聖書全体を読む

みなさん、おはようございます。
先日、ふだんはなかなか教会にいらっしゃれない花巻のHさんから一枚のファックスが届きました。手書きでしたためられていたのは、約1年半続いた旧約聖書の各書を毎週ひとつずつ順番に取り上げて行く説教シリーズへの感想でした。一度に扱いきれない長い書巻もありましたし、月初めは年間主題に基づいた説教があり、季節ごとのトピックもあったので、39週で終わることはできませんでしたが、それでもかなりのハイペースで旧約聖書全体を駆け抜けた感じです。それでも旧約聖書を一貫して流れるテーマをしっかりと受け取ってくださり、自分の人生と重ね合わせて考えてくださっている文章にとても励まされました。
好きな箇所だけ読んだり、今必要なみことばを探すような読み方ではなく、神様が数百年かけて様々な時代に様々な語り口で与えてくださったみことば全体に向き合うのは、なかなか大変なことです。今回やったことはささやかなチャレンジでしたが私にとっても有意義なものでした。さて次は新約聖書です!

“それからイエスは、モーセやすべての預言者たちから始めて、ご自分について聖書全体に書いてあることを彼らに説き明かされた。” ルカ 24:27

佐々木真輝

勘違い

みなさん、おはようございます。
しばらく前に車の定期点検のハガキが来ていたのを思い出し、スマートフォンのアプリから予約できるということでしたので点検を予約しました。いつもは電話で済ませるのですが、営業時間外だったので忘れないうちに予約しておこうとしたわけです。それで昨日、予約した時間にお店に向かいました。「お待ちください」と言われ、座って待っているとなじみの整備士の方がニコニコしながら近づいて来ます。そして…「佐々木さん、予約は来週になってますよ」と。21日ではなく28日。めっちゃ恥ずかしかったので、逆に結構大きな声で「すみません、恥ずかしい〜。来週出直します!」と言って店を後にました。
小一時間、得したのか損したのかは捉え方次第です。昨日の場合は、やるべきことが結構たまっていたので得した気分です(もちろん来週、改めて時間を取らなければならないのでプラスマイナス・ゼロ)。失敗や勘違いと無縁な生活は望むべくもありませんが、そういう時にどう受け止めるかは私たちの選択にかかっています。人様に迷惑をかけてしまったならちゃんとお詫びしなければならないですが、恵みによって生かされている私たちらしい選択というのがあるようにも思います。少し、自分にも人にも寛容で良いのではないかと思います。

“私たちはみな、多くの点で過ちを犯すからです。もし、ことばで過ちを犯さない人がいたら、その人はからだ全体も制御できる完全な人です。” ヤコブ 3:2

佐々木真輝

ライフワーク

みなさん、おはようございます。
昨日は岩手の牧師会でした。まだオンラインでの開催です。それでも以前のように、毎月交代で各自がテーマとしていることを分かち合って学びを続けています(ちなみに私の最近のテーマはLGBTについてです)。昨日の奥田先生はいつもどおり、新約聖書の原語であるギリシャ語でした。一度牧師としては退職し、今は気仙沼の顧問という立場ではありますが、それでも学びを続けて教えてくださいます。出版しようとか、発表するためというより、ご自身が聖書のことばをより正確に読み取りたいということのようです。こういうのをライフワークというのでしょう。
ライフワークは生涯を掛けて取り組む仕事です。人によってどんなものが与えられているかは異なりますが、神様は私たちに何かしら、生涯を通して自分の成長と喜びのため、また教会やこの世界に貢献するためのテーマを与えてくださっています。それを見つけられたなら手放さないようにしましょう。

“私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして追求しているのです。そして、それを得るようにと、キリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。” ピリピ 3:12

佐々木真輝

2022-06-19 神への口ごたえ

2022年 6月 19日 礼拝 聖書:マラキ4:1-6

 上下二巻に分かれている物語は長いですけれど、読み応えがあります。上巻の終わりは、物語の小さなクライマックスとなりますが、次の下巻に続く物語への期待をいだかせるような場面やセリフで締めくくられます。次はどうなるだろう、あの謎はどのように解かれるのだろう、あの登場人物の運命はどうなるのか。前編と後編に分かれている映画にもそういう面があります。映画の場合はとくに何ヶ月も、時には一年をおいて後編が上映されます。そのようなワクワクがあるとき、上巻だけ読んで終わるということはありません。逆に、下巻から読み始める人はまずいません。そんなことをしたら、上巻を読んでいないと分からない登場人物や背景となっている出来事に気づけず、物語の世界に入り込むことができません。

聖書全体は、旧約聖書という上巻と新約聖書という下巻からなる一続きの物語です。もちろん物語といっても神話や空想物語ではなく、歴史の中で確かに神様が語りかけ、働きかけ、それらに人々が応答した物語です。続きを読む →

主のみもとに

みなさん、おはようございます。
今朝、牧師・宣教師として長い間お仕えくださった田口吉元先生が天に召されたとの知らせが入りました。北上にも何度もおいでくださりペルーでの宣教の様子や労苦を分かち合ってくださいました。テロリストによる大使館占拠事件の時は無事を祈りながらハラハラさせられ、解放される様子がテレビに映し出されて安堵したことも思い出します。川崎淳先生たちに働きを委ねた後は日本に帰国し、数年間牧師として再び仕えてくださいました。引退後は奥様とともにキリスト教老人ホームで仲良くお過ごしになっていたと聞いていました。
地上での歩みを終え、主のみもとに召され安息をいただいていることでしょう。遺されたご遺族のうえに豊かな慰めがあることを祈ります。私たちもまた、この地上での日数には限りがあることを覚え、大切に歩んでいきたいと願います。

“私は勇敢に戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。あとは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。その日には、正しいさばき主である主が、それを私に授けてくださいます。私だけでなく、主の現れを慕い求めている人には、だれにでも授けてくださるのです。” テモテ第二4:7-8

佐々木真輝

なんだかズルしてるみたい

みなさん、おはようございます。
「羽生」といってもフィギュアスケートの「はにゅう」さんではなく将棋の「はぶ」さんのことがニュースになっていました。プロの棋士として36年5ヶ月で1500勝という「驚異的」な記録を達成したそうです(どれくらいの試合数があるかも分からないのでピンと来ないかもしれません)。しかも勝率は7割近いということですから驚きです。普通はどう頑張ってもそんなことにはなりません。
私たちはキリストにあって「勝利者だ」と言われていますが、実際の生活ではそう感じられないことのほうが多いかも知れません。むしろ圧倒的な弱さを感じるものです。仕事において、健康において、信仰において、道徳性において、どれかが上手くいっても他では失敗続きかも知れません。それでも私たちを愛してくださる神様は、そんな私たちを勝利者の側に入れてくださっています。なんだかズルをしているみたいですが、恵みというのは相応しくない者に与えられる、それほどまでに圧倒的で一方的な好意なのです。

“しかし、これらすべてにおいても、私たちを愛してくださった方によって、私たちは圧倒的な勝利者です。” ローマ 8:37

佐々木真輝

また会う日まで

みなさん、おはようございます。
だいぶ久しぶりになってしまいました。先週はリレーフォーライフのイベントとキャサリン宣教師のハープ・コンサートが続き、週明けすぐに仙台で神学校の総会がありました。久しぶりの対面イベント、久しぶりの教会でのコンサート、久しぶりの仙台行き。どれもこれも、やはり実際に会うとか、集まるとか、空間を共有するというのは良いものだと思いました。しかし、今回は仙台に行ったついでに一日、義理のお母さんのところに寄ってきました。2年ぶりかそれ以上になります。あまり変わっていないようにも見えましたが、ちゃんと二年分の変化はありました(大きな心配はないです)。近所の方々との良い関係があり、本当によく助けていただいているのは変わりませんでした(というか、ますます助けてもらっているようです)。「コロナが落ち着いたら」という言葉にはもう飽き飽きしましたが、それでもそう言わざるを得ないことにもどかしさも感じますが、次に会うまで元気でいてほしいです。
未来のことはほんとうに分からないものです。数十年先とはいわなくても、明日のことさえ何が起こるか本当には分かっていないことをここ数年でいやというほど経験しましたね。私たちのうちにある将来の計画や選択は大切ですが、それ以上に主への信頼、主とともに歩むことが私たちの歩みを確かにします。

“あなたのわざを主にゆだねよ。
そうすれば、あなたの計画は堅く立つ。” 箴言 16:3

今日は***さんの誕生日です。祝福を祈ります。
今日は婦人会と祈祷会があります。

佐々木真輝

満腹の時の買い物

みなさん、おはようございます。
毎週火曜日の夜は夕飯のあとで一週間分の食糧を買いだしに行くのが習慣になっています。毎週繰り返していることですが、お腹いっぱいになっているときに買い物に行っても、「今週何を作ろうか」とイメージを膨らますのが難しいです。空腹の時は「この材料であれを作ったらうまいだろうなあ」とすぐ思いつくのですが、満腹のときは何が食べたいかほんとうに思いつきません(無駄な買い物をせずに済むということでもあります)。
私たちがやたらめったらに「欲しがる」ときは、満たされていないときです。神様が与えてくださる良きもので満足していれば、余計なものを欲しがりすぎたり、執着したりしないですみます。そして与えられた必要な分を感謝し、余白の分を本当の意味で楽しむことができます。

“朝ごとに
あなたの恵みで私たちを満ち足らせてください。
私たちのすべての日に
喜び歌い 楽しむことができるように。” 詩篇 90:14

今日は婦人会と祈祷会があります。

佐々木真輝

越えてはならない境界

みなさん、おはようございます。
最近、市内でクマの被害をよく聞きます。怪我をされた方もいますので、皆さんもどうぞお気をつけて。何度か山の中でクマに遭遇したことがありますが、住宅街で遭遇するとかなり驚くでしょうね(以前、高速道路を横切るクマに会ったこともあり、それもびっくりしましたが)。クマにしてみれば生きるために当然のことをしているだけなのでしょうが、人間の食べるものの味を知ってしまったら何度も里に下りてくるんでしょうね。本来は人間の生活圏とクマの生活圏は分かれているはずなのですが、境界線が曖昧になるとこういうトラブルが起きてしまいます。
私たちは神様を心から愛し、人を自分自身のように愛するべきですが、そこには立ち入ってはならない境界線があります。神様が愛してくださり、親しい関係になっても、その聖さや権威を侮ることはできません。人間同士もどれほど親しくなっても(夫婦であっても)互いに守るべき線はやはりあります。立場や力を背景にその線を越えることはハラスメントになり、暴力にさえなります。クマには悪意はありませんが、時に人には悪意があり、無意識の自己中心があるので厄介です。自制も愛のひとつの大事なあり方です。

“しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものに反対する律法はありません。” ガラテヤ 5:22-23

今日は****さんの誕生日です。祝福をお祈りします。

佐々木真輝

野いちご豊作の謎

みなさん、おはようございます。
晴れていれば庭の野いちごを集める日が続いています。今年の実は例年よりできが良いというか実が大きめでなんだか得した気分です。いつもなら少しでも多く集めようと、小さめだなと思っても貪欲に集めますが、今年は大きめのだけ集めても十分な量が採れます。なぜ今年のできが良いのかまったく見当がつきません。別に肥料をあげているわけではないし、例年通りイチゴの周りには雑草が生えて邪魔なくらいです笑。想像を超えた恵みです。
神様の恵みが恵みであるのは、私たちの祈りや願い、想像を越えた良きものを与えてくださるからです。一瞬、期待と違ってがっかりしたり、意味が分からなくなることもあります(いつも大粒のいちごが与えられるわけではありません)。けれども、私たちを愛して、最善のものを与えようとしている神様の意図とそこに込められた愛はやがて分かります。

“あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあって永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみの後で回復させ、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。” 1ペテロ 5:10

今日は*****さんの誕生日です。祝福を祈ります。

佐々木真輝