大きめの新しい服

みなさん、おはようございます。
新しい服を買うときは、大抵自分のサイズに合わせて買うものですが、人生の中でかなり大きめな服を買う時があります。中学生になるときの制服はかなり大きめのものを買います。けっこう値段も張りますから3年間着てもらいたいと思う親としては、成長を見越して大きめのサイズを選びます。そんなわけで中学校の入学式にはかなり身の丈に合わないぶかぶかな制服を着たピカピカの一年生がたくさんいることになります。もうすぐ進級、進学の季節だなあと思い出したのでした。
先日、伊藤先生がエペソ書からお話してくださいましたが、その箇所に「古い人を脱ぎ捨て、新しい人を着る」という言葉が出てきます。それはクリスチャンらしい新しい生き方のことを指しているのですが、そこで教えられている中身はだいぶハードルが高いように感じられます。でも、それは成長を見越して「大きめ」に用意された、クリスチャンの制服みたいなものです。真実さ、柔和、親切、寛容さといった新しい生き方がしっくり来るまで私たちは少しずつ成長できるのです。

“真理に基づく義と聖をもって、神にかたどり造られた新しい人を着ることでした。” エペソ 4:24

佐々木真輝

良い知らせ

みなさん、おはようございます。
昨日はいくつか嬉しい出来事や知らせがあり、気持ちが明るくなりました。「こういうご時世だから」が毎日聞かれ、何かを計画するときもつい口にしてしまう言葉で、それはじわじわと心を暗く重くしていきます。そういうときに、嬉しい出来事があったり、希望の持てる話しや良い知らせがあると、心を明るくしてくれます。
悪いことが続くような時でも悪いことだけではないですし、物事には何かしら良い面があります。そして神様は私たちを励ますために、小さな良い知らせを届けてくださいます。耳では聞けない声ですが、小さな神様の声を聴き取って、心のバランスを取り戻しましょう。

“目の光は心を喜ばせ、
良い知らせは人を健やかにする。” 箴言 15:30

佐々木真輝

舌禍

みなさん、おはようございます。
栃木県での山火事のニュースがとても心配です。人的な被害はまだ出ていないと思いますが、民家のあるあたりにも近づいているとのことですので、これ以上広がらないことを祈ります。空気が乾燥している季節なので、よそ事ではないですね。どんな大きな火事も最初は小さな火だったわけですから、火の元には注意しましょう。
聖書の中で、小さな火から山をも燃やしてしまう炎の様子が口の災いのたとえとして用いられています。小さな噂話があっという間に広がったり、何気ないひと言が人を大きく傷つけたり、ちょっとした自慢話が信頼を貶めたり…。冗談のつもりで言ったことが躓きを与えてしまったんじゃないかとヒヤヒヤしたり、リップサービスが過ぎて「やばっ」と焦ったりしたことがあります。決して要職を辞任したばかりの政治家だけの話ではありません。

“同じように、舌も小さな器官ですが、大きなことを言って自慢します。見なさい。あのように小さな火が、あのように大きな森を燃やします。” ヤコブ 3:5

今日は****さんの誕生日です。祝福を祈ります。
婦人会と祈祷会もあります。

佐々木真輝

油断禁物

みなさん、おはようございます。
今日はお休みを利用してちょっと用事をと思っていたら、夜になって「そういえば牧師会があるんだった」と思い出しました。予定変更…というより本来の予定に修正ということですね。油断しました。
「油断」って油を断つって書きます。語源を調べたことはないですが、うっかりして油を切らしてしまい、大ごとになってしまった様が思い浮かびます。常に緊張しているのも無理がありますが、大丈夫だろうとたかをくくったり、普段やっていることをおろそかにしないというのは大事ですね。イエス様も油派を絶やさなかった賢い娘と油を切らした愚かな娘の譬えを思い出します。

“賢い娘たちは自分のともしびと一緒に、入れ物に油を入れて持っていた。” マタイ25:4
今日は岩手同労者会です。
佐々木真輝

重荷を下ろして

みなさん、おはようございます。
先日、車を走らせているときに隣の車線の車を見て驚き、そして思わず笑ってしまいました。その車は軽トラックだったのですが、荷台にたくさんの雪が積もっていたのです。それは雪を捨てに行くために積んだ雪ではなく、明らかに自然にたまったもの。その証拠に運転席の屋根の上には数十センチの雪がそのまま残っていました。積もった雪をそのまま捨てに行くって算段かもしれませんが、それにしても重そうでした。
重荷を負ったままの人生はかなり辛いです。「なすべき務め」「責任」としての重荷なら、それはがんばる動機付けにもなりますが、心の痛手や後悔、解決されていない罪、人から不本意に背負わされたものなどの重荷は、大きさにかかわらず私たちの歩みから喜びと快活さを削り取ります。そのような重荷は早めに下ろすことです。

“すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。” マタイ 11:28

佐々木真輝

重い雪の下で

みなさん、おはようございます。
皆さん実感しておられるとおり、今年はここ数年の間ではかなり雪が多い年になっています。教会の周りの雪を置く場所もなくなりつつあり、お隣の病院との間にある細長い「庭」になんとか積み上げていますが、何度も積み上げられた雪の重みで、アジサイやカルミアのような低木がどんな状態になっているかけっこう気がかりです。昨日の夜、非常階段から目に入った裏のキンモクセイも雪の重みで変なふうに枝が思いっきりたわんでいました。でも恐らくそんなことで木々が死んでしまうことはありません。地面の下で春の日差しを待っている他の草花は、いつもより冬が長いと感じているかもしれませんが、きっと何事もなかったかのようにちゃんと花を咲かせるに違いありません。
いのちの力、しなやかさには驚かされます。毎日の雪かきで疲れた時も、コロナ禍で心が塞ぎがちなことも、自分の健康や家族の悩みで心が弱ることもあるでしょうが、いのちの源である主につながっている限り、なんとか生き延び、あるいは驚くほどの輝きを取り戻し、再び花を咲かせることもあるでしょう。

「神の国はこのようなものです。人が地に種を蒔くと、夜昼、寝たり起きたりしているうちに種は芽を出して育ちますが、どのようにしてそうなるのか、その人は知りません。」 マルコ4:26-27

佐々木真輝

また積もってしまったけれど

みなさん、おはようございます。
せっかく一生懸命雪かきをして、さらに気温が上がって教会の周りもきれいになったかと思いったら、一昨日の夜からの風雪でまた積もってしまいました。「せっかくもう!」という気持ちも湧いてきますが、でも決して努力が無駄になったわけではないはずです。がんばって雪を寄せれば教会の前の歩道を歩く人や、車で行き交う人にとっては少しでも歩き安くなったと思います。実際、ちゃんと除雪のされていない道路は歩きにくく、運転しにくいと感じますし、きれいに除雪されていると気持ち良いです。
私たちの努力、忍耐、戦いは何一つ無駄なことはありません。直接自分に良きこととして何もかえって来ないように思えても、誰かにとって良いものをもたらしていたり、思いがけない時に「ああ、このときのための経験だったのだな」と思えたりもします。ですから、今日も自分のすべきことに主にあって励みましょう。

“ですから、私の愛する兄弟たち。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは、自分たちの労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから。” コリント第一 15:58

佐々木真輝

嵐の後で

みなさん、おはようございます。
夕べからすごい風の音でたびたび目覚め、ちょっと眠りの浅い夜になりました。何か飛ばされてないかなとか、木が倒れたりしないかなと、自分の身の回りのことも気がかりでしたが、大きな地震で被害を受けた地域の方々も大変だろうなと二重、三重の被害に見舞われないことを祈るばかりです。
嵐の日には、風の強さや音の激しさ、またその結果に心が奪われがちで、気もそぞろになります。そのために小さなことに気づけなかったり、手がつかなかったりします。それは気象現象としての嵐に限ったことじゃないです。疲れ切ったエリヤに神様が嵐や地震、火(火山の噴火?)の中をくぐらせ、その後でかすかな細い声で語りかけるという話しがあります。大きな経験、大変な経験をした後で、静かに語りかける神様のことばに心慰められ、また歩み出せるようにと願います。

“主は言われた。「外に出て、山の上で主の前に立て。」するとそのとき、主が通り過ぎた。主の前で激しい大風が山々を裂き、岩々を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風の後に地震が起こったが、地震の中にも主はおられなかった。地震の後に火があったが、火の中にも主はおられなかった。しかし火の後に、かすかな細い声があった。”

今日は神学校のクラスがあります。どうぞお祈りください。

佐々木真輝

2021-02-14 揺るぎなき王座

2021年 2月 14日 礼拝 聖書:サムエル記第二7:8-17

 現代の私たちにとって国は、かっこうの非難のターゲットです。経済が悪くなれば、経済政策がなっていないと批判し、新型コロナの感染拡大がやまないと国の動きはいちいち遅い。どこそこの県知事のほうが総理大臣に相応しいんじゃないかとまで言われたりします。うまくやれていることも結構あると思うのですが、それが誉められることは滅多にありません。

普通の人々が国に求めるのは、様々な脅威から安全を保証され、いろいろな悩みや困難がひっきりなしにやってくる人生の中で安心して生活できるような様々な制度や仕組みをちゃんと作ってやってくれることです。

前回はサムエル記第一を見ました。まさにそのような国を目指し、しかも神を中心とする王国を願って、サウル王が立てられましたが、彼の傲慢さは破滅を招き、次の王としてダビデが選ばれました。サウルに命を狙われながらも誠実さを保ち続けたダビデはどんな王様になっていくのでしょうか。続きを読む →

まだ2月ですから

みなさん、おはようございます。
先週はわりと気温のあがる日が多く、堅くしまった雪もだいぶ溶けてくれました。教会前の歩道に固まった雪や、車道側に張り出した雪の塊を崩しながら、「このまま春になってくれたらなあ」と思い、実際、口にもしてしまいます。でも、まだ2月です。これからも寒さが戻り、雪が降る日もあるでしょう。冬というのはそういうものですから。
イエス様が私たちにもたらしてくれた救いは、春の希望のようです。私たちを閉じ込めていた冬のような罪と死はすでに破られました。私たちの人生は春を待ちのぞんでいる季節のように、時々春を思わせる小さな勝利や喜びを味わい、このまま、この喜びが続けばいいのにと思います。しかし、本当の春である救いの完成の日が来るまでは、寒さが時々戻るように、私たちを悩ます罪や死はくり返されるでしょう。でも、確かに春が近づいていることもまた事実で、そこに私たちの希望があるのです。

“ですから、兄弟たち。主が来られる時まで耐え忍びなさい。見なさい。農夫は大地の貴重な実りを、初めの雨や後の雨が降るまで耐え忍んで待っています。” ヤコブ 5:7

夕べは大きな地震でしたが大丈夫でしたか?
今日は第二週ですので、夕拝があります。

佐々木真輝