嘆く人のかたわらで

みなさん、おはようございます。
毎週月曜日に楽しみにしているテレビドラマがあり、シーズンも終わりに近づき、昨日は一つの山場を迎えました。10年前の津波で母親を亡くした主人公が、父親とともに毎月遺体を捜しに出かけながら法医学者としての仕事を通して生と死に向き合うドラマですが、ちょうど3.11直前というタイミングで行方不明だった母親の遺骨の一部がみつかるという話しでした。岩手の沿岸部でロケもされていて、昨日は陸前高田の奇跡の一本松や震災遺構として残された国道沿いの雇用促進住宅などが映し出され、ドラマの中のこととはいえ、ああやってまだ見つからない家族を追い求めている人たちがまだたくさんいるのだなあと胸がぎゅっとなりました。
喪失感というのは簡単にはいやされないものです。表面的には日常を取り戻したように見える日々であっても、仕方が無いという気持ちと、それでも諦めきれない気持ちが水面下深いところで静かにぶつかり合い、失われてしまった存在の空白をどう埋めてよいか分からないもどかしさが、私たちの心を揺さぶり、力を奪います。そこから立ち直るには長い時間が必要です。喪失に苦しんでいる人を焦らせてはいけないし、孤独にしてもいけないし、傍らに居続けるのにも辛さとエネルギーが必要なのですが、誰かがそれをしなければなりません。

“神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。それで私たちも、自分たちが神から受ける慰めによって、あらゆる苦しみの中にある人たちを慰めることができます。” コリント第一 1:4

今日は****さんの誕生日です。祝福を祈ります。
午前中は市内牧師会があり、夜は例のラジオ収録があります。どうぞお祈りください。

佐々木真輝

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