2025-05-18 あなたもあなたの家族も

2025年 5月 18日 礼拝 聖書:使徒の働き16:23-34

 先週は「母の日」でした。ご存じの方もおられると思いますが、「母の日」の由来は、一人のアメリカ人クリスチャンが、お母さんが亡くなった時に、教会で聞いた「あなたの父と母を敬え」という教えを思い出し、お母さんへの感謝の気持ちを表す方法はないかと考え、追悼会を開き、来られた方々にお母さんが好きだった白いカーネーションを配ったという出来事が始まりです。

聖書においては、家族は非常に大切なものとして扱われています。そして聖書は、救いの恵みというものを、個人のものとしてというより、家族にまで及んでいくものとして描いています。

今日開いている聖書箇所には、有名なピリピの看守が登場し、看守に対するパウロの言葉として「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」という有名な聖句が出てきます。ある人はこの言葉を神の約束だと信じますが、また一方でなかなか変わらない状況に失望する人もいます。聖書はいったいどういう意味でこの言葉を記しているのでしょうか。続きを読む →

2025-05-04 選ぶべき道を知ったなら

2025年 5月 4日 礼拝 聖書:ヨシュア記2:1-24

 今年度は月初めの礼拝で、年間主題に沿って、聖書の中で様々な形で用いられた人物に焦点を当てて、「一人ひとりが恵みの器」だということについて学んでいきたいと思います。

今日は「遊女ラハブ」として知られている、古代の城塞都市、エリコに暮らしていた女性に注目します。ラハブは自分が選ぶべき道を知った時、それが同胞への裏切り、王への不忠義と見られると分かっていても、その道を進みました。

私たちは、それぞれの歩みの中で、この道に進むべきだなと分かっていても、恐れることがあります。何が正しい選択か分かっていても、迷いが生じることがあります。

ラハブはいかにして進むべき道を知り、そして進むことができたのでしょうか。そして、選んだ道の先に何があったのでしょうか。私たちが神を信頼して、進む時にどんなことが起こり得るのか、どのような恵みの器として用いられ得るのか、今日はご一緒に考えてみましょう。続きを読む →

2024-04-27 生ける望み

2025年 4月 27日 礼拝 聖書:ペテロ第一1:3-9

 先週はイースターでしたが、イエス様の復活はどのようにして私たちの希望となるのでしょうか。

先日、知り合いから昨年9月に行われた星野富弘さんのメモリアルコンサートの録画が限定公開されるという知らせをいただき、見させてもらいました。富弘さんは体育教師だった時代に事故で首から下の自由を失い、筆を口でくわえて草花と詩を描き続け、去年の4月28日に召されるまで多くの人々を励まし、慰めて来ました。

もちろん事故直後は絶望し、何のために生きなければならないのか分からない苦しみがあったそうです。そんな富弘さんが、あるとき「患難が希望に至る」という聖書の言葉に触れ、今の苦しみは希望につながっていると信じたいと思うようになました。最初は線一本描くのも難しかったのに、地道に練習を重ねて、素晴らしい絵と詩を書けるようにまでになりました。よみがえられたイエス様を知るとき、苦難の中での希望が、これほどまでに本当に人を活かす力になるのだと驚かされます。私たちもそうなれるでしょうか。続きを読む →

2025-04-20 なぜ泣いているのか

2025年 4月 20日 礼拝 聖書:ヨハネ20:11-18

 今日はイースターということで、主イエス・キリストが十字架による死から三日目によみがえられたことを覚え、お祝いする日です。今年も、お祝いのためにイースタークッキーを用意しましたので、ぜひ家族やお友だちへのプレゼントとして利用し、あかしの機会としてください。またイースターエッグにちなんで「かもめのたまご」を頂きましたので、こちらも楽しんでください。

しかし聖書を読んでみると、イエス様がよみがった朝は決して楽しく喜ばしい雰囲気ではありませんでした。むしろ何が起こっているのか理解できず、当惑した弟子たちの様子が目に付きます。直接、復活されたイエス様と会った時も、喜んでいる様子もありますが、どうも理解しきれず、信じ切れずに戸惑う姿が印象的です。少しずつ、確信を得ていったようです。そして、今日登場するマグダラのマリアなどは、涙に暮れています。

喜びとはほど遠い、復活の朝の嘆きはどのようにして喜びへと変わっていったのでしょうか。

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2025-04-13 主があなたを助けるから

2025年 4月 13日 受難週礼拝 聖書:イザヤ50:4-9

 とても有名で、その人のしたことは誰でも知っているけれど、その人の心に何があったかは知られていない、ということはよくあります。イエス様の場合もそうです。

今日から受難週になります。イエス様が十字架に向かってまっすぐ目を向け、残された時間を惜しむように大切に過ごされました。イエス様はロバの子の背中に乗ってエルサレ入城し、神殿で商売をしている人々の追い出し、弟子の一人に裏切られ、が弟子たちの足を洗う。最後の晩餐を一緒に過ごし、ゲッセマネの園での血の汗を流して祈り、逮捕され無理筋な裁判による鞭で打たれ、十字架を背負い、処刑され埋葬される。こういった印象に残る重要な出来事がわずか一週間の間に起こりました。どの福音書も、イエス様が救い主としての使命のために果たした重要な事柄を淡々と描いていますが、その胸の内にあったことについてはあまり書いていません。

今日開いているイザヤの預言は、イエス様がどのような思いで十字架に向かっていったかを推し量ることのできる箇所です。続きを読む →

2025-04-06 一人ひとりが恵みの器

2025年 4月 6日 礼拝 聖書:イザヤ64:8

 新年度に入り、新しい歩みを始めた方もおられますが、教会としても、心をまた新たにされて歩んで参りたいと思います。

さて、今年度の主題聖句としたイザヤ書には「私たちは粘土で、あなた私たちの陶器師です」という言葉があります。粘土と陶器師を比喩に用いた、私たちと神様との関係はどのようなものでしょうか。

たぶん小学生の時だったと思うのですが、陶芸クラブというのに入っていたことがあります。それ以来、回数は多くありませんが、何度か陶芸に触れる機会があり、その度に不格好な器が増え、今でもその一部が我が家の食器棚に収まっています。あまり使う機会はないのですが、捨てるに捨てられずにいます。陶芸家の古い知人もいて、何度か陶芸についての考えを聞いたことがあります。今日はそんなことも思い出しながら、しかし、聖書自体の文脈とメッセージを見失わないように、神様が預言者を通して語っておられることに耳を傾けたいと思います。続きを読む →

2025-03-30 堅く立つために

2025年 3月 30日 礼拝 聖書:エペソ6:10-24

 サッカーや野球、ラグビーなど、スポーツの試合開始前には選手やコーチがエンジンを組んで、キャプテンから選手たちに激励の言葉がかけられます。有名になったのは昨年のワールドベースボール決勝で大谷選手がスピーチした場面かもしれません。こうした戦いの前の激励の時というのは、もとをたどれば戦場に送り出す王や将軍からの激励と備えよとの命令に遡ります。敵の攻撃を前に、ひるみがちな兵士たちを力づけ、防具と武器を取って大事なものを守るために勇敢であれと励ますわけです。今日はそんな箇所です。

今日はエペソ書最後の箇所になります。これまで、パウロは前半で私たちが召された神様の救いのご計画について語り、後半でその召しにふさわしく歩むようにと教えて来ました。具体的には神の計画の中心には教会があり、教会における歩みのふさわしさは、まず最初に私たちの心と行動の変化、そして家族の関係性に表れるのです。しかしパウロは、召しにふさわしい歩みをしようとするときに、戦いがあるということを良く知っていました。続きを読む →

2025-03-23 我が家と我は

2025年 3月 23日 礼拝 聖書:エペソ6:1-9

 今年に入ってからエペソ書を改めて学び直しています。神様が世界の基の置かれる前から私たちを選び、聖く傷のないものにしようとキリストにあって選んでくださり、私たちの救いのためにご計画を立ててくださいました。イエス様の十字架の死と復活によって神様のご計画は実現しましたが、このご計画には奥義と呼ばれる、まだ明かされていなかった秘密がありました。それは罪と死によってバラバラに分断されていた世界をキリストにあって1つにするというものです。この世界で、その最初の実、具体的な形として主が立ててくださったのが教会です。

改めて驚かされ、考えさせられるのは、教会についての教えなのに、パウロを通して主が私たちに語る内容は、教会として何をするかというようなことではなく、教会に連なるそれぞれの家族がどうあるべきかということなのです。先週は夫婦の関係についてでしたが、今日は親子の関係について、また後半では奴隷と主人の関係についてです。何が教えられているか、じっくり見ていきましょう。続きを読む →

2025-03-16 この奥義は偉大です

2025年 3月 16日 礼拝 聖書:エペソ5:21-33

 今日の箇所は結婚式のときに読まれる箇所です。妻は夫に従いなさいという言葉に席上の男性たちが大きく頷き、夫は妻を愛しなさいという言葉に席上の女性たちがもっと大きく頷きます。そして32節の「この奥義は偉大です。私は、キリストと教会を指して言っているのです」という言葉に「ん?」とちょっと首をかしげます。

エペソ書は教会について教えている手紙ですが、教会運営の方法や教会の財政のこと、伝道計画など、私たちが教会で話題にするようなテーマは一切出て来ません。教会とは何なのか、どうあるべきなのかを、イエス・キリストによって実現した神の救いのご計画に基づいて解き明かし、私たちが本当に目を向けなければならないことに中を向けさせます。前回は、この世の様々な誘惑やだましごとに惑わされずに真の愛と喜びのうちに歩むよう教えていました。そして今日の箇所は愛と一致がもっとも強く表される結婚関係へと話題が移ります。聖書は私たちに何を語っているのでしょうか。未婚の方にとってもこの箇所は何か学ぶべきことがあるのでしょうか。続きを読む →

2025-03-09 愛と喜び

2025年 3月 9日 礼拝 聖書:エペソ5:1-20

 中学生くらいの頃、アディダスのスポーツバッグが流行りました。今の日本はブランドの偽物に厳しいですが、当時は「バッタもん」と言って、デザインやロゴをよく真似た偽物がかなり出回っていました。よくみたら「Adidas」が「Adios」になっていたとか、笑うしかありません。

激安だと喜んで偽物をつかんでしまった私たちは、騙されやすかったということで笑い話で済むかもしれませんが、本物を誇りと愛情を込めて作っているメーカーとしてはたまったものではなかったに違いありません。

神様は、ご自身の永遠の救いのご計画をお立てになり、キリストにあった私たちを選び、愛と喜びに満ちた歩みへと招いてくださったのですが、私たちはその愛と喜びを教会家族との交わりの中で、隣人との関わりの中で具体的に見出して、味わい楽しんでいきますが、もし偽物を掴んでしまったら、どうでしょう。神様はとても悲しみ、私たちは空しさを味わうことになってしまいます。続きを読む →