2022-03-06 希望が見えないときに

2022年 3月 6日 礼拝 聖書:ヘブル11:32-40

 この2年間、私たちは新型コロナウイルス感染症の世界的な拡大という今まで経験したことのない状況を歩んで来ました。

思い返せば、日本で最初に感染者が見つかってから少しずつ全国へと拡がっていく中で、岩手だけが感染者ゼロの期間が続き、岩手には特別な何かがあるんじゃないかと盛んに言われたこともありましたが、いざ拡がり始めれば特別なことは何もありませんでした。

大きな波が収まり始めると「ああ、もうすぐ終わりだ」と期待し始めますが、また次の波が来て「やっぱりまだか」と失望する。まるで今の時期の春を待つ感じに似て、解けてはまた降る雪に心がアップダウンするみたいです。

そして岩手出身の選手たちがめざましく活躍したオリンピックの興奮が冷めやらぬうちにロシア軍によるウクライナ侵攻が始まりました。ウクライナやロシアの一般の人たちのことも気がかりですが、南北に領土問題を抱えている日本にとっても人ごとではありません。続きを読む →

ひな祭り

みなさん、おはようございます。
最近、お店に桃ものやピンクのものがよく並んでいるなあと思ったら、今日は「ひな祭り」だったんですね。女の子の健やかな成長を祈る古くからの行事です。教会ではひな祭りに因んだ行事をすることはあまりないですし、むしろ「異教的」という理由で避ける人も多いですね。長い歴史の中でいろいろな習慣が付け加えられて来ていますから、確かに異教的というより迷信やげん担ぎのような色合いはあります。でも、子どもの健やかな成長を祈る願いは当たり前のことですし、子どもの死亡率の高かった時代ならなおさら強く願うのは理解できます。
私たちは今、戦渦の中で新しい命が誕生したり、幼い子どもが恐怖に怯えたり、まだ子どもと言えるような若者が銃をとらなければならない状況にあるのを見ています。我が子ばかりでなく、神様から命をいただいた全ての子どもたちの安全と健やかさを祈りたいと思います(ちなみに昔はひな祭りは女の子に限定しなかったそうです)。

“そしてイエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。” マルコ 10:16

今日は****さんと****さんの誕生日です。祝福を祈ります。
婦人会と祈祷会があります。

佐々木真輝

不器用な親切

みなさん、おはようございます。
何日か前の明け方近くに、夢を見ていました。カフェっぽいお店にいるのですが、なぜか私は和風な小上がりの席に座っています(まあ夢の世界ですから)。通路を挟んだところに、若いろう者のカップルが注文しようとメニューを見ています。そこに店員さんが来て注文を取ろうとします。食事の内容は指さしをしたりジェスチャーでなんとか通じました。ところがもう一つの注文で困ったことになりました。そのお店ではどういうわけかDVDのレンタルも出来るということで、そのカップルは何かDVDを借りようとしたのです。ところが店員さんは「実は準備に一時間くらいかかる」と説明しようとするのですがなかなか通じません。そこで私がずっと前に覚えた手話で何とか状況を説明しようと試みるのです。しかし、なかなか肝心の単語を思い出せなかったり、指文字が混乱していたりで苦労します。それでも何とか通じてみんなハッピーでしたというところで目が覚めました。夢からさめて、すぐに「スマホ使えば良かったな」と思いました。でもなぜか夢の中では、不十分ながら、何とか役に立とうと傍目から見たら不器用で無駄に思えることをやってたんですね。
気遣いやさりげなさも大事ですが、善意や親切を示す時にスマートであろうとしすぎると時を逸してしまいます。不器用でも、さっと動ける者でありたいです。

“親切なことばは蜂蜜。
たましいに甘く、骨を健やかにする。” 箴言 16:24

佐々木真輝

愚かさ

みなさん、おはようございます。
ウクライナでの戦争に限らず、指導者が戦争を決断するときは判断を間違っているからそうするのだと言われます。戦争を始めても得るものより失うものの方が多い場合が殆どです。日本が始めた太平洋戦争もそうですし、最近では湾岸戦争とかもそうです。だから、国際的な枠組みや国内の側近たちが知恵を出したり、牽制したりして判断を間違えないようにがんばるのですが、人間はどうやっても間違えるものです。
恐れや焦りがまさって物事が正しく見えなくなったり、恨みや個人的な感情の問題が合理的な判断よりまさってしまったり。私たちは戦争を始めるような立場にはありませんが、それでも後で考えれば「なんて愚かな」と思うなことをしてしまった経験は誰にでもあります。私たちはそのような者であると自覚し、謙虚になることから始めなければなりません。

“聞かせてください。主である神の仰せを。
主は 御民に 
主にある敬虔な人たちに 平和を告げられます。
彼らが再び愚かさに戻らないように。” 詩篇 85:8

今日は午後から大船渡に向かいます。

佐々木真輝

2022-02-27 良い生き方とは

2022年 2月 27日 礼拝 聖書:ミカ6:3―8

 現代は士師記の時代のようだなと思わされます。士師記の時代、モーセやヨシュアのような指導者を失った人々は「めいめいが自分の良いと思ったこと」を行って生きていました。その結果はさんざんなものです。

ウクライナでの戦争はひどいものですし、この機に乗じて自分たちの利益になるよう、ずるく立ち回る国々や組織、権力者があります。しかも、めいめいが自分にとって良いと考えることをしているわけです。

何が良いことなのか、良いこととは何なのか。この世界を良いものとして造られた、良いお方である神様の示す指針なしに、めいめいが良いと思うことをやりあっているだけなら、当然、利害がぶつかり、力の強い方が得をし、弱い者は追いやられてしまいます。続きを読む →

起こってしまったことの中で

みなさん、おはようございます。
ウクライナでの戦争が「始まって」しまいました。この戦争は数日前に始まったものではなく、2014年にロシアがクリミア半島を併合したときからずっと続いているとも言えます。歴史や政治の見方は一つだけではないので、異なる考えもあるとは思いますが、とにかく戦争は起こってしまいました。人々の命、生活、社会、文化が失われたり、破壊されたりすることは、どんなに言いつくろっても悪です。一日も早く戦いが終結し、平和が取り戻されることを祈ります。
戦争には反対だけれど、起こってしまった悪のただ中で、それでも生きなければならないことがあるのが、私たちの現実でもあります。国と国の戦争に限らず、人間関係の争いや憎しみ、ねたみが、神の愛を信じ、希望を持って他者を愛する生活を目指す私たちの心をくじこうとします。私たちの敵は「誰か」ではなくそうした悪そのものです。誰かを倒すことではなく、悪意に打ち負かされないように愛と希望と祈りを持って歩みたいと思います。

“悪に負けてはいけません。むしろ、善をもって悪に打ち勝ちなさい。” ローマ 12:21

お祈りいただいた昨日のI君の手術は無事に終わり、しばらくギブス生活が続くとのことです。引き続き回復を祈りましょう。

佐々木真輝

回復のために

みなさん、おはようございます。
O家のI君が雪で滑って転倒し、足を骨折してしまいました。昨日入院し、今日手術だそうです。まだ時々雪は降るものの、温かくなって来て、雪解けが進んだり、景色が少しずつ春に近づいています。それでも、雪道ならではの危険は完全には消えていませんから、高齢者だけでなく、若くても、「慣れている」と思っている人も、どうぞお気を付けください。そして、今日のI君の手術が成功し、一日も早い回復が与えられるようお祈りください。なにしろこの春には新しい生活が待っていますから。

“主は心の打ち砕かれた者を癒やし
彼らの傷を包まれる。” 詩篇 147:3

今日は****さんの誕生日です。祝福をお祈りします。

佐々木真輝

辛い知らせ

みなさん、おはようございます。
海外の友人から、がんであることと余命およそ1年との告知があったと連絡がありました。私よりずっと若い、まだ青年と呼べる年代の方です。これから生化学療法を受け、生きてまた会いたいと願っているので祈って欲しいとのことでした。以前は被災地支援や日本宣教のためにと頻繁に日本に来ていましたし、一緒に遊びに行く約束もしていたのですが、コロナのためにそれも叶わずにいる間にこの知らせです。
数日前にこの知らせを受け取り、ショックを受けましたが、もちろん本人の受けた衝撃はそんなものではないはずです。彼のことは、ほんの一面しか知らないと分かっていますが、それでもいろいろなことで悩み、苦しみながら生きる道を見つけ、未来に期待していたことは知っているので「神様、どうしてですか」という思いがわいて来ます。でも、今は彼が望んだように、神様が腫瘍が小さくし、弱った体に新たな息吹を吹き込んでくださるようにと祈ります。

“主よ 私をあわれんでください。
私は衰えています。
主よ 私を癒やしてください。
私の骨は恐れおののいています。” 詩篇 6:2

今日は婦人会と祈祷会があります。

佐々木真輝

行きつ戻りつしながら

みなさん、おはようございます。
もうすぐ春かなあと思ったところでの大寒波でしたね。自宅と教会の除雪をしながら「今シーズン一番だったかも」と思いました。雪の捨て場がなくなって、とうとうゲストハウス前の駐車スペースにも雪を置くことになってしまいました。でも、温かくなればそのうち消えてくれるでしょうから、あともう少しのことに違いありません。
もうすぐ終わりだと思ったところで後戻りするようなことがあると、結構心がくじかれそうになるものです。コロナばかりでなく、様々な困難の時にも、問題はすっきり、まっすぐ解決に向かうのではなく、行きつ戻りつしながらです。だから、元の木阿弥に終わるのではなく、最終的には神様がすべてを益と変えてくださり、解きほぐしてくださるという希望を捨てないようにしましょう。

“神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。” ローマ 8:28

佐々木真輝

さえぎるものが取り壊されて

みなさん、おはようございます。
毎日、教会と自宅を往復するときに、移転した病院の跡地の前を通ります。少し前に完全に取り壊され、隣接していた薬局跡も取り壊されました。毎日少しずつ建物が取り壊されていくにつれて、病院の影に隠れていた民家などが見えるようになりました。きっと見張らしが良くなった反面、「見られる」ことも多くなったことでしょう。何しろ、私のような者まで「あんな家があったのか」とか「あの建物後ろはこうなってたのか」なんて見ているわけですから。
気持ちの上でも、自分を隠していたものが取り払われると、やはり見張らしが良くなる面と、無防備になった感じの両面があります。アダムとエバを覆うために神様が動物の革で服を作って覆ってくださった恵み深さを覚えます。神様は私たちの魂の隠されたところに光を当てるだけでなく、覆ってもくださることを感謝します。

“主は ご自分の羽であなたをおおい
あなたは その翼の下に身を避ける。
主の真実は大盾 また砦。” 詩篇 91:4

佐々木真輝