2020-12-20 私たちのための救い主

2021年 12月 20日 クリスマス礼拝 聖書:ルカ2:1^20

 ご存じのとおり、クリスマスはイエス・キリストがお生まれになったことを祝う記念の日です。

この日にイエス様の降誕をお祝いするというのが長い間の伝統となっています。けれども実際の誕生日は分かりません。しかしながら、イエス様の誕生の時に起こったいくつかの印象的な出来事は聖書から読み取ることができます。

今日、ご一緒に注目したいのは、天使たちが羊飼いに告げたことば、「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」という言葉です。キリストとしてお生まれになった救い主イエスは、私たちのための救い主だということです。続きを読む →

雲の向こうに

みなさん、おはようございます。
雪が続いていますが、お疲れではありませんか?私はこの冬に楽しみにしていたことがいくつかあります。そのうちの一つは、木星と土星が400年ぶりの大接近をするということで、これはぜひ見てみたいと思っていたのです。400年前といったら日本は江戸時代。イギリスからメイフラワー号に乗った移民たちが米国大陸に渡った時代です。それ以来の大接近で、次回は2080年だそうですから、「次」は見られそうもないので、1ヶ月前くらいから、ずっと天気予報を眺め、予報が変わる度に一喜一憂していました。でも、先週からの大雪で、しばらくこの感じが続きそうということで絶望的です。自分の目で見ることはできなくても、確かに雲の向こうには、その奇跡的な光景が繰り広げられているはずです。
神様の素晴らしさ、素晴らしいみわざのすべてを私たちは見ることができるわけではないことを思わされます。神様の偉大さ、お考えの深さを人間のちっぽけな頭と心で理解し、受け止められるものではないので、むしろ私たちが知らないでいること、気づかずにいること、隠されていることの方が多いに違いありません。でも見えないからといって何もなさっていないわけではありません。厚い雲の向こうで確かに星が輝いているように、私たちに思いを遙かに超えた知恵と力と栄光がそこには広がっています。そう、このコロナ禍にあってもです。

“ああ、神の知恵と知識の富は、なんと深いことでしょう。神のさばきはなんと知り尽くしがたく、神の道はなんと極めがたいことでしょう。” ローマ 11:33

今日はクリスマス礼拝です。集える方も、リモートで参加される方も、心を合わせて主のご降誕を祝いましょう。

佐々木真輝

全体を聴く

みなさん、おはようございます。
中学生の時から音楽に目覚め、いろいろなジャンルの音楽を聴いてきました。中学生の時は主にラジオで、ラジオから流れる音楽をカセットテープに録音してくり返し聞きました。高校生の頃、少しずつレコードを買えるようになり、時代は代わってCDになりました。今ではスマホで聴くストリーミングが主流ですが、私はいまだにCDを聴きます。一枚のCD(アルバム)には色んな曲が入っていて、同じアーティストの曲でもお気に入りもあれば、そんなに好きにならないものもあります。でも、全体を聴くことで伝わるもの、感じるものがあります。好きな曲はもちろん、好きでない曲にも作者の言いたいことが詰まっているのです。
聖書のことばにも、きっと好き嫌い(嫌いとまではいかずとも)があります。でも、その好きでない箇所、苦手な箇所も含めて全体を読む(聴く)ことで伝わってくる神様からのメッセージがあります。音楽と同じように、好きな箇所だけでなく、全体に神様のおっしゃりたいことが詰まっているのです。

“みことばのすべては真実です。
あなたの義のさばきはことごとく
とこしえに至ります。” 詩篇 119:160

佐々木真輝

雪国もなめてはいけないけれど

みなさん、おはようございます。
この間、秋田に抜ける国道が動けなくなったたくさんの大型車のために大変な渋滞になったそうですが、その多くが夏タイヤだったそうです(県外から来たとか)。ちょっと考えられないというか、8時間も通行止めになってしまうと、ガソリンも心配ですし、命に関わりそうで、巻き込まれた方がいたら本当にお疲れさまでした。雪国なめちゃいけないですね。
なめちゃいけないと言えば、私たちも人生に起こる様々な戦いもなめてはいけません。神様の守りと助けがあるとはいえ、しっかり備えなさいと教えられています。どんな困難の時、試練の時も、私たちが何を信じ、何を大切にするか確信がないと、ツルツルと道を外れたり、スタックして身動きが取れなくなってしまいます。

“足には平和の福音の備えをはきなさい。” エペソ6:15

佐々木真輝

雪の日は昼でもライト

みなさん、おはようございます。
昨日は大変な雪降りで一日のうちに何度雪かきをしたことでしょうか。あちこちで事故や身動きの取れなくなった車で渋滞が出来ていたそうです。車の運転中、雪が降っていると日中でも対向車が見にくくなります。ライトの点いてない車とすれ違うと「頼むからライトつけてくれ〜」と思います(思うだけですが)。自分のほうからは見えるのですが、相手には見えにくいですからね。
自分のことはもちろん大事なのですが、他人を優先するというところまでいかずとも、せめて他の人のことも省みる。同じ気持ちになれたり、「分かった」とまでは言えずとも、せめて相手の立場にたって想像してみる。そういう心構えは大事ですね。

“それぞれ、自分のことだけでなく、ほかの人のことも顧みなさい。” ピリピ 2:4

今日の婦人会は都合によりお休みとなります。祈祷会はいつもどおり行います。

佐々木真輝

こういう時はゆっくり目で

みなさん、おはようございます。
降り始めたと思ったら本気の降り方の雪で、車のスピードもだいぶゆっくり目で、ちょっとした渋滞も出来ていました。中にはちょっと慎重過ぎるんじゃないかと思うのもありますが、どれくらいが自分にとって安全な速度かは個人差がありますから仕方がありません。いずれにしても雪道、氷道のような危険な時はいつもよりゆっくり、安全運転が大事ですね。
人生の困難な時も、気持ち的には「はやく過ぎ去って欲しい」と思いますが、除雪が追いつかない雪道のようなものですから、ゆっくり目で歩んだ方がよいのかも知れません。困難な時にこそ襲ってくる誘惑や迷いがあるし、問題にばかり目が行ったり急ぎすぎて大事な標識を見落とすこともあります。忍耐は要りますが、ゆっくり目で、を心がけましょう。

“たましいに知識がないことは良くない。
急ぎ足の者は罪に陥る。” 箴言 19:2

佐々木真輝

雪が降れば思い出す

みなさん、おはようございます。
ようやく本格的に雪になり、昨日の朝は久しぶりの雪かきにだいぶ時間を取られたのではないでしょうか。立ち往生や事故もあったようです。雪が降るとちょっと(日によってはかなり)大変ですが、やっぱり冬らしさを感じます。朝窓を開けた時、「きれいだなあ」と最初に思います(すぐ大変だなとも思いますが)。
白い雪によって庭に残っていた紅葉の落ち葉もすっかり覆われ、春までの間に雪の下で新しい命の芽ばえの準備がされています。そんなふうに雪がふると、聖書の中に出てくる数少ない雪にまつわる箇所を思い起こします。イエス様によって私たちの罪と闇が真っ白く覆われ、その間に古いものが過ぎ去り、新しいいのちが息づき力強く息づいくのです。

“「さあ、来たれ。論じ合おう。
──主は言われる──
たとえ、あなたがたの罪が緋のように赤くても、
雪のように白くなる。
たとえ、紅のように赤くても、
羊の毛のようになる。” イザヤ1:18

今日は小野邦子****さんの誕生日です。祝福を祈ります。

佐々木真輝

2020-12-13 主はあわれみを忘れず

2020年 12月 13日 礼拝 聖書:ルカ1:39-56

 アドベント3週目となりました。今日は、先週の続きの箇所です。マリアが、救い主を身籠もるという御使いの驚くようなお告げを、信仰をもって受け止めた後の話です。今日も二千年前の聖書の世界に思いを馳せましょう。

御使いが去ってほどなく、マリアは御使いの話しの中に出てきたエリサベツのもとを訪ねることにしました。たぶん、このときにはすでにヨセフにも天使が現れ、事の次第を説明し、恐れないでマリアを妻として迎えなさいという励ましがあり、二人でこの大事な務めを果たすために心を一つにしていたのではないかと思います。続きを読む →

蜜のように甘く

みなさん、おはようございます。
昨日はTさんとの週一度の聖書の学びがありました。個人的にでもグループでも、神学校のクラスとしてでも聖書を一緒に学べるのはとても楽しく、励まされ、そして今なお自分が教えられ続けるので、どんなに忙しくても楽しみです。
一対一の学びも何人かでの学びも、じっくり学ぶのも、短い時間で味わうのもそれぞれに良さがあります。そして、何か一つでも気づきがあって、教訓になったり、慰めになったり、励ましになったりすれば、大きな喜びです。そういう感動や発見があまり感じられないという時もありますので、あまり効率は良くない感じもしますが、人の心が養われ、変えられるのは時間をかけてなされる営みですからちょうど良いのです。

“あなたのみことばは
私の上あごになんと甘いことでしょう。
蜜よりも私の口に甘いのです。” 詩篇119:103

昨日は横山裕香さんの誕生日でした。遅ればせながら祝福を祈ります。
今日は第二週ですので夕拝があります。

佐々木真輝

師走感

みなさん、おはようございます。
昨日ラジオを流しながら車を運転していたら「師走感がない」という言葉が耳に入って来ました。教会ではクリスマスの飾り付けをし、アドベントのロウソクを毎週一本ずつ火をつけていますが、日本人としてもっと身近な歳末の感じをいまいち感じません。セールにもいかないし、忘年会のお呼びもかからないし、お正月に誰かが帰って来るという期待感もあまりないし、クリスマスのイベントが減ったためにその準備に追われるということもあまりありません(暇というわけではないのですが)。師走感がないというのはそういうことかも知れません。
それでも気付けばあと3週間で怒濤の2020年も終わり、この我慢の日々もそのままに新しい年を迎えることになります。ある意味で、これだけ切羽詰まった感じなしに年を締めくくれるのであれば、いつにもまして感謝して、クリスチャンらしく希望をかかげ、クリスマスにふさわしい温かい心と思いやりをもって年末の時期を過ごしましょう。

“最後に言います。みな、一つ思いになり、同情し合い、兄弟愛を示し、心の優しい人となり、謙虚でありなさい。” ペテロ第一 3:8

入院中だったMさん、無事に退院されました。感謝。

佐々木真輝