神の光から目を離さないで

みなさん、おはようございます。
昨日は無事にクリスマス礼拝を献げることができました。オンラインの方にはトーンチャイムの音がちゃんと聞こえなかったという噂もありますが、いかがだったでしょうか。礼拝ですので、ゲームとかお楽しみの部分はありませんでしたし、食事もなかったので、あっさりというか、少し寂しい感じもします。その分、私たちのためにお生まれくださったイエス様にしっかり注目することができたようにも思います。
クリスマスらしい飾り付けやキラキラ光るイルミネーションはとても素敵です。クリスマスの贈り物をもらったりあげたりするのも楽しいです。それらはクリスマスの中心であるイエス様とその恵みを思い出すよいきっかけにもなりますが、往々にして違うものに目を向けさせてしまいます。24日は夜7時からクリスマスイブのキャンドル礼拝です。

“麗しさの極み シオンから
神は光を放たれる。” 詩篇 50:2

佐々木真輝

2021-12-19 地には平和

2021年 12月19 日 クリスマス礼拝 聖書:ルカ2:1-20

 昨年のクリスマスの時には、来年のクリスマスこそは、思いっきりお祝いできると期待していましたが、今年も、少し息を潜めるではないですが、やはり静かに祝うことになりました。

今年ご一緒に思い巡らしたいクリスマスのテーマは「平和」です。神様はキリストによって平和を与えると言われますが、それはいったいどのようなものでしょうか。続きを読む →

冬の風の音

みなさん、おはようございます。
冬の夜、特に雪が降っている時の風の音って独特ですね。風の吹き方や空気が乾燥しているとか、気温が低いことが音の響方に影響するのでしょうか。台風の時とも、春の風とも違う、ちょっと恐ろしげで、寒さを増し加えるようですが、ドラマチックでもあります。「明日の朝、積もってなきゃいいな」と思いながら眠りにつきます。
風にいろいろな表情があるように、風にたとえられる聖霊の働きも様々な表情があります。時に激しく、時に優しく。ある時はごくごくなでるように。風がどこから来て、どこに向かうか分からないように聖霊も思いのままに働きますが、目的は私たちを新しく生まれさせ、また励ますため。恐ろしがる必要はありませんね。

“風は思いのままに吹きます。その音を聞いても、それがどこから来てどこへ行くのか分かりません。御霊によって生まれた者もみな、それと同じです。」” ヨハネ福 3:8

佐々木真輝

来年の手帳

みなさん、おはようございます。
パソコンやスマホは結構使いこなしているほうだと思いますが、手帳だけは紙のものを使い続けています。今はちょうど来年の手帳に切り替える時期で、今年の分と来年の分の2冊を持ち歩いています。来年の予定も少しずつ入り始めているので、ちょこちょこと書き込んでいますが、カレンダーのぞき込みながら「果たしてこの予定は実現するだろうか」と、やはりまだ不確かさに悩みます。考えてみれば、未来がどうなっているかなんて分からないのですよね。コロナ以前、あまり考えずに予定を立てられたのがむしろ奇跡だったのかも知れません。
聖書は自分自身の限られた命や未来の不確かさを忘れて、何でも出来るかのように思い込む傲慢さに気をつけるよう勧めています。神様の前にへりくだって、与えられた時の中でなすべきことは何か、よくよく考えて歩みたいものです。

“あなたがたはむしろ、「主のみこころであれば、私たちは生きて、このこと、あるいは、あのことをしよう」と言うべきです。” ヤコブ 4:15

今日は婦人会と祈祷会があります。

佐々木真輝

ブランク

みなさん、おはようございます。
物置に文字通りお蔵入りしていた古いキャンプ道具がいくつかあり、そのいくつかを引っ張り出してみました。一つは交換部品が近所に売ってないのでまだ試せていないのですが、もう一つは試すことができました。ホワイトガソリンという燃料を使うアウトドアストーブ(暖房機ではなく、コンロのようなもの)です。20年くらいほったらかしにしていたので、ちゃんと火がつくとは思っていませんでした。多分、どこか錆びていたり、劣化して部品交換なんか必要だと覚悟していたのですが、びっくりするほどすんなり火がつき、とても綺麗な炎が出せました。これなら現役でも全然問題ありません。
様々なことから離れてブランクが長ければ長いほど、取り戻すのは大変で、キャンプ道具のように簡単に再生するというふうにはいきません。でも、私たちに与えられたキリストにある新しいいのちは、私たちの心や身体に依存するのではなく、イエス様のいのちに結びついているものですから古びてしまうことはありません。問題は、仕舞い込んでしまったものを引っ張り出して来るかどうかです。

“ですから、私たちは落胆しません。たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。” 2コリント 4:16

今日は小****さんの誕生日です。祝福を祈ります。

佐々木真輝

30年ぶりの勝利

みなさん、おはようございます。
興味のない人には申し訳ないですが、自動車レースの最高峰、F1で日本の自動車メーカーが唯一エンジンを提供しているチームのドライバーが年間チャンピオンになりました(重ねて言いますが、どうでも良いという人は気にしないでください笑)。30年ぶりということです(30年前はこれまた伝説のドライバー)。しかも最終レースの最後の周回で逆転して優勝を決めるという、とても劇的な勝利でした。この間、業績の低迷や不況、様々な事情から一時撤退していた時期もありましたが、再び参戦。それでも簡単に結果が出るわけはなく、前のチームでは成績が悪いとドライバーからもチームからもエンジンが悪いと愚痴られ、ほんとに酷かったです。しかし、今のチームでは基本的にリスペクトがあり、一緒に戦う精神があったことで持ち前の技術力、開発力が発揮されたように思います。
勝利には忍耐と努力が必要ですが、それだけなく、共に戦う仲間、結果が出ない時でも敬意を払う仲間が必要です。信仰の勝利はイエス様が与えてくださるものですが、この地上で生きていく中では(やはり負けることや後退することもあるので)一緒に歩んでくれる仲間と互いへの敬意、そして自分自身の信仰に立った忍耐と努力も必要です。

“ですからあなたがたは、現に行っているとおり、互いに励まし合い、互いを高め合いなさい。” 1テサ 5:11

佐々木真輝

いつものことを新しい心で

みなさん、おはようございます。
今日は花巻めぐみキリスト教会との講壇交換で、マーク宣教師がおいでくださいます。アドベントの時期の講壇交換というのは初めてかも知れません。マーク先生と打ち合せのメールをやりとりする中で、先週私が取り上げたのと全く同じ箇所をマーク先生が取り上げるつもりであることが分かりました。相談してマーク先生が別の箇所を取り上げることにしてくださったのですが、同じ箇所でもまた別な視点があったかも知れませんね。
この時期に取り上げる聖書箇所というのはわりとパターンになっているものです。救い主誕生についての預言とか、マリヤの受胎告知、ヨセフが御使いのお告げを受ける場面とかになりがちです。そして長く教会生活を送っていると「聞いたがことある」というメッセージになる場合もあるでしょう。でも、それこそが毎年繰り返すことの大事な面です。いつものことを新しい心で受け止め、人生の様々なステージや心持ちの中で、新たな意味合いが浮かび上がって来るものです。いつものことを新しい心で。そんなふうにしてこのアドベントの時期を送っていきましょう。

“モーセはイスラエルをみな呼び寄せて、彼らに言った。
聞け、イスラエルよ。今日、私があなたがたの耳に語る掟と定めを。これを学び、守り行いなさい。” 申命記 5:1

今日は****さんの誕生日です。祝福をお祈りいたします。

小さな言葉ですが

みなさん、おはようございます。
とある工作キットの部品が間違って送られて来たので、オンライン・サポートに「これこれ、こういう事情ですので、正しいものを送ってほしい」という連絡を入れました。その後、何の音沙汰もなく、果たしてメッセージは届いているのだろうかと心配しつつも、まあそのうち何か連絡があるだろうと思っていました。そうしたら、何の前触れもなく荷物が届き、中にはお願いしていた部品が。正しいものが届いたのは良いのですが、何の連絡もなく、「この度はご迷惑をおかけしました」くらいのコメントもなく、請求金額0円の納品書が同封されていただけでした。なんだかなあ。
特に謝罪を求めているわけではないけれど、信頼関係を保つために必要な小さな言葉の一つがあるかないかはとても大事ですね。商売だけでなく、人間関係もですし、何より、自分自身がそうした感謝やお詫びの心を言葉で伝えているかな、忘れていないかな、と思わされたのでした。

“親切なことばは蜂蜜。
たましいに甘く、骨を健やかにする。” 箴言 16:24

佐々木真輝

小さな傷

みなさん、おはようございます。
昨日、車の点検に行って来ました。14万キロ近く走っているのですが、まだ元気そうです(自分の体と同じで要注意のパーツはあります)。点検後、なじみの整備士の方がフロントガラスに傷があるようだと教えてくれました。跳ねた小石がぶつかってできた傷のようですが、表面だけなので、今のところ問題ないとのことです。ただ、冬は外気温と曇り止めのためにガラスを温めるため、温度差でちょっとしたヒビが一気に拡がることがあるので、注意しておく方が良いとのアドバイス。ついでにフロントガラスの構造や取りつけ方についていろいろと豆知識を教えてもらいました。ありがたい。
小さな傷が思いもしなかったような大きな災いや痛みを招くことがあるのは、私たちの心や信仰の歩みも同じですね。なかなか自分では気づかなかったり、気づいても軽く見て見過ごしたりしてしまうことがあるものです。

“私のうちに 傷のついた道があるかないかを見て
私をとこしえの道に導いてください。” 詩篇 139:24

今日は*****さんの誕生日です。祝福を祈ります。

佐々木真輝

2021-12-05 死の陰、希望の光

2021年 12月5 日 礼拝 聖書:イザヤ9:1-7

 先日、教会でもクリスマスの飾り付けをしました。夜、外から見た教会の玄関にはクリスマスツリーとささやかなイルミネーションがなかなか綺麗に見えます。

最近のLEDは性能が良いので、日中でも光っているのがよく分かります。でも夜になればますますはっきり見えますし、きれいさもだいぶ違います。教会の存在とクリスマスをアピールするためにも夜の間もつけています。

しかし、残念ながらイエス・キリストというこの世界に与えられた光は、必ずしもすべての人にはっきり見えるようではないみたいです。続きを読む →