによるイスラエルの土地の支配は変わらずに続きましたし、その後も支配者がギリシャやローマへと移り、真に独立した国とはなれませんでした。それどころか、ある時はユダヤ人の伝統を破壊し、ギリシャの文化に馴染ませるために神殿での礼拝やいけにえを献げることが禁じられたり、ユダヤ人が汚れたものとして嫌悪するようなものを神殿に持ち込んだりと、ひどい屈辱を与えられてきました。

一方で大祭司を初めとする祭司階級の人たちは貧しい人たちが身銭を切って献げる献げ物で私腹を肥やし大金持ちになっており、それがどれほど不公正で非情な社会になっていたとしても「神がこのように定めたのだ」と言って決して特権を手放そうとはしません。多くの人たちにとっては政治の課題よりも、絶望的な不平等の中で神が自分たちを憐れんでくださるのを期待するしかありません。

そんな中で捕囚時代が完全に終わり、神の王国をもたらしてくれるキリストを待望する信仰が強まります。約束のキリストが来てくれればエルサレムを完全にローマから取り戻し、神の王国としてのイスラエルを再建してくれると期待しました。預言者たちによればこの方こそ、世の中にあふれる不公正や不正義を正し、自由を与え、目の見えない人を見えるようにし、主の恵みをもたしてくださる、貧しい者にも恵みをもたらしてくださるはずでした。

そしてシメオンは、聖霊によってその時が来たことを知り、神殿へと導かれ、幼子を抱えた若い夫婦の前に現れたのです。

3.幼子の未来

いきなり目の前に現れた老人が、誰も知らないはずの男の子について語り始め、神をほめ讃えるのにヨセフとマリアは驚きました。シメオンはマリアから幼子を受け取ると抱きかかえ、「これでやっと安らかに死ねる。この目で神の救いを見たから。この幼子こそが、神がすべての人に備えた救いであり、異邦人さえも照らす啓示の光であり、神の民の誉れだ」と神をほめ讃えるのです。

聖霊に満たされて歌うシメオンの歌と言葉はそれ自体がまるで預言者たちの預言の言葉のようです。そして、聖霊によって語ったシメオンの言葉には、当時のユダヤ人が考えもしなかったような、神の救いについての重要な情報が含まれています。

イエス様の誕生は確かにイスラエルの栄光であり、ユダヤ人が待ち望んで来たものですが、その救いはイスラエルに限定されるものではありません。すべての民に備えられたもの、異邦人にまで及ぶものだとはっきり語っています。

さらにこの幼子による救いは、幼子を待ち受ける未来と深い関わりがあります。34~35節には幼子の未来が語られています。

「ご覧なさい」と始まる言い方は、旧約時代の預言者が未来の驚くべき事を告げるときに「見よ」と言って語るのと同じ言い方です。「この子は、イスラエルの多くの人が倒れたり立ちあがったりするために定められ」ているとシメオンは聖霊によって告げます。

ちょっと分かりにくい言い方で何を言わんとしているかはっきり分かりません。でも、救い主として来られたイエス様にある人たちは躓き、ある人たちは力づけられ立ちあがるということを私たちは知っています。この「立ち上がる」という言葉は、新約聖書の中では復活に関連して使われる言葉です。つまり、イエス様の復活のいのちに与って立ち上がる、新しいいのちをいただく、新しい人生を生き始める。そんなことを指していると考えられます。

しかし、続けて不吉なことが告げられます。「人々の反対にあうしるしとして定められ…あなた自身の心さえも、剣が刺し貫くことになります。それは多くの人の心のうちの思いが、あらわになるためです。」

もちろん福音書を最初に受け取ったテオフィロも、初代教会のクリスチャンたちも、これがイエス様の十字架を意味していることはすぐに分かったはずです。多くの人たちにもたらされる救いはこの幼子が将来直面する反対、反抗と十字架の苦しみを通してもたらされます。母としてのマリアはイエス様が目の前で鞭打たれ、十字架に磔にされるだけでなく、始終罵られ唾をかけられ、殴られるのを見せつけられます。それは親としてまさに心を刺し貫かれるような痛みを覚える光景です。それはイエス様が受ける苦しみ、痛みへの共感以上に、そのとき顕わになる人々がうちに隠していた憎しみ、冷酷さ、暴力性などが明らかになり、民の指導者であるべき人たちの腹黒い策略や裏切り、我を忘れて十字架で殺せと叫ぶ群衆の熱狂がイエス様の腕や足に釘を打ち付けるその一点にぶつけられるのを見ることになるからです。

当時のユダヤ人は、約束のメシアにそんな未来が待ち受けているとは考えもしませんでした。輝かしい勝利をもたらしてくれるはずだと考えていたのです。そう、確かに勝利をもたらしますが、それは戦いではなく、十字架の苦難を通しての勝利なのです。

適用:私たちが立ちあがるため

もう一人の年老いた女預言者アンナが、マリアたちとシメオンのやり取りを見かけます。彼女は10代後半に結婚し、7年間という短い結婚生活の後、夫を亡くし、20代からはずっと独身生活を貫いていて、このときはもう84歳でした。女預言者という立場で、当時どんな働きをしていたかは定かではありません。あるいはやもめとなってから、ずっと神殿に通って礼拝を捧げ続け、断食と祈りを繰り返すような敬虔な女性に神様が最後の預言者としての役割を与えたということなのかもしれません。彼女は生涯の終わりに、もっとも重要な預言をすることになります。

38節の終わりで「エルサレムの贖いを待ち望んでいたすべての人に、この幼子のことを語った」とあります。

エルサレムの贖いというのも、イスラエルの慰め同様、当時のユダヤ人が待ち望んでいた神の王国の再建と結びついています。そして王国の再建をもたらすキリストがお生まれになったということを人々に語ったのです。彼女の預言が人々にどんな反応を引き起こしたかは記されていません。また、実際にイエス様が人々の前に出て教え始めるまで30年の空白がありますから、それまでに人々がアンナの預言をどの程度記憶していたか、エルサレムの外にまで拡がったのか、そのあたりも全く分かりません。もしかしたら30年後イエス様が人々の前で教え始める頃にはシメオンの預言も、アンナの預言は忘れられていたかもしれません。

しかしながら、羊飼いたちの証言に続き、神を畏れ敬って約束の救い主到来を待ち望んでいた二人の老人の証言によって、約束のキリストが誕生したことが証されました。しかしその救いは、今はまだ赤ん坊のイエス様の将来の十字架の苦しみを通して、信じる人々が立ち上がることができると告げられました。このことは私たちにとってどんな意味があるのでしょうか。

テオフィロも初代のクリスチャンたちも、そして私たちも、イエス様の十字架の苦難も復活もすでに知っています。イエス様が、私たちを立ち上がらせるためにその苦難を引き受け、十字架で死なれ、よみがえってくださいました。私たちはすでにその死とともに復活のいのちにもあずかっています。ルカが福音書を通して私たちに示そうとしていること、神様がルカを用いて気付かせようとしていることは、神のご計画がこのようなものだったということを理解させるためだけでなく、実際に私たちがイエス様の十字架の御苦しみと復活を心に刻み、私たちが立ち上がれるためです。

私たちはイエス様の前にして倒れる者ではなく、立ち上がる者です。自分の罪深さに気付いたり、弱さに打ちのめされて倒れたり、遜らされるかもしれませんが、それで終わらず、罪の赦しをいただき、立ち上がることができるように復活の力をいただいています。

疲れることも、心が弱くなることも、信仰に迷いが生まれることも、生活の中に罪が忍び込むこともありますが、私たちは打ちのめされて終わりではありません。イエス様を死者の中からよみがえらせた力で立ち上がれるようにと、イエス様はおいでくださいました。そのことを信じて、新しく力を受け取り、また今日も新しい日を歩んでいきましょう。貧しい者、年老いた者を見捨てず恵みと栄光を見せてくださった神様は、私たちにも同じように恵みと栄光を見せてくださいます。

祈り

「天の父なる神様。

幼子イエス様が経験されたこと、イエス様について語られたことばを通して、イエス様が誰のために来られ、何のためにおいでになったのか改めて学ぶことができました。イエス様はまさに私たちのために、私たちが立ち上がるためにおいでくださいました。しかもそのために十字架での苦しみをお受けくださいました。

私たちのために十字架で死なれたイエス様が、よみがえられた方であり、その力を私たちに注ぐと約束されたことを信じて、今日も立ち上がることができますように。私たちの心、体でその御力を味わうことができますように。

イエス様のお名前によって祈ります。」

2025-10-05 有用な者になっていく

2025年 10月 5日 礼拝 聖書:マルコ14:43-52

 どんな仕事でも、熟練した者になるためには失敗を含むたくさんの経験を積むことが必要です。それは家の中の細々とした家事であれ、宇宙ロケットを作る技術者であれ同じです。

今日は第一主日ですので、ちょっとルカの福音書から離れ、「一人ひとりが恵みの器」という今年度の主題に関連した人物を取り上げたいと思います。

聖書に登場する人物たちは、信仰の父と呼ばれたり模範となる人であっても、数々の失敗をしながら経験を積んだ人たちです。今日開いている箇所には一人の名前の分からない青年が登場します。

最後の陪餐の後、ゲッセマネの園での祈りを終えた時に、裏切り者のユダに率いられた暴力的な群衆を前に、裸同然で逃げ出した青年です。今日、多くの聖書学者が、これは福音書を記した著者自身、つまりマルコが自分のことを書いたのだと考えています。

もしそうなら、いったいどのようにして彼は福音書を記すような人物にまでなれたのでしょうか。続きを読む →

2025/09/28 今もこの時も

2025年 9月 28日 礼拝 聖書:ルカ2:1-20

 今日もまたクリスマスの時に読まれる、まさにイエス様誕生の場面になります。

飼葉桶に寝かされた赤ん坊のイエス様、野宿していた羊飼いたち、天使のお告げと天の軍勢の賛美、マリアとヨセフのもとに駆けつける羊飼いたち。これらの物語は、世の中に賑やかで商売根性丸出しのクリスマスとは一線を画す、穏やかで静かな、温かく恵みに満ちた物語として毎年思い起こすだけの価値があります。

ですが、前回もお話したように、ルカはイエス様誕生にまつわる出来事を季節の行事を飾るものとして読むために書いたわけではなく、クリスチャンが福音の確かさを確信する助けになるようにと書いたものです。

そのような意図を念頭に置いて読む時、今日のお話も、また違った面が見えてくるのではないかと思います。

ではご一緒にイエス様誕生の場面を改めて味わってみましょう。

1.歴史の中で働く神

イエス様がお生まれになったのは、ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスの時代です。歴史好きな人にはおなじみの名前です。

聖書は歴史的な背景をとても大切にしています。様々な教えが歴史的な背景や具体的な状況の中で書かれたり説明されています。そしてルカはテオフィロに福音の確かさを確信してもらうために、イエス様の物語が、架空のお話ではなく、誰もが良く知っている歴史の舞台の上で繰り広げられたことを知っておく必要があると考えました。神様は旧約時代も、新約時代も、変わらずに、歴史の中で働かれる神様です。

ローマが民主的な共和国から皇帝が統治する帝国になって最初の皇帝がアウグストゥスでした。イエス様が誕生した頃のユダヤの住民登録に関する直接的な記録はまだ見つかっていませんが、ローマ支配下にあったエジプトでは紀元20年から70年まで、14年毎に住民登録が行われていた記録が残されているそうです。紀元前14年から皇帝になったアウグストゥスは、国のあり方を変え、支配体制を再編するために帝国全体の状況を詳しく知る必要がありましたので、各州に住民登録を命じたようです。そういえば日本でも今年は国勢調査が行われます。やり方は違いますが、だいたい同じ目的です。

普通のローマ人は住んでいる町で住民登録をすれば良かったのですが、ユダヤ人に関しては特殊な方法が採られました。おそらく各部族に割り当てられた土地ということを大事にする民族感情を利用したのだろうと言われています。

そしてこのことが、ガリラヤ地方というユダヤの北西部にあった田舎のナザレに暮らしていたマリアとヨセフが、いかにしてダビデの町ベツレヘムで救い主が誕生するという預言を成就することになったかの説明になっています。

ダビデの子孫であるヨセフとマリアは、ベツレヘムに戻る必要がありましたが、そこにはもう親類縁者はいません。しかし住民登録となれば戻らざるを得ません。しかも、住民登録はヨセフだけが行って手続きをすれば良いはずですが、マリアを連れて行くことにしました。5節に「身重になっていた、いいなずけの妻」という表現があります。私たちは彼女が聖霊の力によってイエス様を身籠もったことを知っていますが、まだ正式な結婚が成立する前の婚約期間中に身重になったことは、当時は非難の的になり得たことですし、聖霊によって子を宿したという説明をいったいどれほどの人が信じてくれたでしょうか。おそらく多くの人は下手な言い訳だ、あるいは神を冒涜する言い訳だと思ったことでしょう。ヨセフは自分が留守の間、身重のマリアがどんな目に遭うか心配で、大変だけれど一緒につれて行ったほうが良いと考えたのかもしれません。ともかく、二人して、ナザレからベツレヘムへと旅をしたのです。

旧約聖書のミカ書5:2にはベツレヘムに対して「あなたからわたしのために イスラエルを治める者が出る」と預言されています。神様はこの預言を成就するために、ローマ皇帝や、ユダヤ人の人口調査を担当したヘロデ大王の心を動かしてこのような状況を作りました。そのようなことができるお方なのです。

そしてイエス様の生まれた状況とその後に続く羊飼いたちの場面は、マリアとザカリアの賛歌の内容と響き合っています。

2.貧しい者のために

6~7節のイエス様誕生の場面は、イエス様が貧しい者、立場の弱い者としてお生まれになったことを印象づけます。

ヨセフにとっては先祖の町であるベツレヘム、ダビデ王に所縁のある町ですが、泊めてくれる親戚はおらず、宿屋にも二人のいる場所はありませんでした。

マリアとヨセフが宿とした場所、イエス様が生まれた場所が馬小屋や家畜小屋と言われるのは、生まれたばかりのイエス様が寝かされたのが飼葉桶だったからですが、聖書には馬小屋とは書かれていません。洞窟を利用した家畜小屋だったという人もいれば、宿屋に付属した家畜小屋だったという人もいます。また貧しい人の家にありがちな、住居と家畜小屋が同じ屋根の下にあるような場所だったという人もいます。

しかしルカが注目しているのは、生まれた場所よりも、置かれた状況です。肝心なのは、救い主がお生まれになるというのに、その両親であるマリアとヨセフには居場所がなかったということです。お腹の大きな女性が目の前にいるのに、誰も自分のところに招かなかったということは、マリアとヨセフだけでなく、お腹の赤ちゃんをも拒絶したということです。現代の私たちが読むと、妊婦がいたら誰かがここに来なさいとスペースを作ってくれそうなものです。いくら世知辛い世の中になったと言われても、それくらいの親切心が残っている人はまだまだいるように思います。なぜマリアとヨセフのために誰も部屋を空けてくれなかったのか、譲ろうとしなかったのかは分かりません。ルカが注目しているのはその理由ではなく、その状況そのものです。救い主は神の御国、神の王国の王位につく方なのに、居場所がなく、最も貧しい場所で生まれなければならなかったということに重要な意味を見出したのです。この点はヨハネの福音書でも注目しています。1:11で「この方はご自分のところに来られたのに、ご自分の民はこの方を受け入れなかった。」と記しています。この世界を治めるはずの方が、受け入れられて当然の世界で居場所がなく、最も貧しく、身分の低い者のように過ごさなければなりませんでした。

先週開いた箇所で、マリアの賛歌と呼ばれる歌の中で、マリアは自分を「卑しいはしため」と呼び、主が最も貧しい者、身分の低い者に目を留めてくださったように、あわれみによって多くの貧しい者、低くくされている者に目を留め、引き上げるために救い主がおいでになる。それがアブラハムに主が約束されたことで、主はそれを忘れてはおられなかったと歌いました。

その歌と響き合うように、イエス様は最も貧しく、低くされた者として生まれたのです。

ある時耳にしたショッキングな言葉は、とあるノンクリスチャンの口から出たものです。その人は教会というのは上等な人の行く所だと思っていた、自分には似合わないということでした。

言い方は少し違いましたが、そういう意味合いのことを言っておられました。田舎者とは違う上品さ・ちょっと良い服を着られるくらいのゆとり・言葉遣いが少し都会っぽい・話し方が賢そう。何か、自分たちの場所じゃないと感じたようでした。もしクリスチャンや教会がそういうイメージを醸し出しているとしたら、イエス様の姿に私たちは立ち返る必要があります。

3.罪人のために

貧しい者、低くされた者たちのための王の誕生、救い主の到来というテーマは、次のベツレヘム郊外での出来事にも続いています。救い主は、罪人とされた人たち、のけ者にされた人たちのための王でもあります。このテーマは先週見たザカリアの賛歌と響き合っています。マリアの賛歌は貧しい者、低くされた者への神の哀れみに焦点が当てられ、ザカリアの賛歌では罪ある者の贖いと新しい生き方へと導く神の哀れみに焦点が当てられていました。

なぜベツレヘム郊外の出来事が罪ある者へのあわれみというテーマなのかというと、当時の羊飼いたちの扱われ方にポイントがあります。

羊飼いは多くの場合、羊の所有者から羊の群を預かって世話をします。動物相手の仕事ですから、安息日だからといって仕事を休むわけにいかず、それが宗教指導者たちからは「律法を守らない、不信心者」と見なされていました。また羊の群の食べる草や飲み水を求めて山地を歩き回るのですが、そのとき誰の土地かなんてあまり気にしませんでしたので「信用ならない者たち」と見なされていました。ですから裁判では羊飼いは証言者として認められていなかったほどです。

エルサレムやベツレヘムの均衡で飼育されていた羊は、そのほとんどが神殿で神様への献げ物とされていたそうですし、革や脂肪、肉などはどれもが生活に欠かせないものでした。まさに衣食住、そして宗教生活に欠かせない羊の世話をしてくれる羊飼いたちなのに、尊敬されるどころか、罪人のレッテルを貼られ、信用できない者としてのけ者にされていました。羊の世話のために街から離れた荒野にいましたが、社会的にも人々から遠ざけられていたのです。実際には正直で信仰深い羊飼いたちだっていたでしょうが、どの世界でも見られる偏見と差別によって罪人とされていたのです。

マリアが赤ちゃんを出産したその夜、ベツレヘム郊外にはそんな羊飼いたちが野宿をしながら羊の群を飼っていました。そこに突然、主の御使い、天使が現れて辺り一帯を主の栄光が照らしました。突然の出来事に羊飼いたちは恐れましたが、マリアやザカリヤに天使が現れた時と同じように「恐れることはありません」と語りかけ、安心させようとします。そして御使いは彼らに大事なことを告げました。この知らせは民全体への良い知らせだということ。その内容は、今日ダビデの町、つまりベツレヘムで「あなたがたのために」救い主が生まれたこと、この方こそキリストだということ。そしてその赤ん坊を見つけるための目印を教えました。

さて御使いの言葉の重要な点は、やはりこの出来事が主キリスト、つまり神の救いのご計画の中で約束され預言されてきたことの成就であるという点と、羊飼いたちに向かって「あなたがたのために」と言っていることです。宗教指導者たちは羊飼いたちに対して、あなたがたはキリストの救いからは遠いと言ったでしょうが、御使いはキリストは「彼らのための救い主」ではなく「あなたがたのための救い主」だとはっきり言ったのです。

数えきれないほどの御使いの軍勢が現れて神を賛美する驚愕するような光景を目撃した後で羊飼いたちはすぐに立ち上がり、ベツレヘムへ走って行って、すべてが御使いの告げた通りであることに再び驚き、神を称えながら群のもとへと帰って行くのでした。

適用:今この時も

さて、御使いが羊飼いに告げた「大きな喜びを告げ知らせる」とは、当時の教会が「福音を宣べ伝える」と言う時の言い方と同じでした。彼らこの物語を聞いた時、初めて福音を聞いてイエス様が自分の救い主としておいでになった方であることを知った時のことを思い出したことでしょう。あるいは自分たちが誰かに良い知らせとして福音を伝える時の状況を思い浮かべていたかもしれません。

そして救い主が来られたことの最初の証人として選ばれたのが、当時、証言者としては最も相応しくないと考えられていた羊飼いだったということに、驚きとともに、神様が福音宣教のためにどういう人たちを用いるか、考えさせられたことでしょう。

現代と変わらず、初代教会も、福音を宣べ伝えるには、雄弁さや豊富な聖書知識、深い聖書理解、立派な身なり、堂々とした態度が必要だと考える人たちは結構いたようです。実際、パウロのしゃべり方、態度について文句を言い、使徒らしくないと非難する人たちもいたほどです。ユダヤ人からユダヤの伝統を守っていることを強調すべきだとも圧力がかけられ、ギリシャ人から古代ギリシャ哲学の学問的な対話と渡り合うような知性を求められました。

しかしパウロは、ユダヤの宗教的伝統はキリストの救いとは何も関係ないし、学問的な知恵や雄弁さよりは、十字架しか知らない愚かな言葉で福音を語るのだと言っています。

そして、実際の福音宣教の現場で福音を証ししたのは使徒たちよりも、普通のクリスチャンたちでした。そうでなかったら最初の3世紀で教会がローマ帝国中に拡がることなど無理でした。

しかし、やはりクリスチャンの中には自分が福音の証人として相応しいか疑問を持つ人もいたのです。奴隷の立場であることを気にする人もいたでしょう。学問がないことに引け目を感じる人もいたでしょう。あるは過去の行いが人からの非難の的になるのではと心配する人たちもいたに違いありません。もちろん、クリスチャンとしての生き方が未熟で自信が持てないこともあったでしょう。

しかし、約束のキリストがお生まれになったという、とても大事な知らせの最初の証人として選ばれたのが、羊飼いたちだったということに、神様の豊かな知恵が隠されていました。常識的に考えたら最も相応しくないと思われる人を用いることで、この福音がどんな人たちのためのものであるかを際立たせているのです。

今日、福音宣教や教会運営を専門家と見なされる人たちに任せ、一般のクリスチャンは日曜日、礼拝に参加して、説教を聞いているだけというのが殆どの国々では教会はどんどん廃れています。一方で最も福音宣教が盛んに行われている国々では、福音宣教の最前線に立っているのは普通のクリスチャンたちです。牧師たちでさえ正規の教育を受けて教会から給料をもらっているのは全体の1%に過ぎません。それでも福音は証され、教会の交わりは広がります。

私たちは羊飼いの証言がどういうものだったか、もう一度考えるべきです。彼らは、自分たちが見て経験したことが御使いの言った通りだった、ということを人々に語りました。そこに何の知恵も学問も専門性もありません。罪が赦されたこと、慰めを受けたこと、希望が与えられたこと、人生が新しくなったこと、それぞれが、イエス様を信じて見て、確かに聖書が語っていたとおりだったと思うことがあるなら、それを語ることが福音の証になるのです。

今も、この時も、キリストの良い知らせは羊飼いたちのような者たちに託されているということを、心に留めましょう。

祈り

「天の父なる神様。

貧しい人たちの間に、罪ある者とされる人たちのもとに、救い主としておいでになったイエス様。その喜びの最初の知らせが羊飼いたちに託されました。

私たちは自分の能力や立場、生活を考えて、相応しくないと考えがちですが、救いは相応しくない者にこそ与えられる恵みです。私たちが羊飼いたちのように、イエス様が私たちの救いの為においでになってくださったという知らせを聞いた者です。自分が信じて、見て、聞いたことを喜んで証するものとしてください。

イエス様のお名前によって祈ります。」

2025-09-21 この喜びは誰のため

2025年 9月 21日 礼拝 聖書:ルカ1:39-80

 「みんなで分けて」と言って手渡した贈り物を、受け取った人が誰にも渡さず、独り占めしたら、贈り物を贈った人はどう感じるでしょうか。

福音は、誰かと分け合うために私たちに届けられましたが、今日の問題は、誰かと分け合うために届けられたということが教えられていないか、理解されていないため、喜びがその人の内で留まってしまっていることです。そして喜びというのは、次の誰かに手渡されないと消えてしまうものです。

今日の聖書箇所は56節まで読んでいただきましたが、80節までを取り上げたいと思います。

ルカは、この箇所で二つの喜びの歌、賛歌を記しています。一人はイエス様のお母さんになるマリア。もう一人はヨハネの父となるザカリアです。マリアは御使いのことばを信じ受け入れ、ザカリアは同じ御使いのことばを信じられず口が利けなくなっていましたが、どちらも主を称える賛美を歌いました。そして二つの賛美が生まれる舞台を整えたのはヨハネの母となったエリサベツです。

これらもクリスマス近く、アドベントの頃に読まれる箇所ですが、クリスマスの雰囲気に流されることなく、少し冷静にというか、客観的にみことばを味わい、神様がルカを通して語ろうとしたことに耳を傾けたいと思います。続きを読む →

2025-09-14 あなたのおことばどおりに

2025年 9月 14日 礼拝 聖書:ルカ1:5-25(38)

 だいぶ涼しくなりましたが、ちょっと気を抜けば暑さが戻ってくるような時期に、今日のような箇所を開くのはちょっと季節外れのような気もします。いつもならクリスマス近くに開かれるような箇所ですが、今日は二つの「受胎告知」と言えるような出来事を取り上げます。読んでいただいたのは25節までですが、38節まで見ていきます。

クリスマスを祝う習慣はずっと後になってから出来たので、ルカはクリスマスや季節の行事とは全く別の意図でこの場面を最初のエピソードとして取り上げました。4つある福音書の中でルカだけが取り上げたのは、バプテスマのヨハネとイエス様がどのようにして誕生にいたったのか、二人の親となる人たちはその出来事にどのように反応したのかを描くことで、福音書を受け取ったテオフィロや今日の私たちに考えて欲しいことがあったからです。

今日はご一緒に、赤ちゃんを身籠もるというお告げを受け取ったゼカリヤとマリアに注目していきましょう。続きを読む →

2025-09-07 医者ルカの仕事

2025年 9月 7日 礼拝 聖書:ルカ1:1-4

 クリスチャンとしての生活、また教会の働きや活動について迷いが生じるときがあります。その迷いには真理そのものに対する確信の揺らぎ、たとえばイエス様による赦しは本当に確かなのかとか、イエス様は本当に復活して生きているのか、といった信仰の根本部分に対する確信が揺らいでしまう場合があります。また、自分たちの生き方、やり方が聖書の教えにちゃんと乗っ取っているのかどうか迷いを感じる場合もあります。

私たちの教会について言うならば、会堂の整備をどうしていくかというある種の迷いの中で話し合い、見逃してはいけない事柄があることを確認したと思います。教会とは何なのか、何のためにあり、何をするものなのか、ということを共有できないと、お金を掛けて会堂を直したり、あるいは建て上げたとしても無意味になったりちぐはぐになってしまうということになります。

そこでしばらく、ルカの福音書と使徒の働きを通して、信仰や教会の確信とは何であるのかをじっくり学び直したいと思います。

1.医者ルカ

今日は9月の第一週でもあり、今年度の主題「恵みの器」とも重なる、医者ルカの仕事に注目したいと思います。

実のところ、どの福音書も本文の中に著者の名前を書いていません。マタイもマルコもヨハネもです。そしてルカの福音書の中にはルカという名前すら出てきません。それでも教会のごく初期の時代から、この福音書と使徒の働きは、医者ルカによって記されたと言い伝えられ、そのように認められて来ました。

しかし、単にそういう伝承があるからというだけでなく、聖書のいくつかの手がかりから、医者ルカが二つの書物の著者であることはほぼ確かだろうと言えます。「ほぼ」と言わざるを得ないのは、やはり本人が名乗っていないからですね。

ルカの福音書と使徒の働きは文章がとても良く似ています。使っている言葉の傾向や文体、両方に流れている考え方、関心といったことが共通しており、両方とも「テオフィロ」という人に宛てられている、ということから、二つの書簡が、上下巻セットで一つになるものとしてはじめから意図されて書かれたと言えます。

そして、なぜそれがルカだと言えるかというと、使徒の働きの途中、16:11から主語が「私たち」に変わっていること。つまり、それ以前のことは調査や聞き取りをまとめたもので、16:11以降は著者自身が実際に見たり聞いたりしたことだということです。それはちょうどパウロの宣教がアジアからヨーロッパへ移って行く時期で、ローマに着いたところまでなのですが、その時期にパウロに同行した人物を調べていくと、医者ルカが浮かび上がって来るというわけです。

ルカの名前はコロサイ書とピレモンへの手紙に愛する医者、同労者として出てきます。この二つの手紙はパウロがローマで軟禁生活を強いられている中で書かれました。68年春に処刑される約半年前に記された第2テモテでは最後までパウロと行動を共にしていた仲間としてルカの名前が挙がっています。

こうしたことから3番目の福音書と使徒の働きは、同一人物、医者ルカによって書かれたと考えられており、それで間違いないと私も考えています。しかしながら、ルカは自分のことについては何も書いていません。

ルカがどのようにして医者を志したのか、どんな医者だったのか。またどういう経緯で福音を聞き、パウロと行動を共にするようになったのか、何も分かりません。ルカがパウロと行動を共にするようになったのは使徒の働き16章で、アジアでの宣教の扉が閉じられ、幻の中でマケドニア人の助けを求める声を聴いて、聖霊の導きを確信してギリシャのマケドニアに渡るときです。16:10で「パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニアに渡ることにした」とあるので、ヨーロッパに宣教のエリアを拡げる決断をしたその場面にルカもいたことが分かります。

ルカ1:3には、ルカが当時教会を通して宣べ伝えられ、教えられていることを綿密に調べ、順序立てて書こうとしていたことが伝えられています。使徒の働きを読んでいくとルカが医者らしい仕事をした形跡はありません。実際にはしていたのかもしれませんが、それよりも彼は宣教の働きを記録し、イエス様の教えと働きについて調査しまとめることを自分の務めと考えていたのです。

2.テオフィロの迷い

さて、ルカの福音書と使徒の働きは、同じ一人の人物に宛てて書かれています。昔の文学の作法では、献呈といって、個人や組織に敬意を表して贈呈する際、こうした序文の中に名前を記すことがありました。

ルカはその作法に則って書いていますが、しかしこれは決して形式的なものではありません。テオフィロがどういう人物であったかはほとんど分かりませんが、ローマの碑文や文献にたびたび出て来るような、よくある名前の一つですし、「尊敬するテオフィロ様」という書き方から、ある程度社会的に地位のある人であろうことは分かります。4節に「すでにお受けになった教え」とあるように、テオフィロもまた、福音を聞いてイエス様に従うクリスチャンになった人であることが分かります。

ルカはこのテオフィロに対して「すでにお受けになった教えが確かであることを、あなたに良く分かっていただきたいと思います」と執筆の目的を書いています。

テオフィロに敬意を払って書かれたものであり、形式的にはよくある献呈の書き方にはなっていても、彼の信仰に触れ、すでに信じているはずの福音と教えについて「確かであることを、あなたに良く分かっていただきたい」と、テオフィロを強め励まし、教える意図を持って書いたことが分かります。もちろん、テオフィロ一人のために書いたのではなく、これが広く諸教会で読まれることを意図していたことは内容を読んでいくと分かるのですが、それでも、テオフィロが抱えている疑問なり迷い、あるいは曖昧な理解にとどまっていることをクリアにして、はっきりした理解と確信を持って信仰の歩みをしてほしい、教会の建て上げのために貢献して欲しい、そんなルカの強い願いが込められているのです。

ルカの福音書と使徒の働きがいつ書かれたかははっきりした年代が分かりません。ただ、使徒の働きの最後は裁判のためにローマに到着し、自費で借りた家に住み、軟禁状態になっているところで終わっていますから、少なくともそれ以降に書き終えたことになります。そしてパウロはローマ滞在時にエペソ、コロサイ、ピレモン、ピリピの各書を書き、その前には第一次伝道旅行を終えた後にガラテヤ書、第二次伝道旅行中にテサロニケ第一・第二、第三次伝道旅行中にコリント第一・第二、ローマ書を書いています。伝統的にはエルサレムが崩壊した70年頃にルカの福音書と使徒の働きは書かれたと考えられていますが、その頃までにはテモテやテトスへの手紙も書かれました。

つまり、ルカの福音書と使徒の働きは、諸教会で福音が伝えられ使徒パウロがキリストから受けた教えとして書き送った手紙がどういう歴史的な経緯の中で記されたかが明らかにされているのです。

それらの手紙を見ていくと、当時のクリスチャンたちが直面した問題や陥りやすい間違いなどが少し分かって来ます。

私たちはイエス様について何を信じるのか、そしてこの世界に対する神のご計画は何であり、教会はどのようなもので、どんな役割があるのか、ということがテーマになっています。

パウロはそうした問題に教えることで対処し、ルカはイエス様と教会の歴史に表れた神の御心を明らかにすることで解決しようとしたのです。

3.確信を持つように

テオフィロ以外のクリスチャン、諸教会に読んでもらうことを想定していたとしても、まずはテオフィロという個人に、福音の教えが確かであることを確信してもらうために、これだけの文書のために何倍もの調査、聞き取り、研究を重ね、構想を練り、下書きをし、聖書をするのにいったいどれほどの時間をかけたのでしょうか。普段、パウロや仲間たちと共に旅をし、働きをしながらこれらのことをやり遂げたというのは、いくら聖霊の助けがあったとはいえ、大変な労力です。そこまでしてでも、確かな確信を持って欲しいし、持ってもらわなければ困るとルカは考え、断固とした決意をもって取り組みました。

なぜそうする必要があるかというなら、信仰の確信を揺るがすような状況があり、実際信仰から離れたり、教会の交わりから遠ざかったり、道から外れる生き方をする人たちが現実にいたからです。

手紙を見ていけば、当時の迫害やユダヤの伝統的な理解に基づいた間違った教え、ギリシャやローマの哲学や宗教の影響を受けた間違った教え、道徳観、価値観などによって惑わされ、使徒たちや他のクリスチャンたちから聞いた教えから外れたり、歪んで解釈すると、それは個人の信仰の問題に留まりません。

私たちの心の中で迷いや疑い、間違った理解が支配的になると、私たちの言葉、態度、行動が悪い方に変わったり、行き当たりばったりになります。それはすぐに個人の問題から身近な家族との関係に影響を及ぼし、教会の兄弟姉妹や地域、社会の人間関係にも影響を及ぼすようになります。

神の恵みと救いについて間違った教えに影響されたガラテヤのクリスチャンたちはとても律法的でぎすぎすした教会の交わりを作ってしまったし、キリストの再臨について間違った理解をしたテサロニケのクリスチャンたちは不安にさいなまれる者や仕事なんかしててもしょうがないとフラフラした生き方をしました。愛と自由について誤解したコリントのクリスチャンたちは、未信者の間にも見られないほど不道徳な行動をしたり、たえず交わりの中に分裂や争いを起こし、仕えるべき主人を軽んじる者も出てきました。

もちろん私たちは人間ですから、福音を正しく理解し、教えについて確信を持っていたとしても、それでも間違うこと、道を踏み外す可能性はあります。私たちは自分の中にある罪の力や外から来る誘惑の力をあなどるべきではありません。なおさら、私たちが信仰の確信を持っていなかったら、そうした罪の力や誘惑の力にどのように対抗できるでしょうか。未完成の船を絶えず波風にさらされる外海に出すようなものです。見かけは立派にできたとしても、骨組みがちゃんとできておらず、各部品もしっかりとつなぎ合わされないままなら、ちょっと波が来ただけでひとたまりもありません。

なぜ同じように人生に試練や困難があっても、信仰によって勇敢に乗り越える人と状況に流され信仰を失ってしまうような差が生じてしまうのでしょうか。イエス様は喩え話しを通して、イエス様のことばを聞いても、聞き流す人は砂の上に家を建てるようなものだと言われました。川の水が押し寄せると押し流されるように、土台がしっかりしていないから酷い壊れ方をするのです。厳しい指摘ですが、本質的な問題をついているのではないでしょうか。

適用:注意深く聖書を読む

さて、今日の箇所から私たちは何を学べるでしょうか。恵みの器という大きなテーマの中で考えるなら、医者であったルカが、おそらく医者としての知識と技術を使って働きながらも、福音宣教のために自分にできることを通して献身した姿は大いに考えさせられます。

だれもがルカが誓書の一部を書き上げるような大きな仕事をするよう召されているわけではありませんが、誰もがその人なりの仕方で福音宣教に貢献するよう召されています。私たちは自分のうちにある志や関心、能力などを手がかりに見つけ、献げていくよう励まされ、促されています。

一方、この箇所自体が語っていることから私たちが考えるべきことは、注意深く聖書を読んで、私たちの信仰、生活、教会の交わりや働きが、聖書の教えにしっかり立っているかよくよく吟味する必要があるということではないでしょうか。

テオフィロは、恐らく聞いて学んだことに留まっていましたが、他の何かに惑わされて迷うか疑いはじめるかしていたのでしょう。それからおよそ2000年経って、様々な歴史や文化を越えて福音を受け取った私たちは、正しくイエス様の教え、使徒たちの教えを受け取っているかも吟味する必要があります。

以前、エペソ書を学んだ時にも気付かされたことですが、初代教会において関心が払われ、熱心に教えられている内容と、今日私たちが話し合いの場で議論する内容にはずいぶん大きな開きがありました。何か大きなずれがあるのかもしれません。

私たちは自分たちがやっていることが本当に聖書が教えていることなのか、それとも文化として受け継いでいることなのかを区別しなければなりません。

先日、講壇交換で花巻めぐみのマーク先生がおいでくださいましたが、その打合せをしているとき、マーク先生は「祝祷が苦手です」と言う話しを聞きました。どういうことかとよく聞いたら、イギリスでは礼拝で祝祷をすることがないというのです。しかも、大げさに両手を挙げて儀式っぽく祈ることは、とても抵抗があるというのです。日本のクリスチャンたちはそれを期待するのでやっていますが、慣れませんということでした。案外「聖書的だ」と思っていることが、実はあまり根拠がなかったり、文化的な遺産でしかないことは多いのかもしれません。

私がルカの福音書と使徒の働きを学び直してみようと考えさせられた大きなきっかけは、47年前に建てられた会堂をどうしたらいいかという関心からでしたが、建物がどうあるべきかについての聖書の原則というものはありません。しかし教会はどうあるべきか、信仰とは何かということなら、聖書の中に記されており、それはルカにとって重要な関心事でした。神様はルカを通して、どんな時代、文化にある教会であっても、そのあり方、働き方の根本の部分が、イエス様が教え始め、行いはじめ、使徒たちによってその意味が明らかにされたものと同じ道を辿ることを願っておられます。

ルカの福音書は新約聖書の中でも最も長い書物ですし、それに加え使徒の働きもあるとなると、ずいぶん長い道のりになりますが、注意深く学び、自分たちのあり方を見つめ直し、新たな光を当てていただくことを期待しましょう。

祈り

「天の父なる神様。

医者であったルカが福音宣教のためにパウロとともに旅を始め、聖霊の導きのなかで一人の人が信仰の確信を持てるようにと、福音書と使徒の働きを書いたことを学びました。

単にその事実でなく、大きな犠牲を払ってでもそのために労苦したルカの働きを覚えるとき、私たちもまた自分たちの歩みの土台がどこにあるのか、しっかりイエス様と使徒たちに結びついているのか、よく学び、吟味すべきことだと教えられます。

教会の将来について考えるべき時が来ている今、どうぞ、状況に振り回されて焦ることなく、良いお方であるあなたに信頼しつつ、しっかりと学び吟味することができるように助けていてください。

イエス様のお名前によって祈ります。」

2025-08-31 あなたの行く道すべてで

2025年 8月 31日 ファミリー礼拝 聖書:箴言3:5-6

 今日は、人生の変わり目にどう生きるか、ということを箴言のことばを通してご一緒に考えていきたいと思います。

箴言3:5-6のみことばを知ったのは、高校生くらいのことだったと思うのですが、それ以来、「座右の銘」のようにことあるごとに思い出し、特に、いろいろと迷うことの多かった青年時代は心の支えというか道を照らす光になっていたなあと振り返ることができます。

私たちは人生の道のりの中で、思いがけない分かれ道や曲がり角につきあたり、どの道を選ぶのが良いのか、選んだ道が正しかったのか迷ったり、分からなかったり、選べずに立ち止まってしまったりすることがあります。また選んだ道が正しいと信じていても実際に歩み出したら非常に歩きにくい、躓いてばっかりということもあります。

そこで今日は、箴言のみことばを通して、どんな道を歩むことになっても確信を持って歩めるための知恵を学びたいと思います。

1.主に頼る

まず5節に注目しましょう。まずは主に拠り頼むことが教えられています。

「心を尽くして主に拠り頼め。/自分の悟りに頼るな。」と戒めとともに教えられているように、私たちは人生の道のり、日々の生活の中で、主に頼らず、自分の悟りに頼ることの多いものです。

しかし、自分に悟りに頼ることと、主に拠り頼むことの正確な意味は何でしょうか。何事も自分で判断せず神の導きに頼ることだと単純化した言い方をしてしまうと、神に信頼するという信仰と、日々の暮らしの中で良く考えたり、深く洞察して判断したり、決断するといったことがかえって分断されてしまいます。

やっぱり、私たちは生きて行くため、行動するために、自分で考え、判断し、決断しなければなりません。問題は、そうした考えや判断の土台を何に置くかです。「自分の悟りに頼るな」は「自分の理解に寄りかかるな」と訳すことができますし、いくつかの翻訳ではそのように訳されています。

「悟り」というとずいぶん高尚な感じがしますが、「自分の理解」となれば、確かに常識だったり、思い込みだったり、誰かの影響を受けた考え方やその時の気分、あるいはそれまでの経験や実績、または自分の願望などに基づいて考えたり、判断したりすることがあるのではないでしょうか。

例えば、最近教会で大きな課題になったのは屋根や外壁の修繕をどこまでやるのか、ということでした。最初、屋根はやろうということで見積を始めたら思った以上に費用がかかりそうで、それなら長く考えたら外壁までやってしまうほうが良いんじゃないかと、私の考え方が変わりました。そこから新たな見積を取って、そこでもう一度考えた時、お金の問題もありましたが、役員の皆さんと話している中で気付かされたことは、教会にとってもっと重要な一致や次世代に何を遺すのか、という視点で考えることでした。それで今回のような結論になったのですが、こうした考えの変化を辿って見ると、常識や計算、野心といったものに基づいて考えていたことから、主が大事にしておられることに基づいて考えるように変えられたと見ることができます。

主に拠り頼むということは、何も考えずにお任せするということではなく、主が大切にしていることや主が教えていることを頼りにして考えたり判断することだ、というふうに言えます。

2.行く道すべてで

次に「あなたの行く道すべてにおいて、主を知れ」と聖書は語りかけます。

主を知れとは、単に知識として主の存在を知るとか、神についての知識を増やすということではありません。主との交わりの中に生きることです。私たちの日々の歩みが神とともにあるような生き方であること、神様が私に願っていることをいつも覚えながら生きることです。

そして私たちの人生は決して一本道ではありません。様々な分かれ道があり、どの道を辿るかはその時々の判断です。しかし、私たちの人生は道の先になにがあるか運任せでどこへ行き着くか分からないものではありません。むしろ、帰るべき家に帰る道のりのようです。時には工事中で別の道を行かなければならないとか、高速道路が閉鎖になって下道を通らないといけなくなるように、望んではいないけれどこの道を行くしかない、という時も人生にはあります。予定外の道だから家に帰るのをやめるなんてことはしません。だから人生も、選んだ道であれ、望んでいなかった道であれ、今歩んでいる道のりの中で、主に信頼して歩むことに集中しなさいということです。

退職後はこういう生活をしたいと、そのための準備もある程度して来た。でもいざその時が来たら、自分に思いがけない病気が見つかってしまった、家族に大きな変化があった、親の介護が必要になった、案外よくあることかもしれません。

また自分で選んだはずなのに、後悔したり、思っていたのと違ってがっかりしてしまうことがあるかもしれません。

私たちの予測や選択には限界があり、すべてを見通すことはできませんし、世の中にはコントロールできないことの方が多いです。ですから大事なのは、予測能力を上げることではなく、何にでも対応できる能力を身につけることでもなく、どんな道のりを歩くことになったとしても主に信頼することです。歩むその道々で、主が共におられることを信じ、その道のりの中で主に拠り頼んで暮らしなさい、ということです。

それは、どんな道を歩むことになったとしても、その道の先は主の恵みあふれるご計画の目的にちゃんと結びついていると信じることでもあります。どんな道のりを歩んでいるとしても、主がともにい続けてくださるなら、この道は主のみこころの実現に必ずつながっていると信じて生きるのです。

3.主の支えと導き

最後に、どんな道を歩むとしても主に拠り頼んで生きるなら、主の支えと導きが与えられ、結果的に真っ直ぐ歩むことができます。

多くの人たちというか、ほとんどの人たちが自分の人生を振り返った時、その道のりは決して真っ直ぐではなかったと感じるのではないでしょうか。それこそ山在り谷在りであり、デコボコした道に何度躓いたことでしょうか。分かれ道も多く、時に道を迷ってしまったりもした。そんな感想を抱く人が多いかもしれません。しかも、曲がりなりにもイエス様を信じ、信頼して生きて来たつもりなのに、それでもこんな歩みだった、ということに、自分の信仰の足りなさ、神への信頼の不十分さを思い知らされているかもしれません。

主が私たちの道を真っ直ぐにしてくださるとはどういう意味なのでしょうか。

道案内を頼まれたとき、「この道をまっすぐ行って」と言うことがありますが、実際にはカーブがあったり、途中で信号があったりしますが、道なりに進んでいけば目的地に着きます。

箴言というのは、知恵文学と呼ばれていて、覚えやすさを優先して様々な比喩的な表現が用いられます。この道に関する比喩も同じで、道がまっすぐになるというのが、曲がりくねった山間部の山道を、山を削ったり、トンネルを掘ったり橋を架けたりすることで物理的に真っ直ぐにするみたいに、私たちの人生が一切の曲がりも角も谷間もなくなり、平坦で歩きやすい人生になるとまで言ってしまうと非現実的です。

それよりも、たとえ曲がりくねったり深い谷間に下ったり高い山の急坂を上るような道を辿ることになるとしても、その道はまっすぐ天の御国につながっています。神様の祝福と恵み、栄光に満ちた素晴らしいご計画の実現につながっている、と確信できるということではないでしょうか。ジェットコースターはあまり好きじゃないですが、ジェットコースターのようでもあります。急激に曲がったり上がったり下がったりハラハラドキドキですが、必ずゴールに着くと信じているので、人はお金を払ってでもそのスリルを楽しみます。この人生も確かに栄光と祝福に富んだゴールに必ず到着すると信じられるなら、私たちの歩みは真っ直ぐになります。主が信頼する者をそのように支え、導いてくださいます。

適用:主と共にある生き方

私もこれまで小さなことから大きなことまで、人生の道のりが思ったようにいかないこと、これで良いのだろうかと迷うことがありました。しかし、振り返ってみたときに、無駄に思えたり、がっかりするような経験であっても、それらも含めて、ちゃんと今なすべきことに結びつき、ここに導かれて来たなと実感しています。そして、それはこれからも続くのだろうと信じることができています。

人生に起こってくる様々な問題において、自分だけの小さな基準で何とかしようとするのではなく、心を開いて主のみことばを受け止め、心から主に信頼して歩む時、乗り越える知恵が与えられます。それだけでなく、主がともにいてくださるという安心感をもって生きることができます。どんな道のりの中にあっても、主と共にある生き方ができるのです。

先週は二人一組になってもらい分かち合いをしましたが、今日は私と皆さんとで対話をして皆さんで分かち合いたいと思います。

さきほどの証、そしてみことばを味わいながら、自分自身の人生の分かれ道、変わり目の経験を思い出したという方はどれくらいいらっしゃいますか。その時、どのようにして歩むべき道を選んだか、うまく行った人でも、少し後悔しているという人でもお話していただける方はいらっしゃいませんか。

祈り

「天の父なる神様。

今日は、二回目のファミリー礼拝を開き、このような形で礼拝を捧げることができ、またみことばを共に味わうことができて、心から感謝いたします。

どうぞ、私たちがどのような道を歩むとも、行く道すべてに主が共にいてくださり、私たちもまた主に信頼し、主が共にいて下さるものとして生きてゆくことができますように。主が私たちの道をまっすぐにしてくださいますように。人生の変わり目、岐路に立つときもみことばを土台に判断する知恵深さを与えてくださいますように。

イエス様のお名前によって祈ります。」

2025-08-17 一人ひとりを特別に

2025年 8月 17日 礼拝 聖書:詩篇139:13-16

 3週にわたって、子どもキャンプでお話しした内容を分かち合わせていただいておりますが、今日はその3回目、最終回ということになります。

キャンプ2日目のことでした。2回目のお話しが終わって、それぞれのお部屋ごとに、聖書のお話を聞いて分かったことや考えた事を子どもたちが話し合う時間がありました。その様子をぼんやり眺めていたら、ある部屋の先生が来て、子どもから質問があったので来て欲しいと言われました。行ってみると、低学年の男の子の部屋のグループでした。質問というのはこうでした。「神様はどうしてぼくたちのことを造ったの?」。

なかなか難しい質問ですが、それは3回目のお話につながるとても良い質問でした。神様のお考えのすべて、お気持ちのすべてを理解することはできませんが、聖書を通して知りうることがあります。今日はダビデの詩篇を通して、主が私たち一人ひとりを特別に造られことを学んでいきましょう。続きを読む →