2025-08-31 あなたの行く道すべてで

2025年 8月 31日 ファミリー礼拝 聖書:箴言3:5-6

 今日は、人生の変わり目にどう生きるか、ということを箴言のことばを通してご一緒に考えていきたいと思います。

箴言3:5-6のみことばを知ったのは、高校生くらいのことだったと思うのですが、それ以来、「座右の銘」のようにことあるごとに思い出し、特に、いろいろと迷うことの多かった青年時代は心の支えというか道を照らす光になっていたなあと振り返ることができます。

私たちは人生の道のりの中で、思いがけない分かれ道や曲がり角につきあたり、どの道を選ぶのが良いのか、選んだ道が正しかったのか迷ったり、分からなかったり、選べずに立ち止まってしまったりすることがあります。また選んだ道が正しいと信じていても実際に歩み出したら非常に歩きにくい、躓いてばっかりということもあります。

そこで今日は、箴言のみことばを通して、どんな道を歩むことになっても確信を持って歩めるための知恵を学びたいと思います。

1.主に頼る

まず5節に注目しましょう。まずは主に拠り頼むことが教えられています。

「心を尽くして主に拠り頼め。/自分の悟りに頼るな。」と戒めとともに教えられているように、私たちは人生の道のり、日々の生活の中で、主に頼らず、自分の悟りに頼ることの多いものです。

しかし、自分に悟りに頼ることと、主に拠り頼むことの正確な意味は何でしょうか。何事も自分で判断せず神の導きに頼ることだと単純化した言い方をしてしまうと、神に信頼するという信仰と、日々の暮らしの中で良く考えたり、深く洞察して判断したり、決断するといったことがかえって分断されてしまいます。

やっぱり、私たちは生きて行くため、行動するために、自分で考え、判断し、決断しなければなりません。問題は、そうした考えや判断の土台を何に置くかです。「自分の悟りに頼るな」は「自分の理解に寄りかかるな」と訳すことができますし、いくつかの翻訳ではそのように訳されています。

「悟り」というとずいぶん高尚な感じがしますが、「自分の理解」となれば、確かに常識だったり、思い込みだったり、誰かの影響を受けた考え方やその時の気分、あるいはそれまでの経験や実績、または自分の願望などに基づいて考えたり、判断したりすることがあるのではないでしょうか。

例えば、最近教会で大きな課題になったのは屋根や外壁の修繕をどこまでやるのか、ということでした。最初、屋根はやろうということで見積を始めたら思った以上に費用がかかりそうで、それなら長く考えたら外壁までやってしまうほうが良いんじゃないかと、私の考え方が変わりました。そこから新たな見積を取って、そこでもう一度考えた時、お金の問題もありましたが、役員の皆さんと話している中で気付かされたことは、教会にとってもっと重要な一致や次世代に何を遺すのか、という視点で考えることでした。それで今回のような結論になったのですが、こうした考えの変化を辿って見ると、常識や計算、野心といったものに基づいて考えていたことから、主が大事にしておられることに基づいて考えるように変えられたと見ることができます。

主に拠り頼むということは、何も考えずにお任せするということではなく、主が大切にしていることや主が教えていることを頼りにして考えたり判断することだ、というふうに言えます。

2.行く道すべてで

次に「あなたの行く道すべてにおいて、主を知れ」と聖書は語りかけます。

主を知れとは、単に知識として主の存在を知るとか、神についての知識を増やすということではありません。主との交わりの中に生きることです。私たちの日々の歩みが神とともにあるような生き方であること、神様が私に願っていることをいつも覚えながら生きることです。

そして私たちの人生は決して一本道ではありません。様々な分かれ道があり、どの道を辿るかはその時々の判断です。しかし、私たちの人生は道の先になにがあるか運任せでどこへ行き着くか分からないものではありません。むしろ、帰るべき家に帰る道のりのようです。時には工事中で別の道を行かなければならないとか、高速道路が閉鎖になって下道を通らないといけなくなるように、望んではいないけれどこの道を行くしかない、という時も人生にはあります。予定外の道だから家に帰るのをやめるなんてことはしません。だから人生も、選んだ道であれ、望んでいなかった道であれ、今歩んでいる道のりの中で、主に信頼して歩むことに集中しなさいということです。

退職後はこういう生活をしたいと、そのための準備もある程度して来た。でもいざその時が来たら、自分に思いがけない病気が見つかってしまった、家族に大きな変化があった、親の介護が必要になった、案外よくあることかもしれません。

また自分で選んだはずなのに、後悔したり、思っていたのと違ってがっかりしてしまうことがあるかもしれません。

私たちの予測や選択には限界があり、すべてを見通すことはできませんし、世の中にはコントロールできないことの方が多いです。ですから大事なのは、予測能力を上げることではなく、何にでも対応できる能力を身につけることでもなく、どんな道のりを歩くことになったとしても主に信頼することです。歩むその道々で、主が共におられることを信じ、その道のりの中で主に拠り頼んで暮らしなさい、ということです。

それは、どんな道を歩むことになったとしても、その道の先は主の恵みあふれるご計画の目的にちゃんと結びついていると信じることでもあります。どんな道のりを歩んでいるとしても、主がともにい続けてくださるなら、この道は主のみこころの実現に必ずつながっていると信じて生きるのです。

3.主の支えと導き

最後に、どんな道を歩むとしても主に拠り頼んで生きるなら、主の支えと導きが与えられ、結果的に真っ直ぐ歩むことができます。

多くの人たちというか、ほとんどの人たちが自分の人生を振り返った時、その道のりは決して真っ直ぐではなかったと感じるのではないでしょうか。それこそ山在り谷在りであり、デコボコした道に何度躓いたことでしょうか。分かれ道も多く、時に道を迷ってしまったりもした。そんな感想を抱く人が多いかもしれません。しかも、曲がりなりにもイエス様を信じ、信頼して生きて来たつもりなのに、それでもこんな歩みだった、ということに、自分の信仰の足りなさ、神への信頼の不十分さを思い知らされているかもしれません。

主が私たちの道を真っ直ぐにしてくださるとはどういう意味なのでしょうか。

道案内を頼まれたとき、「この道をまっすぐ行って」と言うことがありますが、実際にはカーブがあったり、途中で信号があったりしますが、道なりに進んでいけば目的地に着きます。

箴言というのは、知恵文学と呼ばれていて、覚えやすさを優先して様々な比喩的な表現が用いられます。この道に関する比喩も同じで、道がまっすぐになるというのが、曲がりくねった山間部の山道を、山を削ったり、トンネルを掘ったり橋を架けたりすることで物理的に真っ直ぐにするみたいに、私たちの人生が一切の曲がりも角も谷間もなくなり、平坦で歩きやすい人生になるとまで言ってしまうと非現実的です。

それよりも、たとえ曲がりくねったり深い谷間に下ったり高い山の急坂を上るような道を辿ることになるとしても、その道はまっすぐ天の御国につながっています。神様の祝福と恵み、栄光に満ちた素晴らしいご計画の実現につながっている、と確信できるということではないでしょうか。ジェットコースターはあまり好きじゃないですが、ジェットコースターのようでもあります。急激に曲がったり上がったり下がったりハラハラドキドキですが、必ずゴールに着くと信じているので、人はお金を払ってでもそのスリルを楽しみます。この人生も確かに栄光と祝福に富んだゴールに必ず到着すると信じられるなら、私たちの歩みは真っ直ぐになります。主が信頼する者をそのように支え、導いてくださいます。

適用:主と共にある生き方

私もこれまで小さなことから大きなことまで、人生の道のりが思ったようにいかないこと、これで良いのだろうかと迷うことがありました。しかし、振り返ってみたときに、無駄に思えたり、がっかりするような経験であっても、それらも含めて、ちゃんと今なすべきことに結びつき、ここに導かれて来たなと実感しています。そして、それはこれからも続くのだろうと信じることができています。

人生に起こってくる様々な問題において、自分だけの小さな基準で何とかしようとするのではなく、心を開いて主のみことばを受け止め、心から主に信頼して歩む時、乗り越える知恵が与えられます。それだけでなく、主がともにいてくださるという安心感をもって生きることができます。どんな道のりの中にあっても、主と共にある生き方ができるのです。

先週は二人一組になってもらい分かち合いをしましたが、今日は私と皆さんとで対話をして皆さんで分かち合いたいと思います。

さきほどの証、そしてみことばを味わいながら、自分自身の人生の分かれ道、変わり目の経験を思い出したという方はどれくらいいらっしゃいますか。その時、どのようにして歩むべき道を選んだか、うまく行った人でも、少し後悔しているという人でもお話していただける方はいらっしゃいませんか。

祈り

「天の父なる神様。

今日は、二回目のファミリー礼拝を開き、このような形で礼拝を捧げることができ、またみことばを共に味わうことができて、心から感謝いたします。

どうぞ、私たちがどのような道を歩むとも、行く道すべてに主が共にいてくださり、私たちもまた主に信頼し、主が共にいて下さるものとして生きてゆくことができますように。主が私たちの道をまっすぐにしてくださいますように。人生の変わり目、岐路に立つときもみことばを土台に判断する知恵深さを与えてくださいますように。

イエス様のお名前によって祈ります。」

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