愚かさ

みなさん、おはようございます。
ウクライナでの戦争に限らず、指導者が戦争を決断するときは判断を間違っているからそうするのだと言われます。戦争を始めても得るものより失うものの方が多い場合が殆どです。日本が始めた太平洋戦争もそうですし、最近では湾岸戦争とかもそうです。だから、国際的な枠組みや国内の側近たちが知恵を出したり、牽制したりして判断を間違えないようにがんばるのですが、人間はどうやっても間違えるものです。
恐れや焦りがまさって物事が正しく見えなくなったり、恨みや個人的な感情の問題が合理的な判断よりまさってしまったり。私たちは戦争を始めるような立場にはありませんが、それでも後で考えれば「なんて愚かな」と思うなことをしてしまった経験は誰にでもあります。私たちはそのような者であると自覚し、謙虚になることから始めなければなりません。

“聞かせてください。主である神の仰せを。
主は 御民に 
主にある敬虔な人たちに 平和を告げられます。
彼らが再び愚かさに戻らないように。” 詩篇 85:8

今日は午後から大船渡に向かいます。

佐々木真輝

2022-02-27 良い生き方とは

2022年 2月 27日 礼拝 聖書:ミカ6:3―8

 現代は士師記の時代のようだなと思わされます。士師記の時代、モーセやヨシュアのような指導者を失った人々は「めいめいが自分の良いと思ったこと」を行って生きていました。その結果はさんざんなものです。

ウクライナでの戦争はひどいものですし、この機に乗じて自分たちの利益になるよう、ずるく立ち回る国々や組織、権力者があります。しかも、めいめいが自分にとって良いと考えることをしているわけです。

何が良いことなのか、良いこととは何なのか。この世界を良いものとして造られた、良いお方である神様の示す指針なしに、めいめいが良いと思うことをやりあっているだけなら、当然、利害がぶつかり、力の強い方が得をし、弱い者は追いやられてしまいます。続きを読む →

起こってしまったことの中で

みなさん、おはようございます。
ウクライナでの戦争が「始まって」しまいました。この戦争は数日前に始まったものではなく、2014年にロシアがクリミア半島を併合したときからずっと続いているとも言えます。歴史や政治の見方は一つだけではないので、異なる考えもあるとは思いますが、とにかく戦争は起こってしまいました。人々の命、生活、社会、文化が失われたり、破壊されたりすることは、どんなに言いつくろっても悪です。一日も早く戦いが終結し、平和が取り戻されることを祈ります。
戦争には反対だけれど、起こってしまった悪のただ中で、それでも生きなければならないことがあるのが、私たちの現実でもあります。国と国の戦争に限らず、人間関係の争いや憎しみ、ねたみが、神の愛を信じ、希望を持って他者を愛する生活を目指す私たちの心をくじこうとします。私たちの敵は「誰か」ではなくそうした悪そのものです。誰かを倒すことではなく、悪意に打ち負かされないように愛と希望と祈りを持って歩みたいと思います。

“悪に負けてはいけません。むしろ、善をもって悪に打ち勝ちなさい。” ローマ 12:21

お祈りいただいた昨日のI君の手術は無事に終わり、しばらくギブス生活が続くとのことです。引き続き回復を祈りましょう。

佐々木真輝

回復のために

みなさん、おはようございます。
O家のI君が雪で滑って転倒し、足を骨折してしまいました。昨日入院し、今日手術だそうです。まだ時々雪は降るものの、温かくなって来て、雪解けが進んだり、景色が少しずつ春に近づいています。それでも、雪道ならではの危険は完全には消えていませんから、高齢者だけでなく、若くても、「慣れている」と思っている人も、どうぞお気を付けください。そして、今日のI君の手術が成功し、一日も早い回復が与えられるようお祈りください。なにしろこの春には新しい生活が待っていますから。

“主は心の打ち砕かれた者を癒やし
彼らの傷を包まれる。” 詩篇 147:3

今日は****さんの誕生日です。祝福をお祈りします。

佐々木真輝

辛い知らせ

みなさん、おはようございます。
海外の友人から、がんであることと余命およそ1年との告知があったと連絡がありました。私よりずっと若い、まだ青年と呼べる年代の方です。これから生化学療法を受け、生きてまた会いたいと願っているので祈って欲しいとのことでした。以前は被災地支援や日本宣教のためにと頻繁に日本に来ていましたし、一緒に遊びに行く約束もしていたのですが、コロナのためにそれも叶わずにいる間にこの知らせです。
数日前にこの知らせを受け取り、ショックを受けましたが、もちろん本人の受けた衝撃はそんなものではないはずです。彼のことは、ほんの一面しか知らないと分かっていますが、それでもいろいろなことで悩み、苦しみながら生きる道を見つけ、未来に期待していたことは知っているので「神様、どうしてですか」という思いがわいて来ます。でも、今は彼が望んだように、神様が腫瘍が小さくし、弱った体に新たな息吹を吹き込んでくださるようにと祈ります。

“主よ 私をあわれんでください。
私は衰えています。
主よ 私を癒やしてください。
私の骨は恐れおののいています。” 詩篇 6:2

今日は婦人会と祈祷会があります。

佐々木真輝

行きつ戻りつしながら

みなさん、おはようございます。
もうすぐ春かなあと思ったところでの大寒波でしたね。自宅と教会の除雪をしながら「今シーズン一番だったかも」と思いました。雪の捨て場がなくなって、とうとうゲストハウス前の駐車スペースにも雪を置くことになってしまいました。でも、温かくなればそのうち消えてくれるでしょうから、あともう少しのことに違いありません。
もうすぐ終わりだと思ったところで後戻りするようなことがあると、結構心がくじかれそうになるものです。コロナばかりでなく、様々な困難の時にも、問題はすっきり、まっすぐ解決に向かうのではなく、行きつ戻りつしながらです。だから、元の木阿弥に終わるのではなく、最終的には神様がすべてを益と変えてくださり、解きほぐしてくださるという希望を捨てないようにしましょう。

“神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。” ローマ 8:28

佐々木真輝

さえぎるものが取り壊されて

みなさん、おはようございます。
毎日、教会と自宅を往復するときに、移転した病院の跡地の前を通ります。少し前に完全に取り壊され、隣接していた薬局跡も取り壊されました。毎日少しずつ建物が取り壊されていくにつれて、病院の影に隠れていた民家などが見えるようになりました。きっと見張らしが良くなった反面、「見られる」ことも多くなったことでしょう。何しろ、私のような者まで「あんな家があったのか」とか「あの建物後ろはこうなってたのか」なんて見ているわけですから。
気持ちの上でも、自分を隠していたものが取り払われると、やはり見張らしが良くなる面と、無防備になった感じの両面があります。アダムとエバを覆うために神様が動物の革で服を作って覆ってくださった恵み深さを覚えます。神様は私たちの魂の隠されたところに光を当てるだけでなく、覆ってもくださることを感謝します。

“主は ご自分の羽であなたをおおい
あなたは その翼の下に身を避ける。
主の真実は大盾 また砦。” 詩篇 91:4

佐々木真輝

2022-02-20 敵を愛するジレンマ

2022年 2月 20日 礼拝 聖書:ヨナ1:1-10

 聖書の教えには私たちの生活や人生をより良くするものが幾つもありますが、実践するのがなかなか難しいと思えるものもあります。その代表的な一つが「あなたの敵を愛しなさい」というものかも知れません。

敵の兵士に花をプレゼントした女の子の話とか、不正を訴えるデモ隊を排除しようとする武装警官に水を差し出す女性の話とか、心を打つような話しや写真はあるけれど、いざ自分だったらと考えるとなかなか難しいと感じます。続きを読む →

良いコーチのように

みなさん、おはようございます。
カーリングの中継があると楽しんで見ていますが、カーリングは数ある冬の競技の中でも一試合の時間が長く、そして審判がほとんど口を出さずに選手たちのセルフジャッジで試合が進む珍しい競技です。またコーチもいるのですが、試合中にコーチの意見を聞けるのは5分間の休憩時間と、一試合に一回だけ認められている1分間のタイムアウトだけです。ですからコーチは一投毎に細かく指示を出すのではなく、選手たちが自分たちで刻々と変わる状況に応じて正しい判断ができるよう、普段から指導します。
牧師や教会の様々なリーダーの役割は、カーリングのコーチのようです。その役割は一人一人の生活にこまごまと指示を与えるのではなく、各自が聖書の教えに立って自分で信仰をもって判断できるよう教えたり励ましたりすることです。人生の主役は一人一人のクリスチャンですから、私は良いコーチのようであれたらと願っています(なかなか難しいのですが)。

“私が苦闘しているのは、この人たちが愛のうちに結び合わされて心に励ましを受け、さらに、理解することで豊かな全き確信に達し、神の奥義であるキリストを知るようになるためです。” コロサイ 2:2

今日は婦人会と祈祷会があります。

佐々木真輝

春を待って

みなさん、おはようございます。
昨日は午後から久しぶりにしっかり雪がふりました。せっせと片付けたところやようやく地面が見えて来たところがふたたび雪で覆われてしまいました。まだ2月ですからね。春はまだ先です。でも春が着実に近づいていることは湿気の多い雪ふ触れてみると分かります。
私たちの人生に時々やってくる冬のような季節、厳しく困難な時は永遠には続きません。それは天の御国ですべてが癒される時を待つというだけのことではありません。それでも、もうすぐ雪解けかと期待したのに、また寒さが戻ってくるかのように、出口が見えたかと思えばまた後戻りしたように思える時があるものです。しかしながら、昨日より今日は春に近づいているのです。

“主よ あなたの恵みが
私たちの上にありますように。
私たちがあなたを待ち望むときに。” 詩篇 33:22

佐々木真輝