2026-01-04 深みに漕ぎ出して

2026年 1月 4日 礼拝 聖書:ルカ5:1-11

 新年も4日目となり、明日から仕事始めという方も多いかと思います。年末年始はゆっくりできたでしょうか。

元旦礼拝の時に、「バンジージャンプかスカイダイビングをやりたい」ということでいろいろ検索している人がいましたが、スゴイ経験をするためには思い切って飛び出す必要があります。全く同じではありませんが、何か新しいことを始める時は、やはり思い切って踏み出す必要があります。ぬるっと始めたのに長続きしたり、何となく上手くいったということもたまにはありますが、大抵のことは決断と行動が必要です。

今日の箇所は、使徒ペテロたちがイエス様の弟子となっていく場面です。後にイエス様の働きを教会時代に引き継いでリードする器となった人たちがどのように導かれたのか見ながら、イエス様が私たちを新しい生き方や新しい道へと招くとき、どのように取り扱い、導いてくださるのか、ご一緒に学んでいきましょう。

1.事前準備

第一に、イエス様は私たちを新しい道へと導くときには事前に準備をしていてくださいます。

イエス様はシモン・ペテロをいきなり捕まえて「私の弟子になりなさい」と言ったわけではありません。ペテロのために事前準備をなさっていました。

まず、イエス様はガリヤラ地方で神の御国の福音を宣べ伝える中で、ある安息日にシモンの家に行きました。先週みた箇所ですが、4:38~41です。この時点で、すでにイエス様とシモンは顔見知り以上のつながりがありました。バプテスマのヨハネの紹介でイエスについていったことがヨハネの福音書に記されています。このあたりでの働きの拠点として家を提供していたようです。

シモンの姑がひどい熱で苦しんでいたので、人々がイエス様に助けを求め、イエス様が彼女をいやしてあげるという出来事がありました。ケロッと立ち上がった姑がいつものように元気に歩き回ってイエス様をもてなし始めたのを見て皆驚きます。当然、その日は安息日ですので、漁に出ることができないシモンも家にいたはずで、姑がいやされた場面に居合わせたはずです。彼はイエス様の権威というものを目の当たりにしていました。

そして今日の箇所です。

その日イエス様はゲネサレ湖のほとりにいました。ガリラヤ湖の方が馴染み深い呼び名ですが、ゲネサレ湖とも呼ばれていました。ところが朝からイエス様の教えを聞こうと、大勢の群衆が集まって押し迫って来たために身動きが取れなくなりました。岸辺には朝の漁から帰って来たシモンをはじめとする漁師たちが網を洗っています。その近くに小舟が二艘あるのをご覧になると、シモンに舟を出して岸から少し離れた所に漕ぎ出すよう頼みました。舟の上から人々を教えるという、ちょっと想像すると面白い光景ですが、安全のために、そしてこの後シモンに話そうと思っていることのために好都合でした。

人々に話し終えると、イエス様は舟を操っているシモンに語りかけます。「深みに漕ぎ出し、網を下ろして魚を捕りなさい」

イエス様が言われたとおりにすると、あまりの大漁に網が破れるか舟がひっくり返るのではと思えるほどで仲間を呼んで何とか岸に辿り着きました。

ここまでの全ての経験がシモンを使徒として招くための準備でした。イエス様の奇跡を見たのはこれが初めてではなかったはずです。しかし、この大漁の奇跡がシモンの目と心を開きました。シモンだけでなく、一緒にいたヤコブやヨハネといった仲間も同じです。この経験が、イエス様の弟子となるようにとの招きの直接のきっかけになりますが、それまでのあらゆる経験がすべて準備でした。イエス様に出会う前に漁師としてガリラヤ湖で漁をして来た経験、生活、生い立ちでさえもがイエス様と出会い、イエス様に驚き、イエス様の招きを聞くための準備であったとも言えます。

イエス様はそのように、私たちを何かイエス様のご用のために用いるというとき、まるでなんの脈絡もない話しを持ち出すのではなく、私がこれまで経験して来たこと、学んで来たこととつながりがあり、理解できることを理解出来る仕方で語りかけてくださいます。知らない間に事前準備をしてくださっているのです。

2.イエス様の招き

この大漁の奇跡はこれからシモン・ペテロやヤコブ、ヨハネといった漁師たちを新しい働きに召すために経験させたものです。この奇蹟はイエス様の権威や力を示すためというより、これから弟子たちが経験することを象徴的に表すものだったのです。

シモンはイエス様の足元にひれ伏して自分から離れて欲しいと懇願しました。この反応は、旧約聖書に登場する何人かの人物が、神様のご臨在にものすごく近づいたときに示した反応とよく似ています。アブラハム、ヨブ、イザヤといった、信仰の偉人と言っても良い人たちほど、神様の圧倒的な存在感と聖さの前に恐れを覚え、自らの罪深さを嫌というほど思い知らされました。シモンもイエス様に対して同じように感じとったのです。

シモン・ペテロはかなり初期からイエス様を知っていて、家でイエス様をもてなしたり、休んでもらったりしており、その流れで姑をいやしていただきもしました。そして漁という彼にとって馴染みの世界で、彼の知識と経験をかるがると越えるイエス様の権威を目の当たりにしました。

ここで注意して読んでいないと気付かない、ルカの文学的テクニックが光ります。8節に「シモン・ペテロ」がイエス様の前に跪いて「私から離れてください」と懇願する場面が描かれていますが、突然「ペテロ」という名前が始めて、何の説明もなしに登場します。読者であるテロフィオや当時のクリスチャンたちは使徒ペテロのことを良く知っていました。ペテロは後にイエス様がつけたあだ名で、親からもらった名がシモンです。読者の頭の中で漁師シモンが、あの使徒ペテロなのかと福音書の物語と実在の人物ペテロが結びつく仕掛けになっていると同時に、後にペテロと呼ばれる使徒の原点がこの出来事であることが強く印象づけられることになるわけです。

そしてイエス様は「恐れることはない」と語りかけます。すでにルカの福音書ではバプテスマのヨハネの父となることを告げられた祭司ザカリヤやイエス様の母となることを告げられたマリアに対して、御使いが「恐れることはありません」と言われていたことを記しています。神ご自身かその使いである者が人間に語りかける時に使う言い方です。それからイエス様は不思議なことを言われます。

「今から後、あなたは人間を捕るようになるのです」

他の福音書には「私について来なさい」という呼びかけがあるのですが、ルカはペテロたちがこれからなすべきことについてだけ簡潔に記します。そして、さきほどの大漁の奇跡の意味がここで鮮やかに示されるのです。

イエス様が使った「捕る」という言葉は、ハンティングのように獲物を仕留める、という言葉ではなく「生け捕りにする」という意味の言葉で、生かすために捕らえる、という意味合いになります。

これから人の理解や経験では測れない、神のみわざにこれから携わっていくとき、イエス様とともに福音を宣べ伝えていく働きの中で、魚ではなく、多くの人々を捕らえて食べるためではなく、生かすためにイエス様のもとに導くのです。その経験はさっきの大漁の奇蹟で味わった驚きのように、弟子たちを驚かせることでしょう。事実、福音書を受け取ったテオフィロや他のクリスチャンたちは、確かに宣教の働きを通して新しいいのちを得たのです。

3.シモンの応答

イエス様の招きに対するシモンや他の仲間たちの応答はきわめてシンプルでした。

11節。「彼らは舟を陸に着けると、すべてを捨ててイエスに従った」

他の福音書によれば、ヤコブとヨハネの兄弟は、父親も一緒に漁をしていたようですし、シモンにも当然仲間がいました。浜辺に舟を上げたら、大漁に捕れた魚の選別や処理をしていたはずですが、それらも捨て置いてイエス様について行きました。

生真面目な日本人は、「やりかけた仕事をまず終わらせて」とか「ちゃんと親や仲間たちに仕事の引き継ぎをしてから」とか考えそうな場面ですが、ここでのポイントは仕事を投げ出したことではなく、イエス様に全面的に従ったということです。

実際、シモンはイエス様と共に旅に出たので、当面は家のことは家族に任せっぱなしになったようですが、家を手放したわけではなく、家族との関係を断ち切ったということでもありませんでした。ガリラヤのほうに来れば彼の家が拠点になったようですし、舟も処分したり誰かに譲ったということではなかったようです。イエス様が十字架で死なれ、よみがえった後で「ガリラヤで会おう」と言われ、イエス様と再会する直前まで自分たちの舟で漁をしていました。また、後に使徒パウロは手紙の中で、ペテロが妻を連れ歩いていることに触れていますから、夫婦関係もちゃんと続いていました。ですから「すべてを捨てて」というのは、彼らのイエス様に全面的に従うとい決意と行動が、舟やそれまでやっていた仕事をそのままにしてイエス様についていく姿に表れたということだと思われます。重要なのは文字通り捨てたり関係を断つということではなく、イエス様の招きに全面的に応えるということです。

イエス様の招きは、これからは漁師として魚を捕って生活するのではなく、福音を宣べ伝えるイエス様の働きを担うことになるというものです。新しい人生は新しい生き方や価値観というだけでなく、新しい目的、新しい仕事を伴うものです。仕事といっても、必ずしも転職するとか、今の職場を辞めるということではなく、生涯をかけてなすべき仕事があるということです。

私の経験の中で、少し似たようなことがあったとするなら、神学校に入学しようというときに、いろいろなものを処分した覚えがあります。いろんな牧師たちが経験しているようですが、そうやって神学生時代に処分したものを、だいぶ時間が経ち年齢が上がってからまた買い直したり、集め直したりしているという話しはよく聞きます。あのとき処分したレコードを買い直したり、CDを買い直したりしましたし、今ではむしろものが増えてしまって、ほんとうに「すべてを捨てて」とはなっていないなあと思うこともあります。しかし、その時は結構な覚悟でしたし、心まですっきりして学び始めたなという実感はありました。

前の牧師の嶺岸先生は本をたくさん持っている方でした。神学生時代が重なっている時期がありましたので、その本好きはよく分かりますが、15年前の震災のとき、津波ですべて流されてしまい相当ショックだったそうですが、でも残りの人生を神様のためにすべて捧げるつもりで仕えるのだとおっしゃっているのを聞いて、ああ、そういう覚悟が大事だなあと思ったのでした。

適用:招きに応える

さて、今日の箇所はペテロがかつて、皆からシモンと呼ばれていて、イエス様から新しいあだ名をもらう前の、イエス様の弟子として歩み始めた場面を見てきました。

ローマでルカが福音書を書いた時期の前後にはペテロがローマにいましたから、おそらくローマ教会のメンバーであったテロフィロにとっては、あのペテロ先生がどうやってイエス様の弟子になったかをワクワクしながら読む経験だったのではないかと思います。ペテロの口から直接聞いていた可能性ももちろんありますが、知っている人が物語の中に登場するというのは分かっていても楽しいものです。

そしてペテロがイエス様のみわざに驚き、恐れながらも、イエス様から「恐れなくていいから」と励まされ、大漁の魚を捕ったように、人間を捕る者になるのだと新しい働き、新しい人生に招かれ、すべてをなげうって全面的に従った姿というのは、あらためて心打たれるものであったに違いありません。ペテロを直接知らない私たちでさえ、こうした箇所を思い巡らす時、いろいろ失敗もするペテロだけど、本当にまっすぐな気持ちでイエス様に従ったんだなあと心が動かされます。

イエス様はルカを通して語られたペテロの物語によって私たちに何を語っておられるのでしょうか

まず、ペテロを招くときもそうだったように、イエス様がご自身の働きのために私たちを用いようというとき、私たちのために備えてくださっていたものを使います。私たちがイエス様のお働きのために役立つようにとイエス様ご自身が備えてくださった経験、学び、技術、知識があるのです。

そして、イエス様はやはり私たちを「人間を捕る」働き、つまり人間を捕まえて自分たちのものにするというのではなく、いのちを与えるための働きに結びつくような仕事を与えてくださいます。これはすごく大事なポイントで、福音を語り教えることで獲得した人々というのは、漁で捕らえた魚のように利用するためのものではありません。それらの人々はイエス様にあっていのちを得るために導かれた人たちです。そのために私たちは仕えるのだということを忘れてはいけません。

最後に、そしてこの務めに当たるためには、イエス様に全面的に応答する必要があることも同じです。役割は違うので、ペテロのように家に家族をおいて旅に出るということはないかもしれませんし、文字通り何もかも捨てるということが必要かは状況によりますが、それでもいままで大事にしていたことを二の次にしなければならない場面は結構あることでしょう。誰かをイエス様のもとに導こうと思ったら、時間をつくって会い、一緒に過ごしたり会話をする必要があります。もしかしたら食事に招いたり、コーヒーを奢ることもあるでしょう。あるいはそのような働きのために完璧に部屋をかたづけたり整えたいという気持ちを二の次にして部屋を開放する必要があるかもしれません。

人々をキリストの福音によって励まし、強めるために仕えよう、励まし合おうとするなら、やはりそのために時間を献げ、心を献げなければなりません。そういう意味で、全面的に応答する必要があるというのです。

そのような決意を促すように、イエス様はシモン・ペテロに「深みに漕ぎ出して、網を下ろして」みなさいと言われました。イエス様がそう言われるのなら、といってペテロが応答したように、私たちもイエス様の招きに応じて、深みに漕ぎ出してみましょう。

祈り

「天の父なる神様。

今年最初の主の日に、こうして兄弟姉妹とともに集まり、礼拝をささげ、みことばに聞くことができ感謝します。

イエス様は、私たちにいのちを与えるために福音を宣べ伝え、またそのために使徒ペテロを召してくださいました。その働きは今も変わらず続いており、この時代、この場所では私たちを用いたいと願ってくださっています。

どうか、私たちがイエス様の招きに全面的に応答し、お従いできますよう、私たちの決心と行動を励まし導いてください。多くの人がイエス様にあって新しいいのちを受け取ることができますように、私たちを使ってください。

イエス様のお名前によって祈ります。」

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