2025-03-16 この奥義は偉大です

2025年 3月 16日 礼拝 聖書:エペソ5:21-33

 今日の箇所は結婚式のときに読まれる箇所です。妻は夫に従いなさいという言葉に席上の男性たちが大きく頷き、夫は妻を愛しなさいという言葉に席上の女性たちがもっと大きく頷きます。そして32節の「この奥義は偉大です。私は、キリストと教会を指して言っているのです」という言葉に「ん?」とちょっと首をかしげます。

エペソ書は教会について教えている手紙ですが、教会運営の方法や教会の財政のこと、伝道計画など、私たちが教会で話題にするようなテーマは一切出て来ません。教会とは何なのか、どうあるべきなのかを、イエス・キリストによって実現した神の救いのご計画に基づいて解き明かし、私たちが本当に目を向けなければならないことに中を向けさせます。前回は、この世の様々な誘惑やだましごとに惑わされずに真の愛と喜びのうちに歩むよう教えていました。そして今日の箇所は愛と一致がもっとも強く表される結婚関係へと話題が移ります。聖書は私たちに何を語っているのでしょうか。未婚の方にとってもこの箇所は何か学ぶべきことがあるのでしょうか。

1.最も基本的なつながり

21節でパウロは、「キリストを恐れて、互いに従い合いなさい」と命じています。キリストを恐れるとは、怖がるという意味ではなく、キリストの王としての主権を認め、その権威の前にへりくだるということです。

これまで神のご計画に基づいて教会とは何かを解き明かし、その召しにふさわしい生き方として一致を守ったり、互いに仕え合ったり、心を一新して新しい生き方をしたり、偽物の愛や喜びに騙されないよう注意深くしたりと、教えて来ました。それらの教えも、常に教会という家族、共同体の中の一人であるという前提があったことが分かります。

ですから、イエス様を主とするなら、私たちは、互いに従い合うべきです。言い方を変えれば互いに仕え合うべきだというこの命令は、ここまで解き明かして来たことのまとめです。そしてまた、この後書き始める教会という交わりの具体的な舞台を想定した教えの鍵でもあります。

キリストを恐れ、互いに従い合うように、仕え合うようにとは、教会全体に対して言われていることです。クリスチャンであるならば、だれもが互いに仕え合うのが、教会のあるべき姿です。ところが、話しがいきなり結婚関係に切り替わっているように見えるかもしれません。そんなふうに見えたり、教会から結婚に話しが飛んでいるように見えるのは、現代の私たちの教会理解が聖書の時代の理解とズレているからなのです。

特に日本の教会は、家族の中から一人だけクリスチャンで、場合によっては家族の反対を押し切ってとか、隠れて教会に来ているということもあり、教会が神の家族だと言った場合、見ず知らずの人々がイエス様を信じているという一点でつながり、実の家族では得られなかった深い愛や真実な交わりを築いて疑似家族のような交わりを築く、そんなイメージを抱きがちかもしれません。

しかし神様のご計画の奥義は、キリストを主とあがめる夫婦から始まり、そうしたいくつかの家族が集まって神の家族という共同体を建て上げて行くというものです。神の祝福の約束が、アブラハムとサラという夫婦から始まって全世界まで拡がって行ったように、キリストによる救いと祝福は、一組の結婚関係から始まり、家族、地域、そして世界まで拡がっていくものです。

ですから、互いに従い合いなさいという教会に対する教えが真っ先に適用されるのは夫婦関係なのです。実際の教会の集まりが、家の教会だったことを考えると、この教えがいかに重要であったかすぐに想像がつきます。いくつかの家族が一緒に信徒リーダーの家に集まっていたわけですから、家庭の中での夫婦関係は誰の目にも明らかです。そこにクリスチャンではない友人や友人夫婦を招いたりするのですから、人々は家の教会に集うクリスチャン夫婦のお互いに対する態度や眼差しから、神の愛とは何か、キリストを恐れ敬って仕え合うとはどういうことかを具体的に見るのです。

今日、世界中で家の教会のあり方を学びなおして、実践している教会が急成長しています。そういうやり方をしていない教会だとしても、神の家族の交わりの最も基本的なつながりが夫婦であることには変わりありません。私も結婚前も結婚後も、先輩クリスチャンカップルの姿から本当に多くのことを学びました。

2.妻に対する教え

では互いに従いなさい、仕え合いなさいという教えを教会の基本単位である結婚関係に当てはめて教えているところを見ていきましょう。最初は22~24節の妻たちに対する教えです。

今日の価値観では、いろいろと批判が浴びせられる箇所ではあります。また、夫より妻のほうが高収入だったり地位が高いケース、妻のほうが信仰歴が長く霊的にも成熟している場合もあり、妻が夫に従うという教えに違和感を感じる人がいるかも知れません。

しかし、そういう現代的な視点や現実の状況からこの箇所を時代遅れのものとして見たり、自分たちには合わないと判断する前に、パウロを通して神様が私たちに教えておられることをしっかりと見ましょう。その上で現代社会に生きる私たちの生活にどう適用するかを考えましょう。

22節では「妻たちよ。主に従うように、自分の夫に従いなさい」と明瞭に語られています。主に従うように、夫に従うというのは前の節、21節を受けてのことです。主を恐れるとは、王としてのイエス様の主権を認め、へりくだることを意味しています。23節でも、「かしら」という喩えを用いて、家庭における夫と妻の関係には一定の秩序があることを教えています。ですからここで言われていることは、結婚関係における夫のかしらとしての立場を認めて、謙遜になり、仕えなさいということです。

今日の西洋的な価値観が主流の文化では、日本も含めてですが、こうした夫婦のあり方は古くさいと考えられています。夫婦はもっとフラットな関係で、どっちが偉いとか、必ず男性がリーダーでなければならないというのはおかしいと言われるかも知れません。

確かに、夫婦関係を主人と召使いのような主従関係のように考えるならそれは間違っていますし、「女だからこれやっとけ」というような役割の押しつけは考え直すべきです。

しかし聖書はそういう男女の不平等や女性を一段下に見るような見方を勧めているのではないと私は理解しています。まず土台として、21節にあるように、キリストを主とする私たちは、男女の別や主人か奴隷かといった立場の違い、人種を越えて、互いに愛し愛、仕え合うべき者です。夫や妻の立場である以前から、前提として私たちは互いを尊重し、愛し、相手のために仕えようとする者であるように、というのが聖書の教えです。そういう意味で、私たちは主の前で平等です。

しかし家庭や夫婦という一個の共同体の中では役割の違いがあります。神様は教会家族としての教会のかしらにキリストを立てたように、各家族のかしらには夫を立てたのです。これは何も、過去の日本の家制度に見られたような家父長制、家長が絶対的な権力をもって、妻やその他の家族は有無を言わさず従わなければならない、というようなものではありません。家庭の秩序として、誰かがリーダーである必要があり、神様は夫がリーダーになるようにと定めたということです。

しかし、中には「あの人がリーダーなんて」と腹を立てる妻もいるかもしれません。しかしダメな殿様に仕える有能な家臣は自分が権力を奪い取ろうなどとせず、ダメ殿をもり立て良い殿様なるよう務めます。もし、夫に不満を感じるなら、その時こそ妻としての真の腕の見せ所です。

3.夫に対する教え

次に夫に対する教えが25~33節まで続きます。家庭のリーダーである夫のほうが責任が大きい事が分量の違いにも表れています。夫は、神様の家庭についての教えの奥義をよく理解して家庭を導いていく責任があります。しかしまずは妻に対してです。

「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自分を献げられたように、あなたがたも妻を愛しなさい。」

こちらも非常に明瞭に語られています。妻の救いと喜びが満たされるために、いのちがけで、自分を犠牲にして愛しなさい。

そう言うと「いやあ、妻がもっと自分を大切にして、尊敬してくれたら、もっと愛せるんだけどなあ」と言う人たちが必ずいます。「せっかく従う気になっても、あの人が私を大切にしてくれないから、気持ちが萎えちゃう」と陰での言い合いが始まりそうです。

しかしここでも、相手がどうかということではなく、夫婦関係における夫の妻に対する仕え方として、キリストの愛にならって愛するようにと教えられているのです。

時として夫が妻を大事にする場合には何か下心があります。何か高価なものを買いたいとか、お小遣いを上げて欲しいとか。まあ夫婦の間のことだから、そういうことがあってもおかしくはありませんが、それだけだったら愛とはちょっと違います。

イエス様が私たちを愛したのは、私たち個人と、共同体としての教会の交わりが聖なるものとされ、しみや、しわのない、傷のないものとしてご自分の前に立たせるため、神様の子どもとして成熟するため、あるいはまるで花嫁のように美しく、自信をもってイエス様の前に立てるようにするためです。

同じように夫が妻を愛するのは、しみやシワが目立たないようにする努力をばかにしないで応援するのは良いことではありますが、大事なのは見かけだけでなく、人格と信仰において成熟し、内面からの美しさが輝くためです。そして夫は自分の関心や興味に時間やお金、情熱を注ぐのと同じくらい、妻のために犠牲を払いなさいとパウロは続けます。それは自分を愛することにつながるからと。確かに、一緒に何かをするとか、相手のために何かを費やすというのは、自分のためだけに何かするよりも深い喜びがあるものです。

そしてパウロはいよいよ31~32節で、結婚についての最初の教えである創世記の聖句を引用して「この奥義は偉大です。私は、キリストと教会を指して言っているのです。」と、一度聞いただけではなかなかピンとこない言葉を記します。

もしかしたらエペソ教会を始め、当時のクリスチャンたちにはすっと入って来たかもしれませんが、私たちは教会についての考え方をがらっと変えられる言葉です。

教会は縁もゆかりもない個人が集まってまったく新しい共同体を作るというより、キリストによって変えられたいくつもの夫婦、家庭が集まって作られる共同体です。だから、キリストを主として互いに従い合うことを結婚関係の中で具体的に表現し、妻として従ったり夫として愛することで一つにしっかりと結び合わされていくなら、それはもうすでに教会の基本的な姿がそこにあるということです。互いに愛し合い、仕え合い、違いを超えてキリストにあって一つにされるという教会に対する神のご計画が最初に実現すべき場は教会に属するそれぞれの家庭であり結婚関係なのです。適用:今できること

最後に33節を見て終わりにしましょう。「それはそれとして、あなたがたもそれぞれ、自分の妻を自分と同じように愛しなさい。妻もまた、自分の夫を敬いなさい。」

「それはそれとして」が面白いですね。夫婦や家庭と教会の関係について、これはもう「奥義」ですから、理解が十分でない場合もあります。でも、そこがもしうまくつかめずにいたとしても、自分たちの夫婦関係についてはちゃんと受け止めて、夫は妻を愛し、妻は夫を敬うということはしっかりやりなさいということです。

このことから、私は「今できることをしっかりやりなさい」というふうに読めました。

もちろんこの教えは、結婚している夫婦にまずは適用されなければなりません。夫がいるなら、妻がいるなら、自分の相手に対する態度、言葉、行動はどうだろうか。愛し敬っているだろうかとまずは自問自答する必要があります。その上で、示されることがあるなら、悔い改めたり、行動を変える必要があります。

相手がクリスチャンでない場合でも、夫婦として互いに責任がありますから、聖書が教えているように、愛し敬うことを具体的に表す必要があります。それはクリスチャンの夫婦とは違った、忍耐や努力が必要とされるでしょうし、時には厳しい状況があるかもしれませんが、相手に対する愛と敬意ある態度は、問題を解きほぐしていく助けになるはずです。幾つかの夫婦の危機を見てきましたが、相手に対する敬意を失ってしまうと、本当に何をやっても無駄になります。何とかしたいなら、まずは愛すること敬うことを選択すべきです。

そしてもう年老いた夫婦であるという場合も、この聖書の原則は生きています。若い時とは違ったお互いに対する仕え方があります。より成熟した夫婦関係は若い人たちのモデルにも、希望にもなりますから、「もう手遅れだ」なんて考えずにやってみましょう。

それから、まだ結婚していない人にとっては、これらの教えを具体的な状況の当てはめて考えることは難しいと思いますし、誰か他の人との関係に当てはめることも相応しいことではありません。夫婦には夫婦だけに許され、祝福された親密さと一致があります。替えが利きません。ですから、むしろ良い結婚を祈り求めるべきです。自分の助けになる人、自分の必要を満たしたり、自分の願望を満たしてくれる人を探すのではなく、一生掛けて愛する人と出会わせてくださるよう祈りましょう。この場合も「遅すぎる」ということはありません。ただし、願って祈り、求め始めなければ何も起こりません。

そして既婚者でも未婚者でも、将来を真剣に考えましょう。この世ではある年齢を過ぎると「もう将来がない」と言わます。しかしどんな場合でも将来はあり、今思い描き、願い、行動するならいつでも将来はあります。夫との関係、妻との関係、また伴侶となるべき人との出会い、どのようにしたいですか。もちろん、クリスチャンではない伴侶をもつ方が多い事もよく分かっています。そのば場合でも、聖書が教える原則に従って相手を敬い、愛することをどのような形で表し、実現したいですか。そこに生まれる一致と喜びが、もうすでに教会の姿なんだということをご一緒に喜び、祝えるようになりたいと思います。

祈り

「天の父なる神様。

キリストを恐れれ、互いに従い合うようにとの教えが夫婦を土台とする家族、そして家族の集まり、家族の家族である教会の交わりと一致を強め、豊かにする大事な原則であることを教えてくださりありがとうございます。

夫婦の間に愛と尊敬があり、相手のために仕え合うときに生まれる一致と喜びがすでに教会の姿であることをよく理解し、喜ぶことができますように。そのような結婚関係を目指し、あるいはまた主が備えてくださる伴侶に相応しい自分になれるよう、祈り求めさせてください。

イエス様のお名前によって祈ります。」

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