道幅

みなさん、おはようございます。
昨日、婦人会のときに教会の前の通りではトラック同士のすれ違い事故がありました。道の両側に雪が積み上がった上に段差が出来ていて、お互いに傾いた状態ですれ違おうとしたための接触事故だったようです。たまたま教会の前だったので、とても申し訳ない気持ちもしました。教会の周りや歩道部分だけで精一杯で、道路側の除雪まではできないのでほんとに申し訳ないです(皆さんもどうぞお気を付けて)。
道幅が狭くなると詰まりやすいとなると、車だけでなく血管の狭さくとかもイメージされますが、神様とのつながりもいろんな「あか」がこびりついて細く弱くなって、滞りが起こってしまいます。人間同士の交わりにもそういうことがあります。そういう「詰まり」は自力ではどうしようもなく、誰かの助けが必要な事があります。神様の助け、人の助けを受けながら豊かな流れを味わわせていただきましょう。

“直ぐな人の大路は悪から遠ざかっている。
自分のたましいを守る者は自分の道を見張る。” 箴言 16:17

今日は*****さんの誕生日です。祝福をお祈りいたします。

佐々木真輝

レパートリー

みなさん、おはようございます。
昨日の夕飯のために「きんぴらごぼう」を久しぶりに作りました。七味唐辛子でピリっと仕上げるのが好みです。ほとんど同じ調理方法で、レンコンやウドなんかでも「きんぴら」が作れます。日頃から料理をしている人は、同じ材料からいろんな料理を作ったり、同じ調理法で材料を変えてアレンジしたりと様々なレパートリーを持っているのでしょう。
基本を知っていれば様々な状況に対応しやすいのは料理だけでなく、様々な仕事の技術に言えることです。そして信仰生活にも同じことが言えます。毎回レシピ本通り、マニュアル通りにするのではなく、基本を応用して創意工夫できることが信仰による生活を彩り豊かに、また長続きさせる秘訣です。

“知恵のある者は聞いて洞察を深め、
分別のある者は導きを得る。” 箴言 1:5

今日は*****さんの誕生日です。祝福をお祈りします。
婦人会と祈祷会もあります。午後は神学校の教師会です。

佐々木真輝

私は小さい火

みなさん、おはようございます。
ずっと昔、アメリカの警察官が採用しているという謳い文句の懐中電灯が流行し、その辺のホームセンターでもよく売られていました。大きなものは警棒代わりにもなるという事でしたが、さすがにそこまでの必要はないので、単三電池2本で光るものを購入し、愛用していました。といっても豆電球より小さい麦球と呼ばれる電球の光はLED時代の今となってはいかにも暗く、ここのところ活躍の場がありませんでした。しかし、このライトをLED化できるキットがあると知って、さっそくトライしてみました。オレンジがかった味のある光の色味ではなくなりましたが、確かに明るくなり、たぶん電池の持ちも良くなったのではないかと思います。
子ども讃美歌の「わたしはちいさい火(This Little Light Of Mine)」という歌を思い出しました。イエス様は、クリスチャンは世界の光だと言われましたが、圧倒的に大きな世界で私たちの光はいかにも小さく感じます。隠してしまいたい誘惑にかられ、また吹き消そうとする悪しき風も吹くでしょうが、それでもこの小さな光をかかげ続けていこうと励ましてくれます。

“このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです。” マタイ 5:16

今日は****さんの誕生日です。祝福を祈ります。
午後からは神学校のオンライン会議があります。良い話し合いとなりますようお祈りください。

佐々木真輝

忘れない

みなさん、おはようございます。
昨日は阪神淡路大震災から27年目という日でした。良い思い出や楽しい記憶ではありませんが、忘れられない、忘れてはならない記憶の一つです。「忘れない」という言葉を何度も目にし、耳にしましたが、果たして何を記憶し、忘れないようにしたらよいのかも大事なポイントですね。犠牲になった方々やあのひどい現場で他者のために行動した人たちのことを忘れないというのも大事ですし、教訓を忘れないことも大事です。人間は忘れやすいもので、津波警報のアラームやサイレンもただうるさい騒音と捉えてしまう人もいたようです。人間には正常性バイアスといって相当の危機の時でも「自分は大丈夫」「今回は大丈夫」「まだ大丈夫」と思いたがる傾向があります。そんなところにも苦い経験でも記憶し、語り継ぐ必要性を感じます。
苦い記憶を忘れないというのは災害だけではありません。私たちの過去の失敗や罪がもたらした結果なども忘れてはいけないものかもしれません。赦されているのですから罪悪感に捕らわれ続ける必要はありませんが、未来への教訓として大切な経験です。

“私が良い教訓をあなたがたに授けるからだ。
私の教えを捨ててはならない。” 箴言 4:2

佐々木真輝

深夜の警報

みなさん、おはようございます。
夕べお風呂に入っている間に「津波警報・注意報」が出されていることを知って驚きました。特に地震を感じたわけではなかったので何が起こっているのか分かりませんでした。奄美地方がわりと高い津波が来たようですし、岩手でも津波が観測されていました。具体的な被害があったのか夜の時点では分かりませんでしたが、数十センチでも大きな被害が出るものですから気がかりです。
遠くにいる方々が無事であるように、大きな被害がないようにと祈るばかりです。そして震災の時に津波を経験した方は不安や恐れがよみがえっている方も多いことでしょう。具体的な被害がなくても、心までが恐れの波に飲み込まれませんように。

“奔流が私を押し流さず
深い淵が私を吞み込まず
穴が私の上で口を閉じないようにしてください。” 詩篇 69:15

今日は月一度の愛餐礼拝(夕拝)があります。

佐々木真輝

2022-01-16 最初のささげもの

2022年1 月16日 礼拝 聖書:創世記4:1-7

 よく献金についてクリスチャンでない方やはじめて教会においでになった方に対して、「これは会費やお賽銭ではありませんので、準備のない方はパスしていいですよ」という説明をします。

ところが、洗礼を受けて教会員になると「十分の一献金をしてください」「教会会計が満たされるよう祈ってください」と言われるようになります。自由献金とはいえ、毎月のことでもありますし、会費と何が違うのかよく分からず、やんわりとしたプレッシャーもかかってきます。

私たちにとってお金は生活のあらゆる面で必要とされます。お金だけでは幸せになれないと言っても、お金がないと出来ることは相当限られてしまいますから、やっぱりあったほうがいい。

そうなると、献金という、自分のために使うわけではないお金をどれくらい献げたらいいのか悩むことがしばしばあります。続きを読む →

ぶどうジャム

みなさん、おはようございます。
冷蔵庫の中で干しぶどうになりかかっていた葡萄がありました。カビたりはしてませんが、さすがに生食には向かないのでジャムにしました。他に順番待ちのリンゴもあります。最近、朝ご飯を食べないのでパンもほとんど食べませんので、ジャムにしたからといってすぐに消費できるわけではなさそうです。でも保存食としては優れていますし、何より美味しいですね。
フレッシュなものにはフレッシュなものの良さがあり、長持ちするよう加工されたものにはまた別な味わいがあります。私たちの信仰や人格も、若々しい新鮮な時もあれば、じっくり熟成され味わいが増す時もあります。それぞれの季節の良さがかもしだされるようでありたいですね。

“神よ あなたは私の若いころから
私を教えてくださいました。
私は今なお
あなたの奇しいみわざを告げ知らせています。” 詩篇 71:17

佐々木真輝

はばむもの

みなさん、おはようございます。
昨日は大変な吹雪でした。昨日締め切りの依頼されていた原稿があって、青森での奉仕と一昨日の牧師会を済ませて一日集中して取り組むつもりいたのですがすっかり目論見が外れてしまいました。時々外に出て玄関周りくらいでも除雪しようとすれば、その都度ある程度時間もかかり、寒さも相まってちょっとずつ疲労も溜まり、なかなか進みません。担当の編集者の方に事情を伝えてちょっとだけ締め切りを延ばしていただくことにはなりましたが、今日はどうなることでしょうか。
計画や予定が思いがけない事柄で狂ってしまったり、はばまれてしまうことがしばしばあります。意図的な邪魔が入るようなことは怒りも覚えますが、天候のようにどうしようもない事だと、誰に文句を言ってもしかたがないので、諦めてなんとか対処するしかありません(愚痴はでてしまいますが)。でも、そういう苦労にしっかり対処することもまた聖書が教える知恵ある者の生き方です。

“家の者のために雪を恐れることはない。
家の者はみな、紅の衣服で身を包んでいるから。” 箴言 31:21

今日は婦人会と祈祷会があります。

佐々木真輝

会える喜び

みなさん、おはようございます。
一昨日、青森での奉仕を終え、昨日は岩手同労者会で久しぶりにリアルにお会いしての新年会でした。わずか2年の間に、人と会うということがどれほどありがたいことなのかと、あらためて思わされました。変異株やら第六波などと言われていますが、世の中の動きはもう、そう簡単には止まらないだろうと思います。厳しい制限がかかる人たちと、気にしつつも動きや移動が活発になっていく人たち両極端に分かれてしまうのかもしれないなと思うと、それもまた心が痛みます。
どんな時代にあっても、人と会うこと、交わりを保つことは正しいことであり、良いことであり、必要なことです。たとえ制限のある中でも、機会があったならそれを神様からの恵みとして喜びたいものです。

“主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがたすべてとともにありますように。” 2コリント 13:13

佐々木真輝

初夢

みなさん、おはようございます。冬の休暇を終えて今日から通常運転です。
「初夢」というにはちょっと日が経ちすぎましたが、休暇中に今年最初の夢を見ました。ドラマ共演がきっかけで結婚して話題になった人気の俳優・女優が夢に登場しました。その俳優さんとずいぶん親しく話しをしていましたが、最近「不仲説」が噂されているのが気になって「大丈夫?」と聞くと、「実は」と真顔で話し始めます。「実は来年の2月に子どもが生まれるんです」。それで「なるほどそういうことだったか」と妙に納得して、もちろん口外しないことを約束して喜び合うという、とっぴな内容でした。何かを暗示しているのか、何か特殊な心理状態を反映しているのかさっぱり分かりませんが、楽しい夢でした。
もちろん初夢には何も聖書的な根拠はありませんので、縁起の良い夢を見たかどうかなんて気にする必要はありません。寝ている間に見る夢にあまり深い意味を求めすぎるのは気をつけなければなりませんが、夢を持つこと、志を持つことは大事なことです。100%夢に届いたり志を達成することが保証されているわけではありませんが、目指すものがなければ成功はもちろんのこと、成長もないですから。

“神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です。” ピリピ 2:13

佐々木真輝