みなさん、おはようございます。
最近、刀鍛冶が日本刀を造り上げるまでの動画をよく見ます。実際には動画で流れる何倍もの作業量と熱量の中で仕事をしているはずですが、それでも熱しては鍛え上げる作業をくり返し、鉄の塊が見事な刀になっていくのはとても興味深いです。しかも、それで完成ではなく、別の専門家による研ぎの作業があり、これまた別の職人による鍔(つば)、柄(つか)、鞘(さや)などを作る工程が別にあります。ちょっとした好奇心で見始めただけでも素材から完成に至るまでは本当に多くの労力と、様々な人の協働があってのことだなということが分かります。
私たちも言ってみれば原石、素材のようなものです。様々な経験を通して訓練され、鍛えられ、また様々な人を通して形造られて完成を目指していくものです。一度や二度、鍛錬の中に引き戻されたとしても、それは当たり前といえば当たり前のこと。私たちは自分で思う以上に未熟で、未完成な者にちがいないのです。
“すべての訓練は、そのときは喜ばしいものではなく、かえって苦しく思われるものですが、後になると、これによって鍛えられた人々に、義という平安の実を結ばせます。”
ヘブル 12:11
佐々木真輝