2025年 10月 19日 礼拝 聖書:ルカ2:39-52
私たちが信じているイエス様はどのような方でしょうか。少し前に、教科書から「聖徳太子」の名前が消えたということで「え?なんで」と昭和世代の私なんかは驚いたのですが、正式な名前が実は違ったということで一度消えたものの、その後通称として復活したらしいということで変な安心感を得たのですが、実の所、聖徳太子がどんな人物であったのか、伝説と実像に違いはあるだろうと思いながらも、あまりそのことで悩んだりしません。しかし私たちは2千年も前の人物を歴史上の人物として単に記憶しているだけではなく、神であり、救い主であると信じ、私たちの心、生活、人生をあずけています。この方がどういう方であるかを適当に済ませるわけにはいきません。
ルカの福音書が書かれた時代、当時流行の考え方を取り入れて妙な解釈をぶち上げる人たちもいました。それを意識して書いたかは断定できませんが、今日の箇所でルカは、イエス様がどういう方であったかを示すために子ども時代のエピソードを取り上げます。
1.家族の中で
まず、子ども時代のエピソードが取り上げられることで、イエス様は普通の人として、家族の中で成長したことがわかります。
39節で、ベツレヘムで生まれたイエス様が、ちゃんと両親の家があるガリラヤのナザレという、かなりの田舎町に戻ったことが記されていますが、さりげなく語られていることは、イエス様が律法の儀式を守る普通のユダヤ人家庭の中で成長したことです。
もちろん細かいことは分かりません。イエス様の幼少期について奇想天外な奇跡をおこなったことが記されている「トマス福音書」という聖書とは認められていない古代文書があります。その中には子ども時代のイエス様が行った奇跡がいろいろ記されているのですが、それはまるで超能力に目覚めた子どもが力のコントロールができずに感情の趣くままに力を使い、周りに大迷惑をかけたり驚かせたという話しになっています。そこには何の教えも、象徴的な意味もありません。
ルカは、むしろイエス様が普通の子どもとして成長したことを強調します。幼少期から12歳まで特別なことは何も書かれていませんが、大抵の人も、その時期のことを思い返してみて、何か世間に発表すべきような特別なことがありましたかと聞いたら、特筆すべき事はない、という人のほうが多いのではないでしょうか。近所の友だちと遊んだことや家族の思い出はあるかも知れませんが、特別ということでもないでしょう。私も子ども時代に、近所の友だちの家で当時流行った野球盤ゲームをやったとか、家の中で妹とかくれんぼをしたとか、仕事終わりの父親と家の前でバドミントンをしたとか、近所のおじさんが手伝ってでっかいカマクラを作ったとか、そういう思い出はありますが、特殊なことではありません。
そういう意味ではイエス様もユダヤの習慣で大人の仲間入りをする13歳の直前まで、特筆すべきことなく、普通の私たちと同じように、近所の子どもたちと遊んだり、家の手伝いをしながらすくすく成長したのです。
その替わり、イエス様の家族には一つの習慣がありました。41節にあるように、毎年過越の祭のときには、家族そろってエルサレムに旅をしたということです。そうした旅は普通一家族が単独で行くということはなく、同じ村の人たちがグループを作って旅をします。先頭に子どものグループがまとまって歩き、その後ろの大人の女性グループ、最後の大人の男性グループと続き、地域の人たちが一緒に旅するもので、とても楽しい旅路だったに違いありません。
イエス様が後に十字架につけられるために過越の祭のためにエルサレムに向かう旅が福音書に描かれますが、それは子ども時代の楽しい思い出の詰まった道のりだったのです。
12歳というのは、ユダヤ人の子どもたち、その家族にとってはとても大事な時でした。13歳になると、「バルミツバー」といって、律法に対する責任と社会的責任が求められる、いわば成人を迎えるのですが、その前にはエルサレムの神殿で礼拝を捧げることが推奨されていました。いよいよ来年は大人の仲間入りだねという期待と共に、13歳には律法の一部を暗唱したり朗読するような儀式もあるので、その前に十分準備することになっていました。ですから、12歳の過越は一家にとって楽しさだけでなく、とても重要な旅であったわけです。
2.自己理解
12歳の過越の祭が終わり、ナザレへの帰り道で事件が起こりました。そして、この場面で、これから大人になろうというイエス様が自分自身についてどのように理解していたかが描かれています。
さっきも言ったように、エルサレムへの巡礼の旅では子どものグループと大人のグループに別れて移動します。現代では考えられませんが、当時のユダヤ社会では地域の共同体はまさに家族のようにお互いのことを知っていますから、こうした旅が成り立ったわけです。しかし、今回はそれが災いして、子どものグループの中にイエス様がいないことに気付きませんでした。マリアとヨセフがそれに気付いたのは一日の道のりを歩き終え、その日の宿営地についてからでした。簡単なテントを張るか野宿するかだと思いますが、さすがに寝る時は家族一緒ですので、家族そろって休むために息子を探したマリアとヨセフがどこにもイエス様がいないことにやっと気付きました。見つからないので、捜しながら来た道を引き返しました。恐らく真夜中は灯りもなく、危険もありますので、簡単には移動できなかったでしょうから、結局ユダヤ人の数え方で三日後、私たちの感覚だと一日挟んで二日後にようやくエルサレムの神殿で律法の教師たちに囲まれているイエス様を見つけます。
まだ成人に達していない少年が、大人顔負けの律法の知識と知恵深さをもって対話することに皆が驚き、人だかりが出来ていたので、神殿まで行ったところですぐ見つけたことでしょう。
48節のマリアの言葉は、迷子になった子どもを心配する母親の言葉そのものです。私も娘が迷子になったときのことを思い出します。だいたい同じようなことを言いました。
しかしイエス様は迷子になっていたわけではありません。49節はイエス様の返事が書いてあります。これを読むと、なんだかずいぶん生意気な言い方だなと思うのは私だけではないと思います。
生意気と感じるのは日本語の訳の問題もあると思いますので脇に置いておきますが、ここでは2つの大事なポイントが書かれています。
まずイエス様が神様を「自分の父」と呼んでいることです。これは神と人間に過ぎない自分を同列に置くことなので、自分を神と言っているようなものとされ、ユダヤ人は神を冒涜する言葉と受け取られるものでした。しかし、この時点でイエス様はご自分が父なる神と並ぶ者であると理解していたのです。
二つ目は父の家にいるのは当然であると理解していました。神殿という場所にいるというより、神に仕えることが自分のなすべきことだという意味と思われます。
学者たちは、人間の赤ん坊として産まれたイエス様が、人間と同じように成長のプロセスを辿ったのなら、いつ自分が人であるとともに神であり、メシアであると自覚したかと、答えの出ない問いに格闘しています。ルカの福音書を見る限り、ユダヤの成人を迎える時には、自分が何者かをすでに分かっていたということです。
しかしマリアとヨセフにはイエス様の言っていることが理解できませんでした。それでも、何事もなかったかのように、いつも通りの様子で両親の仕事を手伝い、家族とともに過ごしている様子を見守りながら、我が子がメシアであることの意味をマリアたちも学ばなければならなかったのです。
3.神と人とに愛され
最後の52節はイエス様の成長に関するとてもシンプルなまとめの言葉です。
「イエスは神と人とにいつくしまれ、知恵が増し加わり、背丈も伸びていった。」
3つの面からイエス様が健全に成長していったことが記されています。まず「神と人とにいつくしまれ」ということで、神様の愛と家族やユダヤ教会堂を中心とする地域の共同体の中で育まれて行ったのです。メシヤとして生まれたからといって、王宮に生まれた王子たちのように特殊な環境で特別な育てられた方をしたわけではなく、普通の子どもとして幼少期から成人するまで成長していきました。
もう一つは「知恵が増し加わり」ということで、知識が増えたというよりも、知識を生活に活かす知恵をしっかり身につけて行ったということです。マタイやマルコは、イエス様がメシアとしての働きを始めたたとき、故郷の人たちがイエス様を見て「この人は大工ではないのか」と言って、イエス様の権威を認めようとしなかったことを記録しています。つまり、大工であった父ヨセフの職人としての技術や知恵も学び取って一人前の職人としても働けていたということです。ヨセフが早く亡くなったとも言い伝えられていて、若いうちから母マリアや弟たち妹たちの生活を支えるために一生懸命働いていた時期もあったのでしょうし、父のいない家庭で兄弟たちの世話もして来たことでしょう。「知恵が増し加わり」と簡潔に書いていますが、イエス様もイエス様なりの苦労を重ねながら成長し知恵を身につけていったことが伺えます。
三つ目に「背丈も伸びていった」ということで身体的にも健やかに成長していきました。イエス様が公に働きを始めるのは30歳頃のことですが、それは旅をし、町々を巡り歩き、ひっきりなしに人々の相手をしながらという働きですので、健康で頑強な体でなければなりませんでしたから、こうした身体的な成長は大事なことでした。
イエス様は、ある意味で理想的で健全な成長を遂げていったということができます。現代の多くの人が機能不全に陥った家庭環境の中で苦しみや悩みを抱え、歪みを抱えたまま大人になりますが、健全な成長を遂げた人が何の苦労も悩みもなかったかというと、そんなことはありません。
イエス様に現代人にありがちな家庭問題がなかったからといって私たちの気持ちや悩みが分からないということはありません。メジャーリーグで大活躍している大谷選手がどれほど頑張っているか、人の知らないところで苦労したことやものすごいプレッシャーなど、私たちの知らない苦労も不調も必ずあります。イエス様が理想的に、健全に成長したと書かれていても、記されていない苦労は必ずあったと考えるべきです。ヘブル4:15には「私たちの大祭司は(イエス様は)、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯しませんでしたが、すべての点において、私たちと同じように試みにあわれたのです。」とあります。同じ経験ではなくとも、私たちが人生の中で味わうあらゆる試練、弱さをイエス様はちゃんと分かってくださいます。そうした経験を経ながら、私たちを助けられる者として、神様は成長させてくださったのです。
適用:神であり人である方
今日までのところは、ルカが福音書で描いているイエス様の教えと働きの導入部分になります。イエス様がどのような経緯でお生まれになったのか、どんな人たちのためにお生まれになったのかが描かれてきました。そして、約束されたメシアとして生まれたお方は神でありながら、完全に人間として生まれ、私たちと同じ過程を経て成長された方なのだということを見て来ました。ひと言で言うなら、よく言われるように、イエス様は神であり人である方ということです。
もちろんイエス様には特別な面がありました。12歳にはすでにご自分が何者であるかを理解し、そのために備え始めていたことは、何歳になっても「これが本当に自分のすべきことか分からない」と言う人が多い現代人からすれば、早熟すぎるのではないかとも思えます。13歳で成人するのが当然のユダヤ人の間であっても、イエス様の聖書の理解と知恵とは大人が驚くほどでした。神様を父と呼ぶのは私たちクリスチャンが父なる神様と呼ぶのとは全く意味が異なり、自分を神であると主張するようなものです。それをさらりと言ってしまうことに両親も驚きました。
しかし、それ以外は至って普通の、ユダヤの社会ではよくある、貧しい職人に生まれ、少なくとも4人の弟と2人以上の妹たちがいる兄弟の長男として、勤勉に働いて大工としての腕を磨きながら家を支えながら成長しました。
ではルカがこうしたことを意識してわざわざ福音書に記した意図はなんでしょうか。ルカを導いた神様はテオフィロや私たちクリスチャンにどういうことを考えて欲しかったのでしょうか。
イエス様がどういうお方なのかという捉え方の違いは、私たちの信仰のあり方に大きく影響します。
現代の人気のある捉え方は、イエスは1人の人間だったということです。自分が何者であるか最後まで迷いながら、人々の期待や妬みに翻弄され、死んだ後で神に祭り上げられたみたいなストーリーが好まれます。でもそれではイエス様を信じる意味がありません。生き方から学ぶことはできても私たちを救い新しく生きる力を与えることなんてできはしません。
聖書が書かれた時代に出て来た捉え方は、救い主である方がただの人間なわけはないというもので、中には、実は肉体すら持っておらず、そう見えるように振る舞っていただけだという今考えればとんでもない説が唱えられたりもしました。それならイエス様が十字架で苦しまれた姿は茶番であり、イエス様が私たちの苦しみや痛みを理解してくださるというのは単なる願望でしかないことになります。
マリアとヨセフがそうであったように、救い主であるイエス様が完全に神であると同時に、完全に人間であるということを私たちが頭で理解することはできませんが、聖書が指し示していることをそのまま受け入れ信じる時、はじめて私たちはイエス様のうちに慰めと力を見出すことができます。
妻ががんだということが分かって医大病院で手術と治療を受けるために転院したとき、主治医の先生もがん経験者だと分かったとき、とても安心したのを思い出します。イエス様は私たちの弱さも痛みも分かってくださるだけでなく、その力によって私たちを救い、慰め、助け、造りかえる方です。感謝しつつ、信頼して歩みましょう。
祈り
「天の父なる神様。
今日はイエス様の子ども時代のエピソードを通して、私たちのためにお生まれになったイエス様が、神であり、また人でもあられたことを改めて見て、その意味あいについて深く考えさせられました。
神であり、また完全な意味で人でいてくださったので、イエス様は私たちの苦しみや悲しみ、悩みを分かってくださり、完全に神であられるので私たちを救い、また慰め、また新しく生きる力を与えることができます。
イエス様をそのようなお方として受け入れ、信頼して歩むことができますように。
イエス様のお名前によって祈ります。」