小さな出会い

みなさん、おはようございます。
台風が通り過ぎた日の夕方、仙台から戻って来た私は教会の窓の外が真っ赤になっているのを見て、ああ、きっと素晴らしい夕焼けが見られるに違いないと、屋根に上りました。危ないのでお勧めはしませんが、教会の屋根の上から見る眺めは素晴らしいです。とにかく、素晴らしい夕焼けを見ていたら、ふと足元の雪止めのところに小さなマスコット人形がこちらを見上げるように落ちているのを見つけました。とあるアニメーション映画に登場していたキャラクターです。投げ上げて届く高さではないし、ここで子どもが遊んだわけはありません。ひょっとしたら台風の風で飛ばされてどこからか飛んで来たのかも知れません。嵐の後にあり得ないところに残された小さなマスコットなんて、何かを暗示しているかのようにも思える、不思議な体験でした。せっかくの「出会い」なので洗って取っておくことにしました。
私たちが経験する小さな出会いには必ずしも大きな意味があるとは限りませんが、その出会いに至るまでの自分の知らない物語があるのは確かで、そこにも神様の恵みや導きがたくさんあったはずです。神様のなさることは私たちの想像を遙かに超え、たくさんの御わざにあふれているのでしょう。

“”主よ あなたのみわざはなんと多いことでしょう。
あなたは知恵をもってそれらをみな造られました。
地は あなたのもので満ちています。” 詩篇 104:24

今日は****+さんの誕生日です。祝福を祈ります。

佐々木真輝

2022-09-18 私たちの旅路

2022年 9月 18日 礼拝 聖書:ルカ24:44-53

 しばしば人生は旅に喩えられます。

最近あまり読まれなくなったような気がしますが、ジョン・バニヤンというイギリスの信徒説教者が獄中で書いた「天路歴程」という物語は信仰の歩みをまさに天を目指して歩む旅に喩えたもので、若い頃に読んだという人もいることでしょう。また、ある世代以上の方々にとって、「人生の海のあらし」という讃美歌はとても心に響くものです。

人生を喩えるものとしての旅は、私たちを惹き付けます。聖書の世界観を色濃く反映したトールキンの指輪物語では主人公たちが世界の危機に翻弄されながら旅を続けます。最近のものは分かりませんが、ドラゴンクエストやファイナルファンタジーといった人気のゲームシリーズも冒険の旅をしながら主人公たちが成長していく姿を楽しむことができます。続きを読む →

一度にひとつのこと

みなさん、おはようございます。
昨日、郵便局まで歩いていった帰り(たまには私も歩くのです笑)、横断歩道のある小さな交差点にさしかかりました。一台の車が横断歩道の上で停まりました。でも歩行者である私を見て止まったわけではなく、右折のために正面から来る車が通り過ぎるのを待っているようでした。いくら横断歩道とはいえこちらに気づいていない車の前を歩くのは怖いので後ろを通って横切ろうとしたとき、ドライバーがようやく気づいてこちらを振り返りました。そのドライバーはずっと携帯電話でしゃべりながら運転しているのです(ちなみに営業中のサラリーマンなどではなく、中年の女性ドライバーでした)。もちろん、道交法違反ですが、それはともかく、片手に携帯電話をもってしゃべりながらの運転は危険ですね。
かくいう私も10年以上前にスマホ運転で罰金を払ったことがあります。それ以来しないよう気をつけています。「ながら○○」は何であれ効率が悪いことが多いですが、場合によっては大変危険です。自分が危ないだけでなく、人に害を及ぼすこともあります。自分の集中力や判断力、経験の豊富さを過信せず、へりくだり知恵深く歩みたいものです。

“高ぶりが来れば、辱めも来る。
知恵はへりくだる者とともにある。” 箴言 11:2

佐々木真輝

ねたむほどの愛

みなさん、おはようございます。
我が家のワンコたちは、時々仲良くしてますが、時々争っています。争いの理由は「ねたみ」のようです。どちらかと遊んでいるともう一方が邪魔をしたり、構ってとばかりにアピールしてきます。どちらかを呼べば、もう一方もいそいそとやって来ます。そんなふうにして時々はげしい喧嘩になるので、どうしたら良いのかと困ってしまうこともしばしばですが、そこまで愛されていることに、ついつい頬も緩んでしまいます。
神様は私たちを「ねたむほどに」愛してくださっています。神様の「感情」と私たちの感情を同列で考えるべきではありませんが、その愛の強さは十分に想像できます。他の誰かを振り向いたりしてほしくない、二番ではだめ。私たちに求める愛も大きいですが、それ以上に神様が私たちに注ぐ愛は強く深く、揺らぐことがありません。

“主はご自分の地をねたむほど愛し、
ご自分の民を深くあわれまれた。” ヨエル 2:18

佐々木真輝

記録達成の影で

みなさん、おはようございます。
プロ野球でひいきのチームがリーグ首位を守り続けていて、なかなか気分がいいですが、昨日はすごい記録が出ました。日本人選手として一年間にホームラン記録を持っていたのは王選手です(ぼくたちの子ども時代のヒーローです)。しかし昨日、ひいきチームのM選手が、そのホームラン記録、年間55本に並んだのです。その上は、プロ野球記録の60本ですので、ひょっとしたら行けるんじゃないかと期待してしまいます。打率と打点も加えた三冠王もかなり可能性が高いようです(これまた興味の無い人には何のことやらという話しですね、すみません)。
記録がかかってくると、相手も打たれまいと頑張ったり、敬遠したりしますから、そういう中で打ち続けるのは相当の集中力を必要とするはずです。いろいろとチラつく雑念も振り払わなければなりません。そのために毎回守っているルーティンをしっかりこなして打席に入る姿には教えられます。何度も書いていますが、良い習慣を身につけることは私たちの心をイエス様のほうに向け続けるためにとても効果的です。形だけになると百害あって一利なしですが、心を込めて続ければ信じられないほどの力を発揮することもあります。

“それからイエスは出て行き、いつものようにオリーブ山に行かれた。弟子たちもイエスに従った。” ルカ 22:39

佐々木真輝

正しい使い方と手入れ

みなさん、おはようございます。
いただきものの冷凍の高級なハンバーグがあったので、昨日の夕飯に作りました(というか、焼いただけですね)。前に焼いた時は古いフライパンを使ったのですが、かなり年季が入っていて、焦げ付き防止のコーティングもすでにあちこちはげているので、案の定、焦げ付いてしまいました(同じ理由で餃子を焼いてもうまくいきません)。なので今回は、しばらく前に購入し使わずにいた新しいフライパンを投入。文句なしの焼け方で美味しくいただけました。
道具には寿命もありますが、正しい使い方をしちゃんと手入れをすれば結構長持ちします。反対に不適切な使い方をし、手入れを怠れば役に立たなくなります。私たちも限られた地上の生活の中で、心も身体も魂も、よい使い方と手入れがあれば長く用いられますね。

“弟子は師以上の者ではありません。しかし、だれでも十分に訓練を受ければ、自分の師のようにはなります。” ルカ 6:40

昨日は***さんの誕生日でした。今日は*****くんの誕生日です。祝福を祈ります。

佐々木真輝

2022-09-11 よく分かってほしいこと

2022年 9月 11日 礼拝 聖書:ルカ1:1-4

 今日は聖書を順番に一緒ずつ読んでいくシリーズに戻りたいと思います。神様がルカの福音書を通して私たちに願っていることは、私たちがイエス様について聞いたこと、信じたことが、本当に確かなことだと確信することです。

私たちはすでに信じていても、本当にこれで良いのだろうかと考えたり、今の私たちの信仰の歩みや教会の姿はイエス様が願ったようなものだろうかと迷うことがあります。ルカが福音書の宛先としてあげたテオピロという人もそんな迷いの中にありました。続きを読む →

私の支え

みなさん、おはようございます。
以前、論文作成のためにがん経験者の伴侶の経験をインタビューしたいという方の研究に協力しました。ずいぶん時間が経ったのですが中間のまとめが出来たので、内容の確認と追加の質問をしたいのでと、昨日訊ねて来られました。結構長いインタビューでしたが、きちんと要点がまとめられていました。改めて第三者の目(耳)を通して示されたものを見ることで自分の心を支えたものや落ち込ませたものは何かといったことが分かりましたし、振り返り、思い出しながら話している時に、どういう気持ちで家内を支えようと思っていたのか見えて来ました。
論文の中では個人が特定されないような表現が用いられるので、牧師やクリスチャンであること、信仰のことなどは書かれてはいませんが、それでも神様の真実と恵み、多くの方々の祈りと愛に支えられ、励まされたことは間違いのないことでしたし、これからも、それらが私を支えてくれるのだと感謝と驚きを新たにしました。

“というのは、あなたがたの祈りとイエス・キリストの御霊の支えによって、私が切に期待し望んでいるとおりに、このことが結局は私の救いとなることを知っているからです。” ピリピ 1:19

佐々木真輝

美しい音色の背後に

みなさん、おはようございます。
昨日車を運転中にラジオからとあるジャズ・ミュージシャンの音楽が流れて来ました。すごく好きという程ではありませんが、とても美しい演奏をする人です(故人ですが)。でも音楽に似合わずプライベートはひどいというか、かなり悲惨でした。麻薬に溺れ、暴力やクスリ欲しさに窃盗で逮捕されたりと荒れた生活をしていました。今なら過去のスキャンダルや行動でバッシングされ干されてしまうような荒れ方です(そういう時代でもありましたが悪さは悪さですね)。それでも美しい音色と音楽は心を打ちます。むしろ、そういう人生が透けて見えるからこそ、なのかも知れません。
聖書に記された最も美しい詩は、罪深さにかけては勝るとも劣らないダビデやソロモンの言葉を通して生まれました。私たちも様々な弱さと罪があり決して無垢な者ではありません。それでも神様は私たちの賛美を喜んで聞いてくださり、私たちの手のわざを味わい深く用いてくださいます。神様は間違いや欠けを数え上げて責めるのではなく、恵みのゆえにへりくだる者の美しさを引き上げてくださるのです。

“数々の咎が私を圧倒しています。
しかし 私たちの背きを
あなたは赦してくださいます。” 詩篇 65:3

佐々木真輝

良薬口に苦し

みなさん、おはようございます。
最近、わがやのワンコのお腹の調子が悪いようで、動物病院で薬が処方されました。これまで我が家にいたワンコたちは薬を飲ませることに苦労したことがあまりありません。だいたいご飯の上に乗せておけば一緒に食べてしまうのです(嫌がる時もありましたが)。ですが今回はちょっと苦労しています。美味しくないんでしょうね、きっと。でも薬を飲めば症状が収まり良くなっていってくれます。
私たちを癒すものがいつでも心地よく優しいとは限りません。けれども苦い経験や痛みを伴う取り扱いを通してだけ癒されるような深い傷や痛みがあります。それが神様によるものならば、心地よい経験ではありませんがその先に癒やしと平安があります。

“彼の道を見たが、
それでもわたしは彼を癒す。
わたしは彼を導いて
彼とその嘆き悲しむ者たちに、
慰めを報いる。” イザヤ 57:18

佐々木真輝