明日から始まる一年も

みなさん、おはようございます。
予報通り昨日からかなり冷え込み、雪も降って来ました。数年に一度の寒波ということで、冬将軍という名にふさわしい寒さの厳しさです。年末年始がお休みの方は、雪かきで疲れきってしまいませんように。関係なく仕事だ!という方も、どうぞお気を付けて過ごしてください。私たちの主は休みなく働き続け、私たちを守り導いてくださいます。
今年一年、皆さんとともに歩むことができて本当に感謝です。この朝メールも、今年は休みがちだった時期もありましたが、何とか続けられました。10年も続いたので、もういいかな、なんて思うこともありましたが、自分自身が日々の暮らしの中でみことばを思い巡らし、味わうためにもうちょっと続けようと思います。私の願いは最初から変わらず、皆さん自身が、日々の生活の中でみことばに触れ、思い巡らし、励まされたり、感動したりする経験を重ねて欲しいということです。ですので、明日から始まる一年も、ご一緒に歩んでまいりましょう(メール自体は休む日もありますけど!)。

“すべてのことは、あなたがたのためであり、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現れるようになるためなのです。” コリント第二 4:15

佐々木真輝

懐かしさ

みなさん、おはようございます。
昨日の夜、お風呂からあがったところでテレビで大好きな映画(たぶん一番好き)が放送されていました。イタリアの映画監督が戦後のシチリアの映画館を舞台にした少年時代から青年時代の日々を回想する物語です。映画への愛情と郷愁がつまった、泣ける映画です。もちろん、自分が知っている昔の映画文化よりずっと前の時代のものですし、教室では勉強の出来ない子への体罰があったり、子どものくせに映画館でタバコを吸ってたりと、今じゃ考えられないですし、自分の子ども時代もそこまでは酷くありませんでした。でも、なぜか懐かしさを感じます。
昔を懐かしむことが現実逃避だったり、信仰の後退である場合もありますが、失われてしまった本当に大切だったものに気づかされて小さな胸の痛みと共に思い起こしたり、自分を形造ったものが何であるかを思い出させて温かい気持ちになったりします。そうした気持ちもまた、きっと明日のための糧になります。神様は何とも不思議な感情を私たちに与えてくださったものです。でも、悪くないです。

“ヨセフは弟なつかしさに、胸が熱くなって泣きたくなり、急いで奥の部屋に入って、そこで泣いた。” 創世記 43:30

佐々木真輝

2020-12-27 主を愛しなさい

2020年 12月 27日 礼拝 聖書:申命記 6:4-12

 同じことを何度もくり返し言われて「しつこいなあ」「うるさいなあ」と思ったことはないでしょうか。「それさっきも言ったよね」「分かってるから」。よくある光景です。言われる方はちょっとくどいなと思うのですが、言う方は、すごく大事なことだから念を押してくり返すわけです。続きを読む →

今年最後の

みなさん、おはようございます。
12月の始めくらいに「師走感があまりない」ということを書きましたが、さすがにクリスマスも終わると「年末だなあ」と実感します。「今年最後の」という言葉もよく聞きますし、使います。今日は今年最後の礼拝です。この1年、教会としてはコロナ禍にあっても門を閉ざすことなく、礼拝を捧げ続けられたことは感謝ですが、現実には来られなくなった方々がおられましたね。コロナ以外の事情でなかなか来られなかった方もおられましたし。オンラインでつながっていることが確認でき、たびたび声も聴けましたが、それでも直に会う機会が減ったことは本当に寂しかったです。
一度少なくなった交わりを回復していくにはたぶん結構なエネルギーが必要です。しばらく足が遠のいていた方にとっては、ちょっと勇気が必要だったり、恥ずかしさもあるかも知れません。でも同じ神様を礼拝する家族なのですから、遠慮は要りません。私たちの願いである以上に神様の永遠の願いですから。今年は今日が最後の日曜日ですが、いつでも今日を最初にすることができます。

“主に贖われた者たちは帰って来る。
彼らは喜び歌いながらシオンに入り、
その頭には、とこしえの喜びを戴く。
楽しみと喜びがついて来て、
悲しみと嘆きは逃げ去る。” イザヤ 51:11

今日の午後は大船渡に行って来ます。教会ではクリスマス飾りの片付けがありますので、できる限りで構いませんのでご協力をよろしくお願いします。

佐々木真輝

思いがけない贈り物

みなさん、おはようございます。
今年は特にクリスマスプレゼントというのがなくて、ただ自分のために中古のCDを買ったくらいでした。が、昨日郵便受けに大きめの封筒が入っていて、あけると何やらクリスマスっぽい袋。前に撮った写真を使わせて欲しいと言われ提供したのですが、その写真が掲載されたページの収められている冊子と、その方が出したCDが入っていました。冊子の方はいただけると聞いていたのですが、CDの方は思いがけないプレゼントでした。
クリスマスにはプレゼントがついてまわりますが、これは決して経済界の仕組んだことではなく(彼らは乗っかっただけ)、そもそもイエス様の誕生が神様からの贈り物であり、イエス様誕生の時に贈り物を携えて遠い異国からやって来た賢者たちの逸話から出ていることです。でも、イエス様の誕生を知ったのはごく限られた人たちだけで、しかもそれが神様から私たちへの素晴らしい贈り物であることを理解するのはずっと後の事なんですよね。サンタに欲しいものをリクエストしてもらうプレゼントのようではなく、神様が私たちの喜びと幸福のためにひそかに用意してくださっていたのです。

“神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。” ヨハネ 3:16

佐々木真輝

私たちの心を照らしてくださる方

みなさん、クリスマスおめでとうございます。
昨夜のキャンドルサービスも久しぶりの方や初めての方もご一緒できて何よりでした。新型コロナの拡大が止まらない中、やむを得ず中止したり、リモートのみという教会があったことも聞いています。ドイツにおられるAさんから、教会で行われたコンサートの動画を紹介していただきました。彼女がピアノを演奏している様子も見られますが、日本より厳しい状況でも、なんとかクリスマスを届けようと工夫しているのですね。新しい年になっても状況が劇的に良くなるわけではなさそうなので、この感じとはもうしばらく付き合っていかなければならないのでしょうね。
夕べもお話しましたが、闇の中に歩む私たちのために来られたイエス様は、今日も私たちの希望であり慰めです。このような時でも、いや、このような時だからこそ、光である方から目を離さずにいましょう。

“「闇の中から光が輝き出よ」と言われた神が、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせるために、私たちの心を照らしてくださったのです。” コリント第二 4:6

こちらがAさんの教会でのコンサートの動画です(YouTube)。

佐々木真輝

雪解け、ではないはずですが

みなさん、おはようございます。
たくさん雪が降った後で気温があがりあちこちで雪がだいぶ溶けましたが、そのために道路がデコボコになって車の運転に難儀しましたし、歩道もかなり歩きにくかったですね。まるで春先の雪解けのようでした。でも、冬本番はこれからなんですよね。この後また寒波が来るそうですので、コロナだけでなく、寒さに気をつけましょう。
厳しい冬の合間に暖かい日があってちょっと気持ちを緩められる時があるように、試練の中でも慰めの日、穏やかな日があります。それは私たちのために備えられた恵みです。困難はまた続くかも知れませんが、終わりがあることを思い出させてくれます。

“私たちにキリストの苦難があふれているように、キリストによって私たちの慰めもあふれているからです。” コリント第二 1:5

今日は夜7時からクリスマスイブのキャンドルサービスがあります。お気をつけていらしてください。オンライン配信もあります。

佐々木真輝

へたな言い訳は

みなさん、おはようございます。
昨日とある記事を読んで思わず声に出して笑ってしまいました。某議会の議員さんたちがコンパニオンを同席させる宴会を開いて大批判を浴びているのですが、その言い訳が「コロナ対策のため」というのです。」「は?どういうこと?」と読み進めると、議員たちがコロナに感染しにくくなるように、コンパニオンの方々に飲み物などを運んでもらったということです。ツッコミどころ満載のひどい言い訳です。へたな言い訳はしちゃいけないですね。
でもこれって、分かっててもついしがちです。ちょっとでも自分をよく見せたい、ほんのいくらかでも責めを負うのを少なくしたい、という気持ちが働いてしまうんですよね。悔い改めるときは(謝罪もですが)言い訳をしてはいけません。

“わたしは愛する者をみな、叱ったり懲らしめたりする。だから熱心になって悔い改めなさい。” 黙示録 3:19

今日は****さんの誕生日です。祝福を祈ります。

佐々木真輝

冬至のあとは

みなさん、おはようございます。
昨日は冬至だったそうです。残念ながら我が家に柚子はありませんでしたが、柚子の香りのする入浴剤があったので、気分だけ味わいました。ところで、冬至は一年で一番太陽の出ている時間が短い日ということです、これからまた少しずつ日が長くなっていくわけです。その温かさが私たちに実感できる春が来るまではまだまだ寒さと雪と付き合わなければなりませんが、ともかく一番底まで行ったらあとは上るだけというわけです。
人生にも上り下りがありますが、下がりきったらあとは上るだけ。とはいえ、私たちが不安になるのは、今が底なのか、まだ落ちるのか、いつになったら上り調子になるのかが分からないというところです。そして、上る力が残っているか、という事も気がかりです。でも、マリアの賛歌を思い出せば、低い者を引き上げるのは自分の力ではなく救い主にとしてお生まれになった方によるものです。私たちに必要なのは、主の救いを求め、へりくだる事です。

“主のあわれみは、代々にわたって主を恐れる者に及びます。主はその御腕で力強いわざを行い、心の思いの高ぶる者を追い散らされました。権力のある者を王位から引き降ろし、低い者を高く引き上げられました。” ルカ 1:50-52

佐々木真輝

2020-12-20 私たちのための救い主

2021年 12月 20日 クリスマス礼拝 聖書:ルカ2:1^20

 ご存じのとおり、クリスマスはイエス・キリストがお生まれになったことを祝う記念の日です。

この日にイエス様の降誕をお祝いするというのが長い間の伝統となっています。けれども実際の誕生日は分かりません。しかしながら、イエス様の誕生の時に起こったいくつかの印象的な出来事は聖書から読み取ることができます。

今日、ご一緒に注目したいのは、天使たちが羊飼いに告げたことば、「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」という言葉です。キリストとしてお生まれになった救い主イエスは、私たちのための救い主だということです。続きを読む →