楽しかったですが…

みなさん、おはようございます。
昨日は、県内の牧師会がありました。新年会ということで、ほぼ一年ぶりに顔を合わせての集まりでした。残念ながら用心のためにお休みされた先生ご夫妻、また家族でコロナに感染してしまった先生ご家族があり、人数は予定の半分でした。それでもやはり顔と顔を合わせての交わりは楽しく、時間の質が違うなあと実感します。ただ私もまだコロナ感染症の影響が残っているのか、長時間の会合は疲れが出てしまいました。楽しいことではあっても、注意力が散漫になったり、話しを聞き損ねたり、体がだるくなったり。
誰も肉体(また精神)の限界を超えて働くことも楽しむこともできません。それは被造物である私たちを守るために神様が与えた制約です。疲れ、痛み、眠気、注意力の散漫などなど、様々なサインがあります。もちろん疲れを押してがんばるべき時もあるのですが、繰り返したり長く続けるものではありません。喜びのある生活、よい働きをするために、それらのサインを見逃さず、適当なところで手足と心を休める必要がありますね。

“ユテコという名の一人の青年が、窓のところに腰掛けていたが、パウロの話が長く続くので、ひどく眠気がさし、とうとう眠り込んで三階から下に落ちてしまった。.…”
使徒 20:9

佐々木真輝

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