新年のための祈り
「天の父なる神様。
新しい一年、主の2021年の初めにあたり、天地の造り主であり、父である神様、人として御生れになり私たちの救い主となってくださった御子なる主イエス様。私たちとともにあり、慰めと平安をくださる聖霊なる神様を讃えます。
すぎた一年、喜びの時も悲しみの日も、コロナ禍にあっても、共にいてくださったように、この一年も私たちと共にいてください。
私たちが祈る祈りと捧げる賛美をお聞きください。またみ言葉を通して私たちに語ってください。
教会の歩みも、主にある兄弟姉妹の歩みも、またそれぞれの家族や隣人との歩みも豊かに祝福され、実り多いものでありますように。主にあって成長し、救われる者が起こされ、主にお仕えするために立ち上がる者が起こされますように。私たちもまた、それぞれの歩みと与えられた恵みに従って主と兄弟姉妹にお仕えします。
心も体も、健康を支えてくださり、癒しと回復が必要な者にはその御手を差し伸べてください。
悪しき者から私たちを守っていてください。たとえこの世がどのような状況になっても、主がともにいてくださり、災いを恐ることなく歩ませてください。
私たちが過ちに陥り、誘惑に負けてしまうような時も、赦しの恵みを思い起こし、へりくだった心で悔い改める時、私たちに慰めと平安と、赦されている確信を持たせてください。また、心からへりくだる悔い改めの心を得させてください。
私たちの魂が弱る時、羊飼いなる主が私たちをいのちの水へと導き、休息を与えてくださいますように。
主のいつくしみと恵みとが私たちを追って来ますように。私たちも、主の家に住まい続けますように。
主イエス様のお名前によってお祈りいたします。
聖 書 詩篇21篇
「私たちは主に信頼する!」
一年が始まり、いつもなら今年はどんな年になるのかと期待もあるのですが、今年はどうでしょう。
昨年から続いているコロナの問題はまだ終わりそうもありません。今年はワクチン接種が始まるかもしれない。オリンピックはどうなるんだ。移動や会食の自粛はいつまで続けたらいいのだろう。教会の集会はどういうふうにしていったらいいのだろう。今年の夏には家族みんなで集まれるだろうか。まあ、いろいろと先の見通せないことがあります。
さて、2021年ということで、今年は詩篇21篇を開いています。この21篇は、イスラエルの王が王として即位する、戴冠式の時に用いられたものではないとも言われます。確かに、王がどうのうこうのというフレーズがよく出て来ます。
自分は王様じゃないし、我が国の指導者に当てはめるにも無理があるし、こういう詩篇はどういうふうに読んで当てはめたら良いのか困る感じがします。
しかし、あまり難しく考える必要はありません。理想的な王の姿は、やがて来られるキリストを指し示すものとして読むことができますが、今日はそのキリストに結び合わされた私たちへの祝福また約束という面から学んでいきましょう。
1.主の救いを喜ぶ
第一に、主の救いの御力を喜びましょう。
1~6節で王は主の御力を喜び、主の救いを楽しむとあります。それに応えるかのように、神様は王の望みを叶え、祝福をもって迎え、いのちを与え、純金の冠と神の栄光を現してくださいます。
ここにはイスラエルの王の、理想的な姿が描き出されいます。もしこれが戴冠式の時に歌われる賛美だったとすれば、人々は新しい王様にこのようであって欲しいと願ったでしょう。
王国時代のイスラエルの王様とは、神が約束した救い主そのものではありません。王国という国の形が、神の国の完成形ではありません。王も王国もその時代の神の民を守り導き、祝福をもたらすためのひとつの形に過ぎません。
実際のイスラエルの王の多くは、このような理想からはほど遠い人々でした。しかし、この祝福された理想的な王の姿はイエス・キリストのうちに見る事ができます。
私たちの王であり救い主であるキリストを通して、神様は祈りに耳を傾け、祝福をもって私たちを迎え、神の子とされる特権を与え、永遠のいのちとキリストの栄光と祝福で満たしてくださるのです。エペソ3:14以下を読んで見ましょう。
私たちは、このような救いをいただいているのですから、与えられた救いの素晴らしさを喜びましょう。
2.主の完全な勝利
第二に、主は完全な勝利を与えてくださいます。
7~12節は主に信頼する王のために、神様の恵みが揺るがず、すべての敵に勝利を与えると約束されています。
8節以下の戦争の場面を通して描かれる神様の勝利は、現代の私たちからすると非人道的にさえ思えます。しかし、実際にはヒトラーがユダヤ人の根絶を目論んで大量虐殺したようなことが行われたわけではありませんでした。そうした勇ましい言葉を使うのが、その時代のひとつの文化でした。
その点を少し注意して改めて読む時、敵を打ち破るのは王ではなく、神であるということ、そして王はその主に信頼することで勝利が揺るぎないものになるという大事なポイントがはっきりします。
しかし、私たちの敵とは何でしょうか。今年こそあの憎たらしい誰かをとっちめることができるということでしょうか。確かに私たちの周りには敵と思える人たちがいるでしょう。しかし私たちが闘う相手その人ではなく、その人を敵に仕立て上げてしまう罪の力です。罪の力は相手のうちにも私の内にも働きます。
この罪と死に対する究極的な勝利を主が与えるのです。私たちは日々罪の力に直面し、誘惑に揺り動かされ、また死の力と恐れとに向き合うことになります。しかし、それらに勝利するのは、私たち自身の力ではなく、すべての罪を背負い死に打ち勝たれたイエス様です。私たちはイエス様の完全な勝利に信頼することで、圧倒的な勝利者となるのだという聖書の言葉を思い出すべきです。ローマ8:31~37を開いてみましょう。
3.私たちは讃える
最後に、21篇は主への賛美で閉じられます。
先ほどのローマ書の続き、神の恵みによる救いを説明しおえたパウロは、そのまとめの所でこういうふうに書いています。
「すべてのものが神から発し、神によって成り、神に至るのです。この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。」
これは初代教会の讃美歌の歌詞だろうと言われていますが、パウロもこの詩篇の作者と同じように、神を栄光をほめたたえます。
私たちは、私たちを救い、勝利を与えてくださる神様に、ふさわしく賛美を捧げること、栄光をほめたたえ、礼拝すること、これが神の民としてなすべき最も大切なことです。
昨年は、コロナのために活動らしい活動ができなかった一年でした。ですが、教会が教会であり続けることができたのは、主を礼拝する民であり続けたからです。
たとえ、先が見えず、何かをやり遂げたという成果も実感もないとしても、私たちを愛して独り子をお与えになり、そのいのちの代価をもって救い、勝利を与えてくださった方を、私たちの信じる神、救いの御力、勝利の主として賛美し、感謝し、たたえることで、私たちは神様への信頼を表し、再確認し、励ましをいただき歩んで来たのです。
新しい一年も、私たちはこの詩篇の作者と共に主をたたえ、そして、この一年も私たちは主に信頼する!と宣言しましょう。
祈り
「天の父なる神様。
私たちはこの一年も、あなたの救いを喜び、どんな困難や弱さがあっても圧倒的な勝利者なのだという約束を信じ、神様の恵みと栄光を賛美しながら歩んでまいります。
ますます混迷を深めるこの世界にあって、私たちには信頼できるお方がおられると、証ししていくことができますように。
そしてあなたが私たちの信頼に応えて、救いの御力、恵みの豊かさ、いのちの力、喜びと楽しみ、そして罪と死の支配への勝利を一人一人の歩みの中で、そして教会としての歩みのなかで表してくださいますように。
そのようにして、ますますあなたの御名があがめられますように。
イエス・キリストの御名によって祈ります。」