2024年 12月 1日 礼拝 聖書:マタイ21:1-11
今日からクリスマスまでの4週間、クリスマスを待ち望むアドベントの期間になります。先週、掃除の後でクリスマスの飾り付けもして、ちょっとずつ、クリスマスモードになって来ました。
言うまでもなく、クリスマスはイエス・キリストのお生まれを祝う時なわけですが、新約時代の教会にはそういう習慣はありませんでした。キリスト教がローマ帝国内に拡がっていく中で、もとからあった冬至の祭や豊作を祈る祭などにキリスト教的な意味をつけくわえる形で行われるようになり、拡がって行きました。もちろん聖書にはクリスマスのお祝いの仕方や礼拝の仕方について教えがあるわけではありませんし、クリスマスはこうじゃなきゃいけない、という決まりがあるわけではなくいろいろな祝い方をして良いのです。あるいはちょっとつまんない感じもしますが、特別なことはしないという人がいても構わないのです。
ただ、このようにしてイエス様の誕生を季節の行事に落とし込むのは、聖書の世界を私たちの生活と結びつけ、信仰を育む楽しく、良い知恵だと思います。
いずれにしても、私たちにとって重要なのは、祝い方より、クリスマスが指し示しているイエス・キリストです。私たちが焦点を当てなければならないのは「イエスとは誰か」です。
1.ロバの子
今日の箇所はクリスマスとはあまり関係がなさそうに見えます。
ロバの子どもの背中に乗ってエルサレムに入場するイエス様。教会学校の題材によく用いられます。また、自分では小さな者と思っている人でも、自分自身をイエス様に献げるなら思いがけない形で尊い務めを任せていただけるという寓話のように使われる箇所ですが、果たしてどんな意味があるのでしょうか。
この出来事が伝えている一番重要なポイントは、ロバの子の背に乗ってエルサレム入ったイエス様は、王様としてエルサレムに入ったということです。ただし、皆が思い描いているような王様とは違っていました。
ガリラヤ地方からずっと旅をしてきたイエス様は、立ち寄った町や村で人々を教え、道々、12弟子をはじめとする身近な弟子たちを訓練しながらここまで来ました。イエス様の旅ももうすぐ終わり。最後の一週間の日曜日のことです。
1節には「オリーブ山のふもとのベテパゲまで来た」と書いています。ここはベタニヤという、イエス様が何度か泊まったマルタとマリヤの家がある町にも程近い場所で、あと一息でエルサレムに着くという距離です。実際、ベテパゲはエルサレム市内に含まれるのだそうですが、城壁の外にある郊外の街で、深い谷に挟んだオリーブ山のふもとに町がありました。町からは谷の向こう側にエルサレムの城壁と城壁から顔を覗かせているエルサレムの街並みがいくらか見えていたはずです。
イエス様は町に近づいたとき、二人の弟子たちを呼んで、「向こうの村へ行きなさい。そうすればすぐに、ろばがつながれていて、一緒に子ろばがいるのに気がつくでしょう。それをほどいて、わたしのところに連れて来なさい」と指示しました。
常識的に考えたら、勝手に人の家のロバの子どもをほどいて連れて来ちゃだめ、ということではあります。そこでイエス様はこう続けています。「もしだれかが何か言ったら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。すぐに渡してくれます。」」
「主」という言葉は、家の主人とか、身分の高い人に用いられる一般的な言葉ですが、特にユダヤ人の文化では神様を表す言葉です。また同じ言葉がローマの皇帝、つまり王様に対して用いられました。しかし「主がお入り用です」と言えば何でも勝手に使えるということではありません。マタイの福音書では省略されていますが、マルコとルカは同じ出来事をもう少し詳しく書いていて、「主がお入り用なのです」に続けて「『すぐに、またここにお返しします」と言いなさい」とイエス様が言われたことが記されています。実際、二人の弟子たちが町に入ってすぐにロバの子を見つけ、言われた通りにロープをほどいていると、その家の人たちが「子ろばをほどいたりして、どうするのか」と尋ね、言われた通りに答えると許可してくれたことが記されています。
一方、マタイは細かいことを省略し、ただ一点に注目しています。イエス様の振る舞いが、権威ある者としての振る舞いだということです。しかし、権威ある者として振る舞うにしてはロバの子どもというのはいかにもちぐはぐです。普通は王様が王都であるエルサレムに入城するとなったら、ロバの子ではなく、立派な馬に乗って威厳や力強さを示すはずです。
2.ゼカリヤの預言
次にマタイが注目しているのは、イエス様の行動が旧約時代の預言者ゼカリヤが預言したことの成就だという点です。
預言の成就だということが意味することは、神様があらかじめご計画し、約束しておられたことを成し遂げてくださったということです。
5節に引用されている預言の言葉は、ゼカリヤ書9:9です。
「娘シオンよ、大いに喜べ。
娘エルサレムよ、喜び叫べ。
見よ、あなたの王があなたのところに来る。
義なる者で、勝利を得、
柔和な者で、ろばに乗って。
雌ろばの子である、ろばに乗って。
マタイの引用と少し違いますが、「娘シオンに言え」の部分はイザヤ62:11からの引用で、二つの聖句を組み合わせているためです。ゼカリヤとイザヤの預言はどちらも、救いのために約束された王が、やがておいでになるというメッセージです。特にゼカリヤ書を見ると、そこには、イスラエルに敵対する国々に対しての呼びかけがあり、やがて来られる王が、子どものろばに乗ってやって来て、戦車や軍馬に立ち向かい、退け、争いをやめさせ、全世界に平和を告げるということが書かれています。この預言にはいくつか重要なポイントがあります。
まず、神様の救いのご計画の最後の段階で、人を救い、平和をもたらすために約束された王が到来するということです。
二つ目に、この王がもたらす平和は、軍事力のような力によるものではないということです。ロバの子どもに乗って来る王のイメージがそれを象徴しています。武器も持たず、子どものロバに乗って戦車に立ち向かう王様なんてまるで無力に見えますが、しかし、それが約束の王が救いと平和をもたらす方法です。
三つ目に、この救いと平和はイスラエル民族だけでなく、すべての民族に与えられるものだということです。
福音書を書いたマタイはイエス様の十二使徒の一人でした。福音書を書いたのは大分あとの時代、パウロの手紙がほぼ書き終えた頃に、自分がイエス様と旅をしながら見聞きしたイエス様の教えや出来事を整理して福音書を書きました。ロバの子の背に乗って平和の王としてエルサレム入場を果たしたイエス様は、その週のうちに十字架に磔にされ、死んで葬られ、三日目によみがえりました。十字架の死と復活が救いと平和をもたらす道であることをその時はまだ理解していませんでしたが、もちろん今は分かります。ロバの子に乗ってエルサレムに向かったのは、まさに十字架でいのちをささげるための道のりだったのです。
マタイが福音書を書いている時代、彼が見ていた光景は、イエス様による救いがローマの至る所に宣べ伝えられ、福音を聞いた人々が民族を問わず救われ、教会の愛の交わりの中に入れられている姿です。イエス様はこれをもたらすために来た方だったのです。あらゆる国の人々に救いと平和を、力によってではなく十字架という犠牲と、ご自身を与えるほどの愛によってもたらす、平和の王としておいでになったことを示そうとして、あのとき自分たちにロバの子を連れて来るよう命じられたのだと気付かされたのです。
3.この人は誰なのか
さて、最後にマタイが注目しているポイントは、10節に出て来る、エルサレムの住民が「この人はだれなのか」と疑問を投げかけた場面です。
実は、この記事は、今流行の言葉で言うなら、壮大な伏線回収になっています。遡ることおよそ30年前のことです。マタイ2:3はイエス様が誕生したことを知った東の国の博士たちが、その当時の支配者、ヘロデ大王に「新しい王はどこですか」と尋ねて来た時の様子を描いています。「ヘロデ王は動揺し…エルサレム中の人々も王と同じであった」とあります。ヘロデ大王がまだ健在なのに「新しい王が生まれた」というのは「これから何が起こるんだろう」「それは誰なんだ」と人々を恐れさせました。
それから約30年後、再び、大騒ぎとともにロバの子どもに乗った人物が、まるで王様の凱旋パレードのようにやって来たのです。エルサレムの街は当時、ローマの直轄地で、総督ピラトを派遣し、軍隊を駐留させていました。何度も反旗を翻すユダヤ人を押さえ込むためにユダヤ人の宗教と自治を特別に認めつつ、ローマはエルサレムを支配していたわけです。火種があればすぐに燃え上がるようなエルサレムに「王様」が来たとなると、すぐに人々は動揺します。これまでも何度か、王であるとか、救世主であるとか吹聴して反乱を起こした人たちやグループがローマ軍によって滅ぼされました。そのたびに一般市民は混乱に陥って来たのですから、不安にならないほうが不自然です。
イエス様とともに練り歩く群衆はイエス様のために自分の服を道に敷いてカーペットのようにし、「ホサナ、ダビデの子に。祝福あれ、主の御名によって来られる方に」と賛美しました。ホサナはヘブル語で「私たちを救ってください」という意味です。ダビデの子とは、ダビデ王の子孫として来られる約束の王、救い主を指す言葉です。まさに、彼らはイエス様こそが約束の王だと信じ、ついにその救いが成就する時が来るのだと期待したのです。
その騒ぎがエルサレムの東の門を越えても続き、狭いエルサレム市街地に響くと、人々は動揺しながら「この人はだれなのか」とイエス様の周りにいた群衆に口々に尋ねます。すると彼らは「この人はガリヤラのナザレから出た預言者イエスだ」と答えます。この預言者という言い方もまた、終わりの日に到来するキリストを示す言葉として旧約に登場します。おそらく群衆の中の多くがガリラヤからついて来た人たちですので、まるで私たちが大谷くんについて語る時のように、俺たちの街から、地方から出た偉大な人物について誇らしげに語ったのでしょう。
マタイの時代、初代教会のクリスチャンたちが家々や街中で自分たちの生き方やその土台になっている信仰について語るとき、「イエス」という名前が頻繁に出てきます。すると、ある人は怪しみ、ある人は関心を寄せながらも「イエスとは誰か」という問いを心にいだき、口にします。それは今も同じです。私たちの祈りにも賛美にもイエス様の名前が出てきます。クリスマスはイエス様の誕生を祝う日だと説明します。では、いったいイエスとは誰なのか。その答えはこの世界と私たち一人ひとりに救いと平和をもたらすために来られた王、救い主なのです。
適用:私たちの救いのために
マタイの福音書が書かれた時代、すでに教会はローマのあちこちに拡がっていました。すると、ローマの人たちは、このクリスチャンたちが大騒ぎしているイエスとは誰なのかと疑問に思うわけです。ユダヤ人たちも、なぜクリスチャンはナザレ出身のイエスを救い主と信じるのかと疑問に思うわけです。
それに対してマタイは「自分たちがこの目で見、この耳で聞いて来たのは、イエス様が、確かに預言されてきたとおりのお方だった」と証言しているのです。
マタイの福音書は、この新しい王と呼ばれた方が、旧約で預言されてきた救いと平和をもたらす王、キリストであることを、直接の目撃者であった使徒マタイの目と言葉と通して証言するために書かれたわけです。
私たちがクリスマスの時に思いうかべるイメージは馬小屋の飼葉桶ですやすや眠る赤ん坊のイエス様かもしれないし、寡黙なヨセフに見守られ優しいマリヤに抱っこされている赤ちゃんのイエス様かもしれません。教会の玄関を入ってすぐの所にも、この講壇の上にも、そんな様子を表現した小さいフィギュアが飾られています。
そのイエス様がこの世界にお生まれになったのは、やがて世界を治める王として立てられるためです。しかし、革命家のように荒くれ者を引き連れていくのではなく、軍事的な天才として軍隊を率いるのでもなく、狡猾な政治家のようでもありません。
ローマの駐留軍がいるエルサレムに、武器ももたず手ぶらで、ロバの子どもの背中に揺られながら人々の歌声とともに入って行きます。どうやってイエス様を陥れて殺してやろうかと策略を練るユダヤ教の祭司や民の長老たちの陰謀に対して何の対抗策もとらず柔和な姿で歩みを進めます。その先に人々の裏切り、憎しみ、あざけり、そして愛する弟子たちの裏切りと逃亡が待ち受けており、さらには人々の憎しみを一心に受けて十字架の苦しみと死が待っていることを分かっていながら、手に何ももたず向かって行きました。
私たちはこのお方のことを考えなければなりません。イエス様の目にはエルサレムの町並みや群衆が映っていただけではありません。十字架が見えておりますが、それだけではありません。イエス様が十字架の苦しみを受け、死なれ、三日目に復活することで、罪の赦しと平和を受け取る大勢の人々がイエス様には見えていました。その大勢の中に、ここにいる私たち一人ひとりも入っています。
もちろん、目の前で喜び歌っている群衆の裏切りや指導者たちの悪意を分かっていたように、私たちのうちにある罪や醜さ、暗い闇をも知っています。そういう私たちを汚れているとはじくのではなく、なおも愛して、私たちのためにも十字架に向かってくださいました。
イエス様は私たちを救うために、救い主として、この世界に祝福と平和をもたらすために王として、ロバの子の背に乗りました。
「この人は誰なのか」「イエスとは誰か」。その問いに対して聖書は平和の王として来られたイエスは私たちを救う方だと答えます。イエス様を信頼し従うべき救い主、王として信じましょう。
祈り
「天の父なる神様。
ひとり子イエス様を私たちのためにお送りくださり、ありがとうございます。
平和の王として来られたイエス様は、私たちを救うために十字架に向かって歩みを進めてくださいました。その先にある苦しみも、死の代価を払わなければならない、私たちの罪がどのようなものであるかを分かった上で、黙ってそれらを引き受け、歩みを進めてくださいました。
イエス様は間違いなく私たちの信ずべき救い主であり、信頼して従うべき私たちの王です。
ここにいるすべての人が、また「この人は誰か」と問う、私たちの周りにいるすべての人が、イエス様を救い主、また王として信じることができますように。
イエス・キリストの御名によって祈ります。」