やれるだけのことはやったか

みなさん、おはようございます。
先日、震災後に出来たある支援団体から働きを一旦終えるという内容の丁寧なお手紙が届きました。被災地での直接の支援活動というより、支援にあたっている方々をサポートする働きを中心に広範囲に用いられました。岩手のネットワークも昨年のコロナ禍が始まってからほとんど何も出来ない状況になってしまっていますし、この団体に代わり得る全国規模のネットワークも築かれつつありますので、このタイミングで働きを終えるというのは良い判断なのかも知れません。寂しいですけど。
神様の働きは永遠に続きますが、その中での私たちの働きは、神様が与えてくださったある期間だけなされるものです。人間としても肉体的・精神的に働ける年数に限りもあります。自分の分を終える時に良い形で次の世代や次の働きに委ねたり、引き継いだりできるように、心を込めて、やれるだけのことはやったと言えるようでありたいと思います。

“私は勇敢に戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。” テモテ第二 4:7

今日は婦人会と祈祷会があります。

佐々木真輝

2件のコメント

  1. 真輝先生、おはようございます。
    コメント失礼致します。
    震災によって多くの、本当に驚くばかりの支援が寄せられた事はどれだけ感謝しても足りないぐらいだと被災者の一人として思っております。ただ、我が儘を言えば、心のケアは細く長く続けて欲しかったなというのが本音です。震災後、相談電話の窓口が沢山ありましたが、期限や支援金の問題で終了してしまった窓口がありました。
    先生の仰る通り、人間のする事には限界があるのは承知しているのですが、もっとこう、ソフトランディングできないものなのかなあと我が儘な私は思ってしまうのでした。
    私自身はピアカウンセリングという自分と同じ立場にいる方達のお話を聴いていくという事を細く長く続けていきたいと思っております。

    今日の祈祷会と婦人会が平安のうちに行われますようにお祈り致します。

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