2025-06-29 神の家族として

2025年 6月 29日 礼拝 聖書:ローマ16:1-7

 今日は***の証を通して、信仰に導かれたり教会の中で育まれたときに、神の家族としての教会、また教会に属する個々の家族がどんな役割を果たしたか、聴くことができたと思います。

今日は神の家族である個人や家族がいかに私たちの信仰の歩みに大きな影響を与えているか思い巡らしたいと思います。そのために今日開いているのは、ローマ教会に宛てた手紙の最後の挨拶のところです。

1.教会の人々

今日読んでいただいた箇所とその続きには、たくさんの名前がありますが、最初の一人を除いて、当時のローマ教会にいた人たちの名前です。

夫婦と思われる名前、兄弟関係にあったらしい名前など、15節までに26人の個人名と、少なくとも5つの家族に触れています。もちろん、これでローマ教会の全てだったわけでなく、パウロが個人的に良く知っている人たちやローマ市内のあちこちに散らばっている家の教会のリーダーたちだったと思われます。

パウロはローマにはまだ行ったことがありませんでしたが、教会の様子をよく知っていたようです。

プリスキラとアクラ夫妻、エパイネト、マリア、アンドロニコとユニア夫妻などは個人的に知っていた人たちで、他にも何人もいたようです。ローマは帝国中のあちこちから人の出入りがありました。エペソやコリントなどでパウロが出会った人たちがローマに移り住んだり、帰ったりして、ローマにある家の教会に加わったり、自分たちで新しい家の教会を生み出すなどしていました。

そして16節ではこれらの教会の人々に「すべてのキリストの教会が、あなたがたによろしくと言っています」と、他の地域にある教会とも親しい交わりがあったことが伺えます。

普段集まるのはそれぞれの家の教会だとしても、私たちが想像する以上にお互いのことを知り、また他の町にいる教会や指導者たちも、別の町の教会のことを知っていたようです。現代のようにスマホ一つで画面越しに話しができるような便利さはなくとも、お互いに行き来したり、手紙をやりとりするなどして、密な交わりが日常的にあったのは驚きです。

神様のご計画において、神の家族としての教会には、自分が属する集まりのだけでなく、他の集まりにも関心を持ち、祈り、助け合う深い交わりを願っておられるのです。

2.協力者

さて、これらの人々は単に知り合いであるとか、ローマにある家の教会のリーダーたちだからと名前が挙げられているのではないようです。パウロは彼らが共に福音宣教や教会の交わりを建て上げるために共に労する協力者だと考えていました。

ここに名前の挙がっている人たちは現代の牧師のような、専門的な教会指導者ではありませんでした。それでも新約聖書の中では長老と呼ばれるような、無給で教会の奉仕をする人たちです。

最初に名前の出てくるフィベはかなり経済的にゆとりのある人で、パウロだけでなく福音に仕える多くの人たちの支援者でした。彼女はパウロが書いた手紙を持参してローマの教会に届ける役目を負いました。今私たちがこうしてローマ書から神のことばを学ぶことが出来るのは、フィベがパウロの信頼に応えてちゃんと手紙を届けたからです。

3節のプリスキラとアクラ夫妻はパウロと同じ天幕職人でした。もともとローマの住民でしたが、ユダヤ人追放令のために帝国内の他の町へ避難しました。パウロと知り合ったのはコリントです。彼らは天幕作りで生活費を稼ぎながら、時にいのち賭けでパウロと共に教会を生み出し、建て上げる奉仕をしていました。そして今はローマに戻って、5節にあるように自分たちで家の教会を始めていました。

6節に出てくるマリアの労苦によってローマ教会の人々は大いに助けれましたし、7節に出て来るアンドロニコとユニア夫妻は、パウロの協力したために一緒に牢に入れられたこともありました。その働きは他の使徒たちにもよく知られていました。その後に続く人たちへの挨拶の中にも、直接会ったことがあるかどうかに関わらず、パウロは彼らをともに福音を宣べ伝え、教会を励まし、強めるために共に労苦している協力者、同労者として誇りに思い、喜んでいたことが伺えます。13節にはパウロが「私の母」とまで呼ぶほど親しい交わりがあった人がいました。

離れたところにある教会も、オンラインでつながっている兄弟姉妹も含めて、私たちは主にあって愛する人々です。また牧師や宣教師という肩書きがなくても、教会のために労苦したり福音を証しするために奉仕したり、誰かを支援しているような人たちは同労者として認め合い、尊敬し、助け合うことを主は期待しておられるのではないでしょうか。

3.福音の担い手

最後に、教会のリーダーたちだけでなく、神の家族としての教会の交わりそのものが、福音の担い手であるということを覚えましょう。

ローマ人への手紙という、内容の濃い、長い手紙をパウロはローマにある少なくとも5つ以上の家の家族からなる教会に、彼らの顔や置かれた状況、人生を思い描きながら書きました。ここに名前が挙げられている人たちが導いている家の教会が福音を受け取り、心を一新して新しい人生を歩み、交わりの中で互いに励まし合い、ともに学び、お互いの交わりや家庭の中で実践し、自分の仕事や人間関係を通して福音を証しできるようになるためです。

パウロは別の手紙で、「神の家とは、真理の柱と土台である、生ける神の教会のことです」と明言しました。私たちは、一人ひとりの歩みにも、神の家族としての教会も、教会に連なるそれぞれの家族も、ローマの教会同様、不完全です。神様の恵みと救いについてもっと知る必要があるし、何が神のみこころであるかを見極めるために心を一新して歩みなさいと励まされ続ける必要があります。そのような不完全さを抱えたままであっても、それでも私たちがイエス様を信じて、イエス様に希望を持って生き、共に歩む姿が、福音が真実であることを証しするのです。

もし私たちの教会に来た人たちが、何か違うと感じたり、何がこの人たちをこんなふうにしているんだろうと考えるきっかけになったり、安心していられるなら、ささやかながらその役割を果たしていると言えます。

さきほどの証の中にあったことは、教会が真理の柱であり土台である、福音の担い手であるということと深く結びついているのです。

適用:神の家族として

私もこれまで多くの神様の家族の方々との交わりの中で育まれてきたことを感謝とともに思い起こしています。

自分の生まれた家族はクリスチャンの両親、母方の祖父母がいましたり、伯父家族がいましたので、良くも悪くも一番大きな影響を受けたに違いないと思います。

学生時代にお世話になった教会では、特に神学生時代に友人のお母さんが親身になってくれて、励ましていただきましたし、友人夫婦が時々ご飯をご馳走してくれたり、援助してくれたりもしました。

特に若い頃に受けた神の家族の親切や愛情はとても大切なものだったと感じています。皆さんはいかがでしょうか。

今日はこのあと、少しの時間ですが、今日の証と聖書箇所を通して教えられたことに基づいて、分かち合いをしたいと思います。

週報に「思い巡らし」というところがあり、質問が書いてあります。

「あなたの信仰の歩みに影響を与えた人、家族はどのような人たちでしたか」。良い影響だけでなく、混乱させられたとか悪い影響を受けた場合があるかも知れません。また関わりの深さも様々だと思いますが、思い出す限りあげて分かち合ってみてください。

もう一つの質問は「その中で最も良い影響を受けたのは誰ですか。その人はなぜそのように出来たのでしょう。」二つ目の質問では一番良い影響を及ぼした人がどうしてそう出来たのか考えてみてください。

その上で、自分も神様の家族の一員として何ができるか考えてみましょう。

会堂に集まっている皆さんは二人一組になってください。大船渡と気仙沼の教会の皆さんもぜひ二人一組になってみてください。オンラインの方は、カメラとマイクをオンにして、お互いに話し合ってみてください。慣れなくてやりにくいかもしれませんががんばってみましょう。

時間は15分くらいです。

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