2023年 10月 24日 礼拝 聖書:創世記50:15-21
入院中に気付かされ、考えさせられたことをみことばとともに思い巡らすシリーズも今日と再来週で終わりにしたいと思います。他にも様々な気づきがあったのですが、また何かの折りに触れるくらいにしたいと思います。
今日は世代を超えた課題に取り組むことについてお話しします。
人工呼吸器が外されてからせん妄が始まったという話しは前にしましたが、その時に見た幻覚はいくつかのまとまりのある物語かドラマのようになっていました。失敗した人生を取り戻すというような話しの流れです。
幻の中では入院中に家や教会を失ってしまうのですが、それらを取り戻すためのアイディアを若い世代の人たちが提案してくれました。その中心にいたのは娘やその下のクリスチャンたちで、特に以前教会に来ていたけれどいろいろな理由で教会を離れてしまった若者たちが、様々な意見を寄せてくれるのです。その中でとても大切な指摘だったのは、単に教会堂や家を取り戻すだけでなく、何世代にもわたって未解決だった課題が私自身の中にも残っていて、それを乗り越えて行かないと教会に未来はないというものでした。
何世代も失敗の連続だった聖書の登場人物たち、イスラエル民族にとっても、何世代も引きずったものをいかにして乗り越え、次の世代に良いものを残せるか、というのは重要なテーマでした。
1.ヨセフの家族
今日開いている箇所は創世記の終わりの部分になります。37章から始まる創世記後半の大部分をヨセフの生涯が占めます。そして最後はヨセフと兄弟たちの和解の場面で終わります。何があったかはご存じの方も多いと思いますが、兄たちのひどい仕打ちによってエジプトに奴隷として売り飛ばされたヨセフが、飢饉の苦しんでいたジプト王国全体を救う指導者になり、そのおかげでヤコブの家族たちも救われたという話しです。
創世記全体は、私たちが今受け取っているイエス様による救いの福音が神様によってどのように計画され、始まったかを記しています。そして、その最初のところで最も重要な役割を果たすアブラハム、イサク、ヤコブの「族長」と呼ばれる三世代に焦点を当てています。
アブラハムの孫にあたるヤコブは神様から「イスラエル」という別名を与えられ、彼の12人の息子たちがイスラエルの12部族になっていくわけです。
ユーフラテス川沿いにあった古代都市ウルで月の女神に仕えていたアブラハムを神様はお選びになり、示す地へ向かいなさいと語りかけます。辿り着いたカナン人たちが暮らす地域で、神様は従って来たアブラハムに祝福を約束します。「この地をあなたの子孫に与え、あなたとあなたの子孫を通して全世界に祝福をもたらす」と。
すでに高齢だったアブラハムと妻サラの間には子どもがいませんでしたが、まさに奇跡的に二人にはイサクという名の子が生まれます。神様はアブラハムに妻サラを通して夜空の星のように、海辺の砂のように子孫が増えると言われましたが、イサクはその最初の子です。サラが死んだ後、他にも子どもが生まれますが、神様の祝福の契約はサラを通して生まれたひとり子イサクに受け継がれます。
次にイサクはリベカという妻を迎えますが、彼らにはエサウとヤコブという双子の男の子が生まれます。神様は弟のヤコブに祝福の契約を受け継がせると言われましたが、ここで問題が起きます。
イサクは男の子らしく、逞しく育った長男のエサウに跡を継がせたいと思いました。妻リベカは神様が言われたように、弟ヤコブに跡を継がせるべきだと考えます。しかしリベカが入れ知恵し兄を騙すやり方は兄弟の間に決定的な亀裂をもたらしました。ヤコブは祝福の契約を受け継いだというだけで、あとは何も持たずに故郷から逃げ延びなければならなくなります。
その後、母方の親戚の家で世話になり、そこで妻を得ますが、結果として二人の妻と二人の女奴隷を通して12人の息子たちを得ることになります。
ヤコブは明らかにラケルという、最初に出会った女性を一番愛していましたし、二人の女奴隷を通して子をもうけるというのも、二人の妻たちがヤコブの気を引こうと競争意識で考えた事でしたので、自ずと家族の間にはぎくしゃくしたものがあります。
最悪なことは最愛のラケルから生まれたヨセフを溺愛し、調子に乗ったヨセフも兄たちがイライラするようなことを言ったり、したりするものですから、ついに兄たちはヨセフをどうにかしようとします。殺すことまで考えた兄弟もいましたが、年長の兄たちがヨセフをかばって殺すことはありませんが、売り飛ばされ、父ヤコブには動物にかみ殺されたことにしたのです。
2.恵みではないもの
聖書の物語を現代の心理学的な読み方をすることは気をつけなければならないと言われています。聖書自体が伝えようとしている本筋から外れてしまう可能性があるからです。
それでも、ヨセフを巡る物語の中にはヨセフ個人の性格的な問題だけでなく、祖父母であるイサクとリベカにまで遡る家族の問題が背景にあることが見て取れます。それはまたイスラエル民族としてこの後繰り広げられていく歴史の中でも繰り返し現れるパターンでもあります。
それは、たとえ神様の祝福の契約を受け継いだとしても、人間は神の恵みとは正反対のものを持ってしまい、しかもそれを家族や社会を通して次の世代に引き継がせてしまうということです。
4人の母がいて、それぞれから生まれた12人の兄弟という複雑な家庭環境は、アブラハムから続く三世代の中でも際立っています。当時は跡継ぎを残すために、妻以外の女性を第二夫人として迎えることは合法でしたし、実際に行われていました。
それでもヤコブが4人の妻を持った理由はちょっと変わっています。ヤコブは自分が望んだものを手に入れようと決めたらそうとう頑固で粘り強くなれる人でした。ラケルを妻にしたかったヤコブはラケルの父がいうとおり7年間無償で働きました。ラケルの父は妹を先に嫁に出すわけにはいかないとヤコブを騙して姉レアを妻として与えます。これに怒ったヤコブですが、それでもラケルを妻にするためにさらに7年間義父のもとで働くほどの執念でした。
またヤコブが義父のもとを離れる決意をした後で自分の家畜を増やすためにそうとう小賢しいことをして羊や山羊を増やします。
こうした執着心の強さは、おそらく父イサクと母リベカの間で翻弄され、長男としての権利を兄エサウからだまし取った挙げ句、全てを失って着の身着のままで逃げなければならなかったことに大きな要因があったと考えても良いのではないでしょうか。
そんなヤコブの思考パターンに強く影響を与えたのは、神様の契約に対する両親の相反する態度だと思われます。イサクは自分が神の祝福の契約を受け継いだ者であるにも関わらず、弟が後を継ぐという神様のことばに従おうとせず、自分の考えを押し通そうとしました。妻リベカは弟に何とか後を継がせようとしましたが、そのやり方は長男エサウを騙すという愚かな方法でした。ヤコブが天涯孤独のような心境になって伯父の家に助けを求めた後の押し通しずる賢く振る舞う行動パターンはまさに両親がしたことの繰り返しのように思えます。
そのヤコブの寵愛を受け、しかも弟ベニヤミンが生まれた時に母ラケルが死んでしまったヨセフが我が儘に育ち、兄たちに対してばかにするような態度を取り、苛立たせてしまうような子になってしまったのは当然といえば当然だったのではないでしょうか。
神様はアブラハムとその子孫に祝福を約束され、彼らを通して全世界に恵みをもたらすと約束しました。しかし、そんな一族には恵みや祝福とは正反対のものがあり、しかもそれが世代を超えて次から次へと問題を起こしてしまったのです。けれどもそれは彼らだけの特徴ではありません。私たちもそれぞれに多かれ少なかれ、家族の闇や傷、課題といったものを前の世代か、その前の世代から引き継いでしまっていることが往々にしてあるのではないでしょうか。
3.恵みによる救い
しかし、イサクからヨセフに至る物語には人間として不完全さや愚かさ、強欲さ、罪深さなどがはっきり表れているにも拘わらず、アブラハムに約束された恵みと祝福は揺るぐことなく彼らに留まり、神様は彼らを導き救い出してくださいました。
今日開いた箇所はヨセフの物語の最後の場面ですが、事の始まりは37章でした。繰り返しになりますが、父ヤコブに溺愛され、えこひいきされたヨセフの言動はいつも兄たちを苛立たせました。ついに37:18以下で、羊の群を放牧させていた兄たちのもとにヨセフが父の言いつけで様子を見に行った時のことです。
兄たちは共謀してヨセフを落とし穴に落とします。殺す話しも出ましたが、結局イシュマエル人のキャラバン隊に売り飛ばします。
そこから先は転落の人生に見えました。ヤコブの寵愛を受け我が儘に育って来たヨセフは兄弟たちに捨てられ、エジプトで奴隷になり、さらに獄中生活へと転落していきます。
しかしヨセフの物語で繰り返されるのは「主はヨセフとともにおられ」「主が…成功させて」くださったという言葉です。39:2,3,21,23などです。売り飛ばされたエジプトの役人の家でも、無実の罪で入れられた監獄の中でも能力を発揮し、ヨセフの働きは成功し、主の祝福は仕える家にまで及びました。
それから先は有名な夢の解き明かしです。その賜物はやがてエジプトのファラオが見た悪夢を解き明かし、7年の大豊作の後、7年の大飢饉がやって来ることを告げ、そればかりか有効な対策を進言したことで王の信頼を得、ファラオに次ぐ権限と権威を与えられ、エジプトを治めるようになったわけです。だから50:20にあったように「あなたがたは私に悪を謀りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとしてくださいました。それは今日のように、多くの人が生かされるためだったのです。」と言えたのです。
主の恵みは、まずヨセフをへりくだらせ、自分の人生が転落していっても主がともにおられることを学ばせ、逆境の中でも主にあってより良い生き方が出来る事を学ばせました。そのお陰で飢饉の中にあった父ヤコブや兄たちも生き延びることができたのです。
しかし兄たちには後ろめたい気持ちがありました。父ヤコブが死んだ後、絶対的な権力者であるヨセフが復讐するのではないかとまだ怯えていました。それで17節にあるように、父の遺言をねつ造してまで自分たちの保身を図ろうとするのです。
しかしヨセフは彼らを赦していました。神がすべてのことを益と変えてくだったから「多くの人が生かされた」のですが、そこにはヨセフ自身も含まれています。彼自身が逆境の中でへりくだり、主の御手に拠り頼むことを学び、主の恵みよって与えられる祝福を実感していましたので、神に代わって兄たちを裁くようなことはしなかったのです。
もしヨセフが逆境の中で主の御手の下にへりくだることを学ばず、怒りと恨みを内に秘めたままだったら、たとえ兄弟たちに憐れみを示すとしても、それは憎しみとさげすみに満ちたものになったかも知れません。兄弟の関係は再び悪化したかもしれないし、ヨセフは権力を使って兄弟たちに復讐したかも知れないし、そうなれば家族に引き継がれた罪は次の世代に家族の闇としてまた引き継がれます。しかし主の恵みがその連鎖を断ち切ったのです。
適用:世代を超えるために
ヨセフが兄弟との確執を生むことになった彼の行動パターンが、ヨセフ自身の性格という個人の問題だけでなく、数世代にわたる家の環境や行動パターンに深く影響されていた面がありました。そして一見被害者であるヨセフと加害者である兄たち、というだけでなく、実は両方が家族の抱える問題に影響されて悪い行動パターンを学習してしまったという面が見えてきます。
人の問題行動はその人自身の責任ではありますが、その背景に家族や一族が受け継いで来た問題や傷、悪しき行動パターンがあるという場合があります。個人の罪を親のせいにして逃れられるというものではありませんが、問題のパターンといったものは世代を超えて受け継がれやすいものです。それは恵みや祝福とは正反対のものですが、人間がかかえる罪の性質の根深さを思わされます。
しかしヨセフの物語の終わり方は、神様の主権や恵みにとどまっているなら、そうした悪いパターンを断ち切る恵みが与えられ得るということを示しているように思います。
簡単なことではありません。ヨセフのように何年もかかるでしょうし、年数だけでなく、経験を通して私たち自身が神様の主権と恵み触れることが必要です。奴隷になるとか、監獄に入れられるような経験は誰もがすることではありませんが、神様がともにいてくださることを実感できるために一体どんな経験が必要でしょうか。
そして実際に兄たちに対面し、その態度を目の当たりにして赦すという行動を取れるほどに物事を理解し、心の整理が付き、実際にそれを言葉で言い表すとはどれほどのことなのでしょうか。
私が自分に感じている行動パターンの問題点もあります。一つには、ヒーローになりたがるところです。困りごとがあると引き受けてしまうことや、「やるべきだ」ということを引き受けてしまい、自分が「やりたい」ことがよく分からなくなってしまうことなどです。人様の役に立つ面はありますが、そのために自分を追い込んだり、いろいろな面で無理をしたり、結果的に健康を損なうことがあります。今回だけでなく、数年前もそうなったことを思い出しています。そして、そのようなものを身につけた生育歴や、背景にある一族の課題のようなものもうっすらと感じます。自分だけでなく、兄弟や従姉妹たち、あるいはその子どもたちに別な何かしら影響が及んでいるようにも感じます。それはうちだけが特別なことではなく、別なかたちでどの家庭にもあり得ることです。
しかし、私たちはそれでもなお、救い、その恵みによって祝福をもたらすイエス様の恵みを知り、受け取りました。ヨセフが奴隷生活のときに主人の家にもたらした祝福、監獄の中で囚人仲間にもたらした祝福、エジプトで王国全土にもたらした祝福を覚える時、恵みの力がどれほど大きいかを覚えさせられます。さらに兄弟との間にあったわだかまりを乗り越え、悪いパターンを断ち切ったことを見る時に、恵みの力強さを覚えさせられます。
私も解決できずにいること、まだ迷いや悩みの中にあり、気をつけないと問題のパターンに陥り安いことを自覚していますが、問題に気付き、謙遜になるなら、主の助けによって希望があると思えます。
皆さんはいかがでしょうか。自分や家族の中に、世代を超えて引き受けてしまった悪しきパターンや闇、傷はあるでしょうか。それは深くと大きいものかもしれませんが、主の恵みはそれよりももっと大きいことを覚えましょう。
祈り
「父なる神様。
私たちは家族の中で命を得、育まれ、良いものをたくさん受け取っていますが、それだけではないことに気付かされます。時として何世代にもわたって解決できないでいる問題を受け継いでしまったり、その影響を強く受けていることがあります。
しかしヨセフの生涯を通して、あなたの恵みによるならば悪いパターンを断ち切り、むしろ恵みをもたらす者にさえなり得ることを教えられます。
私たちがそれぞれ自分の行動、家族の様々な出来事の中に何を見つけ、気付くとしても、あなたの恵みはそれよりずっと大きく深く、愛に満ちていることを確信させてください。
イエス様のお名前によって祈ります。」