2022-02-27 良い生き方とは

2022年 2月 27日 礼拝 聖書:ミカ6:3―8

 現代は士師記の時代のようだなと思わされます。士師記の時代、モーセやヨシュアのような指導者を失った人々は「めいめいが自分の良いと思ったこと」を行って生きていました。その結果はさんざんなものです。

ウクライナでの戦争はひどいものですし、この機に乗じて自分たちの利益になるよう、ずるく立ち回る国々や組織、権力者があります。しかも、めいめいが自分にとって良いと考えることをしているわけです。

何が良いことなのか、良いこととは何なのか。この世界を良いものとして造られた、良いお方である神様の示す指針なしに、めいめいが良いと思うことをやりあっているだけなら、当然、利害がぶつかり、力の強い方が得をし、弱い者は追いやられてしまいます。

暴虐の時代に預言者たちが告げた神の非難と警告は、現代世界の国々に、その中に生きる人々へのものでもあるし、同時に語られる希望もまた私たちのためのものです。

今日はミカ書です。そして、今日お読みいただいた箇所はミカ書の中でも有名な聖句の一つです。今日もミカ書全体に触れながら、その中心的なメッセージを学び、どのようにして私たちが、聖書が語るような良い生き方を求めていけるのか、ご一緒に思い巡らしてまいりましょう。

1.警告と回復

ミカ書の特徴は、警告と希望が繰り返されているところです。バームクウヘンのように、非難と警告、希望と回復が二重、三重と重なっています。

預言者ミカは南ユダ王国のヨタム、アハズ、ヒゼキヤという王たちの時代に北王国と南王国の両方に遣わされた預言者です。同時代の預言者として有名なのはイザヤです。ちなみに男性です。

そのようなミカ書の出だしは、圧倒的な光景とともに天から下りて来られる主のお姿です。蝋燭の蝋が火の前で溶けるように、山々は溶け、谷は裂けるというイメージはイスラエルとユダの神への配信と積み重なった罪に対する神の怒りの大きさを表しています。

まず1~2章で神の民に対する非難とさばきの警告が告げられます。2章の終わりの二節で希望と回復のメッセージが簡潔に示されます。

さらに3章で再びイスラエルに対する非難と警告が告げられ、4章前半でまたしても希望と回復が告げられます。

4章の後半からはまたイスラエルに対する裁きの警告、とくにバビロン捕囚いついて警告した後、5章の前半で有名なベツレヘム預言とともに回復が告げられます。そして5章の後半、7節からはその回復が全世界への祝福に拡がることが約束されます。

6~7章でさらにイスラエルの社会に巣くってしまった不正を強欲が非難され、7:18~20で恥の中で神に期待し、恵みを求める祈りでミカ書は閉じられます。

いったい、イスラエルはどんな酷いことをしたからといって神の裁きに直面することになったのでしょうか。

まず最初の非難と警告が記された1~2章を見ていくと、そこには他人のものを奪い取る強欲さへのさばきが記されています。2:1~2。力のある者が夜の間にベッドの上で立てた計画を実行に移し、自分の望む畑や家々、土地を奪い取っているとミカは非難します。力のある者、権力者や金持ちたちです。2:6に「戯言を言うな」と神のさばきの警告に対してまさに戯言を言う人たちが出てきます。これはミカの時代にいた偽預言者たちの声です。

さらに3章には不正を働く民の指導者たちや預言者たちへの非難が記されています。公正をもって政治を行い、神の民らしく弱い者を守り支えるべきなのに、弱き者を平気で見捨て、正義をねじ曲げ、賄賂をとって強い者に便宜を図るのです。

さらに5節には預言者たちへの非難があります。神のことばをまっすぐ伝えるべき者たちが、自分の利益になるものがあれば、聞こえの良いことを良い、何ももたない者には不吉を告げます。まるで値段の高いおみくじのほうが大吉がよく出るおみくじのような者たちです。11節にも祭司や預言者たちが金をとって教え、占いをし、しかも主の助けを当てにしている面の皮の厚さです。

6~7章にはイスラエルの社会にはびこり、深く根を下ろした不正と偽りが再び非難されています。

こうしてみると、イスラエルの罪というのは、現代にも通じ、またおそらく周辺の諸国にも普通に見られる姿です。しかし、それが問題でした。彼らは普通の国とは違う、神を敬い、律法に従って国作りをする契約を神との間で結んだ民なのです。他のみんなもやっているよ、ではダメなはずだったのです。

2.何が良いことか

では、イスラエルの民はどう歩むべきだったのでしょうか。

今日の聖書箇所として読んでいただいた6:3~8にその答えがあります。

神様は罪を非難し、裁きを宣告したイスラエルの民に「わたしの民よ」と呼びかけます。そして奴隷とされていたエジプトから連れ出し、周辺の民族がどうなったかを思い出すよう語りかけます。あの出エジプトと40年の荒野の旅は、イスラエルが神の民となり、強欲と不正が当たり前の他の国々とは違う生き方、違う社会を築いていくためだったことを思い出せと言っているのです。

神様の前に何をたずさえて行くべきか、ふさわしい礼拝とは何かと6節で再び問いかけます。

主が願っているのは、何千頭ものいけにえや油のささげ物ではありません。忌まわしい他の宗教が要求したように罪の代価として自分の子どもやお腹の子供をあやめるような事でもなかったはずです。ぞっとする話しがさらっと書かれていますが、これは当時、イスラエルの民が取り込んでいた宗教的な儀式を映し出しています。そんなものを神様が望んだことは一度もなかったはずです。

では、神様が求めていること、良いこととは何でしょうか。8節の後半に、実にシンプルにこうしるされています。

「それは、ただ公正を行い、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神とともに歩むことではないか。」

このことは、カインとアベルの兄弟が最初にささげ物を持って来た話し以来、ずっと繰り返されているテーマです。

礼拝の仕方として、ささげ物を持っていくのは良い。それは相応しいことですし、ささげ物を通してこの社会の中で神の御業がなされていくことも神様の定めたあり方として大切にしなければならないことではあります。しかし神様が求めているのは、献げ物そのものではないのです。

ですから罪のためのいけにえが不要となった新しい時代にも、礼拝としてささげ物を献げ、ささげられた物で教会の働きがなされていくことは続きましたが、やはり何より大切にされるのは、私たちの生き方のほうです。

このことを最も良く表しているがローマ12:1~2でしょう。「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい」。「心を新たにする」なら、「何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります」

新約聖書で具体的に教えられている人との関わり方、仕事の仕方、家庭作り、教会での交わりのあり方などを見ていけば、旧約と新約の聖書全体を通して教えられている神と隣人を愛しなさい、公正を行い、誠実を愛し、へりくだり、神とともに歩むように、という教えが土台になっていることが分かります。

周りの世界はそうでないでしょう。いろいろな神々は祀られていますが、天地の造り主であり、私たちを愛してくださるまことの神様への恐れはありません。公正や誠実は選挙の演説には登場しますが、他の国はともかく、この日本でも、不正や偽りが社会の奥深くに根付いて、守られるべき人たちが守られないことはよくあります。けれど、私たちは良い生き方を目指すべきなのです。

3.希望の理由

預言者ミカが、神の民が歩むべきだった道、良い生き方について述べているのは、契約をやぶったイスラエルの背信行為を明らかにするためではあります。しかし、またいつでも、この道に戻って来なさいという、悔い改めの招きでもあります。もう一度、神と共に歩む者となり、公正と誠実、へりくだりをあなた方の生き方、そして社会に取り戻しなさいと主は語りかけているのです。

実際、預言者のことばを効いても悔い改めなかったサマリヤを首都とする北イスラエル王国はアッシリヤ帝国によって警告通り滅ぼされます。しかし、ミカの時代の終わりに王であったヒゼキヤは悔い改め、神の前に誠実に歩むことを願い、南ユダ王国全体に宗教改革を行います。偶像礼拝を排除し、何十年ぶりかで過越のまつりが行われ、その規模の大きさ喜びの大きさはソロモンが神殿を建設して以来のことでした。そして神様はヒゼキヤ王と民の信仰と、神のことばによって生きようとする姿をご覧になり、北イスラエルを滅ぼした勢いでエルサレムも陥落させようとしていたアッシリヤを退け、すんでのところで滅びから免れさせたのです。

やがて南王国を滅ぼすことになるバビロンの影はすでに忍び寄っていましたが、その時は先延ばしにされました。

しかしながら、晩年のヒゼキヤは高慢になってしまったり、その後の代はちょっと良い面を見せることはありましたが、多くは再び契約を捨て、自分たちがいいと思うようにやりはじめます。

それでも、あるべき良い生き方が示され、この道に戻れと呼びかけられているのは、人々の運命が滅びて終わることではなく、回復の希望があるからです。しかもそれは、イスラエルの民だけのものではなく、世界のあらゆる国々へと拡がっていくものです。

5:2の有名な預言は約束のキリストがベツレヘムという小さい街で生まれるという内容ですが、その方の支配は、小さなベツレヘムから始まり、イスラエル全体に、さらには全世界へと及ぶことが7節以降に記されています。私たちはその約束がイエス様によってもたらされる救いとその知らせである福音によって拡がっていくというかたちで成就しつつあることを知っています。

そういう希望があるのだから、あなたがたはこの道に戻り、神とともに歩むべきではないかと語りかけているのです。

ではそのような回復の希望はどこから来るものなのでしょうか。預言者はミカ書の最後の祈りの中で希望の理由を述べています。

希望を持てる一つ目の理由は神様の恵み深さというご性質です。ミカ書でも繰り返されているように、イスラエルの罪に対する非難と厳しい裁きの警告はありますが、同時に回復の希望を伝え続けるのが神様です。聖さと正義が神様のご性質ですが、私たちへの愛が勝り、人間が罪深い者であっても、その怒りをいつまでも向け続けることはない。神様は恵みを与えることを喜びとする方なのです。

ですから祈りの中でも投げ捨てるのは私たちではなく、私たちの咎と罪なのです。罪を取り去り私たちを救う恵み深い方なのです。

希望を持てる二つ目の理由は、創世記にさかのぼって、神様がアブラハムと交わした約束に基づいています。神様は約束されたことを決して反故にすることのない、真実な方です。そしてアブラハムに対して、あなたとあなたの子孫を祝福し、世界に祝福をもたらすと約束されたので、常に希望は残されているのです。

適用 恵みに励まされて

さて、今日はミカ書全体を一通り眺めながら中心的なメッセージに耳を傾けて来ました。

神と共に歩み、神の民として新しい社会を築き、新しい国を建てあげていくと出エジプトの時に約束したイスラエルですが、その決心はあっけなく揺らぎました。強欲や不正、偽りといった、どの世界にもある罪が日常の光景になってしまいました。

神の民が神を知らない他の民と何ら変わらないものに成り下がってしまったことは、神への不信であり、背信です。しかしミカ書はそうした罪に対する非難と厳しいさばき以上に、彼らを赦す神の恵みが勝っていることを教えてくれます。

そしてその恵みに励まされて、再び神と共に歩み、公正を行い、誠実を愛し、へりくだることを学ぶよう招いています。罪に堕落してしまったときのように、他の人々がそうなったら私たちも考えてみる、ということではなく、あなたがたがまず神の恵みに信頼して、その愛に応えて、まず新しい歩みへと変えられていきなさい。そうすれば、あなたがたが世界の祝福となり、今はまだ神を知らない人々がキリストを知るようになる。あなたがたを通して神と共に歩む幸いへと導くことができるのだと励ましています。

私たちには、私の人生だけでなく、私が関わる人々、そして私たちが生きる社会をより良いものにしていくべきだという動機があるのです。神様がそれを望んでいて、今も変わりなく神様はこの世界の罪の力よりもずっと大きく力強い恵みに満ちた方なのです。

先日、世界的な神学者の講演会があり、質疑応答の中で面白いやり取りがありました。先週だったかのクリスチャン新聞にもちょっと載っていました。

もともと分子生物学で博士号を取るような優秀な人ですが、無神論者でした。しかしイギリスのKGKのような団体を通してクリスチャンになり、その後、神学者となりました。講演会の中で科学の真理と信仰の関係について問われた時の彼の答えはこうでした。科学の真理は知識を深め、技術の発展を進め、病気に打ち勝ったり、私たちの生活をより便利にしたりできるが、信仰は、より良く生きようとか、技術や知識を使ってこの世界をより良い世界にしようという動機を与えるということでした。なるほどと思わされました。確かに最先端の科学の知識や技術の多くは軍事的なものに使われたり、金儲けの道具となり、その背後で犠牲になる人たちのことは考えなかったりします。しかし、信仰はもっと大切なことがあることを思い出させます。

私たちもそれぞれの職場などで、効率や利益を求められると思いますが、それでも丁寧な仕事とか、思いやりとか、誤魔化さない誠実さとか、もっと大事なものがあると感じて働いている人が多いと思います。もちろんうまく出来ないこともあるのですが、大事なことだと感じています。それは神様の教えが私たちの心に息づいているから出てくる発想です。

私たちは科学者でも神学者でもありませんが、私たちの出来ることを使って、より良い生き方を選び、私たちが暮らしている世界を少しでも良いものにしようとすべきです。私たちが勝手に考える良さではなく、この世界の造り主である神様が良いことだと教えてくださったような世界に近づけるようにしましょう。

公正と誠実は、選挙公約のための言葉ではなく、私たちの人生と生活の特徴を表す言葉となるべきです。へりくだることは、偉い人や強い人の前に出る時のマナーではなく、最も小さい者に対してさえ向けるべき、相手を敬い大切にする私たちのいつもの態度であるべきです。

私たちがこのように生きるべきなのは、神の怒りから逃れるためではありません。神の怒りがキリストの十字架と神の恵み深さによって取り除かれ、新しい生き方へと招かれているからです。

「主はあなたに告げられた。人よ、何が良いことなのか」この問いかけに、神の恵みへの信頼をもって応答していきましょう。

祈り

「天の父なる神様。

罪に対する警告ともに語られる回復の希望が、あなたの恵み深さと誠実さゆえであることを感謝します。

私たちもまた、その恵みのゆえに神の民に加えられた者です。あなたがそうであるように、私たちも、公正と誠実を愛し、互いにへりくだり、神様とともに歩む者でいさせてください。この世界はそのような生き方を難しくさせるものであふれていますが、あなたの大きく力強い恵みに信頼します。

イエス様のお名前によって祈ります。」

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