2021-08-08 信仰によって生きる技術

2021年 8月 8日 礼拝 聖書:箴言1:1-9

 何かを知っていることと、それをうまく使えることは別のことです。同じように、聖書に示されている真理を知識として知ることと、それによってよりよく生きることは別のことです。

以前開いたヨブ記やこの箴言、そして伝道者の書は「知恵書」と言われます。ヨブ記の難解さや伝道者の書のどう読んでいいかわからない感じとは違って、箴言はとてもわかり易い格言がいくつも並んでいるので、読んでいて面白いし、ためになる言葉がいくつもあります。

箴言は律法のように守るべきものとしては書かれていないし、詩のような祈りでも、こうすれば必ずこうなる、というような預言のようなものでもありません。見方によれば、昔どの家にも壁にかかっていた格言の書いた日めくりカレンダーのように、いい事、ためになることが集められているかのように見えますが、神様はこの知恵の書も、神様のことばとして読むようにと私達に与えてくださいました。

知恵書の存在理由は、一言で言うなら、律法を通して示された神の性質や真理に基づいて実際に生きるための知恵を提供し、学ばせるためにあります。神のことばという知識を実際にうまく使ってより良く生きていけるようにするには知恵が必要なのです。

1.知恵を求めなさい

第一に、箴言は私たちに知恵を求めるようにと促しています。

言葉としては知恵、訓戒、悟りの言葉、知識、思慮、分別など様々な描き方はされていますが、それらをひっくるめて「知恵」と言っていて、この知恵を求めよと促されています。

箴言には1:1に表題があるように、ソロモン王によるものだということが分かります。多くはソロモン自身によるものですが、25:1には、ソロモンの箴言がヒゼキヤ王の時代に書き写され、箴言の中に収められたことが分かります。また、22~24章には「知恵ある者のことば」、30章はイスラエル人以外の、マサ人アグルの言葉、31章にはマサの王レムエルは母から受けた訓戒が記されています。

そういうのを全部ひっくるめて「ソロモンの箴言」と呼ぶわけですが、それはソロモン王が当時の世界で誰よりも知識と知恵に富んでいたからです。しかし、ソロモンがそのような者になったのは、彼が王として立つ時に神様に求めたからでした。

列王記第一3:3~14を見ましょう。ソロモンが当時礼拝のための祭壇が置かれていたギブオンで礼拝を捧げた日の夜、主が夢の中に現れソロモンに問いました。「あなたに何を与えようか。願え。」これに対してソロモンは王としての勤めを果たすために知恵を求めたのです。9節「善悪を判断してあなたの民をさばくために、聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、この大勢のあなたの民をさばくことができるでしょうか。」

これについて10節に「これは主のみこころにかなった。」とあります。それゆえ主はソロモンに知恵を与え、彼が望まなかった富や名誉を与えました。結果として、同じ第一列王記4:29以下に当時の誰よりも知恵があり、32節にあるように三千の箴言と千五百の歌を作ったともあります。後でまた説明することになりますが、彼の知恵は本物でしたが、彼がその知恵によって生きることができなくなったのには理由があります。そのことについても実は箴言の中で繰り返し述べられています。

ともかく、そのようにして知恵を求める者に神様は知恵を与えてくださいます。これは新約聖書でも教えられていることです。

ヤコブ1:5です。「あなたがたのうちに、知恵に欠けている人がいるなら、その人は、だれにでも惜しみなく、とがめることなく与えてくださる神に求めなさい。そうすれば与えられます。」

箴言が求めるよう勧めている知恵も、ヤコブ書が求めなさいと励ましている知恵も、なんでも知っている博学のような知識やいわゆる頭の良さではありません。知っている真理をうまく用いて、この世でより良く生きていくための知恵です。

旧約聖書で知恵と訳されている言葉は「ホフマー」というヘブル語ですが、知識だけでなく、技術や技能という意味も含んでいます。それで私が大好きな出エジプト記に登場する、建設や細工の優れた技術を持った人たちも「ホフマー・知恵」を持っていると言われます。素材やその扱い方、どうすれば機能的で美しくできるか知識と技術を併せ持つ人が知恵のある人というわけです。

同じように、みことばの真理を知っているだけでなく、実際の暮らしの中でどうすればその真理に立って生きることができるか、信仰生活の術、技術を持つことが知恵を得るということなのです。

2.知恵を得る鍵

第二に、この知恵を得るために最も重要で、決して欠かすことのできない鍵が、「主を恐れること」です。箴言1:7にあるとおり「主を恐れることが知恵の初めなのです。いろはのい、キホンのキということです。

主を恐れるというのは怖がるのとは違います。主なる神様を敬い、へりくだって聞く心と態度を示すということです。ちょうど7節の二行目に「愚か者」の態度として書かれていることの真逆です。愚かさとは無知であるとか、勉強ができないというようなことではなく、主の言葉をないがしろにし、知恵や教えを馬鹿にしたり軽んじる者のことです。主を恐れることがなければいくら耳で聞き、知識として覚えたとしても生活の技術としては決して身につきません。主を恐れることが知恵の初めなのです。

ところで、箴言は格言集と言いましたが、実際に格言が記されるのは10章からになります。では1~9章には何が書いてあるかというと、主を恐れ知恵を求めることがいかに大事かということを父から子への語りかけという体裁で語っているのです。

1章から9章の中で言われていることは、主を恐れ知恵を求めて歩むなら、人格的にすぐれた者となり、成功と平安を得られるだろうということです。例えば3:5~10は有名な箇所の一つです。「心を尽くして主に拠り/自分の悟りに頼るな。/あなたの行く道すべてにおいて、主を知れ。/主があなたの進む道をまっすぐにされる。/自分を知恵のある者と考えるな。/主を恐れ、悪から遠ざかれ。/それは、あなたのからだに癒やしとなり、/あなたの骨に潤いとなる。/あなたの財産で主をあがめよ。/あなたのすべての収穫の初物で。/そうすれば、あなたの倉は豊かさで満たされ、/あなたの石がめは新しいぶどう酒であふれる。」

反対に愚か者になって主を敬わず、知恵を軽んじるなら、自己中心で傲慢な者なり、破滅と恥が待ち受けているということです。例えば4:14~19にも、そのように愚かな者となった者に待ち受けるものが描かれています。「まことに、彼らは悪を行わなければ眠れず、/人をつまずかせなければ、その眠りが奪われる。/まことに、彼らは不義のパンを食べ、/暴虐の酒を飲む。…悪しき者の道は暗闇のよう。/彼らは何につまずくかを知らない。」

「悪知恵」という言葉があるように、主を恐れず、悪い事を考える者にも、ある意味「知恵」があります。人の目や法律の網の目をかいくぐり、自分の利益のため、自分の欲を満たすために知恵を働かせ、ひょっとしたら真面目に働いている人より良い目を見ているかもしれません。しかし悪事はやがてバレ、報いを受けることになるし、その人自身に平安は訪れず、人格的にも醜く真の尊敬を受ける者とはなりまSん。

しかし聖書の指し示す知恵は、自己中心で打算的なものではありません。神の民とされる契約の中に生きる人々が、律法をただ規則として守るだけの者ではなく、神様の民、神様の子供としてふさわしい、人格、生活を築き上げていくためのヒントを与えてくれるのです。

箴言の知恵の中心は、私の個人的な都合や利益ではなく、神様にあります。だから、主を恐れることが、この知恵を正しく受け止め、身につけていくための鍵となるのです。

3.そうすれば、たいてい‥

10章からがいよいよ格言集になります。

およそ四百の格言が集められていますが、扱われているテーマは実に様々で、人生と生活のありとあらゆることについて触れています。夫婦の問題、親子関係、友人関係、性生活、仕事、お金の使い方、借金、お酒の怖さ、生と死、ゆるし、言葉の問題、他人に対する親切や寛大さ、感情のコントロール、権力の用い方、良い妻を見つけることなど、本当に様々です。

それらは一つのテーマごとにまとめられているのではなく、ばらばらに収められているようです。

読み進めて行くと、前に出て来たテーマの格言が、別な形で語られているというようなことがよく起こります。

人生に起こる様々な出来事がまったく初めてのことは少なく、だいたいが何度も似たようなことを経験し、その中で繰り返し教訓を学んだり、まったく違う面に目が開かれたりするものです。そのように、箴言は一度学んだら終わりではなく、人生の様々な段階で何度も学ぶようにとい言うことなのかもしれません。

箴言の格言はとてもためになるものが多いので、ぜひ読んで見てください。そして、箴言を読む際に注意することは、これを律法のように、命令として扱わないことです。また従った場合の祝福や無視した場合の悪い結果なども書かれていますが、これらも必ずそうなるという約束や預言のようなものではありません。

これらはあくまでも、神の律法に従ってこの世界で生きていくための具体的な知恵、実例のようなものです。そして、「そのようにすれば、たいていそうなる」ということとして書かれています。

例えば、10:4を見てみましょう。「無精者の手は人を貧乏にし、勤勉な者の手は人を富ませる。」

確かにそうだなと思う反面、一生懸命働いても生活が楽にならないことはあります。しかし17:1にはこんな言葉もあります。「乾いたパンが一切れあって平穏なのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。」貧しさや豊かさが必ずしも幸福の計りではなく、貧しさの中にあっても平穏という幸せがあったりもするのです。

あるいは10:27はどうでしょう。「主への恐れは日数を増やす。悪しき者の年は短くなる。」

確かに主を恐れ正しく生きれば健康的で長生きできる確率は高くなりますが、長生きする悪人や、立派な人ほど短命だなんてことが言われたりもします。けれども、あえて悪い道を選ぶことで幸福を得ようとすることは、まさに愚かな選択なのです。

このように箴言の格言は人生の様々な場面を、実に様々な面から捉え、神の民として、神の子供としていかに生きるかという知恵を得させようとしています。この世界は不完全で、ものごとが計算通りに行くとは限りません。しかし、主を敬い、知恵を求めて歩むなら、たいていはうまくいくのです。そしてうまく行かなかったとしても、私たちに約束されている永遠の祝福は失われることはなく、この世で受ける不公平や報われなかったことも、ちゃんと報われ、慰められるのです。

神様の願いは、私たちがやがて訪れる天の御国に入れるだけでなく、この地上にあって御国の子として生き、その幸いを味わうことなのです。

適用 より良く生きる術

さて、この箴言を始めとして、以前学んだヨブ記やこのあと学ぶ伝道者の書のような「知恵書」と呼ばれるものが聖書の一部として私たち与えられているのはなぜでしょうか。

完全な約束ではなく、契約上の決まりごとでもなく、生活の知恵、人生のなぞに向き合うこれらの書物は、私たちがより良く生きるためには、律法だけでは十分ではないということを教えて暮れます。

律法自体は完全で神様のご性質や求めていることをはっきり教えています。しかし、受け取る人間が不完全で、人生があまりに複雑なため、規則だけ与えられてもうまく使いこなせないのです。

契約文書である律法と、不完全で複雑な私たちの生活を結びつけ、より良く生きることができるように助けてくれるのが、これらの知恵です。ヨブ記と伝道者の書は特殊な問題を扱っていて、かなり哲学的ですが、箴言はより生活に身近な格言として、私たちに知恵をもたらします。それらの知恵は、私たちが信仰によって生きる技術を与えるものです。

実際、私たちは今でも聖書の十戒や「神を愛し、隣人を愛しなさい」という戒めのもとにあります。

書かれていることは分かりますが、現実の親子関係で両親をうやまうとか、人間関係に具体的にどう当てはめたら良いのか、今、この場面でどうするのが正しい道なのかは結構迷うものです。

その時、私たちがしがちなのは、やはり知恵に頼ることなのですが、その知恵の出どころがこの世の知恵、この世の常識だったりします。それらにも良いものはありますし、聖書に記された知恵に似ているものもあります。けれども根底に流れている、大事にしているものが違うのです。

だから私たちは箴言のような書物をよく読み、また学び、そして利用すべきです。世の中には現代の格言集とも言えるような本だったり、人生を生きやすくするための人気の講座があります。けれどそれらの多くは、自分らしく生きることは助けてくれるかもしれませんが、自分らしく生きつつ、神の子供として生きることについては教えてくれません。この世の知恵は、主を恐れ敬うという知恵の最も重要な鍵がすっぽり抜けているのです。

今回、改めて箴言の各ページをたぐりながら、いろいろと自分の生活や人生の様々な問題にひっかかる言葉、過去のさまざまな失敗を思い起こし「あのとき、この言葉を知っていたら。あのときこの知恵を学んで知っていたら違った判断や決断をしたかもしれない」と思うようなことがいくつもありました。

そして、意外にずっと前に聞いたことのある箴言の言葉が、完全な文章ではなくても、内容としてはちゃんと覚えているものが多いことにも驚きました。

信仰によって生きることは、正しい教えを知っていればできるというものではありません。不完全で間違いも多い私たちが、不完全なこの世界で、よりよく生きていくための知恵が必要です。

その知恵を得るための鍵を繰り返しますが、主を恐れることです。主を敬い、そのみことばによって生きようと求めるへりくだった心と態度を持って歩んで行きましょう。求める者には知恵を与える。これは必ず果たされる約束です。

祈り

「天の父なる神様。

今日は箴言をともに学びました。たくさんある格言のすべてを見ることは到底できませんが、この世にあって主のみこころにかなった歩みをするための知恵を得る、大切な鍵は学びました。

どうか、私たちが主を畏れ敬い、みことばに聞く謙遜な心と態度を持って射られるようにしてください。

神様の民として、神様の子供として、この世界で、私たちの人生で歩んでいくための知恵をどうぞ与えてください。そうして、私たちがこの世にあっても、主の喜びと平安、慰めと豊かさを味わっていけますように、どうか導いてください。

主イエス・キリストの御名によって祈ります。」

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