帰り道

みなさん、おはようございます。
先日、大船渡でキャンプをした夜のことです。キャンプ場のどこからか小径があって、そこを歩いて下りて行くと小さな入江に出られることを聞いていました。夜、入江から見上げる星空の写真を撮りたくて、日が落ちて星がだいぶ見える時間になってから小径を下りてみました。月明かりもなく、ヘッドランプの明かり以外は光はありませんが、木製の階段も整備されていてまあまあ歩き易かったです。ただ、最後はちょっとした岩場をおりていくようになっています。まあまあ思い通りの写真が撮れたので帰ろうと崖の方を振り返りましたが、どこを下りて来たか分からなくなってしまいました。2mくらい上がれば小径が見えるはずなのですが、下からだと光の関係ではっきり見えません。ちょっと焦りましたが、落ち着いて下りて来た時の状況を思い出すと、「ここに違いない」というところが分かり、無事に帰り道に辿りつくことができました。
「帰り道」が分からなくなると困るのは散歩の時だけではありません。人生において、信仰の旅路においても、ちょっと寄り道をしたつもりが帰れなくなってしまう、なんてことが起こらないわけではありません。でも帰り道が消えてしまったわけではありません。帰りたいと願うなら、それまで神様が示してくださった愛や日々の暮らしの中で表してくださった恵みの跡が、ちゃんと足を踏み出すべき場所を教えてくれます。

“立って、父のところに行こう。そしてこう言おう。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。” ルカ 15:18

佐々木真輝

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