2024年 11月 10日 礼拝 聖書:ミカ書4:1-5
たまに都会に行くと、本当にたくさんの人がいるなあと感心します。北上での暮らしに特別不自由なことはないのですが、盛岡くらいの大きさの街に行っても、人が集まっているだけで相当な賑わいと活力があるのを感じます。
なぜ人は都会に集まるのでしょうか。大きな街には仕事があり、お金が生まれ、うまく行けば成功や名声を手に入れるチャンスがあります。あらゆる遊びと快楽があり、伝統的で古典的な文化からサブカルチャーまで何でもそろっています。音楽や芸術で成功を収めようと思ったら、地方に留まっていないで、とりあえず東京に出なければ話しになりません。
しかし預言者ミカは、やがて人々がまったく違う理由でエルサレムを目指してあらゆる国々から集まって来ると預言しています。ミカはミカ書の中で、やがてエルサレムが滅ぼされ、畑が耕されるように街は瓦礫の山となって、誰も見向きもしなくなると告げていますが、そのエルサレムが、終わりの日には、もう一度世界中から人々が集まるようになると告げます。
今日、エルサレムは、皆が行きたがるところというよりは、戦争の火種、中東の不安定な情勢の中心にある街となってしまっていますが、いったいミカは何を預言しているのでしょうか。
1.終わりの日には
1節に「終わりの日には」とあります。いつのことでしょうか。何を意味しているでしょうか。
直前の3:12には「シオンは畑のように耕され、エルサレムは瓦礫の山となり、神殿の山は木々におおわれた丘となる」と書かれています。
神様に背を向け続け、律法を空文にし、神様ではなく軍事力や経済力、外交関係に頼る王たち、偶像礼拝にふける王や民に対して繰り返し警告されていたにも拘わらず、反抗し続けるイスラエルはやがてアッシリア帝国とバビロン帝国によって滅ぼされ、捕囚として連れて行かれます。
残った土地は瓦礫の山として荒廃してしまいます。シオンというのは神殿のあったエルサレムの街が立っている丘のことで、神に愛された特別な場所としての呼び名です。しかし、そこはまるで畑が耕されるように街全体、丘全体が破壊され、瓦礫の山となり、残された土地は雑草や木に覆われてしまいます。
預言者たちは、その破滅は偶像礼拝と罪にあふれてしまったシオンの丘から人々が連れ去られることでむしろ安息を得る時だと告げています。
実際に南北に別れた王国の北側、イスラエル王国は紀元前720年頃、アッシリヤ帝国によって滅ぼされ捕囚として連れて行かれました。また紀元前590年頃には南のユダ王国がバビロン帝国によって滅ぼされ、エルサレムは壊滅し、殆どの人々がバビロンに捕囚として連れ去られました。
そんな捕囚の時代の後に「終わりの日」が来ると、ミカだけでなく、多くの預言者たちが告げました。
預言者たちが「終わりの日」という時には、捕囚の時代の後、残された民がもう弛度集められ、約束のメシアによる新しい王国が打ち立てられる時代のことを指しています。
もちろん私たちは、この預言の実現が、イエス様によって果たされたことを知っています。その実現はエルサレムという街やイスラエルの国自体を再興するということではなく、神が約束されたメシア、キリストを受け入れたユダヤ人と異邦人からなる、新しい神の国、教会として成就しました。
しかし、この「終わりの日」に約束されている全てのことが、教会の時代になって実現したわけではなく、全部の約束が果たされるのはイエス様がもう一度帰って来られる時のことだとも教えられています。つまりミカや預言者たちが預言した「終わりの日」は、もう既に到来しましたが、未だその完成を待っているものでもあるのです。
ですから、現代の私たちがこれらの箇所を読むのは、預言された神の約束、ご計画がすでに2000年前に実現してしまったこととしておさらいするだけでなく、今なお私たちが待ち望み、希望となることが含まれていることに注目したいと思います。私たちの救いが、イエス様を信じたときに与えられたものでありながら、今なお救いの完成に向かって待ち望んでいるものであるのとよく似ています。私たちはすでに救われていますが、救いの完成を待ち望んでいます。神様の救いのご計画はイエス様によって成就しましたが、イエス様の再臨のときの完成を待ち望んでもいます。
2.シオンから主のことばが
では「終わりの日」に約束されていることは何でしょうか。
2節に「主の家の山は、山々のかしらとして堅く立ち、もろのもろの丘よりも高くそびえ立つ。そこへもろもろの民が流れて来る」とあります。
主の家の山とはエルサレム、シオンの丘のことです。実際に山の高さが変わるわけではなく、エルサレムの栄光が他のどこよりも高く挙げられるということの比喩的な表現です。
最初に話したように、この世の基準で都市の名誉、栄光は人口の多さ、経済力、魅力的な観光資源があるといったことでしょうか。しかし、エルサレムの栄誉はそうしたものではありません。人々がこぞって集うのは3節にあるように、主の山、神の家、つまりエルサレムにある神殿で、主がご自分の道を私たちに教えてくださるからだというのです。
この預言は実際にはどうなったでしょうか。
紀元前539年に、バビロンに代わって支配者となったペルシャの王は、捕囚となっていた民が祖国に帰ることを命じました。そして神殿を再建し、街を再建することを推奨したのです。
しかしその神殿に世界中の人々が主の教えを聞くために集まるということはありませんでした。むしろ、その後の支配者はユダヤ教を迫害し、神殿も徹底して略奪し、汚しました。ユダヤ人はそうした弾圧に抵抗して一時期独立を勝ち取りますが、今度はローマに支配されるようになり、ローマの属国の一つとなります。正当な王の血筋ではないヘロデ大王は紀元前20年に壊された神殿をほぼ作り変えるくらいに大拡張し、ローマ帝国中でも最も優れた建築物として再建します。しかし、その神殿がどんな有様だったかは、イエス様が指摘しています。祈りの家であるべき場所は、参拝客を目当てにした店、両替商が建ち並び、まるで強盗の巣のようになってしまっていました。そして紀元70年、新約聖書の時代に、独立を求めたユダヤ人とローマ帝国の間で戦争になり、ローマ帝国はエルサレムを滅ぼし、神殿は徹底的に破壊されてしまいます。そして今に至るまで神殿は失われたままで、そこに世界中から人々が教えを聞くために集まるということはありません。
では、この預言はどうなったのでしょうか。イエス様の大事なことばがあります。
強盗の巣のような神殿から商売人を追い出した後で、文句を言う人たちにイエス様は言われました。ヨハネ2:19「この神殿を壊してみなさい。わたしは、三日でそれをよみがえらせる。」
その時、イエス様の言葉の意味を理解する人はいませんでしたが、十字架にかけられて死なれ、三日目によみがえった後で弟子たちは、イエス様がご自分の体のことを言われたのだと気付きました。
つまりミカが預言した、主の教え、主の道が示される場というのは、建物としての神殿ではなく、イエス様ご自身によるということだったのです。それなら分かります。あらゆる国々の人々が、イエス様のことばを求めて、イエス様のもとに行こうとします。天に挙げらたイエス様の代わりに、キリストのからだとして地上に建てられた教会において、神のことばは語られ、聖霊の宮とされたクリスチャンを通してイエス様のことばは証しされるのです。
3.平和の回復
終わりの日に約束されているもう一つのことは、平和の回復です。しかも、完全な平和の回復です。
もうすぐクリスマスのシーズンですが、クリスマスの頃に良く聴かれるフレーズの一つは「天に栄光、地には平和」でしょう。クリスマスソングは愛や家族を歌ったものが多いですが、平和のメッセージを歌うものも多くなります。
イエス様が生まれた夜、ベツレヘムの郊外で羊飼いたちが御使いたちの「天に栄光が、神にあるように。地には平和が、みこころにかなう人々にあるように」という歌を聞いて思い出す預言が、今日のような箇所です。
3節「主は多くの民族の間をさばき、遠く離れた強い国々に判決を下す。」
どこかの大統領はロシアとウクライナの戦争を24時間以内に終わらせると豪語しました。それが出来たとしても、その決着方法は恐らく、ごく一部の人たちしか満足できないでしょう。私たち人間は犬も食わない夫婦喧嘩や身の回りの人間関係での意地の張り合いでさえ簡単に収めることができないのです。
しかし終わりの日に約束された平和は神ご自身によってもたらされる最終的な平和で、人々は武器を捨て、それらを畑を耕すための道具に作り変え、もう戦うことを学ばないと約束されます。
人々は自分で育てたぶどうやいちじくの木の下で安心してのんびり休むことができ、誰かが奪いに来ることを恐れる必要もありません。誰もが、自分の分で満足し、他人にものに手を出そうとしなくなるからです。
しかしながら今なお、世界中から戦争はなくなっていません。小さな小競り合いはしょっちゅうです。しかもイエス様はこんなふうに言われました。「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはいけません。わたしは、平和ではなく剣をもたらすために来ました。」(マタイ10:34)。
もちろんイエス様が戦争や喧嘩を増やすために来たのではありません。ここでも「終わりの日」の理解が鍵になります。人々がイエス様が王となって今すぐにでも旧約時代の約束を実現して、平和をもたらしてくれると期待していたのですが、真に平和がもたらされるまでの間しばらくは、この方を受け入れるかどうかでむしろ対立が引き起こされる場合があることを警告なさったのです。
では、イエス様が再臨され、真の平和を回復してくださるまでの間、私たちは平和を期待できないのでしょうか。そんなことはありません。イエス様はこうも教えています。「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。」
私たちはイエス様によって罪赦され、心の平和を与えられました。また全てを満たし、良いものを備えてくださる神の恵みを信頼して自分の分で満足することを学びました。そんな私たちクリスチャンが、イエス様の教えに従って隣人を愛し、他者を赦し、寛容と柔和な心と態度で人間関係を築く時、私たちの周りに平和が拡がります。それはこの世に対して、イエス様にあって平和がもたらされる希望となり、私たちにとっては、終わりの日に救い主がもたらすと約束された平和が今、私たちの手元で小さく実現しているのを見ることなのです。
適用:この道筋を歩む
心臓を患ってから山歩きはしないようにと医者から言われているので思いで話しだけなのですが、山を登っていると、山頂が見えるのに、近くまで行ったらまた下り道があり、一度下ってからまた登らなければならないことがあります。
旧約聖書の「終わりの日」の預言はそんな面を持っています。預言者達は将来訪れる山頂を示して「終わりの日」が来ると告げましたが、手前の上り坂の影に隠れた谷間があることに多くの人たちが気付いていませんでした。
約束の救い主、メシア、キリストであるイエス様がおいでになったことで「終わりの日」がとうとうやって来たと思ったら、再び神殿は破壊され、エルサレムは滅亡してしまいます。しかしこの谷間は絶望ではなく、神様の終わりの日についてのご計画の偉大さを示していました。
どんなに豪華であっても人間の手で作られた神殿ではなく、十字架で死なれ三日目によみがえられたイエス様こそが、神のことばが語られる主の宮です。そして、主イエス様のみからだなる教会を通して、建物としての教会ではなく、主のみことばを受け取ったクリスチャンの交わりとしての教会です。観光客は荘厳な教会堂を見物に行きますが、神のことばを聞くためには生きた教会の交わりに入っていくのです。
平和は武力によってではなく、神様ご自身の権威と愛によってもたらされることを、クリスチャンの歩みを通して示します。世界が真に平和を回復するのは、この谷を登り切ったイエス様の再臨を待たなければなりませんが、主が示される道筋をたどって行くなら、私たちは心の中と身の回りに神の平和を見られます。小さな形であってもそれは確かな手応えのあるものとして掴めます。
赦しなさいという教えに従って赦すとき、寛容になりなさいという教えに従って相手の違いを受け入れるとき、どれほどの平安と喜びが取り戻されるか、皆さんも経験したことがありませんか。
今はイエス様の誕生によって始まった終わりの日が、イエス様の再臨によって完成するまでの谷の時代です。この時に、主のことばと平和は、新しく神の民とされた教会を通して、クリスチャンたちを通して、まるで暗闇に光る灯火のように世界に示されるのです。
最後に5節を見て終わりにしましょう。「すべての民族は、それぞれ自分たちの神の名によって歩む。しかし、私たちは、世々限りなく、私たちの神、主の御名によって歩む」。今の時代、この神々は宗教的なシンボルではないかもしれません。めいめいが勝手に決めたように生きるのでしょう。しかし、私たちは、私たちを愛し、ひとり子イエス様を救い主としてお与えになった主の御名によって歩み続けます。
スポーツ選手はチーム名が一番大きく、目立つところに縫い付けられたユニフォームを着たり、スポンサーになってくれた企業のロゴが入ったシャツや帽子をちゃんと皆に見えるように身につけます。自分たちが誰で、どんな人たちが投資してくれているか分かるようにするのです。私たちクリスチャンの最大の支援者は主です。私たちのために大きなご計画をお立てになり、終わりの日に向けて備え、その実現のためにひとり子イエス様をお与えになった方の名を一番目立つように生きるのです。ですから、2節で「その道筋を進もう」と互いに呼びかけていたあの言葉のように、主の教えを聞き続け、平和を作る者となっていく、そのような歩みが私たちに相応しい、主の御名による歩みではないでしょうか。
祈り
「天の父なる神様。
私たちに救いを与え、歩むべき道筋を示してくださり、ありがとうございます。主イエス様のもとに、私たちが聞くべきことばがあり、ついて行くべき生き方があります。どうぞ、主の教えを聞き続け、平和を作る者であり続けさせてください。忍耐と真実が試されることは多いですが、終わりの日の完成の暁には、主イエス様ご自身が完全な平和をもたらし、私たちに報いてくださることを信じて、忠実であらせてください。
イエス様のお名前によって祈ります。」