隠れ場

みなさん、おはようございます。
昨日、とあるお店で後ろ隣りに座った人たちのグループが結構な大きさの声でおしゃべりをしていました。わりと近い距離だったので久しぶりの感じでした。以前はそれほど気にはならなかったでしょうが、この2年ちょっとのコロナ禍を経て、そういうことにすごく敏感になっていることに少し驚きました。もうそれほど心配しなくても良いのだと個人的には思っていますが、やはりマスクもせずに店内で大きな声で話していると、ちょっと緊張してしまいます。
コロナが流行り始めた頃、「安全と安心は意味が違う」ということを言いました。コロナが終息に向かうときも(今がそうかは分かりませんが)やはり安心と安全は違うのだなと思わされます。この世界は様々な危険が現実のものとしてあります。しかし、自分が受け入れられ愛されていると思える場所、神様の御手の中にある安心は嵐の中の隠場のように、私たちを守ってくれます。

“あなたは私の隠れ場。
あなたは苦しみから私を守り
救いの歓声で私を囲んでくださいます。セラ
” 詩篇 32:7

佐々木真輝

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