今年最後の

みなさん、おはようございます。
12月の始めくらいに「師走感があまりない」ということを書きましたが、さすがにクリスマスも終わると「年末だなあ」と実感します。「今年最後の」という言葉もよく聞きますし、使います。今日は今年最後の礼拝です。この1年、教会としてはコロナ禍にあっても門を閉ざすことなく、礼拝を捧げ続けられたことは感謝ですが、現実には来られなくなった方々がおられましたね。コロナ以外の事情でなかなか来られなかった方もおられましたし。オンラインでつながっていることが確認でき、たびたび声も聴けましたが、それでも直に会う機会が減ったことは本当に寂しかったです。
一度少なくなった交わりを回復していくにはたぶん結構なエネルギーが必要です。しばらく足が遠のいていた方にとっては、ちょっと勇気が必要だったり、恥ずかしさもあるかも知れません。でも同じ神様を礼拝する家族なのですから、遠慮は要りません。私たちの願いである以上に神様の永遠の願いですから。今年は今日が最後の日曜日ですが、いつでも今日を最初にすることができます。

“主に贖われた者たちは帰って来る。
彼らは喜び歌いながらシオンに入り、
その頭には、とこしえの喜びを戴く。
楽しみと喜びがついて来て、
悲しみと嘆きは逃げ去る。” イザヤ 51:11

今日の午後は大船渡に行って来ます。教会ではクリスマス飾りの片付けがありますので、できる限りで構いませんのでご協力をよろしくお願いします。

佐々木真輝

思いがけない贈り物

みなさん、おはようございます。
今年は特にクリスマスプレゼントというのがなくて、ただ自分のために中古のCDを買ったくらいでした。が、昨日郵便受けに大きめの封筒が入っていて、あけると何やらクリスマスっぽい袋。前に撮った写真を使わせて欲しいと言われ提供したのですが、その写真が掲載されたページの収められている冊子と、その方が出したCDが入っていました。冊子の方はいただけると聞いていたのですが、CDの方は思いがけないプレゼントでした。
クリスマスにはプレゼントがついてまわりますが、これは決して経済界の仕組んだことではなく(彼らは乗っかっただけ)、そもそもイエス様の誕生が神様からの贈り物であり、イエス様誕生の時に贈り物を携えて遠い異国からやって来た賢者たちの逸話から出ていることです。でも、イエス様の誕生を知ったのはごく限られた人たちだけで、しかもそれが神様から私たちへの素晴らしい贈り物であることを理解するのはずっと後の事なんですよね。サンタに欲しいものをリクエストしてもらうプレゼントのようではなく、神様が私たちの喜びと幸福のためにひそかに用意してくださっていたのです。

“神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。” ヨハネ 3:16

佐々木真輝

私たちの心を照らしてくださる方

みなさん、クリスマスおめでとうございます。
昨夜のキャンドルサービスも久しぶりの方や初めての方もご一緒できて何よりでした。新型コロナの拡大が止まらない中、やむを得ず中止したり、リモートのみという教会があったことも聞いています。ドイツにおられるAさんから、教会で行われたコンサートの動画を紹介していただきました。彼女がピアノを演奏している様子も見られますが、日本より厳しい状況でも、なんとかクリスマスを届けようと工夫しているのですね。新しい年になっても状況が劇的に良くなるわけではなさそうなので、この感じとはもうしばらく付き合っていかなければならないのでしょうね。
夕べもお話しましたが、闇の中に歩む私たちのために来られたイエス様は、今日も私たちの希望であり慰めです。このような時でも、いや、このような時だからこそ、光である方から目を離さずにいましょう。

“「闇の中から光が輝き出よ」と言われた神が、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせるために、私たちの心を照らしてくださったのです。” コリント第二 4:6

こちらがAさんの教会でのコンサートの動画です(YouTube)。

佐々木真輝

雪解け、ではないはずですが

みなさん、おはようございます。
たくさん雪が降った後で気温があがりあちこちで雪がだいぶ溶けましたが、そのために道路がデコボコになって車の運転に難儀しましたし、歩道もかなり歩きにくかったですね。まるで春先の雪解けのようでした。でも、冬本番はこれからなんですよね。この後また寒波が来るそうですので、コロナだけでなく、寒さに気をつけましょう。
厳しい冬の合間に暖かい日があってちょっと気持ちを緩められる時があるように、試練の中でも慰めの日、穏やかな日があります。それは私たちのために備えられた恵みです。困難はまた続くかも知れませんが、終わりがあることを思い出させてくれます。

“私たちにキリストの苦難があふれているように、キリストによって私たちの慰めもあふれているからです。” コリント第二 1:5

今日は夜7時からクリスマスイブのキャンドルサービスがあります。お気をつけていらしてください。オンライン配信もあります。

佐々木真輝

へたな言い訳は

みなさん、おはようございます。
昨日とある記事を読んで思わず声に出して笑ってしまいました。某議会の議員さんたちがコンパニオンを同席させる宴会を開いて大批判を浴びているのですが、その言い訳が「コロナ対策のため」というのです。」「は?どういうこと?」と読み進めると、議員たちがコロナに感染しにくくなるように、コンパニオンの方々に飲み物などを運んでもらったということです。ツッコミどころ満載のひどい言い訳です。へたな言い訳はしちゃいけないですね。
でもこれって、分かっててもついしがちです。ちょっとでも自分をよく見せたい、ほんのいくらかでも責めを負うのを少なくしたい、という気持ちが働いてしまうんですよね。悔い改めるときは(謝罪もですが)言い訳をしてはいけません。

“わたしは愛する者をみな、叱ったり懲らしめたりする。だから熱心になって悔い改めなさい。” 黙示録 3:19

今日は****さんの誕生日です。祝福を祈ります。

佐々木真輝

冬至のあとは

みなさん、おはようございます。
昨日は冬至だったそうです。残念ながら我が家に柚子はありませんでしたが、柚子の香りのする入浴剤があったので、気分だけ味わいました。ところで、冬至は一年で一番太陽の出ている時間が短い日ということです、これからまた少しずつ日が長くなっていくわけです。その温かさが私たちに実感できる春が来るまではまだまだ寒さと雪と付き合わなければなりませんが、ともかく一番底まで行ったらあとは上るだけというわけです。
人生にも上り下りがありますが、下がりきったらあとは上るだけ。とはいえ、私たちが不安になるのは、今が底なのか、まだ落ちるのか、いつになったら上り調子になるのかが分からないというところです。そして、上る力が残っているか、という事も気がかりです。でも、マリアの賛歌を思い出せば、低い者を引き上げるのは自分の力ではなく救い主にとしてお生まれになった方によるものです。私たちに必要なのは、主の救いを求め、へりくだる事です。

“主のあわれみは、代々にわたって主を恐れる者に及びます。主はその御腕で力強いわざを行い、心の思いの高ぶる者を追い散らされました。権力のある者を王位から引き降ろし、低い者を高く引き上げられました。” ルカ 1:50-52

佐々木真輝

2020-12-20 私たちのための救い主

2021年 12月 20日 クリスマス礼拝 聖書:ルカ2:1^20

 ご存じのとおり、クリスマスはイエス・キリストがお生まれになったことを祝う記念の日です。

この日にイエス様の降誕をお祝いするというのが長い間の伝統となっています。けれども実際の誕生日は分かりません。しかしながら、イエス様の誕生の時に起こったいくつかの印象的な出来事は聖書から読み取ることができます。

今日、ご一緒に注目したいのは、天使たちが羊飼いに告げたことば、「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」という言葉です。キリストとしてお生まれになった救い主イエスは、私たちのための救い主だということです。続きを読む →

雲の向こうに

みなさん、おはようございます。
雪が続いていますが、お疲れではありませんか?私はこの冬に楽しみにしていたことがいくつかあります。そのうちの一つは、木星と土星が400年ぶりの大接近をするということで、これはぜひ見てみたいと思っていたのです。400年前といったら日本は江戸時代。イギリスからメイフラワー号に乗った移民たちが米国大陸に渡った時代です。それ以来の大接近で、次回は2080年だそうですから、「次」は見られそうもないので、1ヶ月前くらいから、ずっと天気予報を眺め、予報が変わる度に一喜一憂していました。でも、先週からの大雪で、しばらくこの感じが続きそうということで絶望的です。自分の目で見ることはできなくても、確かに雲の向こうには、その奇跡的な光景が繰り広げられているはずです。
神様の素晴らしさ、素晴らしいみわざのすべてを私たちは見ることができるわけではないことを思わされます。神様の偉大さ、お考えの深さを人間のちっぽけな頭と心で理解し、受け止められるものではないので、むしろ私たちが知らないでいること、気づかずにいること、隠されていることの方が多いに違いありません。でも見えないからといって何もなさっていないわけではありません。厚い雲の向こうで確かに星が輝いているように、私たちに思いを遙かに超えた知恵と力と栄光がそこには広がっています。そう、このコロナ禍にあってもです。

“ああ、神の知恵と知識の富は、なんと深いことでしょう。神のさばきはなんと知り尽くしがたく、神の道はなんと極めがたいことでしょう。” ローマ 11:33

今日はクリスマス礼拝です。集える方も、リモートで参加される方も、心を合わせて主のご降誕を祝いましょう。

佐々木真輝

全体を聴く

みなさん、おはようございます。
中学生の時から音楽に目覚め、いろいろなジャンルの音楽を聴いてきました。中学生の時は主にラジオで、ラジオから流れる音楽をカセットテープに録音してくり返し聞きました。高校生の頃、少しずつレコードを買えるようになり、時代は代わってCDになりました。今ではスマホで聴くストリーミングが主流ですが、私はいまだにCDを聴きます。一枚のCD(アルバム)には色んな曲が入っていて、同じアーティストの曲でもお気に入りもあれば、そんなに好きにならないものもあります。でも、全体を聴くことで伝わるもの、感じるものがあります。好きな曲はもちろん、好きでない曲にも作者の言いたいことが詰まっているのです。
聖書のことばにも、きっと好き嫌い(嫌いとまではいかずとも)があります。でも、その好きでない箇所、苦手な箇所も含めて全体を読む(聴く)ことで伝わってくる神様からのメッセージがあります。音楽と同じように、好きな箇所だけでなく、全体に神様のおっしゃりたいことが詰まっているのです。

“みことばのすべては真実です。
あなたの義のさばきはことごとく
とこしえに至ります。” 詩篇 119:160

佐々木真輝

雪国もなめてはいけないけれど

みなさん、おはようございます。
この間、秋田に抜ける国道が動けなくなったたくさんの大型車のために大変な渋滞になったそうですが、その多くが夏タイヤだったそうです(県外から来たとか)。ちょっと考えられないというか、8時間も通行止めになってしまうと、ガソリンも心配ですし、命に関わりそうで、巻き込まれた方がいたら本当にお疲れさまでした。雪国なめちゃいけないですね。
なめちゃいけないと言えば、私たちも人生に起こる様々な戦いもなめてはいけません。神様の守りと助けがあるとはいえ、しっかり備えなさいと教えられています。どんな困難の時、試練の時も、私たちが何を信じ、何を大切にするか確信がないと、ツルツルと道を外れたり、スタックして身動きが取れなくなってしまいます。

“足には平和の福音の備えをはきなさい。” エペソ6:15

佐々木真輝