2022-12-11 『教会に仕える教会』への感謝

説教者:辻和希牧師(蔵王キリスト教会)

聖書箇所 ローマ15:1-3

ローマ15:1–3「私たち力のある者たちは、力のない人たちの弱さを担うべきであり、自分を喜ばせるべきではありません。私たちは一人ひとり、霊的な成長のため、益となることを図って隣人を喜ばせるべきです。キリストもご自分を喜ばせることはなさいませんでした。…」

「むしろ、「あなたを嘲る者たちの嘲りが、わたしに降りかかった」と書いてある通りです。かつて書かれたものは全て、私たちを教えるために書かれました。それは、聖書が与える忍耐と励ましによって、私たちが希望を持ち続けるためです。どうか、忍耐と励ましの神があなたがたに、キリスト・イエスにふさわしく、互いに同じ思いを抱かせてくださいますように。そうして、あなたがたが心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父である神をほめたたえますように。」

佐々木先生のピンチヒッターとして奉仕。

和希自己紹介

    • 山形、蔵王キリスト教会出身
    • 家族について
    • 中高生の頃、心理学→聖書の教えとあまりに違うので断念、聖書を学びにアメリカへ。
    • 2年後、日本で主のために→自分の教会で生きることの大切さ。聖書を学びつつ。
    • SBSで佐々木先生にお世話に。
    • 春からリソースセンター長。先生と一緒に働けて光栄。
    • 北上教会の皆さんの祈りと犠牲に感謝を伝えたい。

ローマ15:1–3

    • 信仰の弱い人を受け入れ、その意見をさばかないように 14:1–12
      • 「信仰の弱い人」:神の福音の理解がまだ不完全なために、「野菜しか食べない」などルールによって生活し、与えられている自由を行使することがまだできない人
        • 例)ローマのユダヤ人クリスチャンたち。彼らはおそらく「律法の規定をまだ守らなければならない」と考えていた(また、律法を守らない異邦人クリスチャンを非難していた可能性)
      • 配慮としての「さばかない」:信仰の弱い人は霊的な成長(福音の理解、キリストの弟子としての生き方)をするべきであり、その存在自体が悪ではない。
        • 新しく信仰を持てば、その人はそこから福音の理解や主の弟子としての歩みを始める
        • 彼らはまだ十分に教えられておらず、愛と良い模範の中で「教えられる必要がある」
        • 誰でも初めは信仰の弱い人
    1. 霊的成長を促すために、与えられた自由を用いる 14:13–15:6
      • 【教えの要約】「平和に役立つこと」「お互いの霊的成長に役立つこと」「互いにキリストの思いを持つこと」「心を一つにして、声を合わせて神をほめたたえること」を求める
    • この箇所でも、「霊的な成長のため、益となることを図って隣人を喜ばせるべき」と教えられる。
    • ユダヤ人クリスチャンたちと異邦人クリスチャンたちが互いにいがみ合っていれば、また、先に律法から自由にされた者たちがまだ縛られている者たちを見下し、聖霊を通して(今は新約聖書)与えられた自分たちの新しい確信を相手に伝えることを怠っていれば、主の御心を知っていてもその御心を行えていないということになってしまう。
    • この点で、北上教会が教会に与えられた賜物としての佐々木先生を自分達のためだけではなく、SBSを通してより多くの教会のための賜物としても送り出そうとしてくださっていることに感謝。
      • ローマでパウロから指導を受けたクリスチャンたちのようではなく、自分たちのためだけではなく他者が信仰のうちに建て上げられ、共にこの日本の地の祝福となろうとしてくださる思いに感謝。
    • カトリック山形教会の神父と会ってきた。スリ・ワルヨ神父(インドネシア出身)。特に、現代のカトリック教会はプロテスタント(広いが)をどう見ているかを知るため。
    • 「カトリック教会のカテキズム要約」より
      • 163 カトリック教会に属さないキリスト者をどのように受け止めれば良いでしょうか。
        「カトリック教会との完全な交わりから離れた諸教会や諸教会共同体の中には、聖化と真理の多くの要素が見出されます。これらの富はすべてキリストから来るもので、カトリック(注:「普遍」の意)的一致へと駆り立てるものです。これらの諸教会、諸教会共同体の成員は、洗礼において、キリストのからだへと組み入れられました。ですから、わたしたちは彼らを兄弟と認めます。
      • 164 キリスト者の一致のためにどのように取り組むべきでしょうか。
        「すべてのキリスト者の一致を取り戻したいとの望みは、キリストのたまものであり、霊の訴えです。それは、教会全体にかかわるものであり、内的回心、祈り、兄弟としての相互理解、神学的対話を通して実現します。」
    • カトリックの姿勢から、戦争、病、異常気象など、終末を予感させる今こそ全ての教会が愛し合うことを始めるべきであり、そのために「内的回心、祈り、兄弟としての相互理解、神学的対話を通して実現します。」

適用:

    • 共に、主の教会建て上げのために仕えてまいりましょう。
      • 不完全で合ったとしても、主の教えを健全に保ち、そこに向かうこと。義の道は留まるものではなくその道を進むもの。共に進みましょう。
      • そして、日本の地には多くのまだそれを見ぬ人々がいる。私たちが互いに愛し合う中に表される神の愛を見ていただきましょう。そしてまだ見ぬ兄弟姉妹を獲得していきましょう。
    • 神学校の働きを共に祈っていただきたい。(そうしていないわけではない、より一層)
      • 私自身も自分の教会の方々にRC長としてしている奉仕を説明することは難しいところもある。佐々木先生がどのように説明してくださっているかわからないが、校長としてSBSの難しい舵取りを着実に行なってくださっている。
      • ある先生は佐々木先生のバランス感覚(一番多いのは人と人、教会と神学校、他団体と神学校)を非常に称賛され、神学校の働きにおけるリーダーに求められる資質だとおっしゃっていた。
      • 北上教会は佐々木先生を送り出してくださっていることで多くの犠牲を払ってくださっているが、なお先生のSBSでの働きにも関心を持っていただき、また共に祈っていただきたい。
      • これは日本の教会を力づけ、この21世紀の日本の社会、それも様々な地域や人間関係において、主の宣教命令に従ってこの地に宣教を行うための大きな力があることを感じる。

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