なぜ続けるかを思い出すために

みなさん、おはようございます。
昨日の午後は11回目となる「3.11集会」」がオンライン開催されました。県内のネットワーク関係の教会を中心にしようということで、広く案内をしたりはしなかったのですが、それでも約90名の参加だったでしょうか。かつてコアメンバーだったW先生やスタッフとして長期間被災地で奉仕してくださった方々、そして通訳がつかなかったのに海外からも参加してくださっていました。
過去の災害について追悼し、記念するという意味だけでは、関わりの深さがそれほどでなければ時とともにその意義が薄まり、忘れられることもあります(とはいっても東北三県の多くの人にとっては忘れがたい日です)。けれども、あの出来事を通して神様が教えてくださったこと、始めてくださったことに目を向けるなら、現在進行形のこととして、なぜこれを続けるのかを再確認する日でもあります。少なくとも私にとってはそういう日です。大塚先生も言ってましたが、教会が主を礼拝するために集まり、人を招くだけでなく、弱っている人、痛んでいる人たち、地域に寄り添うために出て行き、関わり、神様の愛の目に見えるかたちとなることを続け、また求めて行きたいとあらためて思わされました。

“彼は言った。「その人にあわれみ深い行いをした人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って、同じようにしなさい。」” ルカ 10:37

今日は****さんの誕生日です。中学を卒業し春からは高校生です。骨折も早く良くなりますように、祝福を祈ります。
今日は午前中に神学校の教師会、午後はネットワークのコアミーティングです。

佐々木真輝

もっと良い故郷

みなさん、おはようございます。
一昨日の午後、錦秋湖でのKGK春期学校での奉仕を終え無事に帰って来ました(終わってからの抗原検査も陰性でした)。ですが、家にはまだ帰っておらず、教会のゲストハウスに寝泊まりさせてもらっています。妻の職場の事情で、念のため丸3日間、家には帰らないことにしています。ご飯を作ったり、洗濯したりといった家事で困ることはないし、むしろ楽しみを見つけています。それにゲストハウスは最初の数年間自宅として過ごした場所でもあるので、寂しいとか、居心地が悪いということもないのですが、それでもはやく自分の家に帰りたいと思いますね。
私たちにとって、この世界は、不完全でいろいろと問題もあったりしますが、それでも自分の居場所ですし、居心地の良さだってあります。それでも私たちにはもっと良い故郷があって、神様が用意していてくださることはとてもありがたいこと。災害や戦争といった出来事で住む家を失ったり、脱出せねばならない事情の人たちに安易に言えることではないですが、ここよりもっといい場所があるという信仰が力になることって確かにあります。

“しかし実際には、彼らが憧れていたのは、もっと良い故郷、すなわち天の故郷でした。ですから神は、彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。神が彼らのために都を用意されたのです。” ヘブル 11:16

今日は礼拝の後、午後から3.11集会があります。

佐々木真輝

2022-03-13 わたしを誰だと言うか

2022年 3月 8日 主日礼拝 聖書:マタイ16:15-17

KGKという大学生や専門学校生のための働きがありまして、先週はその東北地区の春期学校というものにお招きいただき、3回のメッセージを担当してきました。「わたしを誰だと言うのか」というとても大切なテーマでしたので、そこでお話したことを整理して3回に分けて礼拝の中でお話ししていきたいと考えています。

イエス様とはどういう方なのか、それは自分にとってどういう意味があるのか。これは私も向き合ってきた課題です。はるか昔の事ではありますが、学生時代や青年期に悩んだ面もありますが、今もなお、その意味合いをたずね求めてもいます。先週の春期学校に集まった学生たちのほとんどはすでにクリスチャンでしたし、その中のかなりの割合がクリスチャンの両親のもとに生まれた子たちでした。わたしがよく知っている方々のお子さんたちも何人かいました。それでも、この質問は深く考えさせられるテーマだったようです。続きを読む →

念のため

みなさん、おはようございます。
今日から大学生たちの集会(KGK春期学校)が始まります。今日はオンラインですが、明日からは対面で行われます。新型コロナの感染が拡大してからは子どもキャンプも出来ずにいましたし、この手の集会は本当に久しぶりです。毎日、岩手だけでなく東北各地の感染状況を気にしながら、2週間前から毎日体温を測り、健康チェックを重ねて来ました。さらに事前の抗原検査を行います(学生たちがそういう計画を立てました)。そして終わってからも市内の薬局で受けられる検査を予約しています。さらに、家内の職場の上司からは家族が県外の方と密接な接触があった場合には3日間の隔離をしてほしいとの事でしたので、しばらくゲストハウスで過ごします。
ふだんの生活パターンを考えると感染リスクが高いとまでは言えないと思いますので、こうした対策の多くが「念のため」なのだろうなとは思います。マスクをしない自由とか、気にせず生活したいと主張する人たちの気持ちも分かりますが、こういうことを少々厄介だなと思いながらもコツコツやっているから、誰かの助けになっているだろうと考えてやります。それが今の状況での、私たちの社会での隣人愛の一つのあり方なのかなと思っています。

“ですから、人からしてもらいたいことは何でも、あなたがたも同じように人にしなさい。これが律法と預言者です。” マタイ 7:12

少し早いですが、明日は****さんの誕生日です。祝福をお祈りします。
今週は婦人会と祈祷会はお休みとなります。

佐々木真輝

2022-03-06 希望が見えないときに

2022年 3月 6日 礼拝 聖書:ヘブル11:32-40

 この2年間、私たちは新型コロナウイルス感染症の世界的な拡大という今まで経験したことのない状況を歩んで来ました。

思い返せば、日本で最初に感染者が見つかってから少しずつ全国へと拡がっていく中で、岩手だけが感染者ゼロの期間が続き、岩手には特別な何かがあるんじゃないかと盛んに言われたこともありましたが、いざ拡がり始めれば特別なことは何もありませんでした。

大きな波が収まり始めると「ああ、もうすぐ終わりだ」と期待し始めますが、また次の波が来て「やっぱりまだか」と失望する。まるで今の時期の春を待つ感じに似て、解けてはまた降る雪に心がアップダウンするみたいです。

そして岩手出身の選手たちがめざましく活躍したオリンピックの興奮が冷めやらぬうちにロシア軍によるウクライナ侵攻が始まりました。ウクライナやロシアの一般の人たちのことも気がかりですが、南北に領土問題を抱えている日本にとっても人ごとではありません。続きを読む →

ひな祭り

みなさん、おはようございます。
最近、お店に桃ものやピンクのものがよく並んでいるなあと思ったら、今日は「ひな祭り」だったんですね。女の子の健やかな成長を祈る古くからの行事です。教会ではひな祭りに因んだ行事をすることはあまりないですし、むしろ「異教的」という理由で避ける人も多いですね。長い歴史の中でいろいろな習慣が付け加えられて来ていますから、確かに異教的というより迷信やげん担ぎのような色合いはあります。でも、子どもの健やかな成長を祈る願いは当たり前のことですし、子どもの死亡率の高かった時代ならなおさら強く願うのは理解できます。
私たちは今、戦渦の中で新しい命が誕生したり、幼い子どもが恐怖に怯えたり、まだ子どもと言えるような若者が銃をとらなければならない状況にあるのを見ています。我が子ばかりでなく、神様から命をいただいた全ての子どもたちの安全と健やかさを祈りたいと思います(ちなみに昔はひな祭りは女の子に限定しなかったそうです)。

“そしてイエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。” マルコ 10:16

今日は****さんと****さんの誕生日です。祝福を祈ります。
婦人会と祈祷会があります。

佐々木真輝

不器用な親切

みなさん、おはようございます。
何日か前の明け方近くに、夢を見ていました。カフェっぽいお店にいるのですが、なぜか私は和風な小上がりの席に座っています(まあ夢の世界ですから)。通路を挟んだところに、若いろう者のカップルが注文しようとメニューを見ています。そこに店員さんが来て注文を取ろうとします。食事の内容は指さしをしたりジェスチャーでなんとか通じました。ところがもう一つの注文で困ったことになりました。そのお店ではどういうわけかDVDのレンタルも出来るということで、そのカップルは何かDVDを借りようとしたのです。ところが店員さんは「実は準備に一時間くらいかかる」と説明しようとするのですがなかなか通じません。そこで私がずっと前に覚えた手話で何とか状況を説明しようと試みるのです。しかし、なかなか肝心の単語を思い出せなかったり、指文字が混乱していたりで苦労します。それでも何とか通じてみんなハッピーでしたというところで目が覚めました。夢からさめて、すぐに「スマホ使えば良かったな」と思いました。でもなぜか夢の中では、不十分ながら、何とか役に立とうと傍目から見たら不器用で無駄に思えることをやってたんですね。
気遣いやさりげなさも大事ですが、善意や親切を示す時にスマートであろうとしすぎると時を逸してしまいます。不器用でも、さっと動ける者でありたいです。

“親切なことばは蜂蜜。
たましいに甘く、骨を健やかにする。” 箴言 16:24

佐々木真輝

愚かさ

みなさん、おはようございます。
ウクライナでの戦争に限らず、指導者が戦争を決断するときは判断を間違っているからそうするのだと言われます。戦争を始めても得るものより失うものの方が多い場合が殆どです。日本が始めた太平洋戦争もそうですし、最近では湾岸戦争とかもそうです。だから、国際的な枠組みや国内の側近たちが知恵を出したり、牽制したりして判断を間違えないようにがんばるのですが、人間はどうやっても間違えるものです。
恐れや焦りがまさって物事が正しく見えなくなったり、恨みや個人的な感情の問題が合理的な判断よりまさってしまったり。私たちは戦争を始めるような立場にはありませんが、それでも後で考えれば「なんて愚かな」と思うなことをしてしまった経験は誰にでもあります。私たちはそのような者であると自覚し、謙虚になることから始めなければなりません。

“聞かせてください。主である神の仰せを。
主は 御民に 
主にある敬虔な人たちに 平和を告げられます。
彼らが再び愚かさに戻らないように。” 詩篇 85:8

今日は午後から大船渡に向かいます。

佐々木真輝

2022-02-27 良い生き方とは

2022年 2月 27日 礼拝 聖書:ミカ6:3―8

 現代は士師記の時代のようだなと思わされます。士師記の時代、モーセやヨシュアのような指導者を失った人々は「めいめいが自分の良いと思ったこと」を行って生きていました。その結果はさんざんなものです。

ウクライナでの戦争はひどいものですし、この機に乗じて自分たちの利益になるよう、ずるく立ち回る国々や組織、権力者があります。しかも、めいめいが自分にとって良いと考えることをしているわけです。

何が良いことなのか、良いこととは何なのか。この世界を良いものとして造られた、良いお方である神様の示す指針なしに、めいめいが良いと思うことをやりあっているだけなら、当然、利害がぶつかり、力の強い方が得をし、弱い者は追いやられてしまいます。続きを読む →

起こってしまったことの中で

みなさん、おはようございます。
ウクライナでの戦争が「始まって」しまいました。この戦争は数日前に始まったものではなく、2014年にロシアがクリミア半島を併合したときからずっと続いているとも言えます。歴史や政治の見方は一つだけではないので、異なる考えもあるとは思いますが、とにかく戦争は起こってしまいました。人々の命、生活、社会、文化が失われたり、破壊されたりすることは、どんなに言いつくろっても悪です。一日も早く戦いが終結し、平和が取り戻されることを祈ります。
戦争には反対だけれど、起こってしまった悪のただ中で、それでも生きなければならないことがあるのが、私たちの現実でもあります。国と国の戦争に限らず、人間関係の争いや憎しみ、ねたみが、神の愛を信じ、希望を持って他者を愛する生活を目指す私たちの心をくじこうとします。私たちの敵は「誰か」ではなくそうした悪そのものです。誰かを倒すことではなく、悪意に打ち負かされないように愛と希望と祈りを持って歩みたいと思います。

“悪に負けてはいけません。むしろ、善をもって悪に打ち勝ちなさい。” ローマ 12:21

お祈りいただいた昨日のI君の手術は無事に終わり、しばらくギブス生活が続くとのことです。引き続き回復を祈りましょう。

佐々木真輝