悲しみと怒り

みなさん、おはようございます。
昨日の夜、市内の老人ホームに入居されていた****さんが召されたとの知らせを受け取り、ショックとともに小さな怒りを覚えました。誰かに対するものではなく、今のこの状況に対するぶつけようのない怒りの感情です。新型コロナの流行が拡大してから施設への面会はかなわなくなり、厳しい規制が多少緩んでも「家族限定」だったりします。神様の家族ではあっても越えられない一線があります。そんなふうに気に掛かりつつ祈ってはいても実際に声を聴くことも顔を見ることもできないまま、新型コロナによっていのちを奪われてしまったというやるせなさ。しかも、自分自身が新型コロナに感染しているためにこんな時に駆けつけることも、傍らで祈ることもできない情けなさ。
けれども、神の家族の絆が地上のどんなつながりにもまして霊的に強固なつながりであるように、私たちのいのちと復活の希望は地上の寿命や物理的な障害を越えた希望です。ただこのことにひたすら慰めと望みを持って受け止め、やるべきことを心を込めてやっていきたいと思っています。

“眠っている人たちについては、兄弟たち、あなたがたに知らずにいてほしくありません。あなたがたが、望みのない他の人々のように悲しまないためです。” 1テサ 4:13

佐々木真輝

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