2025年 10月 5日 礼拝 聖書:マルコ14:43-52
どんな仕事でも、熟練した者になるためには失敗を含むたくさんの経験を積むことが必要です。それは家の中の細々とした家事であれ、宇宙ロケットを作る技術者であれ同じです。
今日は第一主日ですので、ちょっとルカの福音書から離れ、「一人ひとりが恵みの器」という今年度の主題に関連した人物を取り上げたいと思います。
聖書に登場する人物たちは、信仰の父と呼ばれたり模範となる人であっても、数々の失敗をしながら経験を積んだ人たちです。今日開いている箇所には一人の名前の分からない青年が登場します。
最後の陪餐の後、ゲッセマネの園での祈りを終えた時に、裏切り者のユダに率いられた暴力的な群衆を前に、裸同然で逃げ出した青年です。今日、多くの聖書学者が、これは福音書を記した著者自身、つまりマルコが自分のことを書いたのだと考えています。
もしそうなら、いったいどのようにして彼は福音書を記すような人物にまでなれたのでしょうか。
1.いざというときに
新約聖書にはマルコについての記述が幾つかあり、それらをつなぎ合わせると興味深い事実が浮かび上がってきます。マルコはいざというときに逃げ出してしまった弟子です。マルコ14章の青年がもしマルコでないとしても、使徒の働きに描かれているマルコの姿が、まさにいざという時に逃げ出してしまった青年の姿なのです。
最初にマルコのことが書かれたのは使徒の働き12:12です。牢に入れられたペテロが御使いの助けによって脱出したとき、皆が祈るために集まっていた家に向かうのですが、その家が「マルコと呼ばれているヨハネ」の母親の家だというのです。大勢の人たちが集まることができる部屋を備えたマルコの実家はかなり裕福な家だったようです。
そして、おそらくこの家が、イエス様と弟子たちが最後の晩餐を過ごした家であり、だからマルコ14章の青年が12弟子とともにイエス様逮捕の場面に居合わせたと考えられれています。
さらにエルサレムで教会が誕生するペンテコステの日に、弟子たちが祈るために集まっていた家というのも、このマルコの家だろうと考えられています。最後の晩餐、ペンテコステ、そしてエルサレムのクリスチャンたちが普段から祈りや礼拝のために集まっていた家がマルコの実家だったと考えられます。
そんな裕福な家に生まれた青年マルコですが、家族と共にイエス様を信じ、広い部屋のある家をイエス様のため、教会のためにどうぞ使ってくださいと提供していました。
次にマルコの名前が出てくるのは使徒の働き13:5で、アンティオケ教会から福音宣教のためにパウロとバルナバが派遣されるとき、ヨハネ、つまりマルコが助手に選ばれ同行することになったのです。一行はキプロス島に向かいました。この島はバルナバの出身地であり、マルコとバルナバはいとこでした。つまり、バルナバの家族や親戚がいるところを最初の伝道の拠点にしたのです。島内で力強く福音が宣べ伝えられますが、パポスから船で地中海を渡って次の場所に向かおうというときに、マルコは一行を離れてしまいます(使徒の働き13:13)。これは紀元48年春のことです。
ここではマルコが離れた理由なり事情なりが何も書かれていないので、これからアジア地域、現在のトルコのあたりでの福音宣教を進めようというときに一人だけエルサレムに帰ったということしか分かりません。
ところが次に登場する15章で、このことでパウロが相当怒っていたことが分かります。最初の伝道旅行から2年後の、紀元50年の春頃、15:36でパウロはバルナバにもう一度出かけようと持ちかけます。以前開拓した教会を励まし、さらにそこから宣教を拡げようと考えたのです。その時バルナバはもう一度マルコを連れて行こうとします。ところがパウロは前回途中で帰ったマルコは連れ行かない方がいいと主張し、二人の対立は激しい議論になります。パウロとすれば使えない奴は連れて行きたくない、この旅はそんなに甘くないということだったかもしれないし、バルナバとすれば若いマルコには経験と訓練が必要だからチャンスを与え、育てたいということだったのかもしれません。結果的にパウロとバルナバは別行動を取るのですが、もとはといえば、いざという時に逃げ出したマルコが招いた事態と言えます。
2.助手として
使徒の働きの中でマルコが登場するのはここが最後です。ルカの記述がパウロを中心にしているので仕方がないのですが、その後のマルコがバルナバのもとでどんな生活、働きをしたかは全く分かりません。
しかし、それからおよそ10年後の紀元60年頃、パウロが最初にローマで獄中生活をしているときにコロサイ教会やピレモンという人に書き送った手紙の中に突如マルコの名前が出て来ます。獄中生活といっても牢屋に入っていたのではなく、自費で借りた家で軟禁生活を強いられていたということだったのは使徒の働き28章の最後の記述で分かります。ともかく、裁判を待つ身で自由にローマの外には出られません。その時一緒にいた仲間の一人としてマルコの名前が出て来るのです。
コロサイ4:10を開いてみましょう。
パウロは自分と「ともに囚人となっている」仲間として、3人の名前を挙げています。アリスタルコ、バルナバのいとこであるマルコ。もう一人11節でユストという人の名前が挙がっています。同時期に書かれたピレモンへの手紙を見ると、他にユダヤ人ではなくクリスチャン同労者が一緒に捕らわれの身になっていて、その中にはルカの名前もあります。
ともかく、10年前には「いっしょに連れていけない」とバルナバと喧嘩別れまでするほど信用していなかったマルコが今はパウロの助手として、しかも獄中生活を共にするほどに強い信頼関係、協力関係にあったのです。11節には「割礼のある人では(つまりユダヤ人では)、この三人だけが神の国のために働く私の同労者です。彼らは私にとって慰めになりました。」とあります。多くのユダヤ人に反発されていた中で、どれほどマルコたちの存在は励まされ、慰められていたかが伝わってきます。
かつてパウロから切り捨てられたように見えたマルコでしたが、実際は喧嘩別れしたというより、話し合いの末にパウロは異邦人伝道を継続し、バルナバはマルコをさらに訓練するという合意があったのでしょう。だから、それはマルコにとってもパウロにとってもしこりにはならず、10年を経て良い協力関係を築くことができたのではないでしょうか。
パウロはこの2年後にローマを離れることになるのですが、どうやらパウロと入れ違いでローマに来たペテロを手助けするために、マルコはローマに残ったようです。
聖書自体にはそのことが書かれていませんが、2世紀に活躍したパピアスという人の証言が断片として残っていて、その中に「マルコはペテロの通訳になった」という記述があります。ペテロは64年頃にローマで殉教したと言われていますので、約二年間、ペテロの通訳として働きを共にしたと考えられます。
さて、コロサイ書に戻りますが、パウロはマルコについて「慰めになった」と評価しています。実は、マルコの後見人になったバルナバこそは、かつてエルサレムで「慰めの子」と呼ばれる人格者でした。バルナバの持っている寛容さや忍耐力は、マルコのように若く心の弱い、傷付きやすい者を慰め、力づけ、成長させるのに役立ちました。逃げ出した経験のあるマルコ自身も弱さを知る者として人を慰める賜物が引き出されたのではないでしょうか。
3.福音書の書き手として
さて、マルコに関する聖書の記述はもうありませんが、先ほどのパピアスの証言には続きがあります。
「マルコはペテロの通訳になって、キリストの言行に関して彼が記憶していたことは何でも正確に書きとめたが、しかし順序正しく記録したのではない。なぜなら、彼は主御自身の教えを直接に聞いた者でも主の弟子でもなく、すでに述べたように、後になってペテロに従った者であり、その教えも当時の必要に適合させたものであって、主の御言葉の頸序正しい解説をしたわけではないからである。そこでマルコは、こうして、思い出すままにさまざまの事柄を書きおろすにあたって、誤りをおかすことはなかった。というのは、マルコは自分がきいたことは何ひとつ書きもらさないように、また自分が聞いたことの中に誤った陳述はなにひとつ織り込まないように、心がけたからである。」
2世紀の証言、というとイエス様やその後の使徒たちが活躍した1世紀とだいぶ時間的に離れているように感じるかもしれません。ただ、ちょっと創造してみてください。今は21世紀です。でもこの中には20世紀を結構長く生きた人がいます。今度レコードを持ち寄ってのカフェをやりますが、レコードについてのウンチクを語る人がいたら、だれかがそれについて「そうだった」とか「そうじゃなかった」と言うことができます。それらを直接経験した人にとってはとても生々しい記憶です。パピアスにとっても、紀元64~5年頃の記憶というのはそれほど生き生きとした記憶だったわけです。
その証言によれば、マルコはローマで通訳としてペテロの助手をしながら、ペテロが語るイエス様の教えや行動を逐一書き留めていたということです。それが今私たちが持っているマルコの福音書としてまとめられたというのです。
もし、マルコ14章の青年がマルコ本人のことだったとすれば、金持ちの家に生まれながらも、イエス様の弟子となり、その家をイエス様と弟子たちの最後の晩餐のために提供し、彼らがオリーブ山に賛美しながら出かける時に一緒に出かけ、イエス様が捕らえられるときに逃げ出してしまった自分の姿を福音書に記したのです。もし、そうでないとしても、やはりイエス様が天に挙げられた後でエルサレムの家を教会のために提供し、やがてパウロとともに伝道旅行に出かけながらも、これからというところで逃げ出してしまったマルコです。しかしイエス様のあわれみによって救われ、バルナバに励まされながら訓練され、やがてパウロの助手となり、捕らわれの身となったパウロのもとで、今度はパウロを慰める者と言われるほどに成熟し、弱ったパウロを励まし、力づけさえしたのです。
そして伝承によれば、さらにはペテロの助手となってついには福音書を記すまでになったのです。
マルコについては聖書自体に書かれていることが少ないので、かなり推測と古い証言に頼らなければならないことが多いですが、それでも、その成長の過程は、一人の人がどのようにして有用な者になっていくかの、見事な実例です。マルコはパウロタイプの伝道者ではありませんでしたが、慰めの子バルナバの影響を受けて、パウロやペテロのようなリーダーを助け励ます者になり、彼らの語るイエス様のことばと働きを書き記す働きへと導かれていきました。
適用:経験を積む
いいところの出の、気持ちは純粋だけれどちょっと頼りない青年が、パウロにとっては慰める者、ペテロにとってはイエス様から託された教えとみわざを次の世代に伝える協力者となった姿を見て来ましたが、私も自分を振り返っています。
昨年から翻訳を初め出版に向けて取り組んできた「豊かな人生」というテキストが間もなく神学校から出版されます。翻訳をしながら、実際に自分もそのテキストに取り組んで自分の人生を振り返り、神様が私に与えてくださった目的やそのために備えられた能力や動機付け、特徴はなんだろうかと考える時間を取ることができました。そうすると、あまり思い出したくない失敗や痛みもありますが、何を経験し、身につけて来たか、どんなことに心を動かされるかといったことが分かって来て、それら全てが今の働きや今目指そうとしていることにつながっているのが分かりました。
特に挫折や失意の経験は、自分が何者でないか、ということに気付かせたり、生活や働きの中での失敗を通して自分の弱点や誘惑に陥りやすいことに気付くことができました。もちろん、1回の経験ですぐにレベルアップできるというわけにはいかず、同じようなことを何度も繰り返してようやく気付き、しかも直すにはさらに時間がかかるというのが普通です。得意な分野のことだって学び続け、失敗から学び、新しいことに挑戦したりしながら役に立つくらいにまでなれました。
箴言4:7を開いてみましょう。知恵についてこのような言葉があります。
「知恵の初めに、知恵を買え。
あながたが得たものすべてに換えて、悟りを買え。」
知恵というのは、より良く、より豊かに生きる術のこと指していますが、そのような知恵を身につけるために、投資しなさいということです。お金だけでなく、時間や努力といった経験を積み重ねることも含まれます。
また箴言12:1にはこのようなことばもあります。
「訓戒を愛する人は知識を愛する。
叱責を憎む者は間抜け者。」
訓戒や叱責は何かしら失敗したり、間違った行動をしたから受けるものですが、そうやって自分が失敗したことを認め、受け入れ、そこから学ぼうとする者は成長するということですね。
イエス様も言われました。「弟子は師以上の者ではありません。しかし、だれでも十分に訓練を受ければ、自分の師のようにはなります。」
失敗を恐れず主と人とに仕えましょう。単にやり損ねたという意味での失敗だけでなく、罪を犯してしまったり、逃げ出してしまうようなことがあったとしても、そうした経験も糧となります。ただし、そのためには誰かに支えられ、励まされる必要があります。失敗したとき、一番良くないのは隠して一人になろうとすることです。そういう場合の孤独は、叱責や訓練もない代わりに、慰めもサポートもありません。マルコがそうだったように主は人を通して私たちを取り扱い、慰め、導いてくれます。そして失敗が糧になるのは本気でやってみたときだけです。何となくやってみてうまくいかなかったら、そこには何の学びもありません。主と人とに仕える時には失敗を恐れず、本気でやることです。
そして若い世代や働き盛りの世代だけでなく、肉体的にはピークを過ぎ、高齢と言われるようになっても主の器としては成長し続けることができることを忘れないでください。若い頃よりバリバリ稼げるという意味ではなく、経験に裏打ちされて初めて得られるものがあるからです。
私たちは主にあって日々新たにされる生涯現役の恵みの器なのです。
祈り
「天の父なる神様。
マルコの成長の足跡を見ながら、主の恵みの器として成長した姿を知ることができました。若い頃の失敗も、バルナバを通して糧となり有用な者とされたように、私たちも主の恵みの器として少しでも役立つ者となれますように。
失敗することを恐れず、本気で主に仕え、人に仕えることができるように助けてください。そして失敗したり、過ちを犯した時も、恐れずに助けを求め、学びとることができますように。
イエス様のお名前によって祈ります。」