居場所

みなさん、おはようございます。
昨日はポーランドでウクライナ避難民の支援活動をして来られたハンガーゼロのスタッフの方の報告をお聞きしました。一時的な避難であって欲しいけれど、子どもの教育や将来を考えると帰るよりは行った先で暮らしを築いたほうが良いかもしれないと葛藤する若いお母さんのお話が印象的でした。震災・原発事故で避難した方々の葛藤や歩みと重なります。いのちさえあればとも言いますが、安心して暮らせる場を突然奪われることは本当に大きなことです。他人が軽くどうこう言える話しではありません。ウクライナ避難民のための国際的な動きは速かったですが、同じように生きる場を奪われた民族は他にもあり、十分な援助があるとは言えていないのには心が痛みます。
聖書は異邦人に厳しいというイメージを持つ人もいるかもしれませんが、普段の暮らしの中では様々な事情で寄留している外国人に対して同胞と同じように親切にし、愛するようにと命じています。誰でも安心できる自分の居場所を必要としており、私たちは恵みによって神の民としての居場所が与えられているのですから。

“あなたがたとともにいる寄留者は、あなたがたにとって、自分たちの国で生まれた一人のようにしなければならない。あなたはその人を自分自身のように愛さなければならない。あなたがたも、かつてエジプトの地では寄留の民だったからである。わたしはあなたがたの神、主である。” レビ記 19:34

今日は朝、全キ災の世話人会があり、午後は*さんの納骨式です。お祈りください。

佐々木真輝

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