2021-08-15 謎だらけの人生の中で

2021年 8月 15日 礼拝 聖書:伝道者の書1:1-11

 今日は「終戦の日」となっています。昭和16年末に戦端が開かれ、昭和20年までのおよそ3年半続いた太平洋戦争が日本の敗戦をもって集結したことを記念する日です。正確には終戦の日ではなく、その前の出されていた無条件降伏を勧告するポツダム宣言を受けいれることを、ラジオで昭和天皇が公表した日です。実際に降伏文書に署名したのは9月2日のことなので、アメリカやイギリスなどは対日戦争の戦勝記念日を9月2日にしています。さらに国際法上では平和条約が結ばれた7年後の昭和27年4月28日が連合国と日本の戦争が終わった日ということになるのだそうです。

76年も前のことです。実際に戦場にいった世代も多くがすでに亡くなっていますし、その次の世代の方々も高齢者と言われるようになるくらいの年月が経っています。

実際には敗戦なわけですが、終戦と呼ぶことの意味はなんだろうかと思いますが、個人的には戦争を放棄したのだから、日本にとっての戦争はあれで終わり、という意味に取りたいとは思っています。しかし、現実の世界ではなかなか戦いはやみません。

戦後の日本が奇跡的な経済復興を遂げた象徴は1回目の東京オリンピックでしたが、果たして日本は幸せな国になったのでしょうか。この社会も個人個人も、変わらない人生の謎と矛盾に迷い続けているように思います。

1.人生は煙のよう

今日は「伝道者の書」を取り上げますが、この書で印象に残る言葉はなんといっても出だしに登場する「空の空」です。

その意味を説明する前に、この伝道者の書について少し説明しておく必要があります。

この書物はある匿名の著者が、伝道者と呼ばれる人の知恵の言葉を紹介して、最後にそれらの言葉を理解させ、読者が真実な知恵にたどりつけるようにまとめを書く、という構成になっています。

この著者がいつの時代の人か、誰なのかはわかりませんし、彼が紹介している「伝道者」が誰のことなのかもあえて伏せてあります。エルサレムで王であり、ダビデの子または子孫となるとかなりの候補者がいることになりますが、伝道者はソロモンのことではないかと思われます。しかし、そうだとしてもあえて個人名を出さずに「伝道者」という名前で知恵の言葉を語っています。

つまり、これがいつの時代に誰によって書かれたかはそれほど重要ではなく、ここに記された内容自体が、どんな時代のどんな人々にとっても聞くべきものだということです。

その伝道者が語った言葉は1:2から12:8まで続きます。その中で何度も繰り返すのが「空の空」「空しい」という言葉です。

これはヘブル語で「ヘベル」という言葉なのですが、煙とか蒸気というような意味で、この書の中では、はかなく掴みどころのないもの、謎と矛盾に満ちたものというような意味合いで用いられています。日本語に訳すときには、ちょっと哲学的というか仏教的な響きのある「空(くう)」という言葉が当てられていますが、ヘブル語や哲学の専門家でもない私が言うのもなんですが、なかなかうまい訳だと思います。

伝道者がこの書物の中で明らかにしていることは、神様を抜きに考えたときの人生がいかに空しいものか、人生は煙のようなものだということです。それは時の流れの残酷さと、すべてを等しく無に帰してしまう死があるからです。

3節で「日の下でどんなに苦労しても、それが人に何の益になるだろうか」と問いかけています。ここでむきになって「いや、どんな努力も無駄にはならない」と答えてしまっては、伝道者が問いかけている意味の深みを受け取り損ねてしまいます。

4~11節には、世代が代わってもそこにあり続ける山や川、昇っては沈み、また昇る太陽、吹き抜けては戻ってくる風といったものと比べて、いかに一人ひとりの存在が小さく儚いものかが示されています。

確かに、昔あったことは今も繰り返されています。後世に残ると思われるような人物や出来事も、忘れられてしまいます。76年前の戦争の時代も、日本がアメリカやイギリスと戦っていたり、朝鮮半島や中国の一部、モンゴル、東南アジアの国々を植民地として支配していたなんてことを知らない、信じられないという若い人たちも多いと聞きます。震災や原発事故の大切な記憶でさえも10年ちょっとですでに忘れられ始めています。ましてや個人がその人生の中で成し遂げたことや、大切にしていたことが、時とともに失われてしまうのは避けられないことです。

そこで伝道者は13~18節にあるように、この人生の謎、この儚い人生にどんな意味があるかを探ろうと決意します。

2.人生の謎

2章以降で、伝道者はありとあらゆる方法を試して、人生の謎に挑み、人生に意味を与えるものは何か確かめようとします。

最初に、楽しいことをなんでもやってみます。それから仕事に励んで今風に言うならキャリアを積み、勝ち組、成功者となります。

今までエルサレムにいた誰よりも高い地位と名声を手に入れ、確かに一生懸命働いたり労苦した分だけの見返りもありました。

しかし11節にあるように、それだけでは空しいことを知ります。仕事を一生懸命やって成功し、昇進し、週末には飲んで食べて遊んでも、一人家に帰る時にはもう虚しくなり、月曜になればまた同じような一週間が始まります。しかも、すべては死とともに失われ、せっかく労苦して手に入れたものも全部後に遺される者に譲らなければなりません。そうした楽しみや成功を手に入れるために味わった痛み、苛立ち、思い煩いはいったい何のためだったろうと思わされます。

2:24で伝道者は自分が労苦して得たもので生活したり、やり遂げた仕事に満足するくらいが自分に与えられるもの、それさえも神によって与えられたものだと受け止めなかったら楽しむことさえできないと語ります。

3章には有名な美しい詩とともに、人生には様々な局面があり、すべてが神の御手の中にあると解き明かします。そして11節で「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」のだと語りますが、同時に「人は、神が行うみわざの始まりから終わりまでを見極めることができない」とも語ります。

つまり、神様のすることは完璧で美しいはずなのだけれど、私たち人間はそれを見極めることができないのです。それを見極めようとしても、限りある私たちにとっては不可能なことです。心には永遠への想いがあるのに、触れることができない矛盾を私たちは抱えています。

さらに4章以下には、この世界にある差別、成功の影にあるねたみ、孤独と友情、世代交代に伴う軋轢、礼拝と礼拝する者の罪、貧富の差や社会的地位の差、財産を得ることとそれが引き起こす悩みを次々と記していきます。これらが表しているのは人生には矛盾が満ちているということです。6:12ではこんな言葉まで記されています。「だれが知るだろうか。影のように過ごす、空しい人生において、何が人のために良いことなのかを。だれが人に告げることができるだろうか。その人の後に、日の下で何が起こるかを。」

さらに悩ましいことは、正しい歩みをしたからといって必ずしも幸せにならず、逆に悪人が長生きしたり良い目を見ているという現実です。7:15を開いて見ましょう。

そうして矛盾と謎に満ちた人生のあらゆる面を探り、理解しようと努めた伝道者は一つの重い事実を突きつけられます。9:1~3です。すべてのことが神の御手の中にあります。にも関わらずことの善悪について人間が完全に見極めることができない難しさがあります。一つ確かなことは善人も悪人もみな死ぬということです。

12:10まで続く伝道者の思考は時の流れとすべての人に訪れる死という現実の中で、人生の意味や喜びはどこにあるのか、その中でより良く生きるにはどうすればいいか、それ自体にも意味があるのかと考えが行ったり来たりしているように見えます。

3.神からの贈り物

私たちの人生には意味がわからないことや矛盾したことが起こるものです。もし私たちの人生を神様抜きで考えたら、本当にすべてがはかなく、空しい、まさに人生は煙のようだと最初に伝道者が言ったとおりになってしまいます。

しかし、私たち人間には完全に理解できない時の流れも、避けることのできない死でさえも神様の御手の中にあるという信仰に立つとき人生の見方は変わります。神様がすべてをおさばきになって、この世での矛盾を正してくれます。正しく歩む者が苦しんだり、報われなかったり、悪者が得をしたり長生きしたりするようなことを正し、それぞれにふさわしい報いを与えてくださるという信仰に立って人生を見るならば、人生がただ煙のように空しいものではなく、価値あるものとして見えて来ます。

短く、すぐに終わってしまう人生でも、この地上に生かされている時そのものが神様からの贈り物として尊いものです。日々の暮らしの中で、その時々に与えられる喜び、美味しいものを食べたり飲んだり、仕事でうまく行ったり、誰かの役に立ったり、自分自身の楽しみのために時間やお金を使えたり、楽しい経験、驚くような景色を見たり、小さな花や虫に心を奪われたりする、そんな日常生活のあちこちにある大小様々な喜び、楽しみもまた神様からの贈り物です。それらを楽しんで、感謝することが私たちの人生の意味を思い出させてくれます。たとえば9:7~10を開いて見ましょう。

失敗したり、うまく行かなかったり、何かのきっかけで誰かを躓かせたり、悲しませるようなことをしてしまうかもしれません。そういうことはどれだけ注意しても、がんばっても避けられないことです。それでも私たちが神様の御手の中にあり、赦しの中にあることが、私たちの慰めや支えになります。

だから12:1で、伝道者は結論としてこうまとめます。「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない」と言う年月が近づく前に。」

すべてのものは死を迎えます。肉体は滅び霊は神のもとに帰ります。神抜きで考えるならすべてが空、煙のようです。だから、その時が来る前に、いのちを与えた神を知り、神とともに生きることを学びなさいというのです。若い日に、というのは年齢制限があるわけではなくて、死という時を迎える前にということです。

伝道者の書の著者は1:2から始まり12:8まで続いた伝道者の言葉を受けて、12:9~12でこれらの伝道者のことばに耳を傾けることの意味を解き明かしています。

11節で、それらのことばは「突き棒のよう」だと言っています。羊飼いが羊の群れをまとめ、一定の方向に導くために使う道具です。それで突かれると痛いのですが、そのおかげで迷わず正しい道にいけます。伝道者が繰り返す、それも空しい、あれも空しいということばは私たちの人生がいかに虚しく矛盾と謎に満ちているかを明らかにし、読む者を「じゃあどうすれば?」というふうに考えさせますが、まさにそれこそが突き棒である伝道者のことばです。

そのことばをまとめたこの伝道者の書は「よく打ち付けられた釘」のようです。私たちを投げやりで、どうせ今だけの人生だからと好き勝手な生き方をさせるためではなく、私たちを真理と確信にしっかりつなぎとめるために書かれました。

適用 結局のところ

今日も、伝道者の書をかいつまんで読むくらいしかできませんでしたが、実際に読んで見ると、伝道者の考えの流れを捉えきれず、「これは正しいことを言っているのか」「間違った歩みをしている人の生き方を描いているのか」判断しずらい時もあります。

ただ、今日見てきたように大まかなこと、著者が伝道者のことばを借りて私たちに伝えようとしていることはつかめます。

人生には限りがあり、やがてすべての人が死んでしまう、煙のように儚いものだとしても、「意味がない」と悲観する必要はありません。投げやりになって楽しいことだけ追求したり、この世での成功によって満足を得ようとしても虚しさが残るものです。

それでもこの世界にはありとあらゆる矛盾と悩みがあり、神の前に正しく歩む者にとっても同じく悩みがあります。

そんな謎と矛盾に満ちた人生の中で、何が私たちに生きる意味や希望を思い出させるか、何が儚い人生の中でも確かな手応えのある喜びを見いださせてくれるのでしょうか。

それはやっぱり、この世界をお造りになり、その御手の中に治め、すべてをさばく神様、私たちにいのちを与え、また取られる神様を知ること、この神様を敬って謙虚に生きることなのです。

12:13~14で著者は言います。「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。神は、善であれ悪であれ、あらゆる隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからである。」

前回学んだ箴言は、神を恐れることが知恵の始まりであると教えました。同じ考えが伝道者の書にも流れています。神様を敬い、へりくだってそのことばに聞こうとする心と態度が知恵の始まりであり、終わりでもあります。

解決のない苦難の中にいたヨブも、日常生活の中で神の民としてどのように生きるかを問いかけた箴言も、はかなくやがて死を迎える人生の意味を訪ね求めた伝道者の書も、結局は一つのことに行き着きます。

私たちには全てはわかりません。しかし、すべてをお造りになり、すべてを裁かれる神様を畏れ敬い、へりくだって聞こうとする者は、この矛盾に満ちた人生、世界の中にあっても、単純で確かな幸せを見出す事ができます。

伝道者の書の中には含蓄のあることばがいくつもあるのですが、気をつけて読む必要があります。ひとつひとつの知恵は、読む者がすべてがこの結論に至るための突き棒です。私たちの心と思いを刺激し、気づかせ、導き、神を恐れることに向かわせるためです。

それは頭ではわかっていても、心の中で、頭のなかでああでもない、こうでもないと考えるのが私たちです。7:29にこんな言葉があります。「私が見出した次のことだけに目を留めよ。神は人を真っ直ぐな者に造られたが、人は多くの理屈を探し求めたということだ。」

もともと神様は私たちを真っ直ぐな者に造られました。答えはすでにあるのです。そこに気づくために、これらの知恵が語られ、記され、私たちを神の前にへりくだる者とするためです。ひとしきり考え、悩んだら、聖書が私たちに示している単純な真理に素直に応答して、限りある人生を豊かに歩ませていただきましょう。

祈り

「天の父なる神様。

今日は、伝道者の書から学びました。少し哲学的でわかりにくさもある書物ですが、人生に迷い、意味を探し求めるような時には心に響きます。

迷ったり悩んだり、矛盾に苦しむ私たちですが、すべてが創造主なる神様の御手の中にあり、私たちがあなたを敬い、へりくだるときに、与えられている恵みや喜びを見いだせることを感謝します。

心の中にさまざまな葛藤や理屈が浮かび上がる私たちですが、あなたが真っ直ぐな者として私たちを造ってくださったのですから、どうぞ素直な心で、神様の前にへりくだることができますようにお助けください。

イエス様のお名前によって祈ります。」

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